1942年8月29日、昆明で日本軍の第2回総攻撃がありました。一昨日は踏ん張った中国軍でしたが、今日はオッズ比6:1、防禦施設も規模1に劣化させられて敗退しました。中国軍は5ユニットが破壊され、device 1444個が破壊され333個がdsiabledになったのに対し、日本側はdevice 20個が破壊され249個がdsiabledになっただけです。昆明会戦第1日に書いたように、火力の違いと、また撤退の際には損害が大きくなるという説明にぴったりの結果でした。日本側はこの後、楚雄→保山を経由してビルマに向かうのでしょうが、中国側としては食い止めるすべがありません。今日はこの他、温州と温州周辺の中国軍部隊に対する恒例の空襲があったほかには戦闘がありませんでした。
さて、それでは昨日セレベス島の東側でみかけた日本の空母はというと、姿が見えなくなりました。てっきりLautemやBabarといった連合軍の最前線の根拠地の空襲に来たものとおもっていたのですが、そうではなかったようです。そのかわり、前日空母のいた位置から2ヘクス東側に、戦艦・軽巡各1隻のTFを哨戒機が目撃しました。これは、8月20日の水上戦闘とカタリナの雷撃で損傷したBB日向とCL那珂or神通がケンダリーから本土に向けて出港したのかなと思います。海空戦後、BB日向は一日に5ヘクスずつ北上していましたが、ここはケンダリーから距離6ヘクスなので、ケンダリーで多少の修理をしてから出港して一日目の位置としては妥当でしょう。前日の空母は、このBB日向と軽巡のTFの上空にLRCAPの傘をさしかけるためと、前路の対潜哨戒のために出てきたのだろうと思います。
先日の海空戦以来、BB日向の名前は沈没艦リストに載せられたままです。しかも今日は、沈没地点がちょうどこの戦艦・軽巡各1隻が目撃されたヘクスに更新されていました。哨戒機が戦艦がいると報告しているのですから沈没しているわけがないのですが。
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