1943年2月23日、Waingapoeからビマへサプライを輸送する2つのFasttransport TFが軽巡神通・川内、駆逐艦親潮・初風のTFにビマで装遇しました。最初に出会ったAVD Mackinac(1830トン、VP 6)は魚雷1と砲弾8発を浴びてあえなく沈没です。次に出会ったAVD Childsにも14cm砲弾など3発が命中しましたが、逃げることが出来ました。18ノットしかでないAVD Mackinacと違い、AVD Childsは最高速度が26ノットなので振り切ることが出来たのだと思います。クーパンの2ヘクス北西まで逃げて来ているAVD Childsの状態はSys 9, Flt 0, Eng 0と軽巡の砲弾が命中したにしては軽傷です。ただそのSys 9というのはただのSysダメージではなく、3インチ主砲1門が破壊されたというものです。ふつうのSysダメージはどこ(港だけでなく洋上でも)でも修理可能ですが、3インチ主砲の修理だと規模いくつぐらいの港での修理が必要になるでしょうか?クーパンやダーウィンで充分かな?まあ、元々は駆逐艦だった船の砲ですから、Repairshipyardが必要になったりはしないでしょうが。
最近のビマへのサプライ輸送はこの2隻のAVDに依存していただけにショックです。距離4ヘクスのマカッサルにはこのところずっと日本の水上戦闘TFが居座っていますが、ビマにはPTボートを配置してあるのでやってこないだろうと考えていたのです。マカッサルのTFとはべつに身軽な軽巡・駆逐艦だけで襲撃するとは敵ながら見事な采配でした。
フィリピン海の日本空母はテルナテを空襲することもなく、北西に6ヘクスほ移動していました。ただ、このまま去ってくれるかどうかは不明です。連合軍がテルナテに戦闘機を増強するかどうか見極めてから空襲するかどうか決断しようとしただけかも知れないと思うのです。連合軍には百数十機の零戦に対抗できるCAPをテルナテに派遣する余裕はなく、テルナテの戦闘機数はゼロにしてあります。あしたは空襲を受ける可能性大です。
連合軍はテルナテからダバオにB-25C Mitchell 19機が向かい、飛行場にAirbase hits 7、Runway hits 31の被害を与えました。緒戦期の記憶が定かではありませんが、これがミンダナオ島への初空襲かも知れません。また、ボエラから対岸のニューギニア島バボへオーストラリア第一空挺大隊が8機のR4D1(C-47の海兵隊用バージョン)に分乗して降下し、無血占領を果たしました。バボは小なりとはいえ油田のある根拠地です。
ダバオへの空襲もバボの奪還も、読者のみなさんの感じる通り、あまり大きな意味のある作戦ではありません。じゃ、なぜそんな意味のない行動をとったかというと、日本側の予測から外れる動きをしてみたかったからです。ここしばらくのエントリーをお読みいただけば分かるように、連合軍は日本側の動きに対応して動くことに終始してしてきました。イニシアティブを失った状態は、個々の戦闘の結果はどうあれ(しかもこのところ負け戦続きですから)、士気振作の点で非常によろしくないのです。日本側の動きへの対応も必要ですが、少しは日本側にも対応させるようにさせたいという希望から今日はこんなふうに動いてみました。
重慶への空襲が再開され、九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 181機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 164機の爆撃で飛行場にAirbase hits 2、Airbase supply hits 1、Runway hits 7の被害を受けました。また日本軍地上部隊の砲撃ともあわせて、重慶守備隊のdevice 35個が破壊され、202個がdisabledになりました。しかし今日の重慶からはうれしいニュースも届いています。重慶西のヘクスの日本軍が31ユニットに増えているのです。きのうまで重慶の日本軍部隊に移動のアイコンは全く表示されていませんでしたから意外な出来事ですが慶事には違いありません。素直に喜びたいと思います。今日のコンバットリポートによると、重慶に残った日本軍は素のAVが2679と、中国軍の2606とほぼ同じ規模。歩兵師団は第14師団1個を残しただけで、ほかはすべて休養をとりに行ったようです。
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