2014年9月30日火曜日

マニュアルの改訂が計画されている


フォーラムに、ボランティアでマニュアルを改訂するための材料提供を求めるAE PDF Manual RevisionというスレをAlfredさんが立てていました。彼は、種々の疑問をテーマにしたスレで、明解な回答のレスを寄せることで知られる物識りな人です。Devチームのバックアップもあるそうですから、きっと良いものができるでしょうし、完成が待たれます。
現行のマニュアルはうそをうそであると見抜ける人でないと利用が難しい状況です。例えば、計画されてはいたが発売期限までに実装できなかったレド公路がマニュアルには載せられたままです。また現在WiTP AEを購入すると、公式パッチをあててからプレイすることになると思いますが、その公式パッチのリリースノートに載せられていた練習飛行隊は実装されませんでした。その他にも「うそ」、つまり「 明解でない説明、不十分な説明」「プレイでしばしば発生する状況なのに記載されていない」ことがた~くさんあります。そういった不備を解消してくれるこの計画が実現すれば、ようやく日本語への翻訳の労に価するマニュアルが手に入ることになるのだと思います。
WitP AEのPDFマニュアルを最新の公式パッチ(#6)に対応させるかたちで改訂したいという私の提案をDevチームに示したところ、賛成してもらえた。もちろん技術的な問題でこの計画を完了させられない可能性もなくはない。すべてが目論見通りに進んだとしても、4ヶ月程はかかる予定だ。これは個人的に提案したもので、報酬を目的としてはいない。フォーラムの常連さんたちにはフォーラムのスレへの私のレスの質の高さを認識してもらえていると思う。しかし私についてよく知らない人たちの不安も、この計画にはDevチームが陰ながら参加してくれるであろうことを伝えれば解消することと思う。だからといってフォーラムのみなさんに、Devチームのこの計画への参加を促してほしいというわけではない。PDFマニュアルだけを改訂するつもりだ。改訂されたマニュアルを印刷に付す予定はない。またこの計画には4ヶ月しか予定していないので、現在のPDFマニュアルの構成を踏襲することとする。この計画の第一段階は、フォーラムのみなさんが現行マニュアルについて以下のように感じている点をこのスレにポストしてもらうことだ。
  • 不正確
  • 明解でない説明、不十分な説明
  • プレイでしばしば発生する状況なのに記載されていない
はっきり理解できるように書かれた例と、なぜその例が上記の条件にあたるのかを明記してもらうことが必要だ。どこかおかしいというだけの漠然としたレスはいらない。最新の公式パッチに焦点を当てている点に注意してほしい。今回の計画はベータパッチのたくさんの変更点については関与しない。また、WitP AE2に対する要望なんてものをレスされても、無視するからそのつもりで。このスレは、根拠を示して説明してくれるPDFマニュアルが存在していないことについて、考える機会ともなるだろう。しかしそれなしではこの計画が進まないというものでもない。またこの計画には期限があるので、2014年9月20日までにこのスレにレスしてほしい。上記の条件の変更の要望はお受けできない。ご不満な方は自分で自分用のマニュアルの改訂をしてみてほしい。

今回の計画、残念ながらベータパッチは対象外だそうです。しかし、さらに快適でリーズナブルのプレイのためには、ベータパッチをあてることが必要というのがフォーラムでの一般的な見解だと感じます。ベータパッチのリリースノートには変更点が逐一記載されていますが、あのリリースノートを読んだだけでは一体その変更が何を意味するのか理解が困難で、最低でもベータパッチのスレをおいかけることが必要でしょう。ベータパッチの作成者であるmichaelmさんは、新たなベータパッチの作成をしないと決めた後、ベータの変更点を含めたマニュアルを作成すると発言していたので、その実現も気長に待ちたいと思います。健康に留意して長生きしないとその完成には立ち会えないかも知れませんが。

2014年9月29日月曜日

ガックシ4連発


1942年11月11日、宗谷海峡付近でSS Flying Fishが日本のコンボイに遭遇しました。 SS Flying FishはxAK Kashiwara Maru(3425トン、VP 7)に向けて2本の魚雷を発射し、2本とも命中しました。残念ながら1本は不発でしたが、もう1本はしっかり爆発し、撃沈することができました。余談ですが、かしら丸でぐぐるとあの橿原丸(→CV隼鷹)について書かれたページしかでてこないのですが、あの橿原丸(かしら丸)とは別に貨物船かしわら丸が存在していたのでしょうか?謎です。

幸先良く始まったターンですが、今日良かったことはこれだけ。あとはガックシが続きます。まずは東部蘭印ですが、11月9日の艦砲射撃の後もアンボンには戦闘機が60機程いると報告されていました。重巡の艦砲射撃では効果が不十分だったと考え、今度は戦艦による艦砲射撃を計画してみました。メンバーはBBノースカロライナが主力で、昨日はBabarに待機させました。昨日は天候不良だったおかげか哨戒機に目撃されることもなく、奇襲で多数の戦闘機を地上破壊できるだろうと期待してリプレイをみたのですが、不発。BBノースカロライナのTFはアンボンの南4ヘクスのバンダ海上で朝を迎え、日本の哨戒機に発見されてしまいました。陸攻の攻撃がないことだけをお祈りしながらリプレイをみましたが、お祈りが通じたのか、雷撃されることはありませんでした。ここまで来たので、次のターンに艦砲射撃を実施させますが、目的の戦闘機は避難してしまってもぬけの殻を襲うことになりそうな気がします。BBノースカロライナは最高速度で8ヘクス移動できるので、Babarから距離8ヘクスのアンボンに1ターンで往復できるかと思っていましたが、ダメなようです。

ガックシの第2はウエーク島の艦砲射撃も実現しなかったことです。BBサウスダコタもBBノースカロライナと同じく最高速度で8ヘクスを移動できるので、前日の位置(ウエーク島の東8ヘクス)から艦砲射撃を実施してくれるものと思っていましたがダメで、ウエーク島東4ヘクスで待機してしまいました。艦砲射撃の前日の待機地点がどこまで近くないといけないのかはっきり分からず、もしかするとこういう事態もあるのかなとは思っていました。今日はウエーク島で第24歩兵師団のDeliberate attackを予定していましたが、艦砲射撃が実現しないという最悪の事態に備えるため、空母の艦載機にウエーク島守備隊への空襲を指示してありました。ところがこれも実現しませんでした。これが第3のガックシ。

そんなわけで、第24歩兵師団は海空の支援なしで陸戦を行う羽目になりました。素のAVは連合軍332:日本側守備隊45と有利なのですが、守備隊には防御施設のプラス修正と経験不足のマイナス修正、米軍には混乱と疲労のマイナス修正がついて、修正AVは21:34。1:2と連合軍に不利な修正AVなので、防御施設の規模を4から3に低下させることもできず、完敗でした。死傷者数も日本側のdevice 24個破壊・35個disabled(負傷・故障)に対し、連合軍は39個破壊・59個disabledとなっていて、きっとお相手の方は空襲も艦砲射撃もなしでの攻撃とこの結果を見て、なんて馬鹿なことをして来るんだろうと思ったに違いありません。情けない。また頼みの師団の混乱値は51、疲労値は56と急上昇してしまいました。

さらにまずいことには、サプライ揚陸の際にxAK Talune(Sys 54, Flt 60, Eng 3, Fire 27)とxAKL Regulus(Sys 27, Flt 5, Eng 2, Fire 7)が2発被弾、xAKL Mauna Ala(Sys 22, Flt 6, Eng 0, Fire 21)が3発被弾してしまいました。今日はCA MinneapolisとPortlandの重巡2隻がエスコートしていたのにと、非常に残念です。火災とSysダメージ(消火用具のダメージでもある)の大きなxAK Taluneはダメな感じです。

さて、今後どうするかですが、BBサウスダコタはここまで来ているので次のターンに艦砲射撃をさせます。そして弾薬補充にミッドウェイ島に向かいますが、その後もまた艦砲射撃に来る必要がありそうです。次ターンのサプライ揚陸は中断します。BBサウスダコタの艦砲射撃の効果をみて、再開を考えます。また第24歩兵師団には数日間の休養をとらせなければならないでしょう。BBネバダかまたはBBメリーランドが艦砲射撃を実施できるヘクスまで接近したら、それを機に攻撃再開と考えています。

それにしてもサプライの状況が心配です。近海には今日被弾してダメージを受けた貨物船以外にサプライだけを搭載した船がいません。ウエーク島の東のヘクスには2万トン弱の積んだ上陸船団がいますが、これには第24歩兵師団の残余(support deviceのみ)も乗船しているので、このTFにサプライを揚陸させると一緒にsupport(後方要員)も上陸してshock attackを強制されます。防御施設の規模が4の段階でのshock attackは避けたいところです。このTFからの上陸・揚陸は、もう一度陸戦をして、防御施設を4から3に低下させた後、ウエーク島の東方9ヘクスのところにいるTFに乗っている1個連隊といっしょにという感じかなと思っています。そんな感じで、上陸した部隊のサプライは間にあうのでしょうか??いっそのこと、ここで上陸作戦は中止とすれば、被害は貨物船数隻とPG一隻と一個師団、一個戦車大隊、一個根拠地隊だけで済みます。ぐずぐずしていると、日本側がKBとmini KBに大和と武蔵も引き連れてやって来て、大切なアメリカ空母を失うことになるのが心配です。悩む。

しかも空襲が実施されなかったことが気になって空母を見ていて、6隻の空母のうちレキシントンだけsortie数がまったく減っていないことに気付きました。レキシントンには海兵隊も含めて5つの飛行隊、定数90のところ105機が搭載されています。マニュアル15.4.1.2 AIRCRAFT STATUS ON SHIPSには
搭載されている飛行機の数がその空母の定数の115%を越えると、移動任務しか実施できなくなる
と明記されています。もちろんこのことは頭にあったのですが、飛行隊を増やしそれぞれの機数を調節した時に105機が90x1.15より少ないだとばかり思いこんでしまっていたのです。しかし赤字で表示されているように、本当は105機は90x1.15より多いのでした。なんという重大な錯覚をしていたのだろう、これが今日4番めのガックシです。次のターンでレキシントンだけ分離して東に航行させ、アベンジャーの飛行隊をミッドウェイに移動させるようにしないといけません。とにかく、今回のウエーク島攻略作戦は楽観視だけでなく、諸々のボロが噴出してしまっていて、一個師団を見捨ててでも本当に中止すべきなのかも知れません。

2014年9月27日土曜日

1941年いちばんの空母



フォーラムで1941年いちばんの空母に関するWas Shokaku class the best CV class in Dec 41?というスレがあり、面白かったので紹介します。個々のレスの中にはもしかすると事実誤認も含まれている可能性はありますが、事実を知るために読むというよりも、フォーラムの常連さんたち、つまり一般の人よりもミリタリーな知識が豊富な(主に)アメリカ人の大戦期の空母に関する考え方を知るという意味で勉強になります。なおレスの中には二冊の本の名前がでてきますが、
  • Kaigun:英語で書かれた日本海軍に関する本で、この分野では定評のあるスタンダードな本のようです。このフォーラムでもよく”Kaigun”からの引用がされたりしています。
  • Shattered Sword:ミッドウェイ海戦について深く掘り下げた書物。この本の評価はかなり高く、やはりこのフォーラムでしばしば言及されています。
私は2冊とも未読ですが、いつか読んでみたいと思っています。とくに後者はKindle版があるので、価格もお手頃ですし。でも日本語の本でも積ん読がたくさんあるので、だいぶ先のことになりそうですが。では、以下に抄訳を



いま”Kaigun”を読んでいるが、この素晴らしい書籍の空母の設計と建造の章の323ページ で著者は次のように主張している。
戦前期日本海軍の空母設計の頂点をなす2隻の翔鶴級が、1941年の時点で就役していた世界中のすべての空母の中で最高だった。
翔鶴級の設計は素晴らしく、日本の建造した空母の中では最高と言っていいだろう。しかし1941年の時点で就役していたすべての空母ということは、ヨークタウン級より優れているということになる。この分野に関しては素人に過ぎない私の意見としては、書類上(ぱっと目につく点を挙げるだけでも、消火体制、より多くの艦載機、レーダー)はヨークタウン級の方が優れているように思える。さて、ここで皆さんに尋ねたいのは、翔鶴級の方が優れていたのか?もしそうならその理由は?という点だ。


翔鶴級が1941年の時点で日本の空母の中で最高だったという点には賛成だ。しかし、私はヨークタウン級に軍配を上げたい。
  • 艦載機が多い
  • 開放型格納庫
  • 航続距離が長い
  • 居住性が良好(パイロットの疲労が少なくて済む)
  • 対空砲が優れている
  • ダメコンが優れている
  • レーダーの装備に加え、CAPに敵機の来襲する方向を指示する能力がある
翔鶴級は最初から空母として設計され、しかも条約によるトン数の制限を受けなかった。レキシントン級は改装空母だし、ヨークタウン級はワシントン条約の制限下にあった。ヨークタウン級はワスプも含めて13万5000トンの範囲に収まるように設計された。日本は翔鶴級に関してそういった心配をする必要がなかった。


スレ主さんの引用したコメントには驚きだ。しかし”Kaigun”のような専門的な大著からのものだそうだから、まじめに対応する必要がある。スレ主さんと同じく、わたしもこのフォーラムに出入りしている詳しい人たちの見解を知りたく思う。とくに、ヨークタウン級と翔鶴級の比較について。


たしかに翔鶴級は日本の空母の中では最高の存在だと思う。ではアメリカの空母よりも優れていたか?というと、その点は疑問だ。アメリカの技術は1941年という時点には一歩抜きん出た存在になり始めていて、その後は決して遅れを取ったりはしなかった。個人的には時期がかなり影響するように思う。2隻の翔鶴級はエンタープライズとヨークタウンより就役時期が遅く、大戦初期には両者は互角だっただろう。翔鶴級にも改装が加えられたが、1943年にはヨークタウン級の生き残りのエンタープライズにはかなわない。1944年にはどうだったかって?分かるよね... 


アメリカ艦の方が優れていたと思う。しかし1941年ということなら航空戦に関するドクトリンは日本の方が優れていて、翔鶴級は日本で最高の空母だった。したがって、ドクトリンと兵器システムを総合すると翔鶴級が1941年の世界で一番の空母だったといえると思う。兵器システムだけみれば、ヨークタウン級の方が優れているように感じる。どう?


あなたの1941年に関する意見に私も同意する。1941年の翔鶴級は、ドクトリン、対空砲などすべてを総合して優れていたか?というと、たしかにそうだったと思う。1942年の戦いを振り返ってみると、翔鶴がヨークタウン級の受けたのと同じくらいのダメージを受けて生き残ったり、ヨークタウン級よりもましな状態でピンチを切り抜けたのは何回あったっけ?たしか3回(珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦)であってるよね。日本海軍の赴くところどこでも、翔鶴級は特別な存在だった。大戦中盤や後半にはアメリカ海軍のドクトリンやヨークタウン級の生き残りであるエンタープライズの経験の方が優っていた。しかしフネそのもの、設計と建造だけをみてみればかつては翔鶴級が最高だった。「だった」というのがみそだが。考えてもみてくれ、もし翔鶴級にもアメリカ海軍の生み出したようなダメコンの技法の改善がなされていたなら...


意見は異なるが、我々は1941年の時点について議論している。アメリカの空母には初期のレーダーが設置され始めたばかりで、効果的に運用する方法にまだ誰も気付いてはいなかった。開戦時のアメリカの空母の対空砲は日本のものよりわずかにまさっていたが、そんなに大きな差はなかった。主力艦に護衛の艦艇をつけるというアメリカ海軍の防空ドクトリンは優れていたが、それはドクトリンだけのことで、スレ主さんの指摘した点とは関係がない。
翔鶴の戦歴がすべてを物語っている。翔鶴は何度も被弾したが、1944年に潜水艦から致命的な雷撃を受けるまで沈むことはなかった。1942年後半までにはアメリカのダメコンのドクトリンは日本よりも優れたものになっていたが、それもアメリカ海軍が日本よりも速やか(訳注:原文 faster、でも「早期に」earlierの方がふさわしい気もする)に戦訓から学んだからだ。レキシントンが失われた主な原因は、航空機燃料の配管から使用していない時に気化ガスを排除しておかなかったからだ。珊瑚海海戦後ただちにそうするようになったが、日本海軍がそれを取り入れたのはずっと後になってからのことだった。
ヨークタウン級はだいたい飛龍・蒼龍と同じ時期の空母だ。飛龍・蒼龍と比較すると、ヨークタウン級の方がずっと優れている。翔鶴級はヨークタウン級というよりもエセックス級の方に近い。両級は両国が条約の制限から離れて設計した最初の空母だ。日本の着手の方が早く、条約の制限を受けない空母を先に実戦に投入することができた。翔鶴級とエセックス級を比較すると、エセックス級は大戦初期の戦訓を取り入れることの出来た点で有利で、そう意味では次元の違うもの同士の比較になってしまう面もある。両級が最高の機能を発揮した時期もまたかなりずれている。それでも、両国で設計された空母で翔鶴級に対応するのはエセックス級だ。
翔鶴の失われた1944年までには日本海軍の水兵の質は低下し、またパイロットの技倆も非常にお粗末になり、しかも非常に低質な燃料(精製された重油ではなく、ボルネオ産の原油)で航海しなければならなくなっていた。エセックスが就役した頃、戦争は違った局面を迎えていて、アメリカ海軍の全艦艇が改良されたレーダー、改善された対空砲、改訂されたドクトリンを備えていた。
翔鶴級もエセックス級もなかなか沈まない空母だった。1942年、アメリカ海軍は翔鶴に3回ダメージを与えたが、その度に翔鶴は生き残った。瑞鶴は翔鶴が沈没するまで、一度も被弾したことがなかったが、その次の戦いで囮として使われ沈没した。私は翔鶴級の設計が非常に頑丈で、ダメージに耐え戦闘を続ける能力が高いものと評価している。
私は航空機の運用能力についてはよく知らない。航空機の運用能力はWitP系のゲームがきちんと評価できていない点だと思う。レキシントン級は常にエレベータの数の不足に悩まされ、特に前部エレベータの昇降速度は非常に遅く、1944年の改装時にサラトガのものが換装されるまでそのままだった。ヨークタウンのエレベータは高速で航空機運用能力は良好だったが、ワスプやエセックス級はサイドエレベータの採用によりさらに改善された。
Shattered Swordは日本の空母の航空機運用能力の低さについてひとくだり触れているが、日本の空母のエレベータの性能についてはよく分からない。Joseph Reevesはアメリカ海軍航空のパイオニアで、多くの考え方やドクトリンをもたらした。真珠湾への奇襲が可能なことを彼は何度か証明(訳注:図上演習で)していたから、日本が真珠湾攻撃の発想を彼から得たという可能性もある。彼は複数の空母を統合した艦載機の運用を提唱したが、アメリカ海軍よりも日本海軍の方がそれをうまく取り入れた。
もうひとつ、彼がご執心でしかもアメリカの空母の設計に影響を及ぼしたものがあって、それは空母作戦のテンポだった。彼はいつも乗組員に、航空機の離陸間隔をなるべく短くするようせっついた。一定の時間内での発進数の記録を作り、自らそれを度々塗り替えた。彼に影響されてアメリカ海軍は空母にカタパルトを設置する実験を開始し、またサイドエレベータや昇降速度の速いエレベータを採用した。彼が考えていたのは、戦闘の渦中では空母からなるべく速く離陸させることが生死を分けるかもしれないということだった。飛行機は空母の主兵装だ。水上戦闘艦が発砲間隔にこだわるように、航空機を素早く離陸させることは主兵装が敵に向かってきちんと飛んで行ってくれることを意味する。
この点を日本人が充分に肝に銘じていたかどうかは不明で、航空機の発艦間隔についてはアメリカ海軍に一日の長があったかもしれない。1944年にははっきりとそうなっていた。マリアナ沖海戦はアメリカ海軍にとって受けて立っての勝利だったが、それはヘルキャットを一日中飛ばし続けることで達成された。
スレ主さんの疑問に戻ると、翔鶴級は1941年に就役していた空母の中で一番だったと思う。1941年以降のドクトリンと技術的な変化により、1943年にはアメリカ海軍が有利になっていた。1944年になるとエセックス級を前に翔鶴級は光を失ってしまったが、それは開戦後にもたらされた改善の然らしむるところだった。


どの空母が1941年で一番の空母だったかは、どんな点を重視するかにもよるだろう。翔鶴級はより速かった(34ノット対32ノット)が航続距離は短かく(1000マイルほど)、装甲は優れていたが搭載飛行隊は小さく、より大きなフネだったがレーダーを装備していなかった。対空砲による防御についてみると、8門の5インチ砲に対して16門の127mm砲をもつ1941年の翔鶴級の方が上だ。人と訓練(ダメコンの方針・訓練や搭乗員の訓練)の要素を別にすれば、翔鶴級の方が上にくると思う。しかし繰り返すが、どんな点を重視するかによると思う。


条約の制限を受けて建造されたのに、なぜヨークタウン級の方が優れていたわけ?


優れていたのは翔鶴級の方。翔鶴級は珊瑚海海戦でも第二次ソロモン海戦でも南太平洋海戦でもヨークタウン級よりうまく戦った。たしかにヨークタウン級の方が優れていた点もあった。じかしフネそのもの(対空砲やレーダーやダメコンは除くということ)は翔鶴級の方が優れていた。優れたダメコンと良好な対空砲を備えた翔鶴級というものがあったなら、きっと恐るべき存在になっていたことだろう。


参考になるレス、ありがとう。ヨークタウン級より翔鶴級の方が優れていた点がいくつかあったようだ。しかしそのバランスをヨークタウン有利に変えてしまう重要な要素がひとつあると思う。それは飛行隊の大きさだ。搭載機が多ければ、より多くのCAPによる防御、より多くの索敵機、より大規模な攻撃が可能になる。大戦初期の日本はパイロットの質という点でこれに対抗していたが、それは空母の設計とは直接の関係がない。


一発の被弾で機関室が機能しなくなってしまう可能性が少ない機缶配置をとっていた翔鶴級の方が、生残性という点ではヨークタウン級より優れていた。Friedmanさんの空母の本(訳注:これも有名な本で昨年だったか一昨年だったかに読みました)はこの点を詩的に語っていた。ホーネットが航行不能になったのはその例だ。
兵装については見落とされてしまいがちだ。アメリカ海軍の開戦前に就役した空母は高性能炸裂弾(HE)にしろ半徹甲弾(SAP)にしろ250kgより大きい爆弾に見舞われることがなかった点で有利だった。おかげで飛行甲板はより速く修理が済んだ....特に半徹甲弾が命中した場合にはそうだった(もちろん、後者がきちんと爆発した場合にはよりまずいことになる場合もあって、深くまで入り込んでから爆発し船体に大きなダメージをもたらし、飛行甲板だけが健在でも仕方がないということになってしまう)。エンタープライズは、貫通した半徹甲弾が爆発しなかったという幸運を一度経験したことがある。
翔鶴にはその倍の大きさの爆弾(1000ポンド通常爆弾....信管の調整によってHEとしてもSAPとしても使用できるが、1942年にはHEとして使われることが多かった)が命中したことが何度もあった。飛行甲板と格納庫甲板の高さで大きな爆発が生じて、航空機の運用ができなくなるが、船体の装甲により水線上に被害が限局された。
太平洋向けに設計された両級の空母は、地中海戦線でつかわれたような爆弾が相手だと、どちらもうまく切り抜けることができなかっただろう。それでも、どちらが戦場から修理に向け離脱しやすいかと問われればヨークタウン級よりも翔鶴級に賭けたい。翔鶴級は打たれ強かったんだと思う。
搭載飛行隊の大きさについては議論のあるところで、意見の一致をみることはないだろう。大きな飛行隊の方が防御力が強く生き残りやすくなると主張するひともいるが、太平洋での4回の空母戦をみると、決死の覚悟の攻撃隊が完全に食い止められた試しはなく、4回のうち3回は1隻の空母が沈没する結果に終わった。日本やアメリカの戦前設計の空母なら耐えられるようには思えない打撃を受けても、イギリスの空母は生き残り母港に戻る。たしかにイギリスの戦闘機の搭載数は少なかったが、当時は世界で一番洗練されていた艦隊防空ドクトリンによって補われていた。また1941年にはアメリカの飛行隊も日本の飛行隊もイギリスのもの(戦闘機18~21機)に比較してそれほど大きくはなかった。時とともに三つの海軍いずれももっと多くの戦闘機が必要なことに気づいていった。イギリス海軍は格納庫の容量の制限にも関わらず、より多くの飛行機を搭載する方法を見出した。


エンジニアリングに関する箴言がある。「良さ、速さ、安さの中から2つを選べ」(速さというのは仕事を終えるのにかかる時間の速さのこと)。この3つのうちで1つしか満たせないことだってある。さいわいアメリカは「速さ」と「良さ」を実現する工業力と富を有していた。「良さ」は戦時の非常事態の対処にも充分なほどの「良さ」だった。ヨークタウン級は条約に縛られていた頃に設計された。エセックス級は条約の縛りがなければこう設計されたであろうヨークタウン級なんだ。ミッドウェイ海戦により空母が真の主力艦であることを認識させられ、エセックス級は戦訓を汲むことのできる時期に設計された初の空母でもある。イギリス空母の急降下爆撃に対する打たれ強さにアメリカ海軍は深く感心していたんだ。
翔鶴級は、最善を尽くす贅沢が日本海軍に許されていた短い期間に建造された。また翔鶴級は大和級と同じ時期に建造された。大和につぎ込んだ資源を翔鶴の方にまわせば、もっと良い空母に仕上がったかもしれない。もしそうなら、アメリカにとっての悪夢になっていただろう。
翔鶴の生残性に関する上のレスに賛成だ。翔鶴級とエセックス級の大きさ、トン数、馬力を比較すると、非常に似ていることが分かる。エセックス級の満載排水量はヨークタウン級より8000トン多く、自重トン数は7000トン多い。その差は装甲やより良い生残性・航続力をもたらすための設備が占めていた。
ヨークタウンとホーネットが失われたのは、機関室の損傷で航行できなくなったからだ。ミッドウェイ海戦でヨークタウンの煙突に爆弾が入り込んだときボイラーすべてが消えてしまった。そのせいで大切な時期にヨークタウンは動けなくなってしまった。雷撃機がやって来た時には動けるようになってはいたけれども、もしそんな事態がなければ、九七艦攻がやって来るまでに遠くまで逃げおおせていたかもしれない。
大戦後期になるとヨークタウン級はより大きな飛行隊を搭載していた。しかし1941年時点でのレキシントンとヨークタウンの飛行隊の定数は翔鶴級のものと大きくは違わなかった。開戦時には1個戦闘機飛行隊18機、1個爆撃飛行隊(SBD 18機)、1個索敵飛行隊(SBD 18機)、1個雷撃飛行隊(TBD 18機)。前部で72機。開戦時の翔鶴も72機で補用機が12機。つまり翔鶴の方が初期にはより多くの飛行機を送り出すことができた。
違いはドクトリンと使用していた機体による。戦争が進むにつれ、アメリカ機は小さく折り畳んで保管されるようになった。零戦の主翼は完全には折り畳めず、翼端が折り畳めるだけだった。九九艦爆には主翼折り畳み機構はなく、彗星もそうだった。開戦時のSBDとワイルドキャットの主翼も折り畳めなかったが、数ヶ月で主翼の折り畳めるF4F-4が使用可能になった。同じ面積の飛行甲板にアメリカ海軍はより多くのF4Fを駐機することができた。ヘルダイバーが使用可能になり初期の不具合が対処されると、SBDよりも小さく折り畳むことができるようになった。しかしヘルダイバーが空母の航空作戦に参加する頃には、艦載飛行隊の多くが艦爆のヘルダイバーではなく戦闘機のヘルキャットを装備するようになっていた。
アメリカ海軍は日本海軍よりも飛行甲板を利用することが多く、危険物である飛行機を艦のいちばん上に位置させることで、攻撃により火災の発生した時にはすぐに海中に投棄することができた。このせいで甲板要員の仕事は増えたが、より多くの飛行機を搭載することができるようにもなったわけだ。日本海軍は航空作戦を実施中でなければ、飛行機を甲板下に収納しようとする傾向があった。日本の空母の多くは格納庫を2層もっていた。そのため飛行機の運用が煩雑になり艦のスペースも窮屈になったが、そのわりに搭載機数を増やすことにはつながらなかった。


あなたが、日本の空母の閉鎖式格納庫を強調しなかった点は驚きだ。


Shattered Swordによると閉鎖式格納庫と、甲板上ではなく格納庫内で兵装を交換するというドクトリンは、ミッドウェイでの4隻のみならず日本で設計されたすべての空母にあてはまるアキレス腱だったようだ。


甲板上での駐機についても触れておいたつもりだが、お説の通り日本やイギリスの空母と違って、アメリカで設計された空母の開放式格納庫の方がずっと換気に優れていた。


航空作戦に関するドクトリンに関する限り日本はアメリカよりかなり進んでいて、スレ主さんの紹介した1941年についての主張は正しいと思う。いまShattered Swordを読みかえしているところだが、日本のドクトリンが航空戦隊をひとつのユニットとしてうまく扱っていたことに感心する。翔鶴が零戦9機と九九艦爆27機を発進させ、瑞鶴が零戦9機と九七艦攻27機を発進させる。これらはまとまって、一つの攻撃隊として機能する。おおよそ90分後には全く同じ構成の攻撃隊を、まったく逆の組み合わせで発進させることができる。1941年の時点ではほんとうに革命的なやり方だった。
ミッドウェイでも南雲やすべての参謀が雷爆混成の攻撃隊に固執したので、このやり方はとても役に立った。(アメリカ空母の発見後、)山口多聞の第2航空戦隊の(兵装変更の不要な)九九艦爆だけを攻撃に送り出そうという提案が受け入れられていたらどうなっていたか想像してみてほしい。零戦12~18機と九九艦爆36機の攻撃隊でヨークタウンに何ができたろうか?その時点ですでに機動部隊は破滅する運命にあったが、その攻撃で何らかの打撃を与えて飛龍に戻り、しかも再度攻撃ができていたらどうだったろう?『もし』を考えるのは楽しい!


Shattered Swordは日本の空母の設計とそこに潜む根本的な欠陥について非常によく教えてくれる。基本的に日本の空母は敵にダメージを与えるように設計されていて、ダメージを受け止めるようには設計されていなかった。また、John 3rdさんのいうように、空母に関するドクトリンという点では日本の方が先行していた。アメリカが追いついたのは1943から44年で、その頃でも完全に対等になったわけではなかった。他方、日本のドクトリンには空母の設計の欠陥と起源を同じくする根本的な欠陥があった。日本海海戦に由来する艦隊決戦思想への固執。Shattered Swordはこの点についても詳しく議論している。


10人のアナリストを集めると15の違った結論が導かれるというよくある昔話のようなものだ。船の設計なんてものはどれも、たくさんの妥協の産物だ。その点では軍艦の設計が最たるもので、軍艦の場合は他の要素に加えてその国の海軍の制度的な要請とドクトリンについても考慮しなければならないんだから。
あるカテゴリーの中の一番を決めようとする際には、各種性能の測定法の設定、それぞれの性能値の重み付け、それぞれの性能値をどういった順番で重視するかなどの問題になる。これをどう扱うかは完全に自由で、アナリストごとに異なり得る。つまり、唯一の答えなんてものはなく、たくさんの人の見解だけがあるということだ。このスレを読んでお分かりの通り、意見やその意見のもととなる数値の選択には限りがない。各アナリストのの結論を比較する際には、つねに各アナリストの考え方、背景、経験、興味の違いやそのテーマに対する関心の持ち方の違いなどによる影響を考慮しておかなければならない。しかも彼らの出す結論は、まるでバイキング料理のように、あなたを満足させる見解とそうでない見解とがよりどりみどりになっている。
以上の事項と、また私自身が専門家ではないこととをご承知おきいただいたところで、スレ主さんの紹介してくれたコメントに対する私自身の意見を述べてみたい。どう比較してみても翔鶴級は蒼龍・飛龍よりも優れていたし、ほとんどの部分で赤城・加賀よりも優れていた。私の尺度で比較すると翔鶴級はレキシントン・サラトガよりも優れた機能をもっていた。私の尺度では翔鶴級とヨークタウン級はかなり近い存在で、ある部分は優れているが、そうでもない部分も見受けられる。1941年12月の時点でのドクトリンを前提にすると、翔鶴級は連合軍の相当する空母よりもほんの少しだけ優れていた。優れた設計と優れた装備により建造されていて、1941年12月の時点での空母を代表するに価する。


空母の統合された作戦行動という点で、緒戦期の日本はアメリカより先行していた。しかし、その他の点でも進んでいたわけではない。アメリカの空母と飛行隊とは別々に管理されていて、作戦のために組み合わされた。そして、飛行隊が消耗するか空母が損傷すると、空母から飛行隊は分離される。この柔軟な運用がミッドウェイでは決定的に有利に作用した。ミッドウェイ作戦で翔鶴と瑞鶴は機動部隊の他の空母と合流することが予定されていた。両空母の飛行隊は珊瑚海海戦で消耗し、また翔鶴は損傷してしまった。もし日本海軍が柔軟な運用をしていたなら、両空母の飛行隊を合体させて瑞鶴に搭載しミッドウェイに送ることもできた。でも実際には両空母を本土に向かわせたんだ。
ヨークタウンも同じく珊瑚海海戦で多数のパイロットを失った。真珠湾に戻ると、ヨークタウンの飛行隊はサラトガとヨークタウンの飛行隊を合流して再建された。日本のドクトリンに従っていれば母港で過ごしていたはずの一隻が、戦場に臨むことができたわけだ。また日本人は上層部の策定した計画に従うことが好きで、状況によって戦術的な変更を加えることをあまり重視してはいなかった。敵の抵抗が微弱なうちはこれでもうまくいっていたが、アメリカ海軍が技能を獲得し始めるとすぐに破綻することになってしまった。いったん作戦が開始されると、アメリカの指揮官は柔軟に対応することが許されていた。
海軍を引退した友人が一人いるが、彼は規則を限界まで拡張して解釈し行動する人だった。でも空軍や陸軍にいたらそんなことはしなかったろうとも言っていた。海軍では、特別に規則で禁止されている事項でなければ、どんな行動でも許されていた。他の軍ではその反対。彼は、海軍での指揮というもののの性格がこういった違いの理由だと言っていた。海軍の指揮官は、上位の指揮官と接触することなしに厳しい状況から抜け出す手だてを考え出さなければならないことがあり得るから、しなければならないことを許す柔軟なドクトリンが必要なんだ。空軍や陸軍でも同様なことが起こる可能性はあるが、頻度がずっと低いだろう。


たしかに、ミッドウェイはアメリカ海軍の柔軟性を示した好例だった。それに加えて、ヨークタウンを戦いに参加させようと懸命の努力が払われた。もし日本海軍が4隻でなく5隻の空母をミッドウェイに参加させていたら、アメリカ海軍にとってはずっと危険な賭けになっていたことだろう。


ほとんどの人が気付いていないだろうことを指摘させてもらおう。イギリス海軍は地中海では甲板上に飛行機を駐機することができなかった。しかし、1945年に太平洋で作戦する頃には甲板で駐機するようになり、大きな飛行隊を運用できるようになった。そんなことも考えあわせると、1941年いちばんの空母選出の対抗馬はイギリスのアークロイヤルだと思う。


たしかに。それでも装甲した甲板のせいでイギリス空母の搭載機数はアメリカ空母よりも少なかった。装甲甲板はカミカゼ対策としては役に立ち(とはいっても巷間ささやかれる程すごーく役立ったというわけではない)、アメリカの空母なら使用不能になってしまう攻撃に耐えることができた。搭載する飛行隊の規模と装甲とはあちらを立てればこちらが立たないという関係にあるが、 Uncle Joe(訳注:誰?スターリンでしょうか)によれば「量は質を兼ねる」ということだ。


装甲甲板はアークロイヤルの特長ではない。


戦前の空母の中ではアークロイヤルがいちばん素敵に見える。しかしアークロイヤルは翔鶴級やヨークタウン級ほど頑丈であるところを見せられなかった。エンタープライズと翔鶴は何度も損傷してその都度生き残り、再び戦場に戻った。アークロイヤルの沈没に関して、そんな話を聞いたことはない。アークロイヤルの沈没原因の一部は人為的なミス、艦長の誤断によるものだが、この艦の設計も影響している。結局のところアークロイヤルは1本の魚雷の命中で沈んだわけだ。1938年就役だから、飛龍・蒼龍やヨークタウン級と同期にあたる。


「アークロイヤルは翔鶴級やヨークタウン級ほど頑丈であるところを見せられなかった」というのは少し酷で、その理由は2つある。

  1. お説の通り、アークロイヤルの沈没には人為的なミスが関与していた。設計のまずさがアークロイヤルの運命を決めたのも確かだが、艦長がもっとましなダメコンの指示を与えていたら、その設計のまずさが表面に出ることもなかったろうと思う。
  2. 魚雷が命中して沈没したのはホーネットやヨークタウンといっしょで、魚雷というものは爆弾よりも致命的になりやすい。爆弾の命中だったらアークロイヤルの設計のまずさが影響したりしただろうか?アークロイヤルに爆弾が命中したことはないので、神のみぞ知るだ。
つまり爆弾が命中した時の比較はしようがないわけで「 アークロイヤルは翔鶴級やヨークタウン級ほど頑丈であるところを見せられなかった」というのは主観的な文章であるに過ぎない。疑惑をもたれないよう付言しておくが、なにもアークロイヤルが1941年のいちばんの空母だと言いたいわけではない。それに価するのは翔鶴級かヨークタウン級のどちらかだと思う。


ワスプやヨークタウンの沈没をアークロイヤルと比較することはできないと思う。アメリカの空母2隻はすでに航空攻撃で損傷していたところに魚雷を受けた。アークロイヤルはスペインの沖で魚雷を1本喰らったに過ぎない。非難しているわけではなく、議論の糧にしてもらおうと思っているだけだよ。


まず、私はワスプについて触れていない。ヨークタウン級と翔鶴とアークロイヤルについて述べただけだ。また私は比較したわけではない。私がはっきりさせたかったのは、似たような状況での沈没ではなかったという点だ。そして、私がしたかったのは、1本の魚雷の命中で沈んだという事実のみをもってアークロイヤルが「頑丈であることを示せなかった」とまで結論することはできないと示唆することだ(アークロイヤルには比較に使える同級艦がないので、アークロイヤルの沈没の主因が人的なミスだと証明することもできないが)。アークロイヤルがヨークタウン級や翔鶴のように爆弾によるダメージを受けたのだったら沈没せずに済んだかもしれないし、もちろん、そうでなかった可能性もある。


アークロイヤルには同級艦はない。参照すべきデータは一つしかなく、完全な像を描くには不十分だ。大鳳に関しても同じことがいえる。大鳳にも同級艦はなく、潜水艦の魚雷1本で沈没した。大鳳に命中した魚雷は、アークロイヤルに命中した魚雷と場所が似通っていた。これらの空母に同級艦があって、同級艦がもっと優秀な戦績をおさめていたら、これらの艦級について語られることももっと違ったものになっていただろう。いずれにせよ1944年の日本の空母の運命は、どんな風に建造されたかではなく、運がよいかどうかにかかっていた。アメリカ海軍は条件さえ揃えば、どんなに良い設計で上手に建造された空母でも、簡単にしとめてしまえるほどに強力だった。しかし1941年のイギリス海軍は敵の領土に接近しすぎることさえなければ制海権を握っていたし、ドイツには効率よく敵の航行を妨害する戦力がなかった(ドイツも何もしなかったわけではないが、1944年のアメリカ海軍の能力には到底及ばない)。ダメコンがしっかりしていれば、アークロイヤルは沈まなかっただろう。確実にそうだとまでは断定できないが、イギリスの海軍本部はそう考えた。艦長は艦の喪失の件で軍法会議にかけられた。


「1941年には敵の領土に接近しすぎることさえなければイギリス海軍が制海権を握っていて」ということだが、この文章が正しいようには思えない。開戦以来イギリス海軍は敵の領土の近く(ノルウェー、フランス、ギリシア、クレタ、シリア、イタリア、マルタ)で戦ったし、特に地中海やそれに1941年12月のマレーもそうだった。イギリス海軍はそれを当然のこととしていたので、だから装甲空母というコンセプトが生まれたわけだ。1941年の地中海では飛行機と潜水艦により多大な損害を被り、イギリス空軍が戦い続けることができたのはアメリカの助けがあったからだ。


私は1941年にイギリス海軍が直面していた戦略状況と、1944年の日本海軍のそれとを比較したんだ。1944年という時点では、新たに就役する日本のどんな空母も浮いていられる期間は短いものと見通された。複数の優秀な大鳳が就役したのだとしても、TF38やTF58を相手に長く戦えたとは思えない。1941年のイギリス海軍の直面した状況はそれとはだいぶ違っていた。枢軸軍と戦うたびに殲滅される事態だったわけではない。

2014年9月25日木曜日

今日もウエーク島で3隻を失う


1942年11月10日、きのうとはうってかわって中国戦線は静かでした。空襲のあったのは重慶と温州の2カ所で、ともに九七重爆一型乙(Ki-21-Ic Sally) 25機が飛来しただけでした。きのうは重慶の地上部隊が爆撃されたので、今日は砲撃またはdeliberate attackがあるのかなと予想していただけに拍子抜けです。

ウエーク島では今日もサプライの揚陸が続けられています。ただ揚陸だけできればいいのですが、1ターンに1~3回、Invasion Support action(兵員は上陸していないので揚陸支援行動とよぶべきか)というのをしてくれて、つまりは守備隊の砲と射ちあうわけです。この際、上陸させる(今回の例ではサプライを揚陸する)TFの中に戦艦や巡洋艦などを含めておくと、艦砲で制圧してくれる、守備隊の砲撃が大きい艦に集中するといったご利益があります。当然、このウエーク島上陸作戦でも、兵員の上陸時は戦艦、その後のサプライの揚陸は巡洋艦に支援させるようにして来ました。

この支援にあたる巡洋艦は1~2日で弾薬を消尽してしまうので、その都度、交替させるようにしてきました。一仕事終えた巡洋艦は弾薬補充のためミッドウエイ島に向かわせます。そして、万が一の日本の水上艦隊の殴り込みからサプライを積んだTFを守るため、ウエーク島のヘクスに常駐している重巡を主力としたTFから新たな巡洋艦を調達して来ました。しかしこれ以上、巡洋艦の抽出を続けると用心棒としての働きができなくなると思い、今日はウエーク島の北東隣りのヘクスにいる空母TFの用心棒をしている巡洋艦TFからCA Portlandを派遣することにしました。隣りのヘクスですから、最初の移動フェーズに1ヘクス移動して即サプライを積んだTFに合流できるので、今日最初のInvasion Support actionにも間に合うだろうとふんだわけです。しかしその目論みははずれ、今日の第一回のInvasion Support actionは巡洋艦なしで沿岸砲と対決することになってしまったのです。ウエーク島にはまだ少数の20cm砲、12cm砲が生きていて、xAKL Absaroka、xAKL Manini(ともに1600トン、VP 3)の2隻とも20cm砲弾の命中で沈没してしまいました。しかも運の悪いことは続くもので、
xAK Kekerangu runs onto reef while attempting to unload at Wake Island
という報告がありました。珊瑚礁に乗り上げての沈没はもしかするとこれまでにも経験したことがあるのかもしれませんが、少なくとも記憶にはなく、珍しい方の事故なのだと思います。Trackerの沈没艦船リストをみると、xAK Kekerangu(2750トン、VP 5)の沈没事由はScuttledとなっていました。Scuttledは本当の自沈だけでなく、この種の珍しい事由での沈没を含んでいるようです。

ウエーク島作戦は11月5日の上陸以来、もう5日も経過してしまいました。上陸した第2海兵師団の疲労値は39、混乱値は21とまだ完全に回復してはいません。しかし、ウエーク島の防御施設は規模4もあり、攻撃を再開しても奪取するまでにはそれなりの日数がかかるはずです。これ以上ぐずぐずしていると、陥落させる前に機動部隊(現在のところ、所在が不明)を含めた日本の艦隊による妨害が入る可能性が高まるばかりです。ということで明日deliberate attackを行うことにしました。陸戦の支援のため、1942年10月のアップグレードを終え西海岸から急いで駆けつけたBBサウスダコタが艦砲射撃を実施する予定です。また上陸当日に上陸TFを支援していたBBネバダとメリーランドもウエーク島でAKEから弾薬を補給され、戻りつつある途中です。これらの戦艦の助けも借りて、なんとか早く奪取したいものです。

2014年9月24日水曜日

重慶に大編隊


1942年11月9日、南シナ海でオランダ潜O24が日本のコンボイと遭遇しました。このコンボイには少なくとも6隻の戦標船のタンカーが含まれていましたが、護衛のPBがいい仕事をしていて射点につくことができません。やむを得ず、O24はPB Hakkaisan Maru(2780トン、VP 10)に向けて魚雷を2本発射し、2本とも命中して撃沈することができました。


蘭印ではCA VincennesとSalt Lake City、CL Concord、CLAA Atlantaがアンボンへの艦砲射撃を実施しました。日本側の妨害はなくAirbase hits 18、Airbase supply hits 4、Runway hits 24、Port hits 13の命中弾がありました。またアンボンにいた戦闘機は避難せずに駐機していたので、零戦(A6M2) 6機と二式戦(Ki-44-IIa) 3機を破壊することができました。地上で破壊できた機数がそれほど多くはならなかったのは、前日のアンボンの戦闘機数が68機で、過密(overstack)になってはいなかったからなのでしょう。とはいえ、満足すべき戦果を挙げた巡洋艦4隻はダーウィンに向け意気揚々と航海中です。蘭印ではその他の戦闘はありませんでした。

ウエーク島ではサプライの揚陸作業が続いています。諸事情によりあと2日ほどはサプライの揚陸作業だけで、上陸した部隊には休養してもらう予定です。 今日は12cmと8cm沿岸砲など21門の反撃があり、xAKL Susanaに3発が命中しました。前日までの被弾ともあわせるとSys 51, Flt 42(19), Eng 2(0), Fire 3とかなりのダメージで、サプライも残り1トンになったのでミッドウエイに向かわせました。輸送船に積載されているサプライの今日の減少量は2462トンで、ウエーク島の地上部隊のサプライ保有量の増加は1677トンでした。前者から後者をひくと、stacking limit超過によるサプライの浪費は785トンで過去2日間よりかなり多めです。しかし、輸送船のサプライ減少量にはxAKL Susanaの被弾により破壊されたサプライも含まれています。同級の他の貨物船のサプライ減少量から推定すると454トンていどが破壊されたようです。これを除外すると331トンですが、それでも今日は多めです。サプライの浪費量は単にstacking limitを越えた兵員数から算出されるのではなく、Gary Grigsbyさんのゲームらしくランダムがかなり加味されているのでしょう。

中国では重慶に一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 28機に護衛された双発爆撃機271機(Ki-21-Ic Sally 49, Ki-21-IIa Sally 193, Ki-49-IIa Helen 29)が飛来しました。昨日を越える大規模な空襲です。いつも台湾から温州を爆撃していた九七重爆一型(Ki-21-Ic Sally)を重慶空襲に転用したのかときのうは考えましたが、今日はそのいつもの温州爆撃もあったのでそうではないようです。南方から移動させたか、訓練にあてていた飛行隊も爆撃任務に就けたかのどちらかなのでしょう。今日は飛行場への爆撃を実施した機体は少なく、ほとんどが地上部隊への爆撃でした。これまではあまり地上部隊への爆撃をしてこなかったので、そう遠くなく陸戦再開を企図しているものと思われます。重慶首位タイは規模6の防御施設に守られているので、これだけの規模の空襲でも死傷者はdevice3個の破壊と26個がdisabled(負傷・故障)になっただけでした。しかし一部の部隊の混乱値は急上昇。でも混乱値が上昇したのは工兵ユニットや対空砲ユニットばかりで、歩兵ユニットはどれも平静を保っています。サプライ保有量ゼロの部隊が多いのに健気なものです。

2014年9月23日火曜日

ウエーク島沖で客船1隻沈没

1942年11月8日、ウエーク島の東でxAP President Taylor(8410トン、VP 16)が沈没しました。この客船は11月5日のウエーク島上陸作戦に参加し、沿岸砲の反撃で損傷しました。12cm砲弾が一発命中しただけで当初はSys 18, Flt 1, Eng 7, Fire 49のダメージだったのですが、消火に手間取り昨日はSys 88, Flt 1, Eng 36, Fire 95にまで火災が広がってしまいました。近くに味方の根拠地はなく、さすがにこれでは助かりません。サプライ1408トンと140th USA Base Forceの一部を乗せたまま沈没してしまいました。返す返すもこの戦闘に役立たないBase Forceを乗せた船を上陸第一波に含めたことが悔やまれます。

今日もサプライの揚陸作業を続けています。沿岸砲の攻撃でxAKL Susanaに20cm砲弾が一発命中し、Sys 15→23, Flt 26→25, Eng 14→14とSysダメージは8増加しましたが浸水は1減ったくらいで心配な状況ではありません。例によって昨日と今日の貨物船のサプライ積載量を比較すると1975トン減少していました。それに対してウエーク島に上陸した部隊のサプライ保有量は1591トン増加しています。これを比較するとstacking limit超過によるペナルティにより浪費されたサプライは一日384トンということになります。xAKL Susanaへの20cm砲弾命中で破壊されたサプライも若干はあるでしょうから、実際には384トンより少なかったのだろうと思います。このペナルティ浪費の量は、stacking limitを超過した人員1人当たり固定されているのか、それとも地上部隊のサプライ保有量が増えるとそれに応じて増えるのか、どちらなのか不明でした。しかし一昨日、昨日に推定した量より今日の方が少ないので、地上部隊のサプライ保有量が増えてもそれに応じて浪費量が増える見込みはなさそうで安心しました。

九州の東岸でSS Silversidesの放った魚雷がTK Akane Maruに命中し、珍しく爆発してくれました。積荷の原油が燃えているというメッセージが出たのですぐにでも沈むかなと思ったのですが、沈没音は聴取できませんでした。SS Silversidesは夜のうちにもう一度、炎上中のあかね丸を雷撃するチャンスを得ましたが、こんどは魚雷が爆発してくれませんでした。ダメなのかなとも思いましたが、アニメ終了後に沈没音が聴かれました。沈没艦船リストにはまだ載せられていませんが、撃沈確実だと思います。

中国では重慶に一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 28機に護衛された双発爆撃機250機(Ki-21-Ic Sally 50, Ki-21-IIa Sally 194, Ki-49-IIa Helen 28)による空襲がありました。250機というのはこれまでで最大の規模の空襲で、連日温州を爆撃していた九七重爆一型(Ki-21-Ic Sally)も重慶爆撃に転用してきたものと思われます。日本側の意気込み通り、飛行場にはAirbase hits 26、Airbase supply hits 16、Runway hits 152の大きな被害を受けました。この種の空襲に対して中国側としてできることはなく、お好きにどうぞと言うしかない状況です。あと、保山の西北に前進してきた日本軍部隊による攻撃はありませんでした。

蘭印ではダーウィンからディリに22機のB-25C Mitchellが飛び、飛行場にAirbase hits 3、Airbase supply hits 1、Runway hits 1の被害を与えました。CAPトラップにつかまっても、まだ空襲に出かけるだけの機体と元気は残っているんだぞと見せつけるためだけの作戦で、低下していた士気の影響で戦果はかなり少なくなってしまいました。蘭印の状況をきのうと比較するとアンボンの戦闘機の数が4機減り、その他が7機増えています。昨日のCAPトラップはアンボンの零戦がLRCAPしていたのだと思います。久しぶりにアンボンを艦砲射撃するため、Babarに巡洋艦TFを進出させました。しかし日本の哨戒機に目撃されているので、地上破壊が目的のアンボンの戦闘機は一時的にほかの飛行場に避難されてしまうかも知れません。そのほか、スラバヤの在地機や在泊艦船数には大きな変化がありません。しかしこれはやはり誘いの隙でしょう。というのもマカッサルの戦闘機の数が63機ほど減少しているからです。きっとその63機は、スラバヤの周囲の飛行場に移動させてあってスラバヤ上空のCAPをしているんだろうと思います。スラバヤから距離1ヘクスの範囲に2つ、2ヘクスの範囲には4つの飛行場があります。これらすべてに飛ばすだけの偵察機の手持ちがないのが連合軍の現状です。

デンパサールは飛行場と港の修復工事が終了し、今日ようやく防禦施設の規模が1になりました。簡単には奪還されないよう、当面は防禦施設の増強工事が最優先です。はやく飛行場を拡張してジャワ島に圧力を掛けたいところですが、そのためにはサプライの保有量を大幅に増やす必要があります。潜水艦でサプライを輸送しているのが現状で、そうなるのはまだまだ先の話です。それにしても、日本側が今まで反撃してきていないのが不思議です。艦砲射撃でも爆撃でもし放題だと思うんですけどね。

2014年9月22日月曜日

ウエーク島の沿岸砲で貨物船が損傷


1942年11月7日、ウエーク島ではきのうサプライを陸揚げした輸送船に、予備のサプライ積載貨物船を加えてのサプライ揚陸を計画していました。これにともなって揚陸支援の砲撃(Invasion Support action)が3回実施されたのですが、守備隊の砲26門に反撃され、xAKL Maniniに20cmと12cm取り混ぜ5発、xAKL Susanaに1発の20cm砲弾が命中しました。やはり軍艦やAK(貨物輸送艦)よりもxAKL(商船の小貨物輸送船)の方に砲弾が命中しやすい印象です。xAKL ManiniはSys 22, Flt 23, Eng 2、xAKL SusanaはSys 15, Flt 26のダメージなので沈む心配はなさそうですが、積んでいたサプライもいくらか破壊されてしまいました。

AK(貨物輸送艦)、xAK(貨物船)、xAKL(小貨物船)、あわせて8隻の積み荷のサプライを昨日と今日で比較すると3244トン減少していました。それに対して、ウエーク島の地上部隊のサプライ保有量の増加は1552トンなので、stacking limit超過のペナルティで浪費されたサプライは1552トンのようにもみえます。しかし、輸送船のサプライ減少量3244トンすべてが陸揚げされたわけではなく、砲撃により破壊されたサプライも少なくないはずです。砲撃されたxAKL2隻が無事だった同級のxAKL 3隻と同じペースでサプライを揚陸できたと仮定して算出される揚陸量は1750トンで、これから推定されるペナルティの浪費量はわずか198トンです。実際には損傷により1750トンよりも少なくしか揚陸できなかったと思われるので、ほとんど無視できるくらいなのかも知れません。本当にそうだといいのですが。

中国では重慶に双発爆撃機215機(Ki-21-Ic Sally 20, Ki-21-IIa Sally 172, Ki-49-IIa Helen 23)の飛行場爆撃があり、Airbase hits 48、Airbase supply hits 11、Runway hits 142の被害がありました。また重慶南の漢口に続く一級道路のヘクスの中国軍部隊は日本側のDeliberate attackにより軽く一掃されてしまいました。その他、保山の北西に日本軍1部隊が前進して来ました。ここの中国軍はHQユニット1部隊でAV 0ですから次のターンには一蹴されることになるのでしょう。

東部ニューギニアのサラモアではアメリカ軍の第24歩兵師団に二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 7機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 25機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 50機による空襲がありました。死傷者はdevice 3個がdisabled(負傷・故障)になっただけで大したことはないのですが、連日の空襲で混乱値が30台のままです。今日も陸戦を仕掛けなくて良かったと感じました。急ぐ旅でもないので、後続の部隊の到着を待とうと思います。

蘭印ではいつも通りダーウィンからディリへB-25C Mitchell 36機が飛行場爆撃に向かいました。このところこの空襲は定期便になっていたのでそろそろCAPトラップがあっておかしくない時期かなと感じていました。特に昨日のエントリーを書きながら、スラバヤ空襲が刺激となってCAPトラップがあるのではと心配になりましたが、セーブファイルを送った後なので何もできず。案の定、今日のディリ上空には零戦(A6M2 Zero) 20機が待ち受けてて、護衛戦闘機がついていなかったB-25Cは12機が撃墜されてしまいました。また迎撃されて逃げ惑ったせいか飛行場には
Airbase hits 1、Runway hits 7が命中しただけでしたが、零戦1機を撃墜し、あと2機がOps lossになっていました。ただやられるばかりではない、米軍パイロットの根性に脱帽です。

一晩たったスラバヤの状況ですが、きのうみえていた戦艦(?)や巡洋艦(?)のTFはマカッサルに移動したようです。またスラバヤの戦闘機の数は今日も12機と少なく、それでいて港には21隻が在泊しているそうです。戦闘機がCAPするにも支障を来すほどの被害が飛行場にあったということなのでしょうか?それでいて多数の艦船が港に残っているのは、piersideの修理モードにしてある艦船は機関に火を入れて出港できるようになるまでに3日間かかる仕様なので、いま懸命に出港の準備をしている最中なのかもしれません。中には巡洋艦が含まれているとのことですから、明日はクーパンの四発爆撃機をスラバヤの港の爆撃に派遣するには絶好の機会のようにも見えます。しかし戦闘機は滑走路やサービス施設にかなり多め(マニュアルに記載があったはず)のダメージがあってもCAPができます。空襲を決断したら、ちょうどそのターンに戦闘機がスラバヤに移動していて、迎撃機多数なんてこともあり得ますから自重することにしました。

2014年9月21日日曜日

スラバヤ空襲で在地機多数撃破

1942年11月6日、ウエーク島では昨日すでに兵員を降ろし終えてサプライだけを積んでいた輸送船3隻に軽巡ナッシュビルとフェニックスが護衛についてサプライの揚陸作業を実施しました。兵員の上陸の際だけではなく、サプライ揚陸にも支援射撃(Invasion Support action)が行われる仕様のようで、軽巡と輸送船が合計3回の砲撃を実施しました。ウエーク島守備隊の砲も反撃しましたが、きのうより数がだいぶ減って27門。まだ20cm沿岸砲も生き残っているものがありましたが、軽巡にも輸送船にも被害はありませんでした。

昼になってから、艦載機によるウエーク島守備隊に対する爆撃を行いました。今日は上陸した部隊に休養をとらせるため陸戦をしかける予定はなかったので、本来ならこんな空襲は実施せず、艦載機にも休養をとらせたかったところです。しかし、兵員ではなくサプライの揚陸だけでもshock attackを誘発する心配(ルールをよく理解していなかっただけで、結局shock attackにはならなかった)があり、万が一に備えて守備隊を少しでも削っておこうと攻撃させたわけです。今日は戦闘機122機(F4F-3A Wildcat 25,  F4F-3 Wildcat 52, F4F-4 Wildcat 45)に護衛されたSBD-2 Dauntless 28、SBD-3 Dauntless 111機、TBF-1 Avenger 70機の爆撃で守備隊のdevice 8個を破壊し、24個をdisabled(負傷・故障)にしました。きのうの空襲より守備隊のdeviceの被害が増えているのは、防禦施設の規模が1低下したのと、すでにdisabledになっていたdeviceが被弾して破壊されたりしたからだと思います。

上陸した部隊のサプライの状況ですが、きのうは合計で951トンだったサプライが今日は2041に増えていました。増加量1050トンに対し、輸送船に積まれていたサプライの減少量(=陸揚げした量)は1683トンですから、satcking limit超過によるペナルティで633トンが無駄に消費されたようです。stacking limitの2倍ちかい兵隊さんがいても、もう数日はなんとかやれそうです(でも2週間は厳しい)。ただ問題もあって、きのうはサプライが充足していると表示された主力の第2海兵師団がサプライ不足だとのことです。所要量(過去数日のサプライ消費量から算出された1ヶ月のサプライ消費予測量)は2819トンで手持ちは1479トン。あした貨物船から揚陸されるサプライで充足してくれるといいのですが。またこの師団の疲労値は休息のおかげで昨日の72から64に低下してくれたのですが、混乱値が0から33に上昇してしまいました。戦闘させてないのに上昇するのはstacking limitを越えているからでしょうか?いずれにせよ、疲労値がまだまだ高いので休息が必要ですし、明日以降の混乱値の推移を見守ることになります。また昨日ウエーク島の沿岸砲の砲撃で損傷した客船ですが、1隻は火災が22から2へと鎮火傾向ですが、もう1隻は49から48と1しか低下せず、助かるかどうか微妙なところです。この船にはまだ140th USA Base Forceが載っているのですが、この戦闘に役立たない部隊を上陸第一波に含めたことは本当に失敗でした。

中国戦線では剣閣(Kienko)の東の12th Chinese Base Forceに対し、双発爆撃機 196機(Ki-21-Ic Sally 19, Ki-21-IIa Sally 153, Ki-49-IIa Helen 23)による激しい爆撃が行われ、device3個破壊6個disabledの被害を受けました。その後、剣閣から渡河してきた戦車聯隊4個によるShcok attakがあり、殲滅されてしまいました。

また、重慶の南2ヘクスにある漢口に通じる一級道路の通過する森林ヘクスに日本軍29部隊がやってきました。このヘクスには昨日まで中国軍28部隊が居座っていて、漢口からのサプライの輸送に支障を来し目障りだったんでしょう。中国軍の部隊数が多いので、排除のために大軍でやって来たのだと思います。しかし中国軍部隊はここの北西側のヘクスでの戦闘の敗残兵ばかりで、どの部隊もサプライの手持ちがゼロです。士気も地に墜ちていて日本軍の接近を察知し素早く24部隊が北東側のヘクスに逃げ出してしまいました。あしたは日本側から攻撃されるのでしょうが、残った4部隊は殲滅されることになりそうです。

バンダ海をめぐるにらみ合いが続いていた蘭印ですが、今日はスラバヤを攻撃してみました。蘭印の様子を過去数日のエントリーで紹介したスクリーンショットでご覧いただくと、バンダ海北側のマカッサル、ケンダリー、アンボンといった根拠地に比較してスラバヤの空の備えが手薄なことがわかると思います。それなのにスラバヤの飛行場には多数の爆撃機、港には巡洋艦を含む多数の在泊艦、戦艦・重巡を含むTFの存在が報告されていました。これは誘いの隙なのかとも思って様子をみてきたのですが、きのうのウエーク島の失敗でむしゃくしゃし、しばらく躊躇っていた空襲を決行することにしました。

まず手始めに、クーパンで休養をとらせていたP-38を昨日クリスマス島に移動させておきました。クリスマス島へは29ヘクスもあるので、かなりの機体のfatigue(ガタガタ値)が20台になってしまいました。本来なら事前にクリスマス島に移動させ、数日休ませてからスラバヤをsweepさせるべきなのですが、クリスマス島には毎日偵察機がやって来ているので、それでは奇襲効果がなくなってしまいます。無理を言われたパイロットたちはガタガタになった機体にむち打ち、5波に分かれてスラバヤをsweepしました。第1波 P-38F Lightning 22機はCAPの二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 36機に迎撃され、第2波のP-38E Lightning 15機も二式戦 17機に迎撃されました。この2回の戦闘で13機の二式戦を撃墜し、2機をOps lossにできたので、その後の四発爆撃機はかなり楽になりました。とはいっても、P-38Fは7機、P-38Eも1機が撃墜され、P-38Fの方は撃墜されなかった機体のうち5機は修理不能(出撃時からガタガタだったのでしょう)でOps lossとなってしまいました。

その後は4波に分かれてクーパンから四発爆撃機67機がスラバヤの飛行場を襲います。爆撃機の第1、2波は二式戦4機に迎撃されましたが、被害はありませんでした。クーパンからスラバヤも距離18ヘクスと遠く、extended rangeの飛行なので爆弾搭載量が通常の半分になっています。それでも飛行場にAirbase hits 35、Airbase supply hits 6、Runway hits 91の命中弾を与えるとともに、いろいろ取り混ぜた68機を地上で破壊することが出来ました。気になったのは8機破壊された百式輸送機(Ki-57-I Topsy)で、スラバヤを拠点にどこに何を運んでいたのでしょう。それとも何かをスラバヤに運び込んでいたのか?謎です。

予想以上の大漁で、ウエーク島の失敗で低下していた中の人の士気もかなり回復しました。今日の偵察機の報告ではスラバヤの港には戦艦、重巡なども在泊していたそうです。これ、港を爆撃していればかなり多数の艦船を撃沈できた可能性もありますが、港を狙うべきだったでしょうか?チモール島クーパンからWaingapoe、バリ島デンパサールへと小スンダ列島の安全な航行を実現するためには、軍艦で対抗できる軍艦を沈めるよりは、数が多くて対処に困っている日本の飛行機(このゲーム、このあたり史実とは少し違った展開になります)の数を少しでも減らしたかったので、飛行場を選択しました。

四発爆撃機の爆撃が済んだ後、P-38E Lightning 25機、P-38F Lightning 24機がsweepしましたが、二式戦の姿はありませんでした。でも、セレベス島だけでなくジャワ島でも、大切なものを保管するにはしっかりしたCAPが必要ということを分かってもらえたと思います。あしたも同じ規模の攻撃を繰り返すことが出来ればいいのですが、機体のガタガタ値を考えるとそれは無理。それにマカッサルの戦闘機の半分をスラバヤに移動させるだけで、スラバヤの防空体制はしっかりしますしね。

東部ニューギニアのサラモアに第24歩兵師団がきのう到着したこと、またこれに反応して日本側が何かしてくるだろうという予測についてはお伝えしてありましたが、予想通り、日本側の反応がありました。まずは二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 7機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 25機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 50機による空襲で、device 10個がdisabledにされました。TerapoからLRCAPを派遣してCAPトラップを仕掛けてやろうかなと思ったくらい(でも自重しました)なので、 ここまでは予測通り。その後、日本側から砲撃があるだろうと思っていたのですが、驚いたことにDeliberate attackでした。一部隊だけが先行してサラモアに到着したので与しやすしと判断したのでしょう。でも、相手の部隊の名称は空襲や砲撃の結果としてコンバットリポートに掲載されるのですから、Deliberate attackの決断はもう一日待ってからでも遅くなかったと思うのです。このあたりの動きが拙速だったのは、きのうのウエーク島の戦闘の結果の影響(ふだん以上に楽観的になってしまった)があったのではとも感じてしまうところです。

さて、陸戦がどうなったかというと、素のAVは日本側257:連合軍309。ここはジャングルですから守る連合軍に地形、それに加えて指揮官のプラス修正、準備不足のマイナス修正(この部隊はラエにprepしていてすでに100なのでそのままにしてあります)があり、修正AVは80:451。オッズ比1:5で日本側の大いなる攻撃失敗です。死傷者も連合軍側はdevice 2個破壊8個disabledだけだったのに対し、日本側は5個破壊81個disabledになっています。disabledになった日本側のdeviceのうち72個は歩兵分隊なので、今後の展開がかなり楽になりました。とはいっても第24歩兵師団も混乱値が38まで上昇したので、あしたすぐにサラモア攻略に向けて攻撃というわけにもゆきません。後続する部隊が一番早いもので3日後、その後も五月雨的に到着する予定なので、ゆっくり休みながら待とうかと思います。東部ニューギニアは急ぐ戦場でもなくなっていますし。

2014年9月19日金曜日

ウエーク島攻略に失敗

1942年11月5日もきのうと同じような戦闘が続きました。中国では剣閣(Kienko)東の12th Chinese Base Forceと重慶飛行場への空襲。また蘭印では連合軍がダーウィンからチモール島ディリの飛行場を爆撃しました。しかし、一番心配だった、きのう解放したばかりのバリ島デンパサールに日本軍は手を出してきませんでした。準備の関係で明日以降になるのかもしれません。また東部ニューギニアではアメリカの第24歩兵師団がサラモアに到着しました。この方面での空襲はありませんでしたが、きっと明日は何ごとかしかけてくるでしょう。

さて、注目のウエーク島ですが、残念ながら一戦で陥落させることは出来ませんでした。簡単に経過を追ってみます。まずは上陸支援戦闘が夜2回、昼1回ありました。上陸船団が砲撃しながら海岸に接近し、守備隊が反撃する戦闘です。事前に判明していたことですが、ウエーク島には沿岸砲部隊がいました。この沿岸砲部隊は20cm砲と12cm砲と8cm砲を装備していました。上陸船団には開戦時にパールハーバーで空襲を受けて生き残った戦艦ネバダとメリーランドが参加していて、この2隻の戦艦の砲撃の威力で、反撃する砲(沿岸砲以外に他の守備隊のもつ砲も反撃する)の数は120→109→23と減少して行きました。また戦艦が日本側の砲撃の多くを引きつけてくれたおかげで、上陸する部隊を載せていた12隻のうち被弾したのは3隻だけで済みました。しかし3隻のうちの2隻は今日の戦闘が終了した時点でもまだ炎上中で、また護衛に付けてあったPG Moresby(1320トン、VP4)が沈没しました。今日の戦闘の様子を見るとxAK(ふつうの商船の貨物船)やxAP(ふつうの商船の客船)のダメコンはAK(貨物輸送艦)やAP(兵員輸送艦)よりも劣るようで、消火に至っていないのでしょう。この上陸支援戦闘と上陸行動で破壊またはdisabledになったdeviceは、連合軍が歩兵分隊18、非戦闘員 22、砲5門、車輌 5台、日本側は非戦闘員12、砲10門でした。

夜が明けてから空母の艦載機が日本側守備隊を爆撃しました。戦闘機 122機(F4F-3A Wildcat 25, F4F-3 Wildcat 52, F4F-4 Wildcat 45)の護衛で艦爆 137機(SBD-2 Dauntless 27, SBD-3 Dauntless 110)機とTBF-1 Avenger 70機が爆撃し、device 4個をdisabledにしました。日本側の被害が僅少だったのは、強固な防禦施設に守られていたからでしょうが、それでも士気や疲労値にはそれなりの影響を与えたものと思います。またこれを書きながら気づいたのですが、戦闘機のPrimary missionを護衛ではなく地上部隊爆撃にしてみても良かったのかも知れません。まあ戦闘機の爆撃じゃ大して戦果は増えないでしょうし、また万が一日本側の空母TFが近づいてきて空母戦を行うような事態が起きても戦闘機が護衛に飛んでくれなくなるので、やはりまずいかな。

atolに上陸すると守備隊が砲撃するルールがあります。このゲームの陸戦は日本側が先行することになっているので、この日本側の砲撃から。この砲撃のアニメーションをみながら驚いたのは海軍防備隊がSIGINTで事前に判明していた46th Naval Gurad Unitだけでなく、もうひとつ82nd Naval Guard Unitもいたことです。素のAVも連合軍529:日本側 141と想像していたよりも強敵で、話が違うじゃないかと感じてしまいました。この砲撃戦による被害は、連合軍側が車輌17台など含むdevice 30個で、日本側は7個だけでした。

その次に連合軍側からの攻撃ですが、地形がatolなのでshock attackです。先ほどのdeviceの損失をさっぴかれて素のAVは513:136。連合軍にはshockのプラス修正、混乱のマイナス修正が、また日本側には防禦施設のプラス修正と経験不足のマイナス修正があり、修正AVは61:33。オッズ比1:1でしかも防禦施設の規模が4(戦闘により5→4に減少したが)もあって陥落させることは出来ませんでした。この戦闘の死傷者は連合軍のdevice 407個が破壊され85個がdisabledと大損害だったのに対し、日本側は79個が破壊され99個がdisabledになったのみでした。しかも上陸した連合軍4部隊のうち34th Combat Engineer Regimentは全滅してしまいました。規模5の防禦施設はかなりしっかりしたものだったんでしょうから、これを規模1低下させるだけですり減ってしまったようで、これはかなり痛い。とにかく、今日のリプレイをみるまでは楽勝気分だったので、かなり落ち込んでます。反省点をあげてみると

  1. SIGINTだけに頼ってはいけない。SIGINTで見積もった兵力の2倍が守備していた。
  2. 海兵師団をもう1個つれてくるべきだった。1個だけにしたのは、それでも楽勝という甘い考えに加え、ハワイにいた輸送船が2個師団運ぶには不足だったからでした。西海岸から輸送船が回航されるのを待っていては、機動部隊が東南アジアからトラック島に戻ってしまうかも知れなかったし。
  3. 防禦施設の規模が5もあった。せいぜい4くらいかと思っていたのですが、建設のためのユニットが2つもいるし、ウエーク島を失った2月から9ヶ月たっているので規模5に到達するわけですね。
  4. 楽勝を予想していたので予備の歩兵部隊、戦闘工兵部隊を準備していなかった。サプライを追加陸揚げするための輸送船と重油の補給のための給油艦は連れてきていたけど。
  5. やはり楽勝を予想していてHQユニットを連れてきていなかった。HQユニットは蘭印方面に出払っているのですが、ハワイにも残しておかなければいけなかった。蘭印では基地航空、機動部隊が強力で大きな上陸作戦は当面望めない状況ではあるし。
  6. 一回の戦闘で陥落させることが出来ると考え、上陸するメンバーに140th USA Base Forceと戦闘には役立たない部隊を含めてしまった。奪回してからの上陸スピードよりも敵前上陸のスピードの方が速いので手間を省こうとしてしまいました。余計なことでした。
などですが、さてこの後どうするか。上陸した4部隊のうち戦闘工兵は全滅し、140th USA Base Forceは戦闘には役立たない。M3スチュワート装備の763rd Tank BattalionはTOEの29/55まで兵力が減っていて、しかも混乱値 96、疲労値 72でしばらく戦えそうにありません。残るは2nd Marine Divですが、兵力はTOEの81/90で素のAVが286まで低下しています。海兵隊員というのは見上げたもので、成功しなかったshock attack直後ということで疲労値こそ72ありますが、混乱値はゼロです。数日休ませて攻撃を再開し、その後も休み休み攻撃すれば2週間くらいでなんとかなるかなと期待したいと思います。給油艦は2隻いるので、そのくらいは支援するTFも長居できそうな気がします。しかし問題も残ります。

ひとつは日本艦隊の攻撃です。先日シンガポールにいた機動部隊は難しいかも知れませんが、隼鷹・飛鷹で増強したmini KBに守られて、戦艦大和・武蔵が殴り込みに来たりする可能性は排除できません。2週間もそのままじっとみているだけというのはきっとないですよね。そしてもう一つ心配なのは、上陸した部隊のサプライです。ウエーク島のstacking limit(駐兵上限数)は6000名なのに対し、上陸した連合軍部隊は歩兵3472名と後方要員7559名の合計11031名で2倍近くなっています。部隊の手持ちのサプライが692トン、予備が259トンあって今のところは充足しています。しかしstacking limitをおおきく超過しているので今後は戦闘をしなくても急速に消費される仕様です。ただその急速にがどのくらいの急速なのかが不明なので心配なのです。ウエーク島にいる輸送船の一部はまだ第2海兵師団の後方要員を載せています。これら後方要員の上陸を続けさせると、明日もまたshock attackをしなくてはならなくなります。そこで、後方要員の載った船は沖で遊覧航海してもらうことにしました。しかしサプライは揚陸させたいので、サプライだけを積んだ船には揚陸行動を続けさせることにしました。兵員を上陸させなければ、サプライの揚陸だけならshock attackの引き金にはならないですよね?たしかそう記憶しているのですが違うかな?マニュアルにはこの件の記載があるのかな?あってもなくても、明日のターンにははっきりします。

2014年9月17日水曜日

バリ島解放


1942年11月4日、中国では剣閣(Kienko)の東のヘクスを退却中の中国軍の12th Chinese Base Forceに対して一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 37機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 190機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 29機の空襲がありました。device 1個が破壊され11個がdsiabledになる被害を受けましたが、それにしてもこんな敗残兵1ユニットを相手にしなくてもいいのにと感じてしまいます。今日は重慶への空襲も地上部隊による砲撃もありませんでした。重慶守備隊のサプライを消費させるために毎日攻撃が繰り返されるのではと思っていただけに意外です。

蘭印ではダーウィンからディリにB-25C Mitchell 25機が飛び、飛行場にAirbase hits 5、Runway hits 15の被害を与えています。また11月1日にチモール海で一式陸攻の250kg爆弾が2発命中し大ダメージを被っていたオランダのxAP Van Overstraten(5375トン、VP 12)の火災が鎮まらず、Roti港内で沈没しました。久しぶりに大きな客船の沈没ですが、奪還した蘭印の港に帰り着くことができたわけで、まあ考えようによっては故郷に戻り安らかな死に場所を得ることができたのかなと思います。

さてデンパサールですが、予想していた通り、守備隊はいませんでした。クーパンからカタリナ飛行艇36機で運ばれたアメリカ海兵隊第3空挺大隊による空挺降下は無事に終了し、バリ島を解放することができました。5月23日にデンパサールを占領した日本軍ですが、攻略した部隊をすぐに転進させ、また守備隊もまったく派遣しなかったようです。解放後のデンパサールの状況をチェックしてみると、飛行場サービス施設に2、滑走路に19、港に20のダメージが残っていました。解放後、サプライの補充がすぐにでも必要になると思い、デンパサールの南側にSST(輸送潜水艦)を待機させてありましたが、デンパサールには日本軍のサプライ531トンが残されていました。いわば東条給与の糧食でしばらくは食いつなぐことができます。

地図を見てみると、デンパサールからわずかに距離4ヘクスのスラバヤには多数の日本の軍艦・軍用機が集結しています。しかもデンパサールは他の連合軍の根拠地からは突出していて、今のところ、兵員の補強やサプライの補給は潜水艦か空路を用いなければなりません。しかしデンパサール飛行場の規模はすでに3あり、このまま時を過ごせば日本軍にとって良いことはないはず。この状況、私なら逆上陸を試みたいと思います。機動部隊の所在は不明ですが、もしまだシンガポールにいるのなら機動部隊にも支援させる。そうなれば、連合軍は抵抗のしようがありません。

ウエーク島攻略作戦ですが、空母艦載機によるウエーク島守備隊への空襲を計画していました。しかし天候のせいか今日は飛んでくれず、全TFが粛々とウエーク島東のヘクスに集結しただけで終わりました。あしたがD-dayですが、ウエーク島はマップに名前が黄色で記載されていることで分かるようにatollです。atollに上陸するとそのターンにshock attackを強制されるので、一日で決めないと厄介なことになります。あしたは吉報をお伝えできますように。

2014年9月16日火曜日

米軍空母のウエーク島空襲


1942年11月3日、中国戦線では10月27日の巴東(Patung)陥落に際して退却した中国軍部隊に、一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 56機の護衛で九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 152機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 23機による爆撃がありました。こんな敗残兵は放置しておいてもいいように感じるのですが、巴東を陥落させた戦車第一師団はすでに西に去り、日本側は守備隊を残していないようなので、うっとうしく感じるのでしょう。今日の爆撃ではdevice 2個が破壊され33個がdisabled(負傷・故障)になりました。

重慶にも定期便となっている九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 25機による飛行場の爆撃があり、Airbase hits 6、Airbase supply hits 4、Runway hits 35の被害を受けました。その後、昨日に引き続き歩兵師団9個による日本側の砲撃がありましたが、死傷者は日本側のdevice 2個がdsiabledになっただけでした。中国軍地上部隊には目立った被害がなかったわけですが、空襲に対する対空射撃や砲撃に対する対砲兵射撃はサプライを消費する仕様ですから、重慶のすべての中国軍部隊をサプライ欠乏状態に追い込む策としてはうなづけます。

蘭印では、ダーウィンのB-25C Mitchell 34機がチモール島ディリに対する空襲を実施し、飛行場にAirbase hits 7、Airbase supply hits 2、Runway hits 23の被害を与えています。蘭印での戦闘はこれだけだったのですが、偵察機・哨戒機の報告したスラバヤの状況が気になります。スラバヤにはTFが4つ、合計で23隻がみとめられ、戦艦2隻、重巡6隻、客船1隻が含まれていたそうです。また港には28隻もの艦船が係船しています。飛行場には爆撃機177機とその他87機もいるのに、戦闘機が3機しかいないそうなのです。獲物となりうる艦船・飛行機がこんなに多い状況で空襲を心配しなくてもいいんでしょうか?スラバヤから西へ距離11ヘクスのインド洋にはクリスマス島があるので、ダーウィンから四発爆撃機を移動させればいつでもスラバヤ空襲が可能です。誘いの隙(その他87機というのが実はが機種転換直後で修理一日待ちの二式戦)だと嫌なので、もう少し様子を見てみることにはしますけど。あと、爆撃機177機というのは陸攻や重爆でしょうか?実はい号作戦発動で艦爆や艦攻だったりして。

小スンダ列島のWaingapoeの飛行場の規模がようやく2になりました。これで飛行場の規模2、港の規模1ですが、四発爆撃機を無理なく運用できる飛行場規模5に達するのはかなり先のことになります。RotiからAPDによる鼠輸送(サンフランシスコ急行)でサプライを送り込みながら建設を続けますが、もっと手っ取り早い手段として、クーパンからバリ島デンパサールへの空挺作戦を実施してみることにしました。デンパサールは飛行場の規模3、港の規模4と立派な施設を持っていて、しかも日本側の守備隊がいないようなのです。ちょうどスラバヤにいた客船はデンパサール守備隊を載せていて、空挺部隊が降下したら目の前にスラバヤからの船で上陸したばかりの日本兵がいたりなんていうことがないことを祈ります。

このゲームの連合軍側のSIGINTファイル(asigint 日付.txt)には、日本側の部隊の所在地が毎日10~20くらい報告されています。これ、一日分だけ見ていても役立ちませんが、数ヶ月分まとまると非常に有用です。たとえば明日上陸予定のウエーク島では日本の占領以来17回、守備隊の名称が同定されています。それによると、46th Naval Gurad Unit(第46海軍防備隊)、50th JNAF Coy(第50海軍飛行場中隊)、43rd Const Co(第43建設中隊)、47th Const Co(第47建設中隊)、Wake Coastal Gun Battalion(ウエーク沿岸砲大隊)の面々なので、それほど手こずらずに済みそうな感じです。他方、デンパサールにはこの種の守備隊に関する情報が全くありません。リアルであれば蘭印の占領担当者の秘密保持が徹底しているという可能性もあるのでしょうが、このゲーム的には守備隊がいないからと解釈すべきだと思っています。ところで、このSIGINTファイルの項目を分かりやすく一覧表示してくれる便利なツールがIntel Monkeyです。日本側プレイだとあまり必要性を感じませんが、連合軍側プレイヤーにはマストなアイテムです。

さて、そのウエーク島ですが、今日は戦闘機 117機(F4F-3A Wildcat 25, F4F-3 Wildcat 55, F4F-4 Wildcat 44)に護衛されたSBD-3 Dauntless 118機とTBF-1 Avenger 70機が飛行場を爆撃し、Airbase hits 10、Airbase supply hits 5、Runway hits 21の命中弾を得ました。双発爆撃機や四発爆撃機に比較して一機当りの爆弾搭載量が少ないので、 艦載機による地上の施設への空襲は効果が劣ります。ウエーク島は対空火器が少ないようなので撃墜される機体はありませんでしたが、高射砲部隊などのしっかりしている根拠地を相手に地上目標を攻撃するのは避けるべきです。空母は敵の艦船を沈めるための道具なのだというのがフォーラムの識者たちに共通する見解です。

昨日までは日本側の哨戒機をみかけませんでしたが、今日は上陸船団に同行しているAPD(占領後に戦闘部隊の撤収・乗船を支援するためのNaval support deviceを含む部隊が載っている)が哨戒機を目撃しました。ウエーク島には飛行機が配備されていないようで、マーシャル諸島から飛来した機体なのでしょう。今日の空襲とAPDを見かけたことで、連合軍がウエーク島に上陸を計画していることが日本側にも伝わったことと思います。でも、ここまでくれば前に進むのみ。上陸船団はあしたはウエーク島の東隣のヘクスまで移動して待機し、あさって上陸する予定です。隣りのヘクスで待機させるのは、1ヘクスのみの航海で目的地に到着し、夜と昼の上陸の機会をすべて利用するためです。

2014年9月15日月曜日

剣閣陥落

1942年11月2日、クリスマス島でサプライを陸揚げ中のコンボイにスラバヤから一式陸攻(G4M1 Betty) 18機の空襲がありました。きのうは一式戦33機が護衛についていたのですが今日は陸攻だけの訪問でした。CAPの方はきのうと同じくMartlet II 10機、P-39D Airacobra 7機、P-40E Warhawk 7機の合計24機で、18機すべてを撃墜することが出来ました。おかげでP-40E乗りにエースが2名誕生し、うち1名は7機撃墜で連合軍のトップエースになっています。

護衛のつかない一式陸攻がか弱いことはスラバヤのAI指揮官も承知しているはずなのになぜ今日は護衛なしでやって来たのか。実は今日クリスマス島からスラバヤに偵察機を派遣してありました。1942年の連合軍には航続距離のそれなりな偵察機がほとんどなく、スラバヤに偵察機を派遣するのは今日が初めてです。その報告によるとスラバヤには戦闘機がいなかったそうです。バンダ海の北側のマカッサル、ケンダリー、アンボンの3ヶ所に合計で300機以上の戦闘機を配置しているので、自然とその他の根拠地の防空が手薄になっているのだと思います。また昨日いた一式戦はシンガポールかなんかで二式戦に機種転換しているのかも知れません。なお、スラバヤには戦艦2隻重巡4隻が、またジャワ海東部には艦種不明3隻のTFの目撃報告がありました。ともに昨日のマカッサル夜戦に参加したもので、ジャワ海東部の3隻は損傷してスピードの遅くなったCA加古と羽黒がスラバヤに移動している途中なのでしょう。

マカッサル夜戦で損傷した連合軍の巡洋艦・駆逐艦はいずれも無事にクーパンに到着しています。またオーストラリア西岸パースの沖で被雷したBBロイヤル・ソブリンもパースに接岸しました。さらにきのうチモール海で陸攻の雷撃を受けた英連邦の客船3隻もRotiに到着してdisbandすることができました。ただこの3隻はFire 14, 15, 41と炎上中で、しかもSysダメージも40~50台です。港の人たちの助けがあってもfire 41のxAP Van Overstratenの鎮火は消火は無理なような気がします。

東部ニューギニアではサラモアに進軍中の連合軍部隊に二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 42機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 25機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 50機の空襲があり、device 7個がdisabled(負傷・故障)になっています。先頭の部隊がサラモアに到着するのは3日後の予定なので、もうしばらくの辛抱です。このままやられ放題も癪ですし、連日かわり映えのない空襲なので、対策としてTerapoに戦闘機を進出させてLRCAPするか、マヌス島を叩くかすべきかもしれません。

中国戦線では重慶に九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 25機が飛来し、飛行場にAirbase hits 4、Airbase supply hits 1、Runway hits 28の被害がありました。また重慶の北東の開けた地形のヘクスを行軍中の中国軍部隊が一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 27機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 83機の爆撃を受け、device 24個破壊18個disabledの被害を出して殲滅されました。殲滅されたのは、いちど全滅して重慶に復活した部隊で、重慶にいるよりは東方に移動させ、日本側に掃除する手間を掛けさせようとして送り出してあったものでした。地上部隊に掃除されるのではなく空から一掃されるとは誤算でした。なお、マニュアルの16.4.2 SPECIAL CHINESE REPLACEMENTSによると
全滅した中国軍の歩兵部隊は復活することになっている。全滅すると30日後にTOE(Table of Organization and Equipment:編制装備定数表)の三分の一の状態で重慶に出現する。この復活には在庫のdeviceを消費しない。これは必要ならほぼ無限に歩兵を獲得できた中国軍の能力を再現している。
というルールになっています。さて、陸戦フェーズでは、剣閣(Kienko)が陥落しました。これは昨日の戦闘の結果から予想されていたことで、やむを得なかったと思います。その後、重慶で日本側が10月12日以来となる砲撃を行ってきました。結果は日本側のdevice 1個破壊6個disabledに対し、中国側device 1個disabledと大したことがありませんが、注目なのは日本側の戦力の充実ぶりです。今日のコンバットリポートによると日本側は9個師団、素のAV 4111です。10月12日には同じ9個師団で素のAV合計 3594でしたから、給養と補充により戦力が急速に回復しつつあることがうかがえます。剣閣を攻略した戦車聯隊 4個もこれから重慶に向かうでしょうし、また重慶の西のヘクスにいる日本軍6ユニットもやってくるでしょう。重慶での総攻撃もそれほど遠くはないようです。

ウエーク島攻略作戦ですが、上陸船団はウエーク島東方距離13ヘクスまでやって来ています。上陸は3日後を予定していますが、その準備としてあしたは空母艦載機による空襲を予定しています。晴れてくれるといいのですが。

2014年9月10日水曜日

1942年10月の成績


1942年10月の成績ですが、重慶陥落がそう遠くはないと思われる今日この頃、スコアが気になります。11月1日現在のVPはご覧の通り、日本側27641:連合軍10863です。PBEMなのでautomatic victoryは関係ないと言えば関係ないのですが、いちおう1943年中(automatic victoryは1943年以降のみ設定されている)は一方のVPが相手のVPの4倍だとautomatic victoryというルールになっています。現状では2.5倍ですから、重慶を失っても大丈夫そうです。

今月の沈没艦船はご覧の通り、連合軍26隻、日本側8隻でした。沈没場所をみるとバンダ海をめぐっての戦闘が激しかったことがみてとれます。史実ではソロモン海をめぐる死闘が繰り広げられたわけですが、今回のプレイではバンダ海が焦点となっています。連合軍側の沈没艦船で目立つのは、前線の根拠地、特にチモール島クーパンにサプライを送るコンボイが狙われて多数が沈没しました。大きなフネはBBウォースパイトとCVLヘルメスの2隻。ヘルメスは機動部隊に狙われたのでやむを得ないところで、かえってCVイラストリアス、BBアイダホ、ニューメキシコが助かった幸運をWitP AEの神様に感謝しなければなりません。他方、BBウォースパイトの沈没は艦砲射撃の仕様に関連した損失なので、本当に残念です。日本側ではBB扶桑の名前がありますが、これはFoWのせいで実際には沈んでいません。また呂34潜と伊172潜も、爆雷がしっかり命中したのは確かですが沈没の確証はありません。あと、この表にはありませんが、潜水艦で大きめのタンカーと貨物船を沈めているはず(リプレイで沈没音を聴取した)ですが、このリストには載せられていません。
追記:大切なことを忘れていました。10月13日におそらくCVL龍驤も沈んでいます。

飛行機の損失数は連合軍373機:日本側522機でした。日本側の損失機数の方が多かった月が過去一回だけあったように思いますが、こんなに大差で日本側の損失機数が多いのは初めてです。この522機のうち海軍機が341機と65%を占めています。陸軍機は主に大陸で活躍しているので損失が少なく、バンダ海の北側に配備されている海軍機が苦労しているということなんだと思います。連合軍側では、B-24D 32機、B-17E 13機と補充される機数の少ない四発爆撃機の損失が悩みの種です。

パイロットの死傷はMIA 15名、WIA 116名、KIA 79名。sweepや空襲を迎撃する機会が多く、連合軍機の損失の多くが連合軍根拠地の上空での被撃墜だったことを反映しているのでしょう。もしかすると、少しずつ連合軍パイロットのスキルが向上して来ているので、KIAにまで至らずWIAにとどまる事象が増えてきているということも影響しているのかも知れません。