1942年9月1日、昆明の北で日本軍のDeliberate attackがありました。昆明会戦で敗退した中国軍部隊の多くは間一髪、楚雄に逃れましたが、1ユニット99th Chinese Corpsが逃げ遅れました。日本側は4個師団・1個歩兵聯隊・1個戦車聯隊などでAV 1782なのに対し、中国軍はたったの7。修正AVも1497:1で敗北です。これだけの大差ですから殲滅されるかというとそうではなく、ちゃっかり楚雄に逃げ込んでいました。でも、楚雄・保山を失うのは時間の問題です。
36th Group Army RETREATING towards Pakhoi
49th Chinese Corps RETREATING towards Pakhoi
52nd Chinese Corps RETREATING towards Pakhoi
中越国境でも動きがありました。南寧とハノイを結ぶ1級道路上の森林ヘクスには、開戦以来中国軍部隊が陣取っていました。これまで日本軍も放置してくれていましたが、そろそろ中国戦線の整理・一掃の時期と考えたようで、ベトナム側から日本軍部隊が移動を始めました。9月1日、ちょうど日本軍部隊が到着したところ、中国軍部隊は戦わずに東隣のヘクスに後退してしまいました。中国軍部隊だから仕方がないといえば仕方がないのですが、後退の理由は日本軍を怖れてというだけではなく、長いことサプライが0の状態を続けていたからでもあります。サプライ、つまり食糧や弾薬がないと戦力は25%になってしまいますから、戦ってくれないのはやむを得ません。
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