昭和18年2月28日に桂林の地上部隊が爆撃を受けたことは前回触れました。3月1日にもやはり桂林の部隊は爆撃を受け、しかも中国軍によるBombardment Attackを受けました。この砲撃では中国側の方により多くの被害が出たのですが、砲撃の目的は日本側に損害を与えることではなく、日本側の兵力数を知るためのものだったろうと思います。コンバットリポートに示された両軍の素のAVは、日本側970に対して中国軍8377。この9倍近い圧倒的な数の違いをみて、次はdeliberate attackが来るだろうと予想しました。
昭和18年3月2日、少しでも地上戦の助けになればということで、広東の爆撃機で桂林の中国軍部隊に空襲を行うことにしました。ただし、桂林への日本側の空襲は連合軍側も予期しているでしょうから、香港の零戦(A6M8 Zero) 35機と広東の二式戦(Ki-44-IIb Tojo) 30機にsweepを指示してみました。今日のsweepは二式戦も、桂林へは広東より遠い香港からの零戦も爆撃機部隊より先に桂林に到着してくれました。広東上空には予想通りP-38G Lightning 21機がLRCAPしていました。難敵P-38ですが、sweep>CAPの関係と数的優勢とを活かすことができ、損失機数は日本側6機に対しP-38Gは10機となり、一時的に桂林上空からはCAPを無くすことに成功しました。その後、44機の二式戦の護衛で94機の九七重爆が飛来し、中国軍部隊のdevice 48をdisabledにすることができました。
なかなかうまくいってるかなと思ったのですが、これで幸せな結末を迎えることができたわけではありません。引き続き、連合軍の爆撃機 120機(B-17E Fortress 12, B-24D Liberator 27, B-24D1 Liberator 33, B-25C Mitchell 48)が飛来し、地上の日本部隊はdevice 21が破壊され、114がdisabledになるという大きな被害を喫しました。九七重爆が250kg爆弾を4発搭載するのに対し、B-17は500ポンド爆弾を8個、B-24は10個搭載できるあたりがこの差につながっているんでしょうね。
続いて陸戦。素のAVが9306対961で、日本側には地形ボーナスがついたかわりに、爆撃によるdisruptionとサプライ不足のマイナス修正がついて、修正AV 2503対453、オッズ比5対1で桂林から駆逐されてしまいました。敗北した部隊は桂林の南東側に撤退しました。桂林のヘクスだけでなく、桂林の南西側のヘクスにもサプライを充分に補給できません。次は桂林の南西側のヘクスの部隊が危ないし、南寧から仏印に向かわれても困りそうです。
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