昭和18年3月27日、Port HedlandのヘクスにいたBB山城などの水上戦闘TFはスラバヤに向けて帰途につきました。連合軍のPort Hedlandでの飛行場建設を妨害するため、艦砲射撃してから帰ろうかとも思ったのですが、BB山城の主砲弾は残50%と少なく、巡洋艦の砲弾もかなり減っていたので、そのまま帰ることにしました。Port Hedlandの北東隣りのヘクスには連合軍TFの存在が報告されていましたが、出発するとすぐこのTFに接触しました。この夜はmoonlight 60%の曇り空でしたが、距離1万1000ヤードでの発見です。敵艦は前日の戦闘により損傷していたDD Witte de With(VP 5, tonnage 1316)で、BB山城の36センチ主砲であっさり撃沈することができました。今回のPort Hedlandへの輸送は危険な任務だと連合軍側も認識していたようで、昨日沈めたCL AdelaidにしてもこのDD Witte de Withにしても、大正から昭和初年頃建造の古いフネばかりでした。
手負いの駆逐艦はまだ他にもいるはずですが、それらは西へ逃げてしまっていて出会えないまま、オーストラリア西岸から距離12ヘクス、ロンボク島まで7ヘクスと、蘭印の方が近いところまでやってきました。もうこのまま何もなくスラバヤに帰れるのだろうと思っていたところ、午後になって9機のPB4Y-1 Liberatorが来襲し、高度100フィートから反跳爆撃をしかけてきました。目標になったのはCA加古で、500ポンド爆弾が一発命中し、Sys 27, Flt 10(7), Eng 11(4), Fire 2の被害を受けてしまいました。シンガポールで修理にざっと2ヶ月強ですね、これは。
Trackerで確認してみると、PB4Y-1 Liberatorの航続距離は一式陸攻(G4M1)と同じく、normal range 17, extended range 21と足の長い機種でした。500ポンド爆弾を10発搭載できる機種ですが、低高度での攻撃であることで搭載量半減、またextended rangeの攻撃であることで搭載量半減で、各機2発ずつしか搭載していませんでした。しかも9機と少数機の爆撃でも、きちんと命中させてくるのですから、恐るべし反跳爆撃。BB山城を目標にしてくれれば命中しても被害なしで済んだかもしれませんが、コンバットリポートにはBB山城の名前はなく、快晴にも関わらずPB4Y-1 LiberatorのパイロットにはBB山城が見えなかったようです。
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