2013年2月28日木曜日

ダーウィンに艦砲射撃


昭和18年3月19日、BB山城とCA加古・古鷹がダーウィンに艦砲射撃を実施しました。CA古鷹の零式水偵が弾着観測を行い、オーストラリア軍にdevice 7破壊、52 disabledの被害を与えることができました。オーストラリア軍は2個師団・2個旅団(5th Australian Division, 8th Australian Division, 3rd Army Tank Brigade, 1st Motor Brigade)などからなる総勢4万2000名ほどの部隊で、数日前にダーウィンに到着しました。ダーウィンを守るのは3分の2個師団(1個師団を3つに分割したもののうちの2つ)と先日陥落したPort Hedlandから大艇で撤収させてあった舞鶴第3特別陸戦隊です。いちおう、ダーウィンのfortificationは6にしてあり、またオーストラリア軍は策源地から遠くサプライ補給が困難なことが救いですが、一個師団弱の戦力でどの程度の期間頑張れるのかは分かりません。万が一、速攻で陥落してしまうと嫌なので、ダーウィンにいたAir HQと偵察機の部隊はチモール島のクーパンに避難させました。ダーウィンの百式重爆の1部隊とクーパンの陸攻で爆撃していますが、艦砲射撃ほどの被害を与えることはできていません。クーパンにはAKEを2隻配備してあるので、BB山城とCA加古・古鷹はクーパンで弾薬補充して、可能ならまたダーウィンに向かわせようと思います。自軍の根拠地に艦砲射撃をしなければならないというのも情けない話ではあるんですがね。

華南では引き続き中国の大軍に追撃されています。少しでも追撃速度を遅くさせるため、広東から二式戦(Ki-44-IIb Tojo) 26機でsweepした後に、広東と香港から二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 9機の護衛で九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 37機、九七軽爆(Ki-30 Ann) 12機、百式重爆(Ki-49-IIa Helen9 79機で行軍中の中国軍地上部隊の爆撃を実施しました。九七軽爆は香港でASWをしていたのですが、前ターンの指示の時に誤って”Set All Level Bombers in this Hex”を押してしまったみたいで、爆撃に参加したものです。この138機による爆撃で与えた被害はdevice 26がdisabledになったのみ。やはり森林ヘクスでは爆撃の効果は限定的です。日本機は九七重爆と百式重爆各1機がOps lossになりました。

連合軍も成都と重慶から50機弱のP-38G LightningがLRCAPにより支援しながら、爆撃機 109機(B-17E Fortress 23, B-24D Liberator 27, B-24D1 Liberator 18, B-25C Mitchell 33, B-25D1 Mitchell 8)による日本側地上部隊への爆撃を行いました。地上での被害は13 deviceがdisabledになったのみで、またdisruptionもほとんど上昇していませんですた。やはり森林ヘクスの地形ボーナスのおかげです。反対に5000フィートという低高度から爆撃したB-25D1 Mitchellが4機、対空砲で撃墜されていました。連合軍の出撃飛行場はかなり遠いので、この規模の爆撃を連日実施することはできないはずです。数日後には中国軍がこのヘクスに到着しますがはたしてこのヘクスで頑張れるでしょうか。

ビルマではミートキーナの北西となりのWarazupが陥落しました。もともとこのWarazupは無人だったのですが、3月12日にミートキーナ戦で敗北した第18海軍防備隊などが撤退してきていました。敗残の弱小部隊にも連合軍は手を緩めず、まずP-40K Warhawk 46機がsweepし、その後に Martlet II 10機の護衛で爆撃機 88機(Blenheim VD 16, Hudson IIIa 12, Vengeance I 60)による爆撃がありました。こう丁寧にやられては抵抗できず、地形ボーナスはあってもオッズ比4対1で敗北です。西隣りのヘクスに撤退することになりましたが、いずれにせよビルマ中部南部に向けて逃げてゆくことになるので、行軍の手間が数日分省けたと考えることにしました。ビルマ東部のバーモはまだ維持しています。

2013年2月23日土曜日

華南の陸戦で今日も敗退


昭和18年3月14日、桂林の南東のヘクスで空戦と陸戦がありました。今日はここに合計で50機ほどのP-38F LightningとP-38G LightningがLRCAPしていました。日本側は広東からまず二式戦(Ki-44-IIb Tojo) 18機でsweepし、その後に一式戦(Ki-43-IIb Oscar) 19機と二式戦(Ki-44-IIb Tojo ) 26機の護衛で九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 41機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 46機が中国軍地上部隊を爆撃しました。最初にsweepしたのは良かったのですが、sweeperの数がLRCAPの数より少なかったので、爆撃機が到着した時にもCAPが残ってしまいました。そんなわけで、P-38 4機の戦果と引き換えに、日本側は二式戦 5機と九七重爆 4機、百式重爆 1機を失いました。
日本機の爆撃による中国軍地上部隊の損害はdevice 1つが破壊され、device 29個がdisabledになりました。連合軍もこのヘクスの日本の地上部隊に128機の爆撃機(B-17E Fortress 15, B-24D Liberator 19, B-24D1 Liberator 22, B-25C Mitchell 58, B-25D1 Mitchell 14)で空襲を実施して、日本の地上部隊の損害はdevice 30個がdisabledになりました。

その後、このヘクスで中国軍地上部隊によるDeliberate attackがありました。中国側の戦闘員は26万名あまりなのに対し、日本側は3個師団で3万5000名、素のAV 9948対1109。日本側に地形とリーダーのプラス修正と、disruptionのマイナス修正がついて、修正AVは4389対1414。オッズ比3対1で敗北し、南東側のヘクスに退却しました。日本側の損害はdevice 646個が破壊され、700個がdisabledになり、中国側はdevice 80個が破壊され1018個がdisabledになっていました。このところ連戦連敗ですが、どこまで押し込まれるんでしょうか。

2013年2月22日金曜日

バーモで連合軍の駆逐に失敗


昭和18年3月13日の早朝、潜望鏡画面に大きく瑞鶴の姿が表示されました。幸いSS Hakeの魚雷はどれも命中せずことなきを得ましたが、最後の魚雷の外れを確認するまでハラハラしました。護衛の駆逐艦が爆雷を投下し、船殻に損傷を与える命中がひとつあったので、SS Hakeはがっかりしながら帰還することになると思います。昭和18年4月に可能になる艦船改装のリストにほぼすべての空母・軽空母が含まれています。25mm機銃が増設されるだけの改装ですが、対空砲は少しでも多い方が安心感が増すというもの。空母すべてをいっぺんにドック入りさせるわけにもいかないので、第一陣として翔鶴・瑞鶴を考え、同じく4月に改装可能になるBB日向・伊勢、CLAA龍田・天龍とともに本土に回航する途中でした。

ビルマのバーモにいる連合軍空挺部隊にTaung Gyiから二式複戦(Ki-45 KAIa Nick) 43機の護衛で百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 54機が爆撃を行いました。その後、Kathaから撤退してきた第55聯隊と増援として輸送機で降下した1st Raiding Regiment・Yokosuka 3rd SNLFがdeliberate attackを実施しました。勝てるだろうとふんで攻撃したわけですが、案に相違して敗北です。素のAVが日本側251対連合軍221で、連合軍側には地形とリーダーのプラス修正と混乱のマイナス修正があり(日本側には修正なし)、修正AVは64対439。オッズ比1対6の大差での敗北でした。この時期の連合軍は空挺部隊だけでも地味に強力なんですね。バーモは包囲されかかっていてサプライの補給が困難ですから、今後、状況が好転するとも思えません。南西のヘクスから英軍地上部隊が接近してきていますから、殲滅されそうな状況です。ところで、今日のバーモへの空襲を支援するため、ラシオに二式戦を配備してバーモをCAPの覆域に入れてありました。この二式戦が連合軍のバーモへの空輸を迎撃しました。迎撃したといっても、C-47 Skytrainが1機、Ops lossになっただけで大した戦果はなかったのですが、気になったのはその迎撃の表示が2種類あったことです。ひとつは
Transports flying to Bhamo intercepted
というもので、オペレーショナルリポートのファイルにはこれが12行ありました。もうひとつは
Transports flying to 63,44 intercepted
というもので、こちらは1行だけ。63,44というのはバーモのヘクスのことですが、この種のゲームの仕様的にはまったく同じ任務だったら表示はどちらかに統一されるようつくられているものだろうと思います。きっとなにか違いがあるのでしょうが、その違いって何でしょう?私にはちょっと思いつきません。

華南で後退中の日本側部隊ですが、桂林南西のヘクスで中国軍部隊に追いつかれてしまいました。中国軍の移動速度を低下させるため今日も九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 66機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 26機で爆撃を行いましたが、中国側はユニット数が多いので、爆撃の効果が行き渡らないようです。追いついた部隊の総数は40万名以上と表示されてますから、明日は攻撃されることになりそうです。
SIG INT REPORT FOR Mar 13, 43 
Heavy Volume of Radio transmissions detected at 2,68. 
Radio transmissions detected at 2,68. 
Radio transmissions detected at 228,191.
連合軍がCBI戦線に注力していることはSIGINTからもよみとれます。今日のSIGINT情報5件のうちの3件がTFの位置を示すものでした。2,68と 228,191というのはどこのことだと思います?じつは両方ともoff mapで、前者はケープタウンへのヘクス、後者はフォークランド島のポートスタンレーへのヘクスです。SIGINTで海上を航行中のTFの動向が判明すること自体がそれほど頻度の高いものではないのに、同じ日に3件もoff mapのTFが報告されるということは、これら海域の交通量が頻繁なことを示しているのでしょう。今日のバーモでの陸戦結果を見て、地上戦ではぜんぜん連合軍部隊にかなわないことが良く理解できました。これに加えて、ふつうなら太平洋正面に投入される米軍部隊などもこの南大西洋ルートでCBI戦線に移動してきたりすると、私の指揮のセンスでは如何ともし難く、昭和18年のうちに中国から追い落とされてしまうのかも。

2013年2月21日木曜日

ミートキーナを失う


昭和18年3月12日、まずは華南の状況。桂林の南東のヘクスにいる日本の部隊は、兵力の集中とサプライ補給を容易にするため、もう一ヘクス南東側で防御態勢をとるつもりで後退中です。しかしこの後退を妨害するために、重慶と成都から米軍の爆撃機147機(B-17E Fortress 13, B-24D Liberator 32, B-24D1 Liberator 35, B-25C Mitchell 52, B-25D1 Mitchell 15)が来襲しました。森林ヘクスなので33 deviceがdisabledになっただけでしたが、空襲によって各ユニットがmove modeからcombat modeに戻され、移動速度が低下してしまうのが痛いところです。来襲した米軍機のうち、四発爆撃機は高度7000フィートからの爆撃でしたが、B-25は高度5000フィートからでした。ここには4個師団強がいます。日本側の貧弱な対空火器も数がまとまるとそれなりに効果を発揮するようで、合計7機のB-25を地上砲火により撃墜することができました。

この日本軍部隊を追撃してきている中国軍部隊の移動速度を低下させるため、日本側は広東と香港から、二式戦(Ki-44-IIb Tojo) 21機がsweepし、零戦(A6M8 Zero) 20機と二式戦Ki-44-IIb Tojo) 23機の護衛で九六重爆(G3M2 Nell) 15機、九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 65機、百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 21機が爆撃を行いました。中国軍の16 deviceをdisabledにしたのみと、連合軍の爆撃より戦果が少ないのは機数が少ないからやむを得ないところで、少しでも追撃速度を鈍らせることができればと思っています。

ビルマではバーモに向かって行軍中の部隊に、インドのディマプールから11機のMartlet IIに護衛された59機のVengeance Iの空襲がありました。単発機の爆撃なので7 deviceがdisabledになっただけですが、やはりmove modeからcombat modに強制的に変更され、バーモヘの到着が遅くなるのが困ります。今日はバーモでの戦闘はありませんでした。日本側がビルマでできることは少ないのですが、今日はメイクテーラからインパールへ二式戦(Ki-44-IIb Tojo) 41機がsweepを実施しました。インパール上空には88機(Hurricane IIc Trop 28, Spitfire Vc Trop 28, P-40K Warhawk 32)がCAPしていました。11機の二式戦の喪失で、23機(Hurricane IIc Trop 8, Spitfire Vc Trop 10, P-40K Warhawk 5)機の戦果でした。

その後の陸戦フェーズでは、予想通りミートキーナで連合軍のdeliberate attackがありました。ミートキーナのfortfication 6だったので、一日くらいは持ちこたえられるかなと期待していました。この6がそのままだったら期待通り持ち堪えてくれたはずですが、攻撃にともなって連合軍の工兵により一気に3低下させられてしまいました。オッズ比の判定の時のfortificationは3しかなく、オッズ比7対1で陥落となりました。予定より一日早かったとはいえ、兵力差を考えれば陥落はやむを得ないところ。残念なのは6000トンほどのサプライが連合軍の手に渡ってしまったことです。インド・ビルマ間のサプライ輸送の困難さを考えると、この6000トン余は今後の連合軍の活動をかなり容易にさせそうです。また破れた部隊はバーモの方向、つまり南西側のヘクスに移動するものとばかり思っていたのですが、実際は北のdot baseに撤退してしまいました。バーモはすでに連合軍の包囲下にあって、補給線はこちらから設定されているということなんでしょうか。

サンフランシスコから東へ距離17ヘクスの東太平洋で、伊16潜がLST-477を襲撃しました。LSTをみかけたのは初めてですが、この時期は2-3日に一隻のペースで就役しているようです。それほど多数のLSTがあるわけですから、一隻沈めたところで大勢に影響しないといえばそうなのですが、問題なのはこの伊16潜の戦いぶりです。最初に魚雷を4本放ってはずれ。浮上して砲撃しながら雷撃してまたはずれ。そうこうしているうちに、8本搭載している魚雷はすべて使い切り、また14cm砲弾も12発分あったうちの11発を使ってしまい、
SS I-16 low on gun ammo, Kawakubo W. breaks off surface engagement and submerges
という艦長の判断で攻撃を中止し、母港に帰還し始めました。まったく情けない。14cm砲弾は8発命中したそうですが、今日のところはまだ沈没艦リストにLST-477の名前がありませんでした。米軍のLSTは1625トンしかない小さな船ですし、太平洋のまっただ中で砲撃を受けサンフランシスコにまで帰り着けるとも思えませんが、わりとタフなんですね。

2013年2月20日水曜日

ビルマの危機さらに悪化


昭和18年3月11日、前日ビルマ北部のミートキーナに侵入してきた連合軍による砲撃がありました。ミートキーナ守備隊の規模を見定めるための砲撃だったろうと思います。連合軍側は2個師団と一個旅団なのに対し、日本側は第18海軍防備隊(ほかは整備部隊と建設部隊)が守っているだけなので、素のAVが1074対71と圧倒的な大差です。砲撃による被害はdeviceが1つdisabledになったのみですが、明日deliberate atackがあればひとたまりもない感じです。

昨日は戦闘のなかったバーモでも、今日はまた連合軍によるshock attackがありました。shock attackになった理由は、一昨日までに降下していた空挺部隊に加えて、77th Chindit Bde /1があらたに降下したためです。日本側も一昨日までの部隊に加えて、Kathaで敗北して撤退中だった部隊の第一陣である第55聯隊が到着しました。このため、素のAVは164対151ですが、修正AVは8対139、オッズ比1対17の大差で今日の戦闘を終えることができました。連合軍が勝ち目のないバーモになぜ新手の部隊を送り込んできたのかと不思議に感じたのですが、戦闘後にマップを確認してみるとバーモとラシオの中間のヘクスに連合軍3部隊5300名が進出してきていました。これでバーモはほぼ包囲されてしまった格好ですから、送り込んだ空挺部隊の救出が充分に可能と踏んでいるのでしょう。このままだと明日以降のミートキーナでの戦闘で敗北する部隊もバーモ方向に逃げ、まとめてバーモで一網打尽にされそうです。それが分かってはいても、助ける手段がありません。

前々回のエントリーで、3月9日にPort Hedlandを奪われ、そこを守備していた舞鶴第三特別陸戦隊とダーウィンに空路撤退させたその支隊との関係について書きました。実はPort Hedlandから追い出された舞鶴第三特別陸戦隊の本隊は、3月10日に爆撃されて全滅してしまいました。その結果、ダーウィンに撤退していた支隊がめでたく本隊に昇格できました。たしかに、昇格して欠けたdeviceの補充が可能となり、ダーウィン防衛に資するようになったこと自体はめでたいことなのですが、これまで支隊としてダーウィンを目標として積み重ねてきたSet Future Obejectiveが、旧本隊に設定してあったPort Hedlandに変更されてしまったのが残念です。ダーウィン防衛用にSet Future Obejectiveをダーウィンに戻すと、また0からカウントが始まりました。また、ダーウィンで敵の攻撃を受けずに、おいしいものを食べゆっくりと眠っていた部隊なのに、disruption値が急上昇してしまいました。本隊・支隊関係が変更されると、こういった数値まで変更されてしまうとは知りませんでした。困った仕様です。

いろいろと頭の痛いことが多いのですが、うれしいニュースとしてはマップ南東端の南太平洋で、伊22潜がxAK Ganges(VP 11, tonnage 5375)を撃沈しました。一回目の襲撃で魚雷を2本命中させたのに沈まず、2回目の襲撃でもう一本命中させました。以前書いたように、うちのWitP AEは音が出なくなったままなので、沈没音を確認することができません。まあ3本命中して沈まない貨物船はないでしょうし、あと一つ沈没を裏付ける証拠があります。TrackerでB-17E Fortressが10機Ground Lossになっていたのです。B-17がいそうな飛行場を爆撃してはいないので、伊22潜の戦果だと思います。お相手は大胆な方で、以前もそうでしたが、大切な四発爆撃機を輸送する貨物船に護衛艦艇をつけないで平気なようです。

B-17Eを輸送する貨物船がここを航海しているというのは異常です。アメリカ本土からの増援であれば、日本の潜水艦の襲撃を避けるためだとしても、こんなに南にまで迂回させはしないでしょう。実は、しばらく前からフォークランド島周辺のヘクスに交信音の聴取されることが何度かありました。きっとオーストラリアから南太平洋・南大西洋を経由してインドへ輸送しているのだと思われます。いちおうそれも想定して潜水艦を配置してありましたが、どの程度南を航行させているのかまでは分かりませんでした。ところが3月9日のSIGINTに、”Radio transmissions detected at 204,184”とあったので、伊22潜を南へ184のラインまで移動させました。それから2日でこの成果です。今日の撃沈地点とSIGINTで報告された地点の距離は15ヘクスですから、SIGINTで探知されていたTFがこれだった可能性があると思います。日本側のSIGINTも全然役に立たないというものでもないですね。

2013年2月19日火曜日

大戦後半の日本の陸軍戦闘機のおすすめ その2


以前のエントリー大戦後半の日本の陸軍戦闘機のおすすめをテーマにしたスレを紹介しましたが、このテーマにはみなさん興味があるようでさらにスレが伸びています。私個人としてもPBEMの今後を考えると興味がありますし、空戦での最高速度の重要性と、それに関連して連合軍の新型戦闘機との最高速度の差が毎時40マイルにおさまる機種を選択することの重要性など、役立つ情報が載せられているのでまた紹介してみます。

_____________________________

紫電改(N1K1-J George)が連合軍の重爆の脅威と戦う最善の武器のように見えるけど、どう?陸軍なら二式戦かな?


その通り、烈風登場前の海軍機では紫電改(ほとんどの型のservice ratingが2)。四式戦(爆撃機と戦うにはKi-84b Frankが最適)登場前の陸軍機では二式戦。対戦前半なら二式複戦(Ki-45 KAIa Nick)も役に立つと思う。重爆と戦うのに必要なものは火力とアーマーと数的優勢だ。


gun ratingが6しかない二式戦はがらくたのような気がする。あんな豆鉄砲でどうやって重爆を撃墜することができるんだろう?1943年段階ではまともな陸軍戦闘機はないようだ。


Ki-83は優れた設計の機体だ... 双発なのと少し速度がおそいけれど、数値的な性能は震電に似ている。


Ki-83は火龍(K-201)よりもずっといい。たしかにKi-83は双発機だが、搭載するエンジンはHa-43エンジンだ。ほかの重要な機種(烈風、紫電改N1K5-J George、震電)もこのエンジンを搭載するので、研究開発のし甲斐があるエンジンだ。service ratingの点でもKi-201よりKi-83の方が有利だ。Ki-83はKi-94-IIよりも優秀で、Ki-94-IIの方が優っているのは最高高度の点だけだ。Ki-83と震電の性能を比較する議論もできるが、一方は陸軍機でもう一方は海軍の戦闘機だから、そういった議論もこのゲーム的には意味がない。


意味がないことだとは思わないな。どうしてか、少し説明してみたい。1945年になると、陸軍海軍の区別にはこだわらなくなる。すべては本土防衛のために後退し、艦隊もたいして残されてはいないから、頼るのは水平爆撃機になる。以前も書いたことがあるが、私は用途ごとに適した戦闘機を探している。用途というのは、1, 対戦闘機戦闘を行える戦闘機、2, 四発爆撃機と空戦する戦闘機、3, 夜間戦闘機の3つだ。
対戦闘機戦闘の行える戦闘機ということは、私がムスタングやサンダーボルトと渡り合うために送り出す機種はなにか?ということだ。私は、CAPの攻撃を受け止める肉壁として戦闘機を使うやり方には信頼をおいていないから、これは考慮しない。速度差によるペナルティがそれほどひどくならないようにするには、最高速度時速487マイルのサンダーボルトと速度の差が40マイル以内におさまっている機種を探すことが必須で、選択肢は限られている。最高速度が時速448マイルという閾値を超えているのは、震電、火龍、秋水しかない。この中から私は震電を選ぶが、火龍を選択することもある。震電を選択したとすると、他の2つの用途には陸軍機をあてることになる。戦闘機はなるべくたくさん揃えたいからね。
四発爆撃機と空戦する戦闘機および夜間戦闘機は、少なくとも最高速度毎時364マイルのB-29より20マイルは速くないといけない。つまり最高速度が時速385マイル以上の機種を探すことになる。これに当てはまる機種もわずかで、Ki-83、Ki-84b Frank(四式戦)がこれにあたる。震電と火龍をこの選択肢に含めてみてもいいが、両者ともにservice ratingは5で、実際に選択するつもりなら、その点をよく考えておくことが必要だ。武装の違いはほとんどない。Ki-83の方が速く、時速46マイルもの違いはかなりのものだ。しかしKi-83は双発機なので、生産にかかるコストが2倍だ。この両者からの選択は難しく、コインを投げて決めたいと思う。どっちを選択したにしろ、そう大きな違いはないだろう。個人的には四式戦の方を買いたいが、Ki-83の方がいいという意見にも異論はない。
最終的には、海軍機の戦闘機部隊はすべて震電に、陸軍機の部隊はすべて四式戦にするつもりだ。高度差を織り交ぜたCAPを採用する。リソースを集中すれば、たくさんの戦闘機を生産することができる。またその時期まではいろいろな機種を手広く生産してきているから、集中させるには少し手間がかかる。1942年から1944年までにうまく飛行機を生産してきていれば、特攻に使う機体はたくさん在庫されていると思う。連合軍を本土の沿岸に近づけさせないことは可能だろうと思うが、朝鮮半島を確保しておくことは難しいだろう。
これらの機種はすべてservice rate 3の戦闘機だが、自軍の飛行場の上空で戦う。それに対して連合軍機は遠くから飛んでこなければならない。1943年半ばまでには本土の飛行場はすべて最大限にまで拡張してあるかな?service rating 3という欠点は、自軍のBase ForceユニットやAir HQユニットを前線に置き去りにし、本土を裸の状態でさらすようなことさえしなければ、なんとかなる。いずれにせよ、その頃にはservice rating 3なんてことよりもっと深刻な問題が山積だよね?


とても面白く読ませてもらった。ご高見をしっかり咀嚼して、研究開発計画をすこし修正することになるだろう。四発爆撃機と空戦する戦闘機の研究開発についてはすでに済ませてあったので、私にとって一番興味深かったのは、対戦闘機戦闘の行える戦闘機のくだりだった。速度差40マイルという数字はあなたの経験から導き出されたものか、それともDevの人の誰かから得た情報なんだろうか?でも、時速487マイルなんていう速度のP-51やP-47が登場するのはいつのこと?今仕事中だから、教えて。


40マイルというのは、数年前のACM(訳注:なんの略語?)に関する議論の際に知った数字だと思う。たしかDevの一員が言っていた。ゲームのテストの際にもみかけた。1943年に最高速度430マイルのコルセアが出現したときのことを思い起こしてほしい。誰もが日米どちらかの立場でコンバットリポートを目にしているはずだ。武装や運動性がその差をもたらすのではなく、スピードがすべてだ。最高速度336マイルの零戦と430マイルのコルセア。二式戦だって苦労することになる。


P-47N Thunderboltは1945年3月で、月産100機以上。P-51H Mustangは1945年9月で月産250機以上。


とっても面白かった。ありがとう。ところで、震電は四式戦(Ki-84bとKi-84r)より対戦闘機戦闘が得意だと思う?私の少ない経験では逆だな。PBEMで東京をsweepしたことがあるが、震電と対戦した時より四式戦と対戦したときの方がP-47D-25の損失数が多かった。震電の高高度での成績は四式戦よりずっと劣る(きっと30mm機関砲の命中精度が良くないこともあるんだろう)。しかし、対戦闘機戦闘では速度が重要だという指摘には同感だ... 私には連合軍の大戦後期の新型機に対抗できるような機種を日本側が用意できるとは思えない... 100機のKi-201が待ち構えていても撃墜するのに苦労はいらない... 速いにも関わらず、P-47の高高度sweepには無力だ。


Armageddonシナリオで検証してみたことがあるが、震電も火龍もとっても良かった。service rating 5の火龍を運用するのは難しいが、400機も揃えて立ち向かえば、sweepする連合軍戦闘機は散々な目に合うだろう。でも、火龍の研究開発の経路は独自で、しかもエンジンも特別だ。大きな投資が必要になる。もちろん、それを可能にするやり方もあるが、魔法の弾丸なんてないってことだ。震電がservice rating 3な点は悪くないと思う。本土に配備されているのであれば、出撃する部隊を交替させることで対処できる。時速466マイルより速いのはムスタングしかない。できれば、ムスタングの出撃する基地が遠くて、パイロットが疲労した状態でsweepするような状況になっていてほしい。震電と火龍の武装は機首に4門と日本機としては最高だ。20mmを2門と30mmを2門より、20mm機関砲4門の方が良かったと思うかもしれないけど、それにしたってかなりの威力だ。Ki-84b Frank(四式戦)も悪くはないが、最高速度392マイルしかないのではムスタングの速度の優位が際立ってしまう。Ki-84b Frankがうまくやれるのは、もっと速い機種といっしょに戦うときだ。Ki-84b Frank自体はまあまあの機種だが、震電や火龍のようなもっと速い機種と組み合わされると、ずっと良い成績を残せる。私はKi-84b Frank(四式戦)の部隊をKi-84r Frankに機種変更するつもりはない。速度と運動性は向上するが、機種の200mm機関砲がなくなる不利を相殺できない。パンチ力は2門の20mm機関砲に依存していて、機種に装備された20mm機関砲はかなりの威力だ。


1942年、43年、44~45年に日本が生産できるましな夜間戦闘機はなんだろ?


どうせ役に立たないんだから、夜間戦闘機なんていらないよ。夜間は旧式の戦闘機でも同じこと。撃墜することはできなくても、そこにいるだけで爆撃の効果を弱くすることができる。夜間戦闘機は見かけだけに過ぎない。


そういった見解も、最新の公式パッチの前までだったら、議論の際によりどころとすることができた。でも、目標(敵機や地上の目標)を探知する機載レーダーをもつことがより重要なものとなってからは、そんな風に断定することはできないと思う。


連合軍の夜間戦闘機の P-70 Havocが、来襲した爆撃隊を混乱させ、しかも撃墜さえしたのを目撃したことがある。コンバットリポートには機載レーダーについての報告があった。まあ、大戦後期の大規模な空襲とは違うし、日本機には見るべき防御装置が備えられていないから、1944年から45年の本土上空で日本の戦闘機に同じことができるとは思えないね。


私は、ボーファイターの最初に配備される部隊(パイロットのAirスキル値はだいたい70前後)をラングーン防衛に使ったことがある。夜間戦闘ではすぐに戦果を挙げ始め、対空砲を集中運用するのと同じくらいの効果(一回の空襲で2機づつくらい撃墜できた)があった。また、一式陸攻の脅威しかないような地点のコンボイ上空のLRCAPにも有効だった。


一式戦の最後の型(Ki-43-IV Oscar)は拠点防衛用の戦闘機としてはそう悪くない。速くはないが運動性に優れていて、機種に装備した20mm機関砲2門とservicr rating 1だし、航続距離が長いからCAPの攻撃を受け止める肉壁としては最適だ。


一式戦の最後の型(Ki-43-IV Oscar)は毎時364マイルで、紫電(N1K1-J George)よりも速い。2門の機関砲は命中率に優れているし、たしかに生産すべき機種に違いない。特攻用には旧い型の一式戦(IIbやIIaなら充分)を使いたいと思う。大戦後期には、数がものをいうので、四式戦よりも二式戦・一式戦の方をたくさん生産する。四式戦の方が優秀なのは確かだが、air supportの充分にある大きな飛行場でしか使えない。二式戦・一式戦なら小さな飛行場でも容易に運用できる。


純粋な戦闘機としての一式戦はKi-43-Icの生産を続け、Ki-43-IIaをとばしてKi-43-IIbの研究開発に勤しむっていうやり方はないんだろうか? Ki-43-IIaの方が航続距離が長く巡航速度も速いが、高度1万から1万5千フィートでの運動性は Ki-43-Icの46より低くて39しかない。まあ、高度1万6千から2万フィートだとKi-43-IIaが39をキープできるのにKi-43-Icは37に低下してしまう。このIcとIIaの差について、みなさんはどうお考えだろうか?


それは、一式戦にどんな任務をさせたいかによるんだと思う。爆撃機の護衛として飛行させるのなら、いずれにせよ死ぬ運命だから、どちらでもいっしょだろう。でも、sweepやCAP任務の際には速度が重要だということを銘記すべきだ。速度差40マイルという閾値が正しいとすると、運動性の数字が影響するのは、速度差が40マイル以内の時だけだ。わたしがあなただったら、Ki-43-IIaの方を選びたい。


Ki-43-Icは格闘戦用の戦闘機としてはなかなかだが、前線で対峙する連合軍のarmorを備えた戦闘機には劣る。武装も貧弱だし。二式戦Ki-44-IIa Tojoの方がましで、しかもservice ratingが1だ。しかし小口径の機関銃を2丁の重機関銃に置き換えたKi-44-IIcとはかなり違いがある。Ki-44-IIbの機関砲はひどく命中率が劣り、武装という点ではIIaから後退しているようにも見えるから、Ki-44-IIbを飛ばしてもっとましなIIcに向かう人が多いんだろうと思う。いまシナリオ2をプレイ中だが、最初からKi-43-Icが配備されている。研究開発により、二式戦Ki-44-IIaは昭和17年5月か遅くとも6月には利用できるようになる。それまでは、零戦の協力を得ながら、一式戦Ki-43-Icが前線を支えることになる。


「Ki-44-IIbの機関砲はひどく命中率が劣り、武装という点ではIIaから後退しているようにも見える」という点には反対だ。二式戦Ki-44-IIbの武装の方が本当は優れている。というのもIIbは機種に12.7mm機関銃を装備しているので、主武装の命中率はIIaよりずっといいはずだ。両機種の副武装はとるにたりないものだから、考慮の対象となるのは12.7mm機関銃だけだ。ところで、上の質問にあった一式戦についていうと、日本側プレイヤーはなるべく早く一式戦Ki-43-Icを引退させるべきだ。一式戦Ki-43-IIaは一式戦Ki-43-Icよりはだいぶましで、しかも一式戦Ki-43-IIbよりも7ヶ月早く利用可能になる。


二式戦Ki-44-IIaの主翼に装備された12.7mm機関砲の命中率は悪くない。機種に装備された2丁の小口径機関銃の命中率はすばらしく、Ki-44-IIbのちっとも命中しない大口径機関砲よりずっとましだ。2丁の小口径機関銃と少し命中率が下がるだけの12.7mm機関銃の組み合わせを選択するか、それともちっちも命中しない機関砲と2丁の12.7mm機関銃だけの組み合わせを選択するかだ。私は小口径の機関銃でも敵機にダメージを与えられることを何度も体験しているから、前者の組み合わせの方を選びたい。たしか、SuluSeaさんが二式戦Ki-44-IIaとKi-44-IIbの違いをB-24相手にサンドボックスシナリオをつくって検証していた。予想通り、IIbよりIIaの方が良かった。もちろんKi-44-IIcが一番良かった。一式戦についてだが、一式戦Ki-43-IIaはKi-43-Icより優れている。シナリオ2をプレイしていて、一式戦Ki-43-IIaは1942年夏に利用可能になったが、二式戦Ki-44-IIaが利用可能になってから3ヶ月後のことだった。私は一式戦Ki-43-IcからIIaへの機種変更を待たず、二式戦Ki-44-IIaに変更した。一式戦Ki-43-IIaをとばしてIIbを待つかって?それはもったいない。Ki-43-IIaはいい飛行機だし、順番に生産配備すればいい。また、Ki-43-IIaをたくさん作りすぎちゃったとしても、ゆくゆくは特攻に利用できる。


SuluSeaさんの検証ではっきりしたが、四発爆撃機に対する任務ではKi-44-IIbはKi-44-IIaに劣る。一式戦Ki-43-Icが使いものにならなくなるのはとても速い。Ki-43-IIa以降の一式戦は250kg爆弾を2発搭載することができるので、大戦後期の特攻に利用できる。一式戦Ki-43-Icは爆弾を搭載できないので、自らを犠牲にしての護衛任務、CAPの攻撃を受け止める肉壁として使うしかない。


ここまでをまとめると、二式戦は一式戦に優るっていうこと?1943年以降の研究開発の対象とすべきなのは二式戦?これまでのところは一式戦に集中してきていて、ようやく一式戦Ki-43-IIaの生産がフルに稼働するようになったところだ。早くarmorを装備した一式戦を生産できるようにしたいと思っている。


その両方を追求しなさいというのが、私のアドバイスになる。1943年以降はもっと良い機種(紫電改、四式戦など)がある。しかし、二式戦のKi-44IIaからIIcは、連合軍の第二世代戦闘機の流れに棹さす大戦中期の有力な戦闘機としてはたらいてくれる。一式戦は護衛任務に最適の航続距離をもっている。護衛戦闘機には否応なく撃墜されてしまうという、厳しい野生の掟がある。しかしそのおかげで、一式戦の航続距離内では、攻撃隊を目標に滑り込ますことのできる可能性が期待できるわけだ。二式戦は航続距離が短いので、護衛任務には向いていない。あと、特攻についての生産も考えておいた方がいい。一式戦Ki-43-IIaからIIbは250kg爆弾2発搭載可能という点で、特攻にも使える機種だ。うまくつかえば連合軍が勝利を記すべきはずの一日を台無しにしてしまうことも可能な機種だ。


1944年7月の段階で生産、研究開発すべき機種。空母艦載機としては零戦52型丙(A6M5c Zero)、彗星33型(D4Y3 Judy)、流星(B7A Grace)を生産し、烈風(A7M Sam)と彗星43型(D4Y4 Judy)を研究開発するべきだ。彗星43型(D4Y4 Judy)は800kg爆弾を搭載できるので、大戦後期の重要な機種だ。海軍の陸上機としては、紫電(N1K1 George)、銀河11型(P1Y1 Francis)。研究開発すべき機種は紫電改(N1K2 George)と銀河16型(P1Y2 Francis)で、紫電改も銀河16型(P1Y2 Francis)もservice ratingが2に改善している。生産すべき陸軍の戦闘機は四式戦一型甲(Ki-84a Frank)、二式戦二型乙(Ki-44-IIc Tojo)、一式戦3型(Ki-43-III Oscar)で、爆撃機は百式重爆(Ki49-IIb Helen)、四式重爆(Ki-67(T) Peggy)。研究開発すべき機種はKi-83と四式戦一型乙(Ki-84b Frank)。


流星は彗星より優れている?流星は魚雷を搭載できるからいいのかな?


流星はとても速いし、魚雷かまたは250kg爆弾2発を搭載できる。航続距離も長いし、空母からも陸上基地からも運用できる。この時期につかえる海軍の爆撃機としては最高だ。日本の空母にまだ可能性が残っている1944年のうちに、烈風の生産を開始できるようにしておいた方がいい。1945年になると、たとえ浮かんでいたとしても空母は役に立たないから。彗星43型(D4Y4 Judy)も、陸上基地から発進する800kg爆弾搭載可能な単発爆撃機という意味で、生産開始を前倒しした方がいい。まあ、航続距離は短いけどね。大戦後期の戦闘機のなかでは、四式戦一型乙(Ki-84b Frank)が最優先されるべき機種だと思う。日本の戦闘機としては、速度と運動性と武装の組み合わせが最高だ。一式戦はどうかって?まあ、護衛任務と特攻用にはつかえる。特攻機としてはもっとも安く調達できるし、最高なんじゃないかな。また一式戦四型(Ki-43-IV)は機種に2門のHo-5 Cannonを装備している... どの型の零戦よりましだし、武装に関しては四式戦一型甲(Ki-84-Ia)よりもいいのかも。


終盤では、生産する機種を絞るといい。いずれにせよ四発爆撃機はやってくる。少数の機種に集中し工場を各地に分散させておけば、機体があってもエンジンがないなんていう目に遭わずに済むだろう。1945年になってからも12機種とそれにつかう6種類のエンジンを生産していたりすると、連合軍の戦略爆撃がずっと容易になってしまう。戦闘機2~3機種だけにしぼっておけば、やりくりは簡単だ。


私は二式戦と四式戦に絞るようにはしている。でも、機体とエンジンの生産ラインの変更には多額の費用がかかるので、実際のところ、他機種もいろいろ少数ずつ作ることになってしまう。一式戦三型乙(Ki-43-IIIa)は護衛と特攻につかえる。五式戦(Ki-100)は対していい機種ではないが、二式戦二型丙(Ki-44-IIc)を補完してくれる。二式複戦(Ki-45KAIa)唯一の戦闘爆撃機でarmorを装備している。戦闘爆撃機の部隊には他に選択肢がない。戦闘機の中で無視していいものがあるとすれば、三式戦(Ki-61)から五式戦(Ki-100)の系列だ。大戦末期の機種としてはKi-94を研究開発しているが、多大な努力にも関わらず、1945年より前に生産を開始することはできそうにない。

2013年2月18日月曜日

オーストラリア西岸のPort Hedlandを空挺部隊に奪われる

昭和18年3月9日、華南の桂林南東のヘクスでの陸戦敗北にも関わらず、前日は退却せずに踏みとどまっていた第60師団ですが、今日はオッズ比74対1の大敗を喫して東側のヘクスに逃げ込みました。昨日すなおに退却していてくれれば、死傷者1692名、破壊されたdevice 228、disabledになったdevice 31という大きな被害は避けられたのにと思うと残念です。

2日続けて空挺降下のあったビルマのバーモですが、今日もまたやって来る可能性があります。のこのこ飛んでくる輸送機を鴨にしてやろうと、ラシオに二式戦2個戦隊を派遣し、高度15000フィートでLRCAP 100%の設定にしてみました。まずこの網にかかったのは、ミートキーナ空襲に飛来した爆撃機です。7波に分かれて来襲したのですが、連携がうまくいかなかったのか、最初の2波は護衛戦闘機がついていませんでした。30機の二式戦(Ki-44-IIb Tojo)が攻撃して、Blenheim VD 20機とLiberator II 3機を落とすことができました。新たなエースも1名、誕生しました。

その後のAIR TRANSPORT PHASEでは、ダッカからの赤い航跡のラインと”Transports flying to Bhamo intercepted”というメッセージが何度も繰り返されました。オペレーショナルリポートを確認してみると、このメッセージが14行も並んでいました。さぞやたくさんの輸送機を撃墜できたんだろうと期待していたのですが、Trackerで確認するとAir lossになっている輸送機は一機もなく、C-47 Dakota 1機のOps lossが今日唯一の連合軍輸送機の損失でした。せっかくラシオに二式戦2個戦隊を送った苦心はなんだったのでしょう。これにはかなりがっかりです。

バーモでは3日連続の陸戦がありました。ダッカからの輸送機は兵員を乗せていたようで、今日もSchok attackでした。連合軍の攻撃に参加したのは371名で、素のAVが113だったの対して日本側は79。しかし、日本側の増援の空輸が今日も特に妨害されなかったのに対して、連合軍空挺部隊は空輸してくれた輸送機が迎撃されて恐怖を味わったマイナス修正でもついたのでしょうか、修正AVは0対163と大差になっていました。これで当座はバーモを維持することができそうです。しかし、この結果を見て、いずれはラシオ東の中国軍や、ミートキーナへ向かっている英豪軍がやって来るのでしょうから、あと一ヶ月くらいの運命でしょうか。

今日はさらに、オーストラリア西岸中部のPort Hedlandにも空挺部隊の効果がありました。Port Hedlandは、オーストラリア西岸南部の連合軍の重要拠点パース港を二式大艇で偵察するために確保したものでした。しかし数ヶ月前から連日、15機程度のB-25の爆撃を受けていて、だいぶ前に二式大艇と整備中隊は撤収させました。その後も舞鶴第3特別陸戦隊が頑張っていましたが、爆撃ですり減らされるのはもったいないと考え、2月8日から輸送機によるダーウィンへの撤収を開始しました。Port Hedlandからダーウィンまでは距離21ヘクスもあるので、大艇でないと航続距離が足りません。大艇は他にも仕事がたくさんあるので、この地味な任務につけたのは、九七大艇輸送機型 6機と二式大艇2機の合計8機。しかも長い距離を飛ぶので、機材のOps lossなどがないように50% Restの設定でPick Up Troopsを指示しました。あれから一ヶ月、あと数日で撤収完了という時点で連合軍の空挺効果があったわけです。攻める連合軍の1st Australian Para Bn /1は総勢259名で素のAVが22。それに対して、守る舞鶴第3特別陸戦隊は18名で、しかもsupport deviceしか残っていないので、素のAVが1。fort levelは3ありましたが、修正AV 10対1で一蹴されてしまいました。

守備側の人数が18名しかいなかったことについて、お相手の方は、数ヶ月にわたって爆撃を継続することでこんなに減らすことができたと喜んでいるのではないかと思います。でも本当は、ご覧の通り部隊の大部分である1351名がダーウィンに戻り、元気に暮らしているのでした。Port Headlandで破れた本隊Maizuru 3rd SNLFと、ダーウィンに撤収した支隊Maizuru 3rd SNLF/1との関係ですが、規模にこんなに大きな差がつくとどこかの時点で本隊支隊関係が逆転する仕様になっていなかったでしたっけ?規模の大きい方が支隊のままでいると困るのは、補充Replacementの設定ができない点です。設定ができないってことは、支隊にはdeviceが補充されないってことだと思うんですよね。かといって、本隊の方はサプライのたくさんある根拠地(このあたりだと具体的にはダーウィン)から離れすぎているので、やはり失ったdeviceの補充がされないのです。このままではまずい。もしかすると海岸のヘクスなら大艇でpick up troopsで撤収できるかもしれないので、この敗北した本隊の36名(戦闘に参加できなかったdisabledのdeviceの分も合計されるので、18名より多い)には、海岸にむかって歩いてもらうことにしました。

2013年2月17日日曜日

華南でまたも大敗


昭和18年3月8日、3月2日に敗退した桂林の南西のヘクスに大規模な空襲がありました。まず、戦闘機13機(P-43A-1 Lancer 9, P-38F Lightning 4)がsweepし、その後にLRCAPのP-38に護衛された爆撃機156機(B-17E Fortress 18, B-24D Liberator 33, B-24D1 Liberator 36, B-25C Mitchell 55, B-25D1 Mitchell 14)が日本側の地上部隊を爆撃しました。deviceひとつが破壊され、27個がdisabledにされてしまいました。森林ヘクスなのでdevice自体への被害はこんなものでしょうが、disruptionが上昇してしまうのが、この後の陸戦を考えると痛いところです。この空襲では、B-25は高度3000フィートから四発爆撃機は7000フィートから爆弾を投下していました。高度の低かったB-25を対空砲が3機撃墜しただけでなく、7000フィートのB-24も1機撃墜していました。ここには歩兵師団3個と戦車師団1個、捜索聯隊1個・中隊2個がいたので、いくら対空砲の貧弱な日本側相手でも、低い高度からの爆撃だと少しは撃墜されてしまうわけですね。

その後に中国軍からdeliberate attackをしかけられました。このヘクスの中国軍部隊は後方部隊もあわせると63万名以上の大軍だと報告されています。素のAVは12422対1761。森林の地形ボーナスが加味されましたが、サプライ不足のマイナス修正も入って、修正AVは5819対2263。オッズ比2対1で敗北です。日本側は885 deviceを破壊され887deviceがdisabledにされ、また中国軍の被害は123deviceの破壊と2262deviceがdisabeldになったそうです。敗北した部隊は東側のヘクスに撤退しましたが、第60師団だけは撤退せず残ってしまいました。大軍相手だから殿軍がひつようなのか、それとも撤退に失敗したということなのでしょうか。おそらく明日も攻撃があって、ぼろぼろにされてしまうでしょう。

敗退したヘクスには、週に1回しかサプライが届かず、常にサプライ不足の状況でした。森林ヘクスでもサプライ不足だとだめですね。時間を掛けて兵力を養った中国の大軍を相手にすると、森林ボーナスくらいでは追いつきません。このまま華南は席巻されてしまいそうです。それと、今のところは航続距離の長いB-25や四発爆撃機、護衛のP-38を連合軍は重慶・成都に常駐させているわけではありません。しかしこういった機種の数が増えて中国に常駐するようになると、艦船攻撃のリスクが無視できず、香港に日本の艦船を寄港させることができなくなりそうな気がします。現在は、シンガポールから香港に海上輸送したリソース、原油、重油が、香港から上海へ陸上輸送され、また上海から福岡へ海上輸送しています。少しでも海上輸送の距離が短い方が、潜水艦の危険も重油の消費も少なくて済むだろうと思ってこうしているわけですが、早晩この方法がつかえなくなりそうです。

前日3月7日、ミートキーナとラシオの中間にあるビルマ東部のバーモに、連合軍の111th Chindit Bdeと50th Indian Para Bdeによる空挺作戦がありました。バーモの守備隊は海軍陸戦隊の独立中隊一個と建設ユニット一個だけだったので、素のAV 47対17、修正AV 50対25、オッズ比2対1と劣勢で、fort levelが2だったのでなんとか防衛に成功しました。しかしこの攻撃でfort levelは2から0まで減少してしまった(とはいってもバーモはdot baseなので一日で1まで回復)し、deviceの損害数も日本側の方が多かったので、そのまま推移すれば今日3月8日の再度の攻撃で陥落必至の状況でした。

バーモには、2月26日にKathaで敗退した部隊が向かっていますが、なにしろジャングルの道無き道を行軍していますから、早くてもあと5日くらいはかかりそうです。また鉄道が通じていないので戦略輸送で増援を移動させることもできないし、飛行場がないdot baseなのでふつうの部隊を輸送機で増援することもできません。仕方が無いので、空挺部隊を移動させることにしました。連合軍の反攻が始まってからは空挺部隊をつかうこともなく、東南アジアでは1st Raiding Regimentがラングーンで、Yokosuka 3rd SNLFがベトナム北部のハイフォンで、それぞれ髀肉の嘆をかこっていました。早速近場にいた輸送機をラングーンとハイフォンに集め、今日は合計で85機がバーモにこの二つの部隊を空挺降下させました。

連合軍側も前日に引き続き部隊を空挺降下させ、兵員数が742名から1675名に増えていました。しかし、日本側も1159名から1919名へと増えています。前日の日本側の1159名のうちの大部分が後方要員だったのに比較すると、増分の760名は全員が新手の空挺部隊員ですからかなりの戦力増強です。連合軍の空挺降下にともなって今日もshock attackがありましたが、素のAVで 86対71。地形ボーナスとshock attackが加味されて、修正AVは32対73。オッズ比1対2と有利に戦うことができ、兵員への被害もだいぶ連合軍側が上回っていました。

連合軍側も、まさか日本側が増援部隊を空挺降下させるとまでは予想していなかったと思います。今日の結果を見て、あしたどう出てくるのか。あと数日もちこたえれば、Kathaからの部隊が到着します。いくら敗残でぼろぼろの部隊とはいえ、空挺部隊とは規模が違いますから、小癪なチンディット部隊を一蹴できるはずです。相手の支配するヘクスに空挺降下した部隊は、ヘクスサイドを一つも確保していないので、陸戦に敗退して撤退の判定が下されると撤退先がなく、消滅する運命です。連合軍にもそれほど多数の空挺部隊があるわけではないでしょうから、一つでもつぶすことができればうれしいかぎり。でも、そうはさせないための策を何か、例えばバーモに連日の爆撃を加えるとか、してくるのかな。

2013年2月14日木曜日

ビルマ北部のShwebo失陥


昭和18年3月5日、トラックからラバウルにサプライを輸送するコンボイが、カビエンの東でSS Scampに襲撃され、xAK Giyu Maru(VP 4, tonnage 2375)がサプライともども沈んでしまいました。またバタビアからシンガポールに移動する途中のCMc Ninoshima(VP 2, tonnage 405)がSS Pickerelの浮上しての襲撃により沈没しました。2月24日にも独航するCMcが潜水艦の浮上しての襲撃を受けたことを書きましたが、つい10日前のことなのにCMcに護衛をつけるべきなのを忘れてしまっていました。

2月26日にビルマ北部のKathaを占領した英豪軍はその後も南下を続け、イラワジ川をはさんでマンダレーの対岸にあるShweboに到達していました。前日3月4日には日本側の兵力を探るためと思われるbombardment attackがありましたが、守る日本側の第8戦車連隊と第89海軍防備隊に対して、歩兵師団一個、戦車旅団2個、歩兵旅団2個などの大軍で兵力差は明らか。今日5日の再度の陸戦でShwebo陥落はやむを得ない思っていました。

しかし連合軍は地上軍の大きな戦力差に安心せず、陸戦の前に日本側の守備部隊に対して、28機の戦闘機(Hurricane IIc Trop 16, Martlet II 12)の護衛で167機の爆撃機(Blenheim IV 10, Blenheim VD 32, Vengeance I 41, Liberator II 12, Wellington Ic 11, B-24D Liberator 12, B-25C Mitchell 59)による空襲を実施してきました。この空襲は少し意外でした。というのも今日は爆撃の前のsweepがなかったからです。

実は前日の3月4日、アキャブの東隣のヘクスに連合軍の空襲があり、二式戦が迎撃しました。少数機の空襲のためか捕捉・撃墜はできませんでしたが、地上部隊の被害もありませんでした。それはそれでささいなエピソードなわけですが、この空襲の真の目的は地上の部隊に損害を与えることではないのだろうと、感じました。というのも、日本側がビルマ中部のマグエとメイクテーラにそれなりの数の戦闘機を配備し、CAPを指示していることは連合軍も重々承知のはずです。なので、そのCAPがどのくらいの範囲にまで及んでいるかを知るために、少数機の空襲をこのアキャブ東のヘクスに実施したんだろうと理解しました。マグエから3ヘクスでもCAPは反応したわけですから、同じくマグエから3ヘクスのShweboにもCAPがいることが当然予期できます。それなら先にsweepさせておこうとするのが定跡なわけで、それなのにsweepが来なかったことを不思議に感じたわけです。もしかすると天候のせいだったのかもしれません。

多少の戦闘機が護衛についていてもsweepなしでやってくる爆撃機は与し易いもの。迎撃したのは二式戦二型甲(Ki-44-IIa Tojo) 19機、二式戦二型乙(Ki-44-IIb Tojo) 11機、二式複戦(Ki-45 KAIa Nick) 4機の合計34機と比較的少数でしたが、合計で48機(Vengeance I 22, Blenheim IV 9, Blenheim VD 6, Wellington Ic 4, Martlet II 3, Hurricane IIc Trop 2, Liberator II 1)の損失を連合軍に与えることができました。日本側の被害は5機で、エースが5人誕生しました。
WO Higashiyama N. of 1st Sentai attains ace status!!
WO Genwa E. of 1st Sentai attains ace status!!
2LT Fuchida T. of 1st Sentai attains ace status!!
WO Miyauchi N. of 24th Sentai attains ace status!!
WO Masuzawa, M. of 1st Sentai attains ace status!!
でも、これで満足したかというと、微妙なところ。連合軍の空襲は、少なくとも3カ所の飛行場から発進していて、10波におよぶものでした。本当に撃墜したい高価値目標である四発爆撃機は遠くの飛行場から発進しているので10波の中の終わりの方にやってくるのですが、迎撃戦闘機は燃料切れやら弾丸切れやらで、それまでには全機帰還してしまっているのです。以前のエントリーでもこの現象については触れましたが、見ていてがっかりです。しかも、迎撃機のいなくなってからは連合軍爆撃機も本領を発揮して、8つのdeviceが破壊され、59のdeviceがdisabledにされてしまいました。おそらく、disruption値もかなり上がったことでしょう。 

空戦フェーズではもう一つがっかりしたことがあります。日本側からもShweboの英豪軍地上部隊に対して空襲を計画していました。メイクテーラの南東隣りのTaung Gyiに百式重爆3個戦隊と護衛の二式複戦3個戦隊とを配備し、Shweboの地上部隊爆撃を指示してありましたが、なぜか飛んでくれませんでした。連合軍のCAPはいないし、飛んでくれれば多少は損害を与えることができただろうと思うと、残念です。

陸戦フェーズでは、この状態で英豪軍にdeliberate attackをしかけられました。素のAVは885対115でしたが、disruptionやfatigueやexperienceにマイナス修正がついて、修正AVは886対2、オッズ比443対1で敗北してしまいました。破れた部隊はマンダレーに撤退しました。今日失ったShweboまでは仕方がないかなと思っていますが、マンダレーとマンダレーからラシオに続く鉄道線はなんとか確保したいところです。

2013年2月13日水曜日

昭和18年2月の成績


昭和18年2月はビルマ東部と北部への連合軍の侵入を許し、散々な月でした。陸戦の状況についてはそれらを扱ったエントリーで見ていただくとして、この記事では統計的なデータを紹介します。まず今月の沈没艦ですが、日本側は爆雷で沈んだ伊17潜を除くとその他はすべて潜水艦による被害で、合計14隻にもなりました。東シナ海や台湾海峡といった内懐にまで入り込まれてしまった点も問題ですが、今月はタンカーを3隻(うち1隻は大型タンカー)を失ってしまいました。まだ南方からの資源還送に支障を来すほどではありませんが、先月も潜水艦に13隻沈められているので先が思いやられます。

連合軍側の沈没艦リストの中で確実なのはインド洋で伊29潜が撃沈したxAK West Cawthonのみで、潜水艦はどれも未確認戦果です。SS PorpoiseとSS Sharkの2隻は、沈没地点が爆雷攻撃を受けたヘクスから遠い(つまりダメージを受けて帰還途中)ことと、TrackerでSunk DeviceがScuttledとなっているので、本当に沈んだ可能性が高いのではないかと思います。また、SS SpearfishとSS KXIIIの2隻はともに百式重爆の250kg爆弾による戦果です。沈没に至ったかどうかは不明ですが、航空機のASWにより潜水艦にダメージを与えることができれば、遠い母港まで修理のために帰還しなければならないでしょうから、それだけでも有り難いことです。

それと面白いのがDD MugfordとDD Ralph Talbotの2隻。この2隻の沈没報告の日付はともに2月27日で、沈没地点も同じヘクスで、しかもSunk DeviceはともにCollisionとなっていました。どうやらこの2隻は衝突して沈没したようです。昭和18年2月2日、この2隻のうちのDD Ralph Talbotが護衛しているコンボイにパールハーバーの北東はるか沖で伊7潜が遭遇し、DD Ralph Talbotに爆雷攻撃を受けたエピソードがあります。伊7潜は護衛艦艇に先に発見され、コンボイの全貌を目撃することはできませんでしたが、xAP George H. WilliamsなどxAPが含まれていたので、兵員を輸送する大きなコンボイで、きっとDD Mugfordも護衛任務に従事していたのでしょう。そして、この遭遇後にコンボイはパールハーバーに行き、乗せてきた兵員を降ろし、そして西海岸に戻る途中で大船団特有の連携の難しさから衝突事故を起こして2隻が沈没したのかなと想像します。

今月の飛行機の損失数は両サイドとも400機台でした。日本側と連合軍側の飛行機損失数がこれほど接近するのは、ここ数ヶ月にはなかったことです。その原因のひとつは、連合軍の四発爆撃機部隊が主にビルマへの地上軍の侵攻を支援するための活動に従事していたことにあると思います。昼間の地上への爆撃が多い分、夜間空襲に出撃する頻度が減り、その結果、夜間空襲の迎撃で撃墜される日本の戦闘機の数が少なくて済んだからかなと思うのです。あと、連合軍の損失機数が400機以上と多かった(1月は217機)こともあると思います。連合軍のリストの上の方には戦闘機の名前が並んでいて、地上軍支援のための昼間の空襲が護衛する戦闘機にとっては負担だったのでしょう。

そのおかげで、パイロットの死傷者数も今月はそれほど多くなくて済みました。

2013年2月11日月曜日

桂林から追い出される


昭和18年2月28日に桂林の地上部隊が爆撃を受けたことは前回触れました。3月1日にもやはり桂林の部隊は爆撃を受け、しかも中国軍によるBombardment Attackを受けました。この砲撃では中国側の方により多くの被害が出たのですが、砲撃の目的は日本側に損害を与えることではなく、日本側の兵力数を知るためのものだったろうと思います。コンバットリポートに示された両軍の素のAVは、日本側970に対して中国軍8377。この9倍近い圧倒的な数の違いをみて、次はdeliberate attackが来るだろうと予想しました。

昭和18年3月2日、少しでも地上戦の助けになればということで、広東の爆撃機で桂林の中国軍部隊に空襲を行うことにしました。ただし、桂林への日本側の空襲は連合軍側も予期しているでしょうから、香港の零戦(A6M8 Zero) 35機と広東の二式戦(Ki-44-IIb Tojo) 30機にsweepを指示してみました。今日のsweepは二式戦も、桂林へは広東より遠い香港からの零戦も爆撃機部隊より先に桂林に到着してくれました。広東上空には予想通りP-38G Lightning 21機がLRCAPしていました。難敵P-38ですが、sweep>CAPの関係と数的優勢とを活かすことができ、損失機数は日本側6機に対しP-38Gは10機となり、一時的に桂林上空からはCAPを無くすことに成功しました。その後、44機の二式戦の護衛で94機の九七重爆が飛来し、中国軍部隊のdevice 48をdisabledにすることができました。

なかなかうまくいってるかなと思ったのですが、これで幸せな結末を迎えることができたわけではありません。引き続き、連合軍の爆撃機 120機(B-17E Fortress 12, B-24D Liberator 27, B-24D1 Liberator 33, B-25C Mitchell 48)が飛来し、地上の日本部隊はdevice 21が破壊され、114がdisabledになるという大きな被害を喫しました。九七重爆が250kg爆弾を4発搭載するのに対し、B-17は500ポンド爆弾を8個、B-24は10個搭載できるあたりがこの差につながっているんでしょうね。

続いて陸戦。素のAVが9306対961で、日本側には地形ボーナスがついたかわりに、爆撃によるdisruptionとサプライ不足のマイナス修正がついて、修正AV 2503対453、オッズ比5対1で桂林から駆逐されてしまいました。敗北した部隊は桂林の南東側に撤退しました。桂林のヘクスだけでなく、桂林の南西側のヘクスにもサプライを充分に補給できません。次は桂林の南西側のヘクスの部隊が危ないし、南寧から仏印に向かわれても困りそうです。

2013年2月9日土曜日

中国に英米空軍の爆撃機が登場


昭和18年2月28日、桂林で中国軍と対峙している地上部隊に、44機のP-38G Lightningに護衛された英米の爆撃機129機(B-17E Fortress 19, B-24D Liberator 33, B-24D1 Liberator 33, B-25C Mitchell 44)による5波の空襲がありました。device1つが破壊され、70がdisabledにされました。爆撃機は重慶と、おそらく成都から飛来したようです。中国国内で英米の爆撃機による本格的な空襲を受けたことは初めてで被害の大きさもさることながら、本当の問題点は中国にまで英米空軍の爆撃機が進出してきたことです。

ふつう、中国国内ではサプライが不足するので、爆撃機の運用はしにくいことになっています。しかし、こうやって大挙してやってきたということは、サプライの供給に目処が立っているということなのだと思います。これは両軍のこれまでの損失機数の表です。両軍通じて戦闘機の損失機数が多いこと、連合軍に比較して脆弱な日本の水平爆撃機が3機もランクインしていることなどは、当たり前ですが、注目なのは連合軍の2番目にリストされているのが、C-47 Skytrainという輸送機である点です。

昭和18年前半までに継続して配備される連合軍の輸送機はこの11機種。数的にC-47 Skytrainが主力となるわけですが、この9ヶ月に増備された数は256機程度と思われます。これとは別に、増援に登場する飛行隊が装備している機体もあるので総数はもっと多く、合計で何機になるのかは分かりませんが、350機も失っているということは、かなり積極的にインドから中国へとヒマラヤ(hump)越えのサプライ空輸を実施しているに違いありません。今後、さらに利用できる輸送機の数が増えると、ビルマからマレー半島や蘭印を攻略するコースを選択せず、中国から日本本土を窺うことが可能になってしまうのではと心配になってきます。こうなってみると、ビルマ北部からもっと積極的にレドなどインド国内の飛行場を叩くべきだったことや、中国でもっと陸戦をもっとうまく戦っておくべきだったことなどが悔やまれます。どうも私には、積極的に戦火・戦果を拡大するより現状維持に甘んじてしまう退嬰的なところがあるので、最高指揮官としては失格ですね。

2013年2月6日水曜日

ビルマ北部のKatha失陥


昭和18年2月26日、トラックでサプライを揚陸し終え、横須賀に向かって出港したコンボイが、トラックの北東隣のヘクスでSS KXIVに襲撃され、xAK Yamahuzi Maru(VP 10, tonnage 4875)が沈没しました。不発率の低いオランダ潜の魚雷ですが、最初に表示されたのが不発だったので助かるかと思いました。しかし、もう一本命中してしっかり沈められてしまいました。潜水艦の夜間の襲撃にはお手上げです。

昨日は連合軍地上部隊も一日休養をとったビルマ北部のKathaですが、今日はしっかり決められました。まずは、爆撃機249機(Blenheim IV 11, Blenheim VD 28, Hudson IIIa 12, Liberator II 11, Vengeance I 38, Wellington Ic 10, B-17E Fortress 18, B-24D Liberator 42, B-24D1 Liberator 23, B-25C Mitchell 56)による空襲がありました。前日より24機ほど減っていますが、それでも多数の爆撃機です。連合軍はこれら爆撃機を護衛するため、今日はKatha上空でおよそ150機ほどの戦闘機(Martlet II, Spitfire Vc Trop, P-38G Lightning, P-40K Warhawk)がLRCAPを実施していました。LRCAP機は飛来する爆撃機と一体となるので、日本側の迎撃があっても安心という仕組みです。

前日、激戦を繰り広げた二式戦の戦隊は、勝利のおかげでどの戦隊もmorale値は99と高いものの、fatigue値が30台後半と疲れきっていて、今日は休養させざるを得ませんでした。このKatha上空の空戦がもう一日続くようなら、連合軍のLRCAPに対してsweepさせてみたいところです。しかし肝心の地上での戦いの方は素のAV 3111対244。ジャングルによる地形ボーナスはあっても、爆撃によるdisruptionとサプライ不足によるマイナス修正もついて、修正AV 1011対75、オッズ比13対1であっさり負けてしまいました。連合軍側には前々日までの部隊に加えて、新手の3個師団(14th Indian Division, 7th Australian Division, 2nd British Division)が攻撃に加わり、合計で7個師団強にまで増強されていたので、この敗北はやむを得ないところでしょう。

Katha失陥と連合軍地上兵力数とを考えると、ビルマ最北部のミートキーナの維持は困難です。敗北した部隊はKathaの東側のヘクスに撤退しましたが、とりあえずミートキーナではなく、バーモの方に移動させることにしました。連合軍はまずミートキーナを落としてから、南下して来るんじゃないでしょうか。

2013年2月4日月曜日

Katha上空の待ち伏せ


昭和18年2月25日、ビルマ北部のKathaに侵入してきている連合軍地上部隊は、2月23・24日と2日続けて行った攻撃で疲れているようで、今日は陸戦がなくお休みでした。しかしKathaの上空では激しい空戦が繰り広げられました。

連合軍空軍はKathaでの陸戦を支援するための空襲を続けてきましたが、これまではやりたい放題にやらせていました。しかし、Moonlightが60%台と暗くなり始めたことで夜間空襲の季節が終わり、これまで夜間のCAPにあてていた戦闘機の必要がなくなって少し余裕ができたので、待ち伏せしてみることにしました。Katha空襲の先駆けとしてsweepに来ていた戦闘機がP-38だったら、待ち伏せを実施する気持ちになれたかどうか自分でも分かりませんが、ここ数日のsweeperはP-40だったので、決行してみました。

Kathaはdot base、つまり飛行場がありません。近いところでは、Kathaから距離3ヘクスのビルマ東部のラシオに規模4の飛行場があります。しかしこラシオ自体に充分な数のCAPを上げる余裕がないので、万が一、連合軍がラシオに飛行場爆撃を仕掛けてきたときのことを考えると、ここにたくさんの飛行機を集める気にはなりません。そこで、距離5ヘクスのマンダレーに二式戦装備の戦隊を4つ集めてKatha上空3万フィートのLRCAP 100%を指示しました。4戦隊合計で150機ほどになりますが、遠いのでこの日の午前中にKatha上空でLRCAPしていたのは二式戦73機でした。予想通り今日も連合軍はやってきました。

最初は、P-40K Warhawk 50機が2波に分かれて高度 3万フィートでsweep。このP-40K Warhawkを18機を撃墜し、4機をOps lossにしましたが、二式戦も合計で17機が撃墜され3機がOps lossになったので、ほぼ互角。sweeper相手としてはまあまあののスコアでした。パイロットは7名がKIA、4名がWIAになりましたが、その後の爆撃機との戦いもあわせて新たなエースが3名誕生しました。
WO Bunkichi N. of 64th Sentai attains ace status!!
LTC Miyabe G. of 24th Sentai attains ace status!!
2LT Ishimori O. of 1st Sentai attains ace status!!
そのあと、11機のMartlet IIの護衛で131機の爆撃機(Blenheim IV 17, Blenheim VD 32, Liberator II 5, Wellington Ic 17, Vengeance I 44, B-25C Mitchell 16)が5波に分かれて来襲しました。二式戦はこのうち26機を撃墜しましたが、それで全機が燃料切れ弾切れになり帰還したようです。二式戦がいなくなったKathaには、さらに13機のP-38F Lightningの護衛で爆撃機142機(Hudson IIIa 12, Liberator II 6, B-17E Fortress 19, B-24D Liberator 45, B-24D Liberator 12, B-25C Mitchell 48)が7波に分かれて侵入。地上部隊にはdisruption値の増加(または低下の妨害)以外の被害はありませんでしたが、CAPがいなくなったので、B-25C Mitchell 1機に対空砲火による被害があったのみでした。

今日のKathaでの空戦のスコアを見ると、日本側の喪失機数合計20機に対して連合軍機は44機ですから、まあまあの勝利なのですが、あまりうれしくは感じません。というのも、撃墜したいのはP-38や四発爆撃機で、P-40や双発爆撃機をいくら落としてもうれしくないのです。連合軍の空襲は、sweeperが最初に来て、インパールやディマプールといった近場の飛行場から飛来する双発爆撃機がそれに続き、遠方のカルカッタからやってくる四発爆撃機が最後をしめくくるといった整然としたものでした。これだと、たとえ待ち伏せにあっても被害を局限できるわけで、こういった連係のとれた攻撃のできる連合軍空軍がうらやましい。

2013年2月3日日曜日

レーダーを装備していない機種も夜間のASW任務が可能


昭和18年2月24日、トラックからラバウルへサプライを輸送するコンボイが、ラバウルの北西隣のヘクスでSS Wahooに襲撃され、xAK Horai Maru(VP 4, tonnage2375)が沈没しました。以前、Silent Victoryという太平洋でのアメリカの潜水艦作戦を扱った本を読んだことがありますが、SS Wahooは史実でも1943年1月にニューギニア北で日本の陸軍部隊を運ぶ輸送船を撃沈しています。特筆すべきなのは、撃沈後に浮上して海面に漂う生存者や救命ボートを砲撃して殺害したことです。艦長はこのことをパトロールの報告書に記載して提出しましたが特にお咎めはなく、他の戦果ともあわせて勲章を授与されました。ただし同書によると、こういった生存者の殺害を殺人だとみなす艦長も少なからずいて、同様の行為をあえて行う艦長はほとんどいなかったのだそうです。今日沈没したxAK Horai Maruは兵員輸送船ではありませんから、こういった惨劇はなかったと信じたいところです。

その後、スラバヤの北東隣のヘクスでCMc Enoshima(VP 2, tonnage 405)がSS Pollackに撃沈されました。敷設特務艇江之島は僚艦の敷設特務艇戸島とともに、バリクパパンの南西に防御機雷を敷設してスラバヤに帰還するところでした。この攻撃で驚いたことは、SS Pollackが浮上して江之島を砲撃・雷撃したことです。Shell hits 4, Torpedo hits 1,  heavy fires,  heavy damage
 独航する商船に対して潜水艦が浮上砲戦を挑むシーンは何度も見ていますが、CMcも商船と同じ扱いを受けるんですね。そういう仕様なのだとすると、CMcのTFにはPBやSCを護衛につけないといけないし、商船の護衛にCMcをつけるのは意味ないのかも知れません。

この2隻とも潜水艦の夜間の襲撃で沈没しました。潜水艦による被害は昼間より夜間の方が圧倒的に多くなっています。これに鑑み、しばらく前(10日くらいだったか、よく憶えていません)から試験的にシンガポール所在の零式水偵の部隊に夜間のASWを指示してありました。その一機が”E13A1 Jake reports periscope at 52, 82 near Mersing”と、はじめて潜水艦の発見を報告してくれました。この部隊のパイロットのASWスキルはいずれも70以上で、高度2000フィートでの飛行でした。昨夜はMoonlight 75%でしたが、潜望鏡深度の潜水艦でも、潜望鏡の白く光る航跡で発見できたんでしょうか。これから月がだんだんと暗くなっていく時期ですので、もっと暗くても発見できるのかどうか、夜間ASW任務を続けさせてみたいと思います。これまで私は夜間の海上哨戒やASW任務はレーダーを装備した機種でないと指示しても意味がないものと思っていて、試したことがありませんでしたが、今後は被害の多そうな場所では昼間だけでなく夜間もASW機を飛ばさないといけないようです。

いま戦局の焦点はビルマで、北部のミートキーナへと続く鉄道線上の根拠地Kathaで空襲と陸戦がありました。空襲の方は、まず50機のP-40K Warhawkのsweepがあり、その後に戦闘機25機(Martlet II 11, P-38F Lightning 14)の護衛で、259機の爆撃機(Blenheim IV 7, Blenheim VD 36, Hudson IIIa 12, Vengeance I 44, Wellington Ic 17, Liberator II 11, B-17E Fortress 19, B-24D Liberator 35, B-24D1 Liberator 24, B-25C Mitchell 64)の地上部隊爆撃がありました。機種をみると分かるように、ビルマ戦線でも英軍機より米軍機の方が多く、アメリカも太平洋正面ではなく、当面はこちらに注力しています。地上部隊の被害は14 deviceがdisabledになっただけですから、きっとdisruptionもかなり高くなったことでしょう。

空襲の後は5個師団強によるdeliberate attackです。日本側は歩兵第55聯隊と敗残の第20師団が主力で、素のAVは1948対356で圧倒的に不利ですが、地形や陣地の修正があり、修正AVは293対371と日本側が有利な数。オッズ比1対2ですからなんとか防衛に成功しました。しかし、前日23日のdeliberate attackで3から2に低下させられていたfortificationが、今日の攻撃でさらに2から1にされてしまいました。連合軍側もサプライ不足と表示されていますから苦しいようです。明日も続けて、つまり3日続けて攻撃してくるのかどうかは分かりませんが、数日休息をとられれば、陥落はやむを得ないところのようです。

それにしても悔やまれるのは、2月18日の敗戦です。ビルマ北部Katha西の陸戦で敗北で書いたように、いまKathaにいる第20師団はここで敗北した部隊で、TOEの39/82とかなり戦力の低下した部隊です。わざわざ戦力を削られに出て行くようなことをしなければ、もっと頑張れたのにと反省しています。かなり高い代償を支払いましたが、とにかく地形が有利なfortificationのあるヘクスで防御しなければならないという教訓を学びました。