2015年2月9日月曜日

バリ島デンパサールに艦砲射撃


1943年1月8日、バリ島のデンパサールにBB伊勢・山城・陸奥、CA古鷹・三隈、CL多摩・球磨が艦砲射撃にやってきました。ジャワ島の東隣という緊要な位置にあるデンパサールはこれまで放っておかれていたことの方が不思議で、この艦砲射撃自体は当然のこととして受け止めるべきものでしょう。被害の方はというと、伊勢の九五式水偵による弾着観測で、Airbase hits 6、Airbase supply hits 1、Runway hits 19、Port hits 11、Port supply hits 2の命中弾があり、港に31、飛行場サービス施設に14、滑走路に50のダメージが残りました。また、守備隊のdevice 11個が破壊され、13個がdisabled(負傷故障)になっています。さらにサプライの貯蔵量も3280トンから3152トンに減少していました。サプライはWaingapoeからC-47の飛行隊3つが空輸しているのですが、ふだんは一日に56トンずつくらい増えるので、84トンが破壊された計算になります。わりと少なくてほっとしています。また、デンパサールにはまだ飛行機を配置していないので破壊されることはありませんでしたが、港にdisbandしてあったオランダ潜SS KXIV(771トン、VP 8)に40cm砲弾が2発命中し、沈没してしまいました。

SS KXIVはなぜこんな危険な港にdisbandしてあったのか。1942年12月にアメリカの艦隊型潜水艦がアップグレードのため一斉に帰港したことにともない、SS KXIVは南シナ海のパトロールを担当することになりました。南シナ海は日本側の対潜哨戒機が濃密にパトロールしている海域です。SS KXIVも1942年12月16日に陸攻の攻撃を受け、Sys 10のダメージを受けてしまいました。そのまましばらくパトロールを続けていましたが、1943年1月2日に今度は250kg爆弾の直撃を受け、Sys 45, Flt 31(18), Eng 8(3)と大きく損傷してしまいました。浸水被害が31(18)くらいならチモール島クーパンまで行き着けるかなと思ったのですが、1月4日にはSysダメージが47に上昇してしまいました。Sysダメージは武装など搭載機器の障害で、排水ポンプもこれに含まれますから、47と数値自体かなり危険ですし、Sysダメージが低下せず上昇してしまったこと自体が大問題。オランダ潜のダメコンはアメリカ潜ほど優秀ではないようです。そこでやむを得ず1月7日にデンパサールに入港させたわけですが、デンパサールに寄らずクーパンまで航海を続けていたとしても沈没していた可能性はかなり高いので、この沈没はやむを得なかったかと思います。でも、日本側がこれまで放置してあったデンパサールへの艦砲射撃を決断した理由は、もしかするとSS KXIVが投錨したことによりデンパサールにイカリのアイコンが表示されたからなのかもしれません。デンパサールへの緊急寄港も日本側の攻撃を誘ってしまったかもという点では問題ある判断だったかも知れません。

連合軍側からはケンダリーに、WaingapoeのB-25C Mitchell 27機が港の爆撃に、またクーパンのB-17F Fortress 15機が飛行場の爆撃に向かいました。Airbase hits 8、Runway hits 8、Port hits 14、Port supply hits 4、Port fuel hits 9の命中弾とともに、港にいたAMc Banshu Maru #51を撃沈(でもなぜか沈没艦リストには載っていません)し、xAK Malta Maruに爆弾を3発命中させheavy fires,  heavy damageとしました。また、二式戦 3機、零戦 2機、九七大艇 1機を地上で撃破しています。マカッサル、ケンダリー、アンボンという、バンダ海の北側の日本側の飛行場はほぼ制圧できているようで、デンパサールを艦砲射撃した戦艦・巡洋艦は戦闘機が213機配置されているスラバヤに戻っていました。

ポナペ島北東沖でSS Kingfishが日本の船団を発見し、xAK Cuba Maruに魚雷を1本命中させ、しかも無事に爆発してくれました。でも火災が発生したという報告はありません。この後、リプレイ中に艦船の沈没音が流れましたが、このxAK Cuba Maruではなく、きっとケンダリーのxAK Malta Maruの方でしょうね。

重慶には一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 27機の護衛で双発爆撃機 231機(Ki-21-Ic Sally x 25, Ki-21-IIa Sally 206)が飛来し、守備隊のdevice 3個を破壊し、83個をdsiabledにしてゆきました。きょうは百式重爆の姿が見えませんが、休養をとらせただけでしょうか。また重慶の日本軍地上部隊が動きは見られません。休養をとるために東に移動を始めていてもおかしくはないのですが、単に中国軍守備隊の偵察能力不足で、気付けていないだけかも知れません。

ビルマではPromeからモールメンに双発爆撃機 17機(A-29A Hudson 9, A-29 Hudson 8)が地上部隊の爆撃に向かいましたが、戦果はありません。昨日のエントリーでふれたように、モールメンの守備隊の構成を知るための爆撃を昨日実施したわけですが、すでに判明しているので今日は中止すべきところ、中止し忘れて今日も行ってしまっただけです。そして、Toungooにもアキャブから双発爆撃機 27機(Blenheim IV 12, Bolingbroke IV 9, B-26 Marauder 6)が地上部隊の爆撃に向かい、守備隊のdevice 3個をdisabledにしました。こちらも守備隊の構成を知るための爆撃でしたが、泰国軍第3師団がいました。日本側からの、ラムリー島へのsweepとペグーへの空襲はありませんでした。

ビルマの情勢で意外に感じたのは、ラングーンの北東のヘクスに前進して来ていた日本軍部隊がすべてラングーンに戻ってしまったことです。ラングーンに戻ってほしかったので、ペグーの連合軍地上部隊がラングーンに移動する振りを見せたのですが、まさか全軍挙げて戻ってしまうとは思いませんでした。ラングーンに戻るよりもさらに北への前進を続けられることの方が嫌だったので、ほっとしています。ヘクスサイドの支配状況を表示したマップをお示ししていますが、ラムリー島からペグーまでラングーンを外界から孤立させる連合軍の包囲線は健在です。このまま放置されていてもかまわないのか?とても不思議です。

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