1941年12月21日、パレンバンの占領に成功して上陸船団が帰途につきました。この帰り道をねらって前日、機雷を敷設したのですが、機雷を敷設したヘクスを避けるルートをとられてしまいました。これでは身を挺して機雷を敷設したCM Kung Woの決死の努力が水の泡ですが、CM Kung Woの沈没を無駄にはさせないということか、その分ABDA海軍が頑張ってくれました。
まずはバンカ島の北岸で、香港・マニラから避難してきていた魚雷艇6隻が、上陸を終えた船団を襲います。天候は晴でしたが、Moonlight 7%と暗い夜のために視程は1000ヤードしかありません。この船団にはCL川内・神通・五十鈴とDD磯波・浦風が護衛についていましたが、パレンバンに接岸してからでも3日たっていますから、乗組員の疲労も極に達していたのかも知れません。先に相手を視認したのは魚雷艇の方でした。魚雷と機銃でxAP Brazil Maru(VP 19, 8200トン)とxAK Tatutaki Maru(VP 13, 6400トン)を撃沈し、AK Sasako Maruに機銃で損傷を与えました。客船を撃沈するのはうれしいものです。またxAK Tatutaki Maruというのは辰武丸のようですね。この攻撃成功のあと、すぐに駆逐艦がカバーに入り、軽巡が反撃してきて、魚雷艇が1隻撃沈され、またその北東のヘクスでももう1隻魚雷艇が撃沈されてしまいました。
船団はさらに北東に航海を続けますが、SS KIXが雷撃しxAK Kogyo Maruに魚雷1本を命中させます。またその北東のヘクスでも SS KXIIIがxAK Kogyo Maru(VP 13, 6400トン)に魚雷1本を命中させ、撃沈しました。その後、船団はボルネオ島西沖でパトロールしているBB金剛・榛名のTFと合流しました。しかし昼になってから、シンガポールのSwordfish I 6機とPBY-4 Catalina 5機が雷撃を実施し、カタリナ飛行艇がみごとBB金剛に魚雷を1本命中させることに成功しました。また前日占領されたパレンバンですが、飛行場を使用されるのは困るので、スラバヤから139WH-3 30機とB-17D Fortress 13機による飛行場爆撃を実施しました。まだCAPがいないのでリラックスして爆撃できたためかAirbase hits 11、Airbase supply hits 7、Runway hits 46の命中弾を得ることができました。
開戦後10日近く、日本の艦船にほとんど被害を与えることができていませんでした。この状況だと中の人の士気も落ちるし、実際の世界なら銃後のマスコミの批判が激しくなってきているでしょう。しかしこのパレンバン上陸戦では、CA熊野、DD綾波、客船3隻、貨物船2隻を撃沈し、BB金剛に魚雷1命中の戦果を得ることができました。ABDA海軍は弱小なので迎撃に参加したのは機雷敷設艦と魚雷艇と空軍だけで、連合軍側の損失は 機雷敷設艦2隻と魚雷艇12隻に飛行機数機だけですから、連合国の市民のみなさんも喜んでくれただろうと思います。あと、市民の皆さんにとってうれしい報らせとして、マニラから避難してきていたAS Otusがダッチハーバーに到着しました。硫黄島南方沖で日本側に発見され、鳳翔・瑞鳳や重巡の追撃を受けたので、逃げ切れるかどうか心配でしたが、なんとかたどり着けました。VP 32, 8600トンという大きな船なので助かってうれしいということもありますが、このダッチハーバーをアメリカのS級潜水艦の根拠地にして、樺太・稚内航路を脅かす予定なので、さっそくその任務に就いてもらおうと思います。
各戦線の進行状況ですが、マレー半島ではペナン島のGeorgetownが占領されました。また中国戦線では河南省Kweiteh(帰徳)が占領され、19日に占領された南陽の北西のヘクスで追撃され敗北してしまいました。西安まではまだ途中に森林ヘクスが2つありますが、食い止めることができるかどうか、自信がありません。
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