1942年9月30日、前日マカッサルの南にみとめられた日本のTFがクーパンにやってきました。軽巡長良、五十鈴、名取、由良、球磨、多摩、木曽と駆逐艦巻雲、陽炎の9隻です。クーパンには9月16日の会戦を生き延びたPTボート4隻がいました。9月16日のクーパン海戦の前には、日本の強力な水上戦闘TFがやって来たら生き残れるPTがあろうとは思っていませんでした。しかし4隻生き残ってくれたのをみると、そのままクーパンの用心棒として活躍してほしくなります。でもクーパンの港は規模3でrearm levelがたったの40しかなく、魚雷の補充ができなかったのです。連合軍側のプレイは初めてで、魚雷艇を港の防衛に使用するのも緒戦期を除くとこれが初めてなのでこういったところにまで頭が回っていなかったわけです。仕方がないので、はるばるシドニーからオーストラリア南岸まわりでAGP(魚雷艇母艦)を回航することにしました。そのAGPは2週間かけて昨日クーパンに到着し、ようやく魚雷を補充することができました。しかし時あたかも日本のTFの来襲が予想されるという昨日の状況に鑑み、AGPは補充を終えるとすぐに出港し、フルスピードで南のPort Headlandに向かったのでした。
さて、軽巡7隻対PTボートの対戦ですが、昨夜はmoonlight 71%の明るい夜でお互いに距離1万ヤードで相手を発見しました。暗夜に島陰から突然躍り出れば戦艦を食える可能性も秘めたPTボートではありますが、明るい夜に1万ヤードもの遠方でみつかり、しかも軽巡・駆逐艦相手では実力の発揮しようがありません。日本側は1万ヤードで砲撃を開始します。ところで、このゲームの水上艦同士の戦闘ではばかにT字戦法を多くみかけるような気がしますが、軽巡木曽艦長の大野 竹二大佐もT字戦法を号令(Ono, Takeji* crosses the 'T')しました。優勢を確信した日本側の動きに、たった4隻のPTボートは全滅間違いなしだろうと思いリプレイをみていましたが、驚いたことに沈没したのはPT-66 1隻(35トン、VP 1)だけ。残った3隻のうち1隻は魚雷を残していましたが、他の2隻の魚雷は無くなっているので、ただ逃げてばかりいたわけではないようです。
その後、クーパンへの艦砲射撃を予想しましたが、なにもせず軽巡TFは帰って行きました。昼になってから、クーパンの南をパトロールしていたSS KVIIIがこのTFを発見し、CL五十鈴に対して魚雷を4本発射しましたが、命中させることはできませんでした。大山鳴動してPTボート1隻で終わった海戦でした。
前日、Babarで陸攻の雷撃を受けた連合軍のCL ConcordとCL Ceresは、予定通りアンボンを艦砲射撃しました。一式陸攻 1機の損傷とAirbase hits 3、Runway hits 7、Port hits 2、Port supply hits 1が報告されていますが、軽巡の砲ですから大したことにはなっていないのでしょう。
一日休養をとった東部ニューギニア、ブナの連合軍はDeliberate attackを実施しました。今日はブナ奪還間違いなしだと思っていたのですが、修正AV 177:95、オッズ比1:1で今日も奪還できませんでした。不審に思い見直してみると、歩兵2ユニットのうち24th (Sep) Infantry Regimentがreserveになっていて、攻撃に参加していませんでした。昨日お休みを取らせるのに、主力のアメリカ陸軍第24歩兵師団はcombat modeのままにしてありましたが、規模の小さな24th (Sep) Infantry Regimentの方は少しでも疲れが早くとれるようにとreserve modeにしたのです。それをcombat modeに戻すのを忘れた采配ミスでした。
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