1942年9月5日、ニューギニア島東部南岸のTerapoに空襲がありました。Terapoへはこれまでにも散発的に空襲がありましたが、今日は一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 41機と二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 36機の護衛で九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 25機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 47機、戦爆合計で109機もの大編隊が飛来するという力のこもった空襲でした。Terapoには戦闘機を配置していないのでCAPはなく、飛行場にはAirbase hits 3、Airbase supply hits 2、Runway hits 38の命中弾があり、またカタリナ飛行艇5機が損傷し、1機が地上で破壊されました。かなり命中弾が多かったのですが、工兵が修復作業に勤しんでくれたおかげで、今朝の時点の飛行場はサービス施設に10、滑走路に24のダメージが残っているだけでした。またカタリナ飛行艇も予備機があったので、定数通りの12機が稼働状態で、珊瑚海、ソロモン海の哨戒飛行は通常通り実施できました。
今日の空襲では日本側にも少なからぬ損害があり、九七重爆 1機と百式重爆 12機が対空砲により撃墜され、また百式重爆は4機がOps lossになったと報告されています。百式重爆の方は3分の1を失ったことになります。2機種でどうしてこんなに差が出たかというと、九七重爆の高度が1万フィートだったのに対し、百式重爆は1000フィートからの爆撃だったからだと思います。Terapoには3インチ高射砲(3in M3 AA Gun)が47門と小口径の対空砲がそれなりの数配備されているので、爆撃機は高度1000フィートはおろか8000フィートくらいでもある程度の損傷を覚悟しなければなりません。日本側としては百式重爆のarmor値 1(九七重爆はarmor値 0)に期待して低高度からの爆撃を指示したのだと思いますが中国軍以外の連合軍根拠地に対する指示としては無理筋だったようです。
中国では重慶に一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 12機と二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 2機の護衛で九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 28機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 29機が飛来し、飛行場にAirbase hits 8、Airbase supply hits 2、Runway hits 14の命中弾がありました。この重慶空襲は高度1万フィートでしたが、中国軍の対空砲の乏しさを考えると高度6000フィートから爆撃を行ったとしても、それほど危険ではないだろうにと感じます。
連合軍はチモール島のディリの飛行場をB-25C Mitchell 14機が爆撃し、Airbase hits 1、Airbase supply hits 1、Runway hits 7の命中弾がありました。また、クーパンの西隣のRotiの飛行場の規模が1になったので、早速、戦闘機を1部隊派遣することにしました。これまではサンフランシスコ急行と輸送機で細々とサプライを輸送していましたが、戦闘機の傘のもと、貨物船を送れるようになるのではと思います。ディリに対するLautem、クーパンに対するRotiという蘭印東部での付城戦術にこれまでのところは日本側の強力な妨害がありません。