采配のミスにより湘潭(Siangtan)で日本の大軍と対峙する羽目になった25th Chinese Corpsは、1942年3月17日、日本軍のDeliberate attackを受けてほぼ壊滅の被害を受けました。日本軍は13個師団以上の兵力で素のAV 5645だったのに対し、中国側はわずかに266。地形によるプラス修正もforitificationもなく、修正AVは4151:1。672個のdeviceが破壊され、南の衡陽(Hengyang)に退却しました。残った健全なdeviceはsupport 2つだけで、disabledになったdeviceが75mm砲2門とsupoort 152個。でも全滅しなかったのが不思議なくらいですから、運が良かったのでしょう。
このように陸戦で大きな被害を受けたのですが、今日のメインはインド洋です。昨日はフローレス海にいた機動部隊が南下し、オーストラリア北西部の重要拠点であるダーウィンに空襲をしかけてきました。やってきたのは零戦(A6M2 Zero) 52、九七艦攻(B5N2 Kate) 77, 九九艦爆(D3A1 Val) 102機で、オーストラリア軍のKittyhawk IA 13機が迎撃しました。数的には圧倒的に劣勢ですが、Kittyhawk IA 6機( A2A 5、Ops loss 1)が失われた代わりに、零戦 6機(撃墜 4、Ops loss 2)、九七艦攻 1機(対空砲で1)、九九艦爆 8機(撃墜 1、対空砲 3、Ops loss 4)の戦果を挙げました。
日本側は飛行場と港の両方を爆撃し、Airbase hits 5、Runway hits 4、Port hits 2、Port fuel hits 3の命中弾がありました。今日のターンの修理後にも港に11、飛行場のサービス施設に17のダメージが残っています。Fortification(現在の規模は3で、4まで49%)の増強工事が3日くらい遅れそうです。また艦船の被害では、投錨していたDD Piet Hein(1316トン、VP 5)が爆弾2命中と弾薬の誘爆で沈没し、またAMc Bogor(131トン、VP 1)も爆弾1命中で沈没しました。さらにDD Van Ghentにも爆弾1命中で、Sys 48, Flt 29(17), Eng 8(2)のダメージを受けています。これら3隻のうち、AMc Bogorは日本の潜水艦がダーウィンに機雷を敷設したらすぐ対処できるよう常駐させていた掃海艇なのでやむを得なかったかなと思いますが、駆逐艦2隻に関してはちょっと残念です。オランダの軽巡と駆逐艦がダーウィンにいたので、航海でたまった小さなダメージを修理するためでした。もうスラバヤは安全とは言えませんからね。ところが昨日の機動部隊の出現をみると、ダーウィンさえ安全ではないと考え、出港させ東に向けて航行中です。でもpier sideで修理中だった駆逐艦2隻は出港できる状態になるまで3日かかる(このゲームの仕様)ので、ダーウィンにとどまっていたところ、空襲を受けてしまったわけです。
DD Van Ghentはこのままならすぐに沈むことはありませんが、明日も空襲を受ければ沈没は免れないでしょう。また今後ダーウィンへの上陸が企図されていて、その支援のために機動部隊がダーウィン近郊にとどまるようだと脱出できる見込みがなくなります。実は今日のSIGINTレポートには”23/Kimura Det is loaded on xAK Hague Maru moving to Darwin.”という物騒な報告が含まれていました。木村支隊は1941年12月13日にアンボンに上陸占領した部隊の一部ですが、その後の動静は不明です。本当にアンボンで乗船中なんでしょうか?またどのくらいの規模で、いつごろやって来るのか?
連合軍のダーウィン守備隊はオーストラリア第8師団など、合計AV 308。このオーストラリア第8師団はシンガポールから後退してきた旅団が基幹の部隊なのですが、シンガポールにいた2個旅団のうちの一方27th Australian Brigadeは、1941年12月12日にマラッカ海峡で一式陸攻により輸送船とともに海没してしまいました。あの事件がなければダーウィンの守りは鉄壁と胸を張れたところですが、現状ではとてもそんなふうには言えません。
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