1943年2月21日、重慶で日本軍の第7回総攻撃がありました。何日も前から、いつ陥落してもおかしくはないのにすぐには攻撃を再開しない日本軍を見てやけに慎重だなと感じていたくらいです。日本側も今日の攻撃で陥落間違いなしと余裕をもって戦闘に臨んだものと思われます。その証拠に重爆隊は休養をとらせていて、陸戦前の空襲がなかったのです。ところがDeliberate attackの結果、日本側の修正AV3318は守備隊の修正AV1835の2倍には達せず、オッズ比1:1なので防衛成功です。WitP AEの神様のおかげもあってか、中国軍が驚異の粘りをみせてくれました。死傷者数はご覧の通りで、中国軍守備隊の死傷者は前回より少し減少しています。会戦に参加した数が前回より減少しているので当たり前ですね。今日のところはほっとできましたが、いつ次の第8回総攻撃があっても、今度こそダメでしょう。
蘭印ではマカッサルの南でSS S-38が伊22潜(2184トン、VP 11)を雷撃しました。沈没音は聴取されていませんが、火災が発生しheavy damageと報告されているので撃沈できたのではと思います。潜水艦は味方の制空権下の海域を浮上航行する仕様になっているようで、こんなふうに雷撃を受けることがあります。
夜が明けるとチモール島クーパンからアンボンへの空襲が始まりました。やはり日本側はCAPトラップを狙っていて、零戦(A6M2 Zero) 19機と二式戦(Ki-44-IIc Tojo) 72機に迎撃されました。今日はきちんと四波のP-38 73機(P-38G Lightning 17, P-38E Lightning 18, P-38F Lightning 18, P-38G Lightning 20)が先行してくれましたが、空戦の結果はあまり好ましいものではありません。このあとラエでも空戦があったので正確な数は不明ですが、表にお示しした通りP-38を40機も失う大敗です。しかもこのsweeperの去った後にもまだ零戦10機、二式戦53機が残っていて、空襲に参加した四発爆撃機 56機(B-17E Fortress 13, B-24D Liberator 39, B-24D1 Liberator 4)のうちB-24を15機も失う大損害を出しています。爆撃の戦果はAirbase hits 5、Airbase supply hits 4、Runway hits 43ですから、飛行場に爆弾を1発命中させるために1機を支払うという贅沢な空襲になってしまいました。アンボンを早めに占領するか、占領しなくてもコンスタントに叩いておけばこんなことにはならなかったのにと反省しています。しかも今日の空襲だけではアンボンの息の根を止めるにはまだ不十分と思われ、このあと艦砲射撃部隊を送ることになると思います。
機動部隊は東方に去りました。また飛行機と爆弾・魚雷を補充してまたやって来るのでしょうが、一安心です。その西側にDMS(駆逐艦改装掃海艦)3隻のTFが西に向かっているそうですが、これは何が目的なのか?意図が読めません。
機動部隊が去ることを予想していた連合軍はボエラからメナドにB-25C Mitchell 19機を送り、飛行場にAirbase hits 3、Airbase supply hits 3、Runway hits 13とささやかなダメージをあて得ています。やられっぱなしの戦況ではありますが、こういう未来に繋がることもしておかないとですね。
東部ニューギニアでは予定していたラエのsweepがようやく実行されました。戦闘機 102機(F4U-1 Corsair 18, P-40K Warhawk 50, P-40B Warhawk 14, F4F-3 Wildcat 18)が向かいましたが、CAPは二式戦(Ki-44-IIc Tojo) 27機しかいませんでした。ラエに輸送船が停泊していた昨日までなら多数のCAPがいたのでしょうが、その船団はすでに北上を始めています。船団の去ったラエにCAPの要はないはずで、この27機は1個戦隊にLRCAPの中止を指示し忘れたために残っていただけなのかもしれません。正確な数は不明ですが、ここでのスコアは悪くはありませんでした。
ビルマではイラワジ川西岸の連合軍部隊に今日もマグエから二式戦 62機(Ki-44-IIa Tojo 1, Ki-44-IIc Tojo 61)と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 78機の空襲がありました。この爆撃による被害はdevice 3個がdisabled(負傷故障)になっただけで、死傷者数という点では被害僅少です。しかし連日の爆撃で混乱値が70台にも達している点が大問題です。あしたには行軍距離が46になる予定なので、あさってか、もしかすると明日渡河することになります。こんなに混乱値が高い状態で渡河後のshock attackを強制されるのは困ったもの。きのうは対岸に日本軍部隊の姿がみとめられたのですが、今日は表示されていません。本当にいなくなったんでしょうか??
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