2015年11月22日日曜日

I have returned

1943年5月27日、いつも通り日本側はカガヤンからセブ島に25機の百式重爆(Ki-49-IIa Helen)を送り、飛行場にAirbase hits 2、Runway hits 7の被害をもたらしました。連合軍はテルナテからミンダナオ島の南端Dadjangas(いまはジェネラル・サントスと呼ばれているのだそうです)に空挺作戦を実施しました。降下したのはオーストラリア軍の2/6騎兵コマンド大隊のうちの6個分隊で、兵力としてはわずかですが守備隊がいなかったので、無事に占領できました。”I have returned”と言ったかどうかは不明ですが、指揮系統上はSouthwest Pacific Command HQ麾下の部隊ですから、フィリピンの一角を確保できたことにマッカッサーも喜んだことでしょう。

空挺作戦を実施した理由は二つあります。一つはこのオーストラリア軍の空挺部隊があと4日で召還されてしまうことです。いなくなってしまうのならその前に一働きしてもらおうというわけです。あと一つは、メナドの滑走路の修理が終了し、戦闘機を進出させたことです。メナドとDadjangasは距離6ヘクスですから、APDで構成されるFasttransport TFなら夜のうちにメナドを出港し、Dadjangasでサプライを降ろし、夜明け前に帰ってくることができます。戦闘機を進出させたので、メナドには輸送船も入港させ始めました。日本側が零戦を100機単位で護衛に付けて天山を送り込んでくるようだとかなり被害が出ることもあるでしょうが、それはそれでやむを得ないと思っています。なんとか早くメナドの飛行場を規模5(現在は規模3)以上に拡張し、四発爆撃機を進出させたいものです。

蘭印では、ディリに双発爆撃機 15機(Beaufort V 6, Beaufort VIII 9)が飛んでRunway hits 2の戦果。またケンダリーにアンボンから26機のB-25(B-25C Mitchell 10, B-25D1 Mitchell 16)が向かい、Airbase hits 4、Airbase supply hits 1、Runway hits 10のダメージを与えています。

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