1942年9月23日、東部蘭印のアンボンに空襲を実施しました。参加したのはダーウィンの B-24Dとチモール島LautemのP-38で、近い方のLautemからP-38がsweepし、ついでB-24Dが飛行場を爆撃する予定でした。しかしアンボンに最初に到着したのはB-24D Liberator 22機でした。アンボンでは一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 33機に迎撃され、B-24Dが16機と6機の2波に分かれて到着したこともあり、12機(被撃墜 9、Ops loss 3)を失う大損害となってしまいました。しかも目的のアンボン飛行場に与えた被害はRunway hits 4と九七大艇輸送機型(H6K2-L Mavis) 1機の地上破壊のみ。その後、P-38E Lightning 31機とP-38F Lightning 16機がsweepし、一式戦 9機を撃墜し7機をOps lossとしました(P-38EとP-38Fは各1機 Ops loss)が、アンボン飛行場の制圧は果たせず、作戦としては大失敗に終わりました。今日の空襲に参加したB-24Dは西海岸から移動して来てまだ日が浅く、機体の疲労度が充分に下がるだけの期間の休養をとらせていなかったことも今日の惨事の原因の一つで、安易な作戦だったと後悔しています。
日本側はマカッサルの零戦(A6M2 Zero) 44機がクーパンをsweepし、Hurricane IIc Trop 10機、Kittyhawk IA 11機、P-40E Warhawk 16機が迎撃しました。前日のsweepに比較すると零戦もCAPも機数がかなり減っていますが、空戦の結果はやはり日本側の大勝利。連合軍のハリケーン 7機(被撃墜 7)、キティホーク 7機(被撃墜 6、Ops loss 1)、P-40E6機(被撃墜 5、Ops loss 1)が失われたのに対し、零戦は6機(被撃墜 3、Ops loss 3)。1942年は9月24日が秋季皇霊祭ですが、明日の日本の新聞の一面には祭日にふさわしい皇軍の赫赫たる戦果の記事が掲載されることでしょう。
2日続けての大損害により、クーパンのCAPはしばらく中止することとしました。ちょうど今日クーパンの飛行場は規模6になったのですが、日本側の飛行場爆撃により地上で破壊されるのはもったいないので、マカッサル空襲用に待機させていた四発爆撃機はダーウィンに後退させました。折角なので、この主力の四発爆撃機を使って明日もう一度、アンボンを空襲してみようと思います。クーパンで揚陸作業中だったコンボイ2つも、高射砲部隊の貨物トラック8台が船倉に残っている1隻を残して出港させました。これまでにサプライは5万トン、3インチ高射砲が32門揚陸されているので、日本側の空襲でコンボイを派遣できなくてもしばらく食いつなぐことはできそうです。
連合軍はクーパンからマカッサルの南2ヘクスにあるSalajar島に海兵隊第3空挺大隊を降下させました。守備隊はいなかったので、無事に奪還することができました。ここはマカッサルに近すぎるので、飛行場を建設し機能させることは困難で、それが可能になるのはマカッサルを制圧し終えた後でしょう。つまりマカッサル制圧のためには役立たないわけですが、爆撃や艦砲射撃をするのならWaingapoeでなくSalajarの方にどうぞと日本側をお誘いするために奪還しました。
中国では重慶に九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 24機の定期便があり、Airbase supply hits 1、Runway hits 15の被害を受けました。今日はこれに加えて、内江(Neikiang)が二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 23機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 68機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 24機の空襲を受け、飛行場にAirbase hits 2、Airbase supply hits 3、Runway hits 20の命中弾がありました。重慶と成都の飛行場が爆撃を受け、インドのレドからのサプライ空輸ができなくなった後、C-47の1個飛行隊をビルマ北部のミートキーナに移動させ、細々(ミートキーナ自体のサプライ貯蔵量も乏しいので)とこの内江に空輸していました。その内江の飛行場も機能を停止し、ハンプ越えルートは完全に遮断されてしまいました。
ビルマではBasseinに向け行軍中の連合軍部隊が、ラングーンから一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 36機に護衛された九九双軽(Ki-48-Ib Lily) 31機と九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 27機に爆撃されました。多数の爆撃機の空襲でもあり、また平地ヘクスをmove modeで移動していたのでかなりひどいことになるのかなと危惧しながらリプレイを見ましたが、device 2個がdisabled(負傷、故障)になっただけで済みました。日本機の高度が1万フィートと高かったこともありますが、連合軍の対空砲火の激しさに腰が引けてしまったのかも知れません。連合軍部隊は明後日にBasseinに到着する予定です。Basseinには日本軍2ユニットしかいないので攻略を考えたのですが、今日のマップを見るとラングーンの日本軍部隊がBasseinに移動を始めたことを示すアイコンがついています。このまま行軍を続けるか中止するか、明日には決断しなければなりません。
マグエの北西の平地ヘクスでは日本軍のDeliberate attackがありました。9月14日の陸戦敗北を受けて敗走している英軍2個旅団に日本軍戦車聯隊1・捜索連隊2の攻撃は厳しく、一蹴されて北西のジャングルに逃げ込むことになりました。でも、いずれにせよ戦力にはならず、ジャングルヘクスを目指して退却していた部隊なので、移動期間を数日短縮してもらえて良かったくらいです。また戦車ユニットはジャングルヘクスでの戦闘には不向きですから、日本側がさらに歩兵師団を振り向けたりしなければ、当面、海岸道のヘクスの支配権は安泰のようです。
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