1942年11月4日、中国では剣閣(Kienko)の東のヘクスを退却中の中国軍の12th Chinese Base Forceに対して一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 37機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 190機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 29機の空襲がありました。device 1個が破壊され11個がdsiabledになる被害を受けましたが、それにしてもこんな敗残兵1ユニットを相手にしなくてもいいのにと感じてしまいます。今日は重慶への空襲も地上部隊による砲撃もありませんでした。重慶守備隊のサプライを消費させるために毎日攻撃が繰り返されるのではと思っていただけに意外です。
蘭印ではダーウィンからディリにB-25C Mitchell 25機が飛び、飛行場にAirbase hits 5、Runway hits 15の被害を与えています。また11月1日にチモール海で一式陸攻の250kg爆弾が2発命中し大ダメージを被っていたオランダのxAP Van Overstraten(5375トン、VP 12)の火災が鎮まらず、Roti港内で沈没しました。久しぶりに大きな客船の沈没ですが、奪還した蘭印の港に帰り着くことができたわけで、まあ考えようによっては故郷に戻り安らかな死に場所を得ることができたのかなと思います。
さてデンパサールですが、予想していた通り、守備隊はいませんでした。クーパンからカタリナ飛行艇36機で運ばれたアメリカ海兵隊第3空挺大隊による空挺降下は無事に終了し、バリ島を解放することができました。5月23日にデンパサールを占領した日本軍ですが、攻略した部隊をすぐに転進させ、また守備隊もまったく派遣しなかったようです。解放後のデンパサールの状況をチェックしてみると、飛行場サービス施設に2、滑走路に19、港に20のダメージが残っていました。解放後、サプライの補充がすぐにでも必要になると思い、デンパサールの南側にSST(輸送潜水艦)を待機させてありましたが、デンパサールには日本軍のサプライ531トンが残されていました。いわば東条給与の糧食でしばらくは食いつなぐことができます。
地図を見てみると、デンパサールからわずかに距離4ヘクスのスラバヤには多数の日本の軍艦・軍用機が集結しています。しかもデンパサールは他の連合軍の根拠地からは突出していて、今のところ、兵員の補強やサプライの補給は潜水艦か空路を用いなければなりません。しかしデンパサール飛行場の規模はすでに3あり、このまま時を過ごせば日本軍にとって良いことはないはず。この状況、私なら逆上陸を試みたいと思います。機動部隊の所在は不明ですが、もしまだシンガポールにいるのなら機動部隊にも支援させる。そうなれば、連合軍は抵抗のしようがありません。
ウエーク島攻略作戦ですが、空母艦載機によるウエーク島守備隊への空襲を計画していました。しかし天候のせいか今日は飛んでくれず、全TFが粛々とウエーク島東のヘクスに集結しただけで終わりました。あしたがD-dayですが、ウエーク島はマップに名前が黄色で記載されていることで分かるようにatollです。atollに上陸するとそのターンにshock attackを強制されるので、一日で決めないと厄介なことになります。あしたは吉報をお伝えできますように。
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