- Kaigun:英語で書かれた日本海軍に関する本で、この分野では定評のあるスタンダードな本のようです。このフォーラムでもよく”Kaigun”からの引用がされたりしています。
- Shattered Sword:ミッドウェイ海戦について深く掘り下げた書物。この本の評価はかなり高く、やはりこのフォーラムでしばしば言及されています。
私は2冊とも未読ですが、いつか読んでみたいと思っています。とくに後者はKindle版があるので、価格もお手頃ですし。でも日本語の本でも積ん読がたくさんあるので、だいぶ先のことになりそうですが。では、以下に抄訳を
いま”Kaigun”を読んでいるが、この素晴らしい書籍の空母の設計と建造の章の323ページ で著者は次のように主張している。
戦前期日本海軍の空母設計の頂点をなす2隻の翔鶴級が、1941年の時点で就役していた世界中のすべての空母の中で最高だった。
翔鶴級の設計は素晴らしく、日本の建造した空母の中では最高と言っていいだろう。しかし1941年の時点で就役していたすべての空母ということは、ヨークタウン級より優れているということになる。この分野に関しては素人に過ぎない私の意見としては、書類上(ぱっと目につく点を挙げるだけでも、消火体制、より多くの艦載機、レーダー)はヨークタウン級の方が優れているように思える。さて、ここで皆さんに尋ねたいのは、翔鶴級の方が優れていたのか?もしそうならその理由は?という点だ。
翔鶴級が1941年の時点で日本の空母の中で最高だったという点には賛成だ。しかし、私はヨークタウン級に軍配を上げたい。
- 艦載機が多い
- 開放型格納庫
- 航続距離が長い
- 居住性が良好(パイロットの疲労が少なくて済む)
- 対空砲が優れている
- ダメコンが優れている
- レーダーの装備に加え、CAPに敵機の来襲する方向を指示する能力がある
翔鶴級は最初から空母として設計され、しかも条約によるトン数の制限を受けなかった。レキシントン級は改装空母だし、ヨークタウン級はワシントン条約の制限下にあった。ヨークタウン級はワスプも含めて13万5000トンの範囲に収まるように設計された。日本は翔鶴級に関してそういった心配をする必要がなかった。
スレ主さんの引用したコメントには驚きだ。しかし”Kaigun”のような専門的な大著からのものだそうだから、まじめに対応する必要がある。スレ主さんと同じく、わたしもこのフォーラムに出入りしている詳しい人たちの見解を知りたく思う。とくに、ヨークタウン級と翔鶴級の比較について。
たしかに翔鶴級は日本の空母の中では最高の存在だと思う。ではアメリカの空母よりも優れていたか?というと、その点は疑問だ。アメリカの技術は1941年という時点には一歩抜きん出た存在になり始めていて、その後は決して遅れを取ったりはしなかった。個人的には時期がかなり影響するように思う。2隻の翔鶴級はエンタープライズとヨークタウンより就役時期が遅く、大戦初期には両者は互角だっただろう。翔鶴級にも改装が加えられたが、1943年にはヨークタウン級の生き残りのエンタープライズにはかなわない。1944年にはどうだったかって?分かるよね...
アメリカ艦の方が優れていたと思う。しかし1941年ということなら航空戦に関するドクトリンは日本の方が優れていて、翔鶴級は日本で最高の空母だった。したがって、ドクトリンと兵器システムを総合すると翔鶴級が1941年の世界で一番の空母だったといえると思う。兵器システムだけみれば、ヨークタウン級の方が優れているように感じる。どう?
あなたの1941年に関する意見に私も同意する。1941年の翔鶴級は、ドクトリン、対空砲などすべてを総合して優れていたか?というと、たしかにそうだったと思う。1942年の戦いを振り返ってみると、翔鶴がヨークタウン級の受けたのと同じくらいのダメージを受けて生き残ったり、ヨークタウン級よりもましな状態でピンチを切り抜けたのは何回あったっけ?たしか3回(珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦)であってるよね。日本海軍の赴くところどこでも、翔鶴級は特別な存在だった。大戦中盤や後半にはアメリカ海軍のドクトリンやヨークタウン級の生き残りであるエンタープライズの経験の方が優っていた。しかしフネそのもの、設計と建造だけをみてみればかつては翔鶴級が最高だった。「だった」というのがみそだが。考えてもみてくれ、もし翔鶴級にもアメリカ海軍の生み出したようなダメコンの技法の改善がなされていたなら...
意見は異なるが、我々は1941年の時点について議論している。アメリカの空母には初期のレーダーが設置され始めたばかりで、効果的に運用する方法にまだ誰も気付いてはいなかった。開戦時のアメリカの空母の対空砲は日本のものよりわずかにまさっていたが、そんなに大きな差はなかった。主力艦に護衛の艦艇をつけるというアメリカ海軍の防空ドクトリンは優れていたが、それはドクトリンだけのことで、スレ主さんの指摘した点とは関係がない。
翔鶴の戦歴がすべてを物語っている。翔鶴は何度も被弾したが、1944年に潜水艦から致命的な雷撃を受けるまで沈むことはなかった。1942年後半までにはアメリカのダメコンのドクトリンは日本よりも優れたものになっていたが、それもアメリカ海軍が日本よりも速やか(訳注:原文 faster、でも「早期に」earlierの方がふさわしい気もする)に戦訓から学んだからだ。レキシントンが失われた主な原因は、航空機燃料の配管から使用していない時に気化ガスを排除しておかなかったからだ。珊瑚海海戦後ただちにそうするようになったが、日本海軍がそれを取り入れたのはずっと後になってからのことだった。
ヨークタウン級はだいたい飛龍・蒼龍と同じ時期の空母だ。飛龍・蒼龍と比較すると、ヨークタウン級の方がずっと優れている。翔鶴級はヨークタウン級というよりもエセックス級の方に近い。両級は両国が条約の制限から離れて設計した最初の空母だ。日本の着手の方が早く、条約の制限を受けない空母を先に実戦に投入することができた。翔鶴級とエセックス級を比較すると、エセックス級は大戦初期の戦訓を取り入れることの出来た点で有利で、そう意味では次元の違うもの同士の比較になってしまう面もある。両級が最高の機能を発揮した時期もまたかなりずれている。それでも、両国で設計された空母で翔鶴級に対応するのはエセックス級だ。
翔鶴の失われた1944年までには日本海軍の水兵の質は低下し、またパイロットの技倆も非常にお粗末になり、しかも非常に低質な燃料(精製された重油ではなく、ボルネオ産の原油)で航海しなければならなくなっていた。エセックスが就役した頃、戦争は違った局面を迎えていて、アメリカ海軍の全艦艇が改良されたレーダー、改善された対空砲、改訂されたドクトリンを備えていた。
翔鶴級もエセックス級もなかなか沈まない空母だった。1942年、アメリカ海軍は翔鶴に3回ダメージを与えたが、その度に翔鶴は生き残った。瑞鶴は翔鶴が沈没するまで、一度も被弾したことがなかったが、その次の戦いで囮として使われ沈没した。私は翔鶴級の設計が非常に頑丈で、ダメージに耐え戦闘を続ける能力が高いものと評価している。
私は航空機の運用能力についてはよく知らない。航空機の運用能力はWitP系のゲームがきちんと評価できていない点だと思う。レキシントン級は常にエレベータの数の不足に悩まされ、特に前部エレベータの昇降速度は非常に遅く、1944年の改装時にサラトガのものが換装されるまでそのままだった。ヨークタウンのエレベータは高速で航空機運用能力は良好だったが、ワスプやエセックス級はサイドエレベータの採用によりさらに改善された。
Shattered Swordは日本の空母の航空機運用能力の低さについてひとくだり触れているが、日本の空母のエレベータの性能についてはよく分からない。Joseph Reevesはアメリカ海軍航空のパイオニアで、多くの考え方やドクトリンをもたらした。真珠湾への奇襲が可能なことを彼は何度か証明(訳注:図上演習で)していたから、日本が真珠湾攻撃の発想を彼から得たという可能性もある。彼は複数の空母を統合した艦載機の運用を提唱したが、アメリカ海軍よりも日本海軍の方がそれをうまく取り入れた。
もうひとつ、彼がご執心でしかもアメリカの空母の設計に影響を及ぼしたものがあって、それは空母作戦のテンポだった。彼はいつも乗組員に、航空機の離陸間隔をなるべく短くするようせっついた。一定の時間内での発進数の記録を作り、自らそれを度々塗り替えた。彼に影響されてアメリカ海軍は空母にカタパルトを設置する実験を開始し、またサイドエレベータや昇降速度の速いエレベータを採用した。彼が考えていたのは、戦闘の渦中では空母からなるべく速く離陸させることが生死を分けるかもしれないということだった。飛行機は空母の主兵装だ。水上戦闘艦が発砲間隔にこだわるように、航空機を素早く離陸させることは主兵装が敵に向かってきちんと飛んで行ってくれることを意味する。
この点を日本人が充分に肝に銘じていたかどうかは不明で、航空機の発艦間隔についてはアメリカ海軍に一日の長があったかもしれない。1944年にははっきりとそうなっていた。マリアナ沖海戦はアメリカ海軍にとって受けて立っての勝利だったが、それはヘルキャットを一日中飛ばし続けることで達成された。
スレ主さんの疑問に戻ると、翔鶴級は1941年に就役していた空母の中で一番だったと思う。1941年以降のドクトリンと技術的な変化により、1943年にはアメリカ海軍が有利になっていた。1944年になるとエセックス級を前に翔鶴級は光を失ってしまったが、それは開戦後にもたらされた改善の然らしむるところだった。
どの空母が1941年で一番の空母だったかは、どんな点を重視するかにもよるだろう。翔鶴級はより速かった(34ノット対32ノット)が航続距離は短かく(1000マイルほど)、装甲は優れていたが搭載飛行隊は小さく、より大きなフネだったがレーダーを装備していなかった。対空砲による防御についてみると、8門の5インチ砲に対して16門の127mm砲をもつ1941年の翔鶴級の方が上だ。人と訓練(ダメコンの方針・訓練や搭乗員の訓練)の要素を別にすれば、翔鶴級の方が上にくると思う。しかし繰り返すが、どんな点を重視するかによると思う。
条約の制限を受けて建造されたのに、なぜヨークタウン級の方が優れていたわけ?
優れていたのは翔鶴級の方。翔鶴級は珊瑚海海戦でも第二次ソロモン海戦でも南太平洋海戦でもヨークタウン級よりうまく戦った。たしかにヨークタウン級の方が優れていた点もあった。じかしフネそのもの(対空砲やレーダーやダメコンは除くということ)は翔鶴級の方が優れていた。優れたダメコンと良好な対空砲を備えた翔鶴級というものがあったなら、きっと恐るべき存在になっていたことだろう。
参考になるレス、ありがとう。ヨークタウン級より翔鶴級の方が優れていた点がいくつかあったようだ。しかしそのバランスをヨークタウン有利に変えてしまう重要な要素がひとつあると思う。それは飛行隊の大きさだ。搭載機が多ければ、より多くのCAPによる防御、より多くの索敵機、より大規模な攻撃が可能になる。大戦初期の日本はパイロットの質という点でこれに対抗していたが、それは空母の設計とは直接の関係がない。
一発の被弾で機関室が機能しなくなってしまう可能性が少ない機缶配置をとっていた翔鶴級の方が、生残性という点ではヨークタウン級より優れていた。Friedmanさんの空母の本(訳注:これも有名な本で昨年だったか一昨年だったかに読みました)はこの点を詩的に語っていた。ホーネットが航行不能になったのはその例だ。
兵装については見落とされてしまいがちだ。アメリカ海軍の開戦前に就役した空母は高性能炸裂弾(HE)にしろ半徹甲弾(SAP)にしろ250kgより大きい爆弾に見舞われることがなかった点で有利だった。おかげで飛行甲板はより速く修理が済んだ....特に半徹甲弾が命中した場合にはそうだった(もちろん、後者がきちんと爆発した場合にはよりまずいことになる場合もあって、深くまで入り込んでから爆発し船体に大きなダメージをもたらし、飛行甲板だけが健在でも仕方がないということになってしまう)。エンタープライズは、貫通した半徹甲弾が爆発しなかったという幸運を一度経験したことがある。
翔鶴にはその倍の大きさの爆弾(1000ポンド通常爆弾....信管の調整によってHEとしてもSAPとしても使用できるが、1942年にはHEとして使われることが多かった)が命中したことが何度もあった。飛行甲板と格納庫甲板の高さで大きな爆発が生じて、航空機の運用ができなくなるが、船体の装甲により水線上に被害が限局された。
太平洋向けに設計された両級の空母は、地中海戦線でつかわれたような爆弾が相手だと、どちらもうまく切り抜けることができなかっただろう。それでも、どちらが戦場から修理に向け離脱しやすいかと問われればヨークタウン級よりも翔鶴級に賭けたい。翔鶴級は打たれ強かったんだと思う。
搭載飛行隊の大きさについては議論のあるところで、意見の一致をみることはないだろう。大きな飛行隊の方が防御力が強く生き残りやすくなると主張するひともいるが、太平洋での4回の空母戦をみると、決死の覚悟の攻撃隊が完全に食い止められた試しはなく、4回のうち3回は1隻の空母が沈没する結果に終わった。日本やアメリカの戦前設計の空母なら耐えられるようには思えない打撃を受けても、イギリスの空母は生き残り母港に戻る。たしかにイギリスの戦闘機の搭載数は少なかったが、当時は世界で一番洗練されていた艦隊防空ドクトリンによって補われていた。また1941年にはアメリカの飛行隊も日本の飛行隊もイギリスのもの(戦闘機18~21機)に比較してそれほど大きくはなかった。時とともに三つの海軍いずれももっと多くの戦闘機が必要なことに気づいていった。イギリス海軍は格納庫の容量の制限にも関わらず、より多くの飛行機を搭載する方法を見出した。
エンジニアリングに関する箴言がある。「良さ、速さ、安さの中から2つを選べ」(速さというのは仕事を終えるのにかかる時間の速さのこと)。この3つのうちで1つしか満たせないことだってある。さいわいアメリカは「速さ」と「良さ」を実現する工業力と富を有していた。「良さ」は戦時の非常事態の対処にも充分なほどの「良さ」だった。ヨークタウン級は条約に縛られていた頃に設計された。エセックス級は条約の縛りがなければこう設計されたであろうヨークタウン級なんだ。ミッドウェイ海戦により空母が真の主力艦であることを認識させられ、エセックス級は戦訓を汲むことのできる時期に設計された初の空母でもある。イギリス空母の急降下爆撃に対する打たれ強さにアメリカ海軍は深く感心していたんだ。
翔鶴級は、最善を尽くす贅沢が日本海軍に許されていた短い期間に建造された。また翔鶴級は大和級と同じ時期に建造された。大和につぎ込んだ資源を翔鶴の方にまわせば、もっと良い空母に仕上がったかもしれない。もしそうなら、アメリカにとっての悪夢になっていただろう。
翔鶴の生残性に関する上のレスに賛成だ。翔鶴級とエセックス級の大きさ、トン数、馬力を比較すると、非常に似ていることが分かる。エセックス級の満載排水量はヨークタウン級より8000トン多く、自重トン数は7000トン多い。その差は装甲やより良い生残性・航続力をもたらすための設備が占めていた。
ヨークタウンとホーネットが失われたのは、機関室の損傷で航行できなくなったからだ。ミッドウェイ海戦でヨークタウンの煙突に爆弾が入り込んだときボイラーすべてが消えてしまった。そのせいで大切な時期にヨークタウンは動けなくなってしまった。雷撃機がやって来た時には動けるようになってはいたけれども、もしそんな事態がなければ、九七艦攻がやって来るまでに遠くまで逃げおおせていたかもしれない。
大戦後期になるとヨークタウン級はより大きな飛行隊を搭載していた。しかし1941年時点でのレキシントンとヨークタウンの飛行隊の定数は翔鶴級のものと大きくは違わなかった。開戦時には1個戦闘機飛行隊18機、1個爆撃飛行隊(SBD 18機)、1個索敵飛行隊(SBD 18機)、1個雷撃飛行隊(TBD 18機)。前部で72機。開戦時の翔鶴も72機で補用機が12機。つまり翔鶴の方が初期にはより多くの飛行機を送り出すことができた。
違いはドクトリンと使用していた機体による。戦争が進むにつれ、アメリカ機は小さく折り畳んで保管されるようになった。零戦の主翼は完全には折り畳めず、翼端が折り畳めるだけだった。九九艦爆には主翼折り畳み機構はなく、彗星もそうだった。開戦時のSBDとワイルドキャットの主翼も折り畳めなかったが、数ヶ月で主翼の折り畳めるF4F-4が使用可能になった。同じ面積の飛行甲板にアメリカ海軍はより多くのF4Fを駐機することができた。ヘルダイバーが使用可能になり初期の不具合が対処されると、SBDよりも小さく折り畳むことができるようになった。しかしヘルダイバーが空母の航空作戦に参加する頃には、艦載飛行隊の多くが艦爆のヘルダイバーではなく戦闘機のヘルキャットを装備するようになっていた。
アメリカ海軍は日本海軍よりも飛行甲板を利用することが多く、危険物である飛行機を艦のいちばん上に位置させることで、攻撃により火災の発生した時にはすぐに海中に投棄することができた。このせいで甲板要員の仕事は増えたが、より多くの飛行機を搭載することができるようにもなったわけだ。日本海軍は航空作戦を実施中でなければ、飛行機を甲板下に収納しようとする傾向があった。日本の空母の多くは格納庫を2層もっていた。そのため飛行機の運用が煩雑になり艦のスペースも窮屈になったが、そのわりに搭載機数を増やすことにはつながらなかった。
あなたが、日本の空母の閉鎖式格納庫を強調しなかった点は驚きだ。
Shattered Swordによると閉鎖式格納庫と、甲板上ではなく格納庫内で兵装を交換するというドクトリンは、ミッドウェイでの4隻のみならず日本で設計されたすべての空母にあてはまるアキレス腱だったようだ。
甲板上での駐機についても触れておいたつもりだが、お説の通り日本やイギリスの空母と違って、アメリカで設計された空母の開放式格納庫の方がずっと換気に優れていた。
航空作戦に関するドクトリンに関する限り日本はアメリカよりかなり進んでいて、スレ主さんの紹介した1941年についての主張は正しいと思う。いまShattered Swordを読みかえしているところだが、日本のドクトリンが航空戦隊をひとつのユニットとしてうまく扱っていたことに感心する。翔鶴が零戦9機と九九艦爆27機を発進させ、瑞鶴が零戦9機と九七艦攻27機を発進させる。これらはまとまって、一つの攻撃隊として機能する。おおよそ90分後には全く同じ構成の攻撃隊を、まったく逆の組み合わせで発進させることができる。1941年の時点ではほんとうに革命的なやり方だった。
ミッドウェイでも南雲やすべての参謀が雷爆混成の攻撃隊に固執したので、このやり方はとても役に立った。(アメリカ空母の発見後、)山口多聞の第2航空戦隊の(兵装変更の不要な)九九艦爆だけを攻撃に送り出そうという提案が受け入れられていたらどうなっていたか想像してみてほしい。零戦12~18機と九九艦爆36機の攻撃隊でヨークタウンに何ができたろうか?その時点ですでに機動部隊は破滅する運命にあったが、その攻撃で何らかの打撃を与えて飛龍に戻り、しかも再度攻撃ができていたらどうだったろう?『もし』を考えるのは楽しい!
Shattered Swordは日本の空母の設計とそこに潜む根本的な欠陥について非常によく教えてくれる。基本的に日本の空母は敵にダメージを与えるように設計されていて、ダメージを受け止めるようには設計されていなかった。また、John 3rdさんのいうように、空母に関するドクトリンという点では日本の方が先行していた。アメリカが追いついたのは1943から44年で、その頃でも完全に対等になったわけではなかった。他方、日本のドクトリンには空母の設計の欠陥と起源を同じくする根本的な欠陥があった。日本海海戦に由来する艦隊決戦思想への固執。Shattered Swordはこの点についても詳しく議論している。
10人のアナリストを集めると15の違った結論が導かれるというよくある昔話のようなものだ。船の設計なんてものはどれも、たくさんの妥協の産物だ。その点では軍艦の設計が最たるもので、軍艦の場合は他の要素に加えてその国の海軍の制度的な要請とドクトリンについても考慮しなければならないんだから。
あるカテゴリーの中の一番を決めようとする際には、各種性能の測定法の設定、それぞれの性能値の重み付け、それぞれの性能値をどういった順番で重視するかなどの問題になる。これをどう扱うかは完全に自由で、アナリストごとに異なり得る。つまり、唯一の答えなんてものはなく、たくさんの人の見解だけがあるということだ。このスレを読んでお分かりの通り、意見やその意見のもととなる数値の選択には限りがない。各アナリストのの結論を比較する際には、つねに各アナリストの考え方、背景、経験、興味の違いやそのテーマに対する関心の持ち方の違いなどによる影響を考慮しておかなければならない。しかも彼らの出す結論は、まるでバイキング料理のように、あなたを満足させる見解とそうでない見解とがよりどりみどりになっている。
以上の事項と、また私自身が専門家ではないこととをご承知おきいただいたところで、スレ主さんの紹介してくれたコメントに対する私自身の意見を述べてみたい。どう比較してみても翔鶴級は蒼龍・飛龍よりも優れていたし、ほとんどの部分で赤城・加賀よりも優れていた。私の尺度で比較すると翔鶴級はレキシントン・サラトガよりも優れた機能をもっていた。私の尺度では翔鶴級とヨークタウン級はかなり近い存在で、ある部分は優れているが、そうでもない部分も見受けられる。1941年12月の時点でのドクトリンを前提にすると、翔鶴級は連合軍の相当する空母よりもほんの少しだけ優れていた。優れた設計と優れた装備により建造されていて、1941年12月の時点での空母を代表するに価する。
空母の統合された作戦行動という点で、緒戦期の日本はアメリカより先行していた。しかし、その他の点でも進んでいたわけではない。アメリカの空母と飛行隊とは別々に管理されていて、作戦のために組み合わされた。そして、飛行隊が消耗するか空母が損傷すると、空母から飛行隊は分離される。この柔軟な運用がミッドウェイでは決定的に有利に作用した。ミッドウェイ作戦で翔鶴と瑞鶴は機動部隊の他の空母と合流することが予定されていた。両空母の飛行隊は珊瑚海海戦で消耗し、また翔鶴は損傷してしまった。もし日本海軍が柔軟な運用をしていたなら、両空母の飛行隊を合体させて瑞鶴に搭載しミッドウェイに送ることもできた。でも実際には両空母を本土に向かわせたんだ。
ヨークタウンも同じく珊瑚海海戦で多数のパイロットを失った。真珠湾に戻ると、ヨークタウンの飛行隊はサラトガとヨークタウンの飛行隊を合流して再建された。日本のドクトリンに従っていれば母港で過ごしていたはずの一隻が、戦場に臨むことができたわけだ。また日本人は上層部の策定した計画に従うことが好きで、状況によって戦術的な変更を加えることをあまり重視してはいなかった。敵の抵抗が微弱なうちはこれでもうまくいっていたが、アメリカ海軍が技能を獲得し始めるとすぐに破綻することになってしまった。いったん作戦が開始されると、アメリカの指揮官は柔軟に対応することが許されていた。
海軍を引退した友人が一人いるが、彼は規則を限界まで拡張して解釈し行動する人だった。でも空軍や陸軍にいたらそんなことはしなかったろうとも言っていた。海軍では、特別に規則で禁止されている事項でなければ、どんな行動でも許されていた。他の軍ではその反対。彼は、海軍での指揮というもののの性格がこういった違いの理由だと言っていた。海軍の指揮官は、上位の指揮官と接触することなしに厳しい状況から抜け出す手だてを考え出さなければならないことがあり得るから、しなければならないことを許す柔軟なドクトリンが必要なんだ。空軍や陸軍でも同様なことが起こる可能性はあるが、頻度がずっと低いだろう。
たしかに、ミッドウェイはアメリカ海軍の柔軟性を示した好例だった。それに加えて、ヨークタウンを戦いに参加させようと懸命の努力が払われた。もし日本海軍が4隻でなく5隻の空母をミッドウェイに参加させていたら、アメリカ海軍にとってはずっと危険な賭けになっていたことだろう。
ほとんどの人が気付いていないだろうことを指摘させてもらおう。イギリス海軍は地中海では甲板上に飛行機を駐機することができなかった。しかし、1945年に太平洋で作戦する頃には甲板で駐機するようになり、大きな飛行隊を運用できるようになった。そんなことも考えあわせると、1941年いちばんの空母選出の対抗馬はイギリスのアークロイヤルだと思う。
たしかに。それでも装甲した甲板のせいでイギリス空母の搭載機数はアメリカ空母よりも少なかった。装甲甲板はカミカゼ対策としては役に立ち(とはいっても巷間ささやかれる程すごーく役立ったというわけではない)、アメリカの空母なら使用不能になってしまう攻撃に耐えることができた。搭載する飛行隊の規模と装甲とはあちらを立てればこちらが立たないという関係にあるが、 Uncle Joe(訳注:誰?スターリンでしょうか)によれば「量は質を兼ねる」ということだ。
装甲甲板はアークロイヤルの特長ではない。
戦前の空母の中ではアークロイヤルがいちばん素敵に見える。しかしアークロイヤルは翔鶴級やヨークタウン級ほど頑丈であるところを見せられなかった。エンタープライズと翔鶴は何度も損傷してその都度生き残り、再び戦場に戻った。アークロイヤルの沈没に関して、そんな話を聞いたことはない。アークロイヤルの沈没原因の一部は人為的なミス、艦長の誤断によるものだが、この艦の設計も影響している。結局のところアークロイヤルは1本の魚雷の命中で沈んだわけだ。1938年就役だから、飛龍・蒼龍やヨークタウン級と同期にあたる。
「アークロイヤルは翔鶴級やヨークタウン級ほど頑丈であるところを見せられなかった」というのは少し酷で、その理由は2つある。
- お説の通り、アークロイヤルの沈没には人為的なミスが関与していた。設計のまずさがアークロイヤルの運命を決めたのも確かだが、艦長がもっとましなダメコンの指示を与えていたら、その設計のまずさが表面に出ることもなかったろうと思う。
- 魚雷が命中して沈没したのはホーネットやヨークタウンといっしょで、魚雷というものは爆弾よりも致命的になりやすい。爆弾の命中だったらアークロイヤルの設計のまずさが影響したりしただろうか?アークロイヤルに爆弾が命中したことはないので、神のみぞ知るだ。
つまり爆弾が命中した時の比較はしようがないわけで「 アークロイヤルは翔鶴級やヨークタウン級ほど頑丈であるところを見せられなかった」というのは主観的な文章であるに過ぎない。疑惑をもたれないよう付言しておくが、なにもアークロイヤルが1941年のいちばんの空母だと言いたいわけではない。それに価するのは翔鶴級かヨークタウン級のどちらかだと思う。
ワスプやヨークタウンの沈没をアークロイヤルと比較することはできないと思う。アメリカの空母2隻はすでに航空攻撃で損傷していたところに魚雷を受けた。アークロイヤルはスペインの沖で魚雷を1本喰らったに過ぎない。非難しているわけではなく、議論の糧にしてもらおうと思っているだけだよ。
まず、私はワスプについて触れていない。ヨークタウン級と翔鶴とアークロイヤルについて述べただけだ。また私は比較したわけではない。私がはっきりさせたかったのは、似たような状況での沈没ではなかったという点だ。そして、私がしたかったのは、1本の魚雷の命中で沈んだという事実のみをもってアークロイヤルが「頑丈であることを示せなかった」とまで結論することはできないと示唆することだ(アークロイヤルには比較に使える同級艦がないので、アークロイヤルの沈没の主因が人的なミスだと証明することもできないが)。アークロイヤルがヨークタウン級や翔鶴のように爆弾によるダメージを受けたのだったら沈没せずに済んだかもしれないし、もちろん、そうでなかった可能性もある。
アークロイヤルには同級艦はない。参照すべきデータは一つしかなく、完全な像を描くには不十分だ。大鳳に関しても同じことがいえる。大鳳にも同級艦はなく、潜水艦の魚雷1本で沈没した。大鳳に命中した魚雷は、アークロイヤルに命中した魚雷と場所が似通っていた。これらの空母に同級艦があって、同級艦がもっと優秀な戦績をおさめていたら、これらの艦級について語られることももっと違ったものになっていただろう。いずれにせよ1944年の日本の空母の運命は、どんな風に建造されたかではなく、運がよいかどうかにかかっていた。アメリカ海軍は条件さえ揃えば、どんなに良い設計で上手に建造された空母でも、簡単にしとめてしまえるほどに強力だった。しかし1941年のイギリス海軍は敵の領土に接近しすぎることさえなければ制海権を握っていたし、ドイツには効率よく敵の航行を妨害する戦力がなかった(ドイツも何もしなかったわけではないが、1944年のアメリカ海軍の能力には到底及ばない)。ダメコンがしっかりしていれば、アークロイヤルは沈まなかっただろう。確実にそうだとまでは断定できないが、イギリスの海軍本部はそう考えた。艦長は艦の喪失の件で軍法会議にかけられた。
「1941年には敵の領土に接近しすぎることさえなければイギリス海軍が制海権を握っていて」ということだが、この文章が正しいようには思えない。開戦以来イギリス海軍は敵の領土の近く(ノルウェー、フランス、ギリシア、クレタ、シリア、イタリア、マルタ)で戦ったし、特に地中海やそれに1941年12月のマレーもそうだった。イギリス海軍はそれを当然のこととしていたので、だから装甲空母というコンセプトが生まれたわけだ。1941年の地中海では飛行機と潜水艦により多大な損害を被り、イギリス空軍が戦い続けることができたのはアメリカの助けがあったからだ。
私は1941年にイギリス海軍が直面していた戦略状況と、1944年の日本海軍のそれとを比較したんだ。1944年という時点では、新たに就役する日本のどんな空母も浮いていられる期間は短いものと見通された。複数の優秀な大鳳が就役したのだとしても、TF38やTF58を相手に長く戦えたとは思えない。1941年のイギリス海軍の直面した状況はそれとはだいぶ違っていた。枢軸軍と戦うたびに殲滅される事態だったわけではない。