1943年1月29日、モルッカ諸島テルナテ島への上陸作戦を実施しました。予想した通り日本軍守備隊の姿はなく、夜が明けるまでに海兵隊第2強襲大隊715名全員が上陸を果たしました、しかし上陸した部隊の実情はというと、機関銃分隊9のうち2、ライフル兵分隊31のうち19、またSupport device 36個のうち18個がdisabledになるというひどいものです。じつはもともとこの強襲大隊が上陸奪取を狙っていたのはメナドで、prep(準備)もメナドに対して始めていました。ながいことメナドにも守備隊がいなかったのですが、今月になって2ユニットほど輸送船で運ばれて来ました。偵察機の報告によると合計で千数百名ほどということですから、歩兵部隊ではなくおそらく飛行場部隊と建設部隊なのだと思われます。とはいっても強襲大隊715名だけで奪取できる自信はなく、目標を急遽テルナテに変更したわけです。prepのない上陸が惨状を呈するよい教訓を得ることとなりましたが、守備隊がいないので明日のdeliberate attackでなんとか奪回できるだろうと考えています。
バチャン島とボエラの間のセラム海にはサプライ、建設部隊、飛行場部隊、高射砲部隊などを載せた多数のTFが後続しています。もともとは貨物船を犠牲にしても、載せているサプライやユニットの一部ずつなりとも上陸させればいいかなと考えていました。しかし実際にその場面を迎えてみると、さすがに無謀かなと感じるようになりました。日本側も昨日のテルナテへの偵察機の飛来を不審に思ってか、これまでずっと実施していなかったこの海域への大艇の哨戒飛行を今日は実施していて、detection level 2/2と低いものの、これらTFの一部の存在自体はばれています。明日以降日本側の攻撃があることは必至と思われ、飛行場の整備部隊(+サプライ)を載せたTF 1個だけは突入させ、その他はボエラに避難させることにしました。
テルナテの北東4ヘクスと、上陸作戦への反撃には絶好の位置にあるメナドの飛行場には、チモール島クーパンからB-24D Liberator 60機が空襲を実施しました。メナドにはレーダーもまだないようで、大した妨害も受けることなくAirbase hits 37、Airbase supply hits 16、Runway hits 118のダメージを与えることが出来たので、とりあえず一安心。
テルナテはジャワ島スラバヤにいる戦艦や巡洋艦が即応するにはすこし距離があります。この地域で日本海軍の軍艦がいそうなところというとパラオ(Babeldaob島)かと思われ、開戦以来はじめて偵察機を派遣してみました。パラオ港にはタンカー 1隻、貨物船 4隻、潜水艦 5隻がいるだけで、水上戦闘艦はみとめられませんでした。またTFが一つ目撃されましたが、こちらは駆逐艦 3隻、APD(駆逐艦改装高速兵員輸送艦) 2隻、AK(兵員輸送艦) 3隻というかなり立派な陣容です。ちょうど今日のSIGINTには”6th Air Division is loaded on xAK Bisan Maru moving to Babeldaob.”という報告がはいっていましたから、下船中なのかもしれません。AIr HQが配置されるということは、パラオの陸攻の雷撃可能圏内をCAPなしのTFが航行するのは非常に危険。テルナテも距離15ヘクスですから、飛行場を確保してはやく戦闘機を移動させたいところです。
ビルマのラムリー島にラングーンから二式戦(Ki-44-IIc Tojo) 42機のsweepがありました。ラムリー島に連合軍のCAPはいないので、今日も空振りです。連合軍がラムリー島にCAPを上げていたのは貨物船を航空攻撃から守るためでした。しかし1月27日に力任せのsweepと九七艦攻の雷爆撃で多数の貨物船が沈没したことに懲りて、生き残った船はすべてカルカッタに避難させました。日本側も哨戒機や偵察機の報告でそのことは承知しているはずですが、それでもまだラムリー島にsweepしてくるのは、別の目的(ラムリー島の飛行場や港への空襲か)があるのかも知れません。一方、Promeの南東のヘクスに前進した日本軍地上部隊による攻撃はありませんでした。このヘクスの連合軍の戦力を値踏みするための砲撃くらいはあってよさそうに思っていましたが、単に指示を忘れただけかも。
中国ではいつもの通り重慶に九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 168機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 107機による空襲がありました。飛行場にAirbase hits 2、Airbase supply hits 2、Runway hits 20の命中弾があり、また日本軍地上部隊の砲撃ともあわせて重慶守備隊のdevice 7個破壊、267個disabledという被害が報告されています。重慶の防御施設の規模が1に低下してしまっている影響か、deviceの損害が以前よりずっと多くなっているように感じます。
中国戦域では戦闘以外にもいろいろと動きがありました。まず、重慶西のヘクスの日本軍が30ユニットに増加しています。これからしばらくここで休養と思われます。また、重慶と昆明を結ぶ一級道路上にいた日本軍2部隊がそれぞれ昆明方向と貴陽方向に移動しているのが目撃されています。昆明の方に向かっているのは昆明か楚雄の守備強化のためでしょうが、貴陽に向かっている部隊の目的は見当もつきません。そして、昨日まで楚雄の北西のヘクスに陣取っていた日本軍がいなくなりました。きのうまでまったく移動のアイコンが表示されていなかったので驚いています。たしかに、ここも山岳ヘクスとはいえ、防御施設のある楚雄の方がさらに守りやすいし、各個撃破されるより集合した方が守りも堅くなりますから、楚雄の死守を狙ったのでしょう。ところで、今日楚雄への移動が完了したということは昨日の連合軍による楚雄空襲がきっかけというわけではなく、それ以前から移動を開始していたということになります。お相手の方の戦局に対するヨミのたしかさに感心させられました。
ニューギニアではTerapoのP-40K Warhawk 2波47機がラエをsweepしました。ラエでは二式戦 47機(Ki-44-IIa Tojo 14, Ki-44-IIc Tojo 33)がCAPしていて、スコアはP-40K 17機損失(被撃墜 14、Ops loss 3)に対し二式戦 14機損失(被撃墜13機、Ops loss 1)。遠征したP-40Kの側のOps lossが多くなったのはやむを得ないと考えると、P-40Kが二式戦を相手にほぼ互角に戦うことが出来たことになり、うれしい限りです。コルセアも今日のsweepに投入できたらもっと良いスコアを得ることが出来たでしょうが、コルセアは整備性が悪く(service rate 3)、1月26日のsweepによる損傷機の修理がまだ終わっていないのです。
地上では、まともな道もないジャングルの中をサラモアから移動して来ていた連合軍地上部隊が今日ようやくワウに到着したのですが、ワウの日本軍部隊はすべて撤退していました。ワウとラエの間には川があり、連合軍のラエへの前進は渡河攻撃でshock attackを余儀なくされます。ラエに後退して守りを固めるというのは賢い選択です。素雄への後退といいラエへの兵力の集中といい、お相手の方は明らかに私より陸戦がずっと上手です。
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