昭和18年2月はビルマ東部と北部への連合軍の侵入を許し、散々な月でした。陸戦の状況についてはそれらを扱ったエントリーで見ていただくとして、この記事では統計的なデータを紹介します。まず今月の沈没艦ですが、日本側は爆雷で沈んだ伊17潜を除くとその他はすべて潜水艦による被害で、合計14隻にもなりました。東シナ海や台湾海峡といった内懐にまで入り込まれてしまった点も問題ですが、今月はタンカーを3隻(うち1隻は大型タンカー)を失ってしまいました。まだ南方からの資源還送に支障を来すほどではありませんが、先月も潜水艦に13隻沈められているので先が思いやられます。
連合軍側の沈没艦リストの中で確実なのはインド洋で伊29潜が撃沈したxAK West Cawthonのみで、潜水艦はどれも未確認戦果です。SS PorpoiseとSS Sharkの2隻は、沈没地点が爆雷攻撃を受けたヘクスから遠い(つまりダメージを受けて帰還途中)ことと、TrackerでSunk DeviceがScuttledとなっているので、本当に沈んだ可能性が高いのではないかと思います。また、SS SpearfishとSS KXIIIの2隻はともに百式重爆の250kg爆弾による戦果です。沈没に至ったかどうかは不明ですが、航空機のASWにより潜水艦にダメージを与えることができれば、遠い母港まで修理のために帰還しなければならないでしょうから、それだけでも有り難いことです。
それと面白いのがDD MugfordとDD Ralph Talbotの2隻。この2隻の沈没報告の日付はともに2月27日で、沈没地点も同じヘクスで、しかもSunk DeviceはともにCollisionとなっていました。どうやらこの2隻は衝突して沈没したようです。昭和18年2月2日、この2隻のうちのDD Ralph Talbotが護衛しているコンボイにパールハーバーの北東はるか沖で伊7潜が遭遇し、DD Ralph Talbotに爆雷攻撃を受けたエピソードがあります。伊7潜は護衛艦艇に先に発見され、コンボイの全貌を目撃することはできませんでしたが、xAP George H. WilliamsなどxAPが含まれていたので、兵員を輸送する大きなコンボイで、きっとDD Mugfordも護衛任務に従事していたのでしょう。そして、この遭遇後にコンボイはパールハーバーに行き、乗せてきた兵員を降ろし、そして西海岸に戻る途中で大船団特有の連携の難しさから衝突事故を起こして2隻が沈没したのかなと想像します。
今月の飛行機の損失数は両サイドとも400機台でした。日本側と連合軍側の飛行機損失数がこれほど接近するのは、ここ数ヶ月にはなかったことです。その原因のひとつは、連合軍の四発爆撃機部隊が主にビルマへの地上軍の侵攻を支援するための活動に従事していたことにあると思います。昼間の地上への爆撃が多い分、夜間空襲に出撃する頻度が減り、その結果、夜間空襲の迎撃で撃墜される日本の戦闘機の数が少なくて済んだからかなと思うのです。あと、連合軍の損失機数が400機以上と多かった(1月は217機)こともあると思います。連合軍のリストの上の方には戦闘機の名前が並んでいて、地上軍支援のための昼間の空襲が護衛する戦闘機にとっては負担だったのでしょう。
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