1942年9月3日、フィリピンのブスアンガ島に九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 25機の空襲がありました。港への爆撃でPort hits 7、Port fuel hits 1の命中弾とともに、投錨していたSS Spearfish(VP 8, 1460トン)にも250kg爆弾が命中し沈没しました。SS Spearfishは南西諸島周辺をパトロールしていた1942年8月18日に奄美大島北東で日本のASW TFに遭遇し、SC Ch 8の爆雷攻撃により、Sys 46, Flt 61(37), Eng 0と大きなダメージを受けた艦です。
SS Spearfishの母港はミッドウエィ島なのですが、Sys 46もあっては帰り着けないとAI艦長さんは判断し温州に向かって移動を始めました。しかし温州には頻繁に日本機の空襲があったため、プレイヤーの判断でルソン海峡のCalayanに向かわせることにしました。Calayan到着時にはSys 51, Flt 61(37)とSysが少し増加していましたが、3日間の滞在でFlt 59と2%分修理できました。本当はしばらくそのまま修理を続けたかったのですが、日本の偵察機がやって来ました。みつかれば空襲は避けられないものと判断し出港させました。
ルソン島周辺で次ぎに近い連合軍側の根拠地がこのブスアンガ島でした。4日かけてブスアンガ島に到着しましたが、その航海中にも乗組員の努力でFltダメージは59から54へと修理が進みました。もっともこの間にSysは51から52と1増加したのですが、Sysダメージが50以上あっても浸水被害を減らすことのできるアメリカ海軍のダメコンの優秀さにはびっくりです。
ふつうは目的地に到着すると、TFのまま港に滞在します。しかし、到着即disabndしてくれればTFのままより修理がはかどるのではと考えて、auto-disbandを指示しました。指示通り、ブスアンガ島に到着するとともにTFを解隊してdisabndしてくれていました。日本の偵察機は時々ブスアンガ島にも飛来していましが、それまで数日は安心して修理ができるかなと思って確認してみると、なんとpier-side modeで修理していました。pier-side modeは機関の火を落とした状態での修理という設定で、出港しようとしても出港可能な状態になるのに3日かかります。即応可能なreadiness modeでの修理より効率はいいのですが、偵察機の飛来→みつかる→翌日の空襲という流れが心配な状態では非常にまずいmodeなのです。
早速、readiness modeに変更して当日はなにもなかったのですが、昨日9月2日に日本機が飛来しました。根拠地のDLも上昇したのでまずいとは思いましたが、打てる手はありません。空襲のないことを祈りながら今日のリプレイをみたところ、やはり空襲が来てしまったというわけです。あと一日あれば出港できたのに残念です。でも、auto-disbandの指示だとpier-side modeになることもあるのだということを学べたことだけは収穫かなと思います。
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