1942年9月28日、宗谷海峡でパトロールしていたSS Grenadierが貨物船3隻を含む日本のコンボイと遭遇。夜間でしたが、護衛のSC Ch 29はしっかり職務を果たしていて、SS Grenadierは貨物船を攻撃する機会を得ることができませんでした。やむを得ず、護衛の駆潜艇に向け2本の魚雷を発射しましたが、命中しませんでした。日本側はこの海域を重視しているようで、対潜哨戒機も頻繁に飛んでいて、夜が明けてからSS GrenadierとSS Pollackが一式陸攻の攻撃を受けました。特にSS Grenadierの方は午前と午後で合計4回も攻撃されて250kg爆弾が命中。命中とはいっても至近弾くらいだったようで、Sys 18, Flt 0, Eng 0のダメージで済みました。とはいっても、Sysダメージが18ではダッチハーバーまで修理に戻らなければなりません。
ボルネオ島東岸のバリクパパンを出入りするタンカーを狙うため、マカッサル海峡をパトロールしていたSS S-46がAO 鶴見とAO 能登呂を発見しました。この2隻は9月24日にマカッサル海峡の北側出口で同じS-46が魚雷を1本命中させたAO石廊の同型艦ですから、おそらくバリクパパンで原油or重油を満載し、浅海ヘクスの多いジャワ海→南シナ海経由で本土に戻るつもりだったのだろうと思います。S-46は一回のパトロールでタンカーを2隻もしとめられれば表彰ものですが、こんどは護衛のE 友鶴がきっちり仕事をしていて、タンカーを狙うことができません。海防艦を狙って魚雷を2本発射しましたが、敏捷な海防艦相手ですから命中はしませんでした。昼になってから、同じヘクスでまたこのコンボイに遭遇しましたが、すばやく発見されて爆雷攻撃を受け、Sys 26, Flt 28(21) Eng 0のダメージを受けました。まあ沈没することはないでしょうが、オーストラリア西岸パースに戻って修理を受けなければなりません。
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