2014年10月29日水曜日

パレンバン初空襲

1942年11月25日、中国戦線では重慶に貴陽と漢口方向から、一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 42機に護衛された双発爆撃機321機(Ki-21-Ic Sally 48, Ki-21-IIa Sally 186, Ki-49-IIa Helen 87)の大編隊が飛来しました。こんなに大規模な空襲は初めてで、日本陸軍の総力を結集しているのかもしれません(できればこのくらいが総力であって欲しいという希望も含まれた感想です)。大規模な空襲ですから当然被害も大きく、守備隊のdevice 1個が破壊され、60個がdisabledになり、飛行場にもAirbase hits 43、Airbase supply hits 6、Runway hits 65の命中弾がありました。そろそろ陸戦が再開されるのではと思っていましたが、今日もまたお休みでした。重慶の西側のヘクスの22部隊が到着してからになるのでしょう。

今日のメインイベントは蘭印の空戦でした。まず日本側がジャワ島Kalidjatiの零戦 153機(A6M2 Zero x 81,  A6M5b Zero 72)、バタビアの二式戦 70機(Ki-44-IIc Tojo 35, Ki-44-IIa Tojo 35)でインド洋上のクリスマス島にsweepをしかけてきました。このsweepは4波にわかれて来襲したのですが、第一波のA6M2 Zero 81機が1万フィート、その後の三波は3万1千フィートの高度で飛来しました。sweeperの降下しての攻撃を避けようとCAPが高度3万1千フィートで待機していても、第一波の零戦の迎撃で高度を下げざるを得ず、その後に続く三波のsweeperが高度を下げたCAP機を高位から攻撃することを狙った指示だったと思われます。もっともこのゲームではsweeperの到着する順序をプレイヤーが指示することは出来ません。機種ごとの巡航速度、出発地と目的地の距離、指定した高度に上昇するまでの時間の違いを利用して狙った通りの順番が実現してくれるのを願うのみですが、今日のsweepは日本側の狙いがぴったり実現した好例です。

ただ日本側にとって残念だったのは、クリスマス島にCAPがいなかったことです。11月16日のsweepによる士気の低下、疲労、損失機などはすでに回復し、CAP任務も可能な状態になっていたのですが、sweeperにしてやられることが分かっているのにCAPする必要もないと考えたわけです。前回のsweepの後に1~2回でも飛行場の爆撃でもあれば別ですが、日本陸軍の爆撃機はみんな中国に出払っているようで、クリスマス島への空襲はありませんでした。またサプライ輸送船団を派遣する際にはCAPが必要となるでしょうが、すでに倉庫には13万トン以上のサプライが備蓄されていますから、1~2ヶ月はコンボイを送る必要もないわけです。ということで、日本側の名采配の実現したsweepでしたが空振りに終わりました。

連合軍はそのクリスマス島からスマトラのパレンバンにこのゲームで初めての空襲を実施しました。パレンバンはこのゲームの中でも最重要根拠地の一つです。このゲームの日本は2度死ぬ運命にある、一度目はパレンバンを失うことで、二度目は東京を占領されて、と言ってもいいくらいの根拠地だと私は思っています。そのパレンバンの戦闘機の数が、昨日の時点で27機と報告されていました。数日経過を見ましたが、これ以上増える気配がなく、これは行くしかないかなと思ったわけです。

参加したのはB-17E Fortress 47機とB-24D Liberator 23機で、どの部隊もしばらくクーパンで休養をとっていて、前日にクリスマス島に移動させました。この時期、もう日本側にもレーダーの配備された部隊(主にBase Force)がいくつもあるはずですが、パレンバンにはいないようで、防空監視哨が到着の5~12分前に目視したと報告されています。それでも第1波が最新型の二式戦(Ki-44-IIc Tojo) 23機に迎撃されたのをはじめ、その後も激しい空戦が展開され、合計でB-17Eを13機、B-24Dを1機失いました。二式戦にも地上での破壊をあわせて13機の損失が報告されていますが、単発機と四発機の取引ですから13:14では大敗ですね、これは。70機の四発機のうち14機、20%も失ったのは、シュバインフルト空襲なんかと同じくらいの損害のひどさではありますし。

それでも爆弾を落とす方は順調にいって、パレンバンの飛行場にAirbase hits 42、Airbase supply hits 11、Runway hits 77、港にPort hits 13、Port fuel hits 5、Port supply hits 1の命中弾を与えることが出来ました。今日の偵察機の報告によると飛行場のダメージ 43、港のダメージ 23になっているとのことでした。少なからぬ被害ですが、飛行場は戦闘機がCAPするには支障がなさそうですし、港も一日に積み込める原油や重油の量が4分の3くらいに減少したでしょうが、使用不能というわけではない模様。まあ一回の爆撃でパレンバンを叩きつぶすなんてことは無理な話なので、実はあしたもまた空襲を繰り返す予定で、休養充分の四発爆撃機あと4部隊を待機させてありました。しかし今日のクリスマス島へのsweepによりバタビア近辺に220機以上もの戦闘機がいることが判明して、びびってしまいました。パレンバンを本格的に叩くのはしばらく延期しようと思います。

東部ニューギニアではサラモアで陸戦Deliberate attackを再開しました。素のAVが連合軍489:日本軍守備隊241。日本側には地形のプラス、(敵より)準備不足・(敵より)経験不足のマイナス修正がついて、修正AVは177:277。オッズ比も連合軍側不利の1:2なので奪取はなりませんでしたが、防禦施設を規模0に低下させることが出来ました。また死傷者も連合軍側のdevice6個破壊55個disbaled(負傷・故障)に対して、日本軍守備隊は8個破壊・84個disabledと日本側の方が多くなっていますから、あと1~2戦で奪還できそうです。でも急ぐ必要はないので、まずは今日の戦いの疲れを癒やしてもらいます。

ウエーク島では今日もサプライを揚陸しています。日本側の砲撃を制圧するためにCL Trentonをつけてあるのですが、今日はxAK Comliebankに12cm砲弾が1発命中しました。ただ12cm砲弾は20cm砲弾よりもだいぶ威力が低いようで、Sys 3, Flt 0, Eng 1, Fire 4のダメージ。消火作業にも問題はないでしょうからそのままあしたもサプライ揚陸作業を続けてもらいます。また明日は戦艦ネバダとサウスダコタが艦砲射撃を行い、その後に陸戦を再開する予定です。

2014年10月27日月曜日

重慶への空襲、再開

1942年11月24日、日本軍の重慶空襲が再開されました。一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 42機の護衛で双発爆撃機165機(Ki-21-Ic Sally 45, Ki-21-IIa Sally 152, Ki-49-IIa Helen 68)が飛行場と守備隊を爆撃し、Airbase hits 8、Airbase supply hits 3、Runway hits 46と守備隊のdevice 90個がdisabledになる被害を受けました。大きな被害ではありますが、これら多数の爆撃機が南方に行ってしまうよりは、重慶爆撃を続けてくれた方が気が楽です。昨日は重慶周辺のヘクスに日本軍部隊の姿が見えませんでしたが、今日は西のヘクスに22部隊をみとめ、重慶に向け接近中とのことです。陸戦(たぶん砲撃戦から)再開はこの17部隊が到着してからになるのでしょう。


ウエーク島ではサプライの揚陸を続けています。今日はxAK Bennevisが20cm砲弾を1発浴びてSys 4, Flt 5, Eng 0, Fire 16のダメージを受けました。Sysダメージが小さく、火災も16ですから消火してくれるものと思います。ウエーク島での攻撃再開は明後日を予定しています。

2014年10月26日日曜日

魚雷艇に九七艦攻72機の雷撃

1942年11月23日、中国戦線では漢口方向から一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 12機に護衛された旧式の方の九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 20機が重慶の飛行場を爆撃し、Airbase hits 4、Runway hits 11の命中弾がありました。しかし日本側の攻撃はこれだけ。貴陽からの戦爆連合300機以上による大空襲は今日もお休みでした。きのう、重慶に向かっている様子がみとめられた日本軍地上部隊ですが、重慶北東のヘクスの方は姿が見えず、すでに重慶に到着した模様です。東側ヘクスにも重慶に向かうアイコンはついていないので、到着したのかもしれません。もし本当にそうなら、あしたは砲撃戦が再開されるのでしょう。

蘭印ではマカッサル海峡をパトロールしていたオランダ潜SS KXIIが日本のASW TFに見とがめられました。SS KXIIはダイブしてやり過ごそうとしましたが、SC Ch 21の爆雷が6発命中してSys 30, Flt 86(44), Eng 15(13)という大きなダメージを受けました。日本の駆潜艇、侮り難し。ダメコンが優秀なアメリカの潜水艦ならこのくらいの被害でもまずは大丈夫だと思いますが、オランダ潜はどうなんでしょう。母港はダーウィンにしてあったのですが、とてもダーウィンまでたどり着く自信がなく、とりあえずWaingapoeに行くよう指示しました。

そのWaingapoeに今日クーパンから到着したばかりのPTボート7隻のTFにマカッサルから九七艦攻(B5N2 Kate) 72機飛来し雷撃を実施しました。せっかく着いたばかりなのに沈められちゃうのかとうかない気分でリプレイをみていたところ、魚雷は72本全部がはずれてくれました。全長20メートルくらいだし、40ノットくらい出せるし、きびきび動けるしで、命中させるのは困難なんでしょうね。でも、たしか航空魚雷ってとても高価な御道具ですよね。 72本の値段を現在の価格にすると数億円とか数十億円とかになったりするんじゃないでしょうか。こんな攻撃の命令を出した指揮官は離島の守備隊に島流しかしらん。

実はこの九七艦攻には戦闘機の護衛がついていませんでした。CAPがいれば食べ放題だったはずですが、残念ながらCAPは飛んでいませんでした。Waingapoeには2部隊の戦闘機がいたのですが、他のお仕事をしていたのです。護衛とCAPのいないリプレイをびっくりしながら呆れながら観戦しましたが、お相手の方も同じ気分だったのではないでしょうか。

さて、クーパンからここWaingapoeにPTボートを派遣した理由ですが、一つにはクーパンはもう日本の水上戦闘TFの襲撃を心配する必要がないと思われるからです。そして、もう一つはWaingapoeにサプライ輸送のコンボイを派遣しようと考えたからです。これまでWaingapoeへのサプライの輸送はRotiからのFast Transport TF(ロサンゼルス急行)に頼ってきました。しかしすでにサプライの貯蔵量が6000トンを越えたので、戦闘機を2部隊派遣し、そのLRCAPの傘の下でふつうの貨物船がサプライを無事に輸送できるかどうかチャレンジすることにしたわけです。その貨物船はサプライの積み込みがまだ終了せず、今日はまだRotiのヘクスにいました。そんなわけでCAPがいなかったのです。あしたは出港していると思いますが、どうなるのでしょう。夜は月で明るい(今日で98%)ので、PTボートで水上戦闘TFの派遣を躊躇ってくれるのかどうかも心配です。

パレンバンには今日も偵察機が飛んで、戦闘機の数を23機と報告してくれました。昨日の9機よりは多いのですが、23機しかいないのなら四発爆撃機を飛ばしたくなります。空襲を指示するかどうかはもう少し様子をみてからですが。パレンバンに戦闘機を移動させたのかどうかは不明ですが、ケンダリーの戦闘機の数は40機弱になっています。もっともバンダ海北側の要石となっているマカッサルには160機ほどまだいるんですけどね。 

2014年10月25日土曜日

サラモアとウエーク島で陸戦

1942年11月22日、珍しく中国戦線では日本側の空襲も陸戦もなく、かわりにウエーク島と東部ニューギニアで連合軍が攻撃を行いました。まずはウエーク島ですが、CAシカゴ、チェスター、ノーザンプトン、インディアナポリスの4隻がOS2U-3 Kingfisherの弾着観測で砲撃を実施します。守備隊のdevice7個を破壊し、11個をdisabled(負傷・故障)にしてミッドウェイ島に向かいました。特に事故はありませんが、重巡4隻でこの程度の戦果というのが残念なところです。まあ、守備隊の混乱値や疲労値はきっと急上昇してくれたことでしょう。その後、昨日に引き続き、サプライの揚陸が行われました。日本側の反撃もほとんど命中せずに済んだのですが、20cm沿岸砲の弾丸が1発だけxAK Asphalionに命中し、Sys 25, Flt 1, Eng 0, Fires 20のダメージとなりました。無事、消火に成功してくれるといいのですが。

その後、第2海兵師団がDeliberate attackを行います。素のAVは海兵隊294:守備隊50と大差なのですが、守備隊には防禦施設のプラス、経験不足とサプライ不足のマイナス修正がつき、また海兵隊には疲労のマイナス修正があって、修正AVは44:35。オッズ比1:1なので占領は出来ませんが、防禦施設の規模を3から2に低下させることが出来たのは収穫です。死傷者は海兵隊のdevice 8個破壊・20個disabledに対し、守備隊は30個破壊・59個disabledになっています。あと2押しくらいで占領できそうな感じです。でも第2海兵隊師団の混乱値が13→36、疲労値も27→44と上昇してしまったので、2日くらいお休みしてから攻撃再開の予定です。

東部ニューギニアではサラモアでアメリカ陸軍第24歩兵師団など1万6千名余、素のAV557が、第2舞鶴特別陸戦隊や海軍防備隊などからなる守備隊8千名余、素のAV263に対してDeliberate attackを行いました。防禦施設の規模は2しかありませんでしたが、地形ボーナス3倍のジャングルヘクスだけに予想外に苦戦しました。守備隊に地形のプラス、準備不足、経験不足のマイナス修正があり、修正AVは267:244と奪取は出来ず。また死傷者も連合軍のdevice 8個破壊・161個disabledに対し、守備隊は17個破壊・32個disabledと攻めた連合軍の方がかなり多くなってしまいました。本来ならじっくり爆撃で守備隊の混乱・疲労をさそってから陸戦を仕掛けるべきなのでしょうが、ラエやロングアイランドにいるはずの日本の戦闘機が心配で、空襲は行わずに臨んだのでした。でも今日の戦いで防禦施設の規模が2から1に低下してくれたので、攻撃を繰り返せば奪取できるだろうと思います。ただし、ここも主力の第24歩兵師団の混乱・疲労がたまったので、数日お休みをとらせてからのことになります。

サラモアの南2ヘクスのブナが日本側の攻撃によってではなく判定で日本側に寝返ってしまいました。10月1日に解放したブナですが、その後は全軍あげて北上し、しばらく前から空き家の状態でした。日本側が空挺作戦という大胆な動きさえに出たりしなければ、空き家でも問題ないと思っていたのです。ブナの北西のヘクスには連合軍部隊、一番近い根拠地であるポートレモスビーも連合軍支配、この状況でまさかブナが日本側に寝返ってしまうとは。びっくりしました。

蘭印もダーウィンからチモール島ディリへの定期便の空襲意外は落ち着いていました。しかし今日はクリスマス島から開戦後初めてパレンバンへ偵察機をとばしてみました。パレンバンの港にはタンカー2隻、砲艦1隻など合計で10隻の艦船をみとめたそうです。しかし飛行場には戦闘機がたったの9機だけ。この9機というのは信じていいものなのでしょうか?クリスマス島からは、パレンバンよりもずっと遠いシンガポールに空襲を実施したこともあるというのに、戦闘機の少なさには驚きます。日本側に真っ当なパレンバン防空体制の構築を促すため、これから数日、偵察機の派遣を続けたいと思います。パレンバンに戦闘機を集中させれば、その分だけアンボンやセレベス島ケンダリーとマカッサルの戦闘機の数が減るだろうという目論見です。そうなれば連合軍側はバンダ海やジャワ島、ボルネオ島にかけてぐっと動きやすくなりますからね。

2014年10月24日金曜日

重慶南で掃蕩戦

1942年11月21日、重慶とは長江をはさんで対岸の荒れ地ヘクスの中国軍部隊に対し、貴陽から一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 9機に護衛された双発爆撃機302機(Ki-21-Ic Sally 25, Ki-21-IIa Sally 191, Ki-49-IIa Helen 86)の大空襲がありました。ここにいた中国軍は、東側の1級道路の通過する森林ヘクスでの陸戦の敗残兵で、掃蕩の手間をかけさせるためにこの荒れ地ヘクスに移動させておいたもので、戦力としてはまったく問題にならない部隊でした。しかし日本側はウサギを追うのにも全力を注ぐライオンのような方で、大編隊による空襲でdevice 14個を破壊・159個をdisabledにされ、その後は追及してきていた第1戦車師団の攻撃であっさり始末されてしまいました。この敗戦自体は順当な結果で不思議でも何でもありませんが、この陸戦に勝利した日本側のLCU(第1戦車師団)に南東に移動中のアイコンがついているのが不可解です。このへクスに複数の日本軍部隊がいて、一方が攻撃、他方がreserveの指示がしてあったのなら、reserve指示の部隊に追撃=移動のアイコンがつくこともあります。しかしそれでも中国軍部隊の逃げていった西側への移動=追撃でなければ変です。しかもコンバットリポートには追撃の旨の記載はなく、また日本軍は1部隊だけだったように見えるので、なぜこんなアイコンがついたのか分かりません。FoWということでしょうか?

今日の重慶には漢口方面から九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 25機が飛来しただけでした。しかしわずか25機でも、Airbase hits 2、Airbase supply hits 1、Runway hits 32と少なからぬ被害が出ています。また中国軍部隊は周囲のヘクスに対する偵察能力が非常に低いものなのですが、珍しく今日は重慶周囲のヘクスの日本側の動きが表示されていました。西からは17部隊、北東からは3部隊が接近中だそうです。これらの到着を待って重慶の攻城戦を再開するつもりだろうと思われます。

ウエーク島では細々とサプライの揚陸作業を続けています。今日で3日間お休みをとった第2海兵師団は混乱値13、疲労値27まで回復してきました。あしたは巡洋艦TFの艦砲射撃の支援の後で、陸戦を再開したいと思っています。


2014年10月22日水曜日

ウエーク島にサプライ揚陸再開

1942年11月20日、蘭印アンボンに対する艦砲射撃をCA Vincennes、Salt Lake CityとCLAA Atlantaの3隻で実施しました。前日をBabarのヘクスで待機しましたが、日本の偵察機・哨戒機に見つからなかったので、今日の艦砲射撃にも特に邪魔は入りませんでした。守備隊のdevice 4個を破壊し、32個をdisabledにするとともに、Airbase hits 7、Airbase supply hits 1、Runway hits 26、Port hits 10の命中弾、および地上で二式戦2機と零戦1機を破壊しました。アンボンには日本の戦闘機が50機ほどいると連日報告されていましたが、地上で多数の機体を破壊することはできませんでした。オーバースタックするほど過密になっていないと難しいようです。

また蘭印東部チモール島のディリにはダーウィンのB-25C Mitchell 25機が飛行場爆撃を実施し、Airbase hits 2、Airbase supply hits 1、Runway hits 13の命中弾を得ました。パイロットの地上爆撃スキルの訓練を兼ねた空襲ですが、このディリではこれまで時々CAPトラップに引っかかっています。それでも懲りずに連日の空襲を続けているのは、まだ日本側にそんなことをする余裕があるのかどうか観察することも大事かなと感じているからです。

ウエーク島では貨物船がサプライを揚陸しました。12cmと20cmの沿岸砲はまだ生き残っていて、 xAK Asphalionに12cm砲弾が2発命中してしまいました。しかし当たり所がよかったのか、Sys 5, Flt 0, Eng 0とわずかな被害でおさまっています。サプライが不足すると、砲弾の威力まで低下するのかしらん??

中国では今日も重慶の飛行場に空襲がありました。一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 42機の護衛で138機の双発爆撃機(Ki-21-Ic Sally 25, Ki-21-IIa Sally 52, Ki-49-IIa Helen 61)が飛来しましたが、昨日の301機に比較するとだいぶ少なめです。パイロットの疲労や機体の痛み具合をみてお休みを垂らせているのでしょう。それでも飛行場にはAirbase hits 61、Airbase supply hits 14、Runway hits 137の被害がありました。その後の陸戦フェーズ、今日も砲撃があるのかと思いましたが、今日は地上部隊の方もお休みでした。全軍に砲撃を指示すると、サプライの消費量もバカにならないでしょうからね。

F4UコルセアとP-47サンダーボルト

 連合軍側をもつと、1941年から1942年にかけて空の戦いはずっと押され気味で経過します。はじめは零戦、そして1942年になると二式戦。それに生産機数、つまり部隊に配備される機数を自分の好きなように決めることのできる日本側と違い、連合軍側の生産機数は固定されています。したがってPBEMでは連合軍側が数的にも劣勢な状態になることが通例です。そんな状況下で一筋の光明は第三世代戦闘機の登場で、第一陣のF4U-1コルセアは1943年1月から配備され始めます。こういった第三世代連合軍戦闘機の特長なんていった点にはまったくうとい私ですが、ちょうどフォーラムに Corsair vs, Jugというスレがありました。F4UコルセアとP-47サンダーボルトを対比してそれぞれの特長が分かりやすく語られています。とても勉強になったので紹介してみます。

このゲームと史実の世界、両方でF4U-4 CorsairとP-47D Thunderboltの比較をしてみてはどうだろう?2つの機種はともに18気筒のエンジンであるプラット・アンド・ホイットニー R-2800(ダブルワスプ)を装備していて、よく比較される。行動半径はほぼ等しく、ともに無骨な作りで損傷しても生き残りやすかったが、コルセアだけが朝鮮戦争まで使われた。WitP AEにはこういったことが反映されているんだろうか、それともこのゲームにそんなところまで求めるのは無理かな?
私はSymonさんの改訂した飛行機の性能データベース(訳注:New Airplane Data Filesというスレにあるものだと思います)をつかっている。ゲームの中では、P-47Dの方が少しだけ速く、少しだけ行動半径が大きい。上昇率はF4U-4の方が優れていて、上から2つ目までの高度帯を除くと運動性も優れている。2機種の機体は同じくらい頑丈だ。P-47Dは0.5インチ機関銃を8挺装備していて、F4U-4の6挺より有利だ。空戦ルーチンがどんな風に動作しているのか知らずに判定することは難しいが、低高度ではF4U-4が、2万フィートより高空ではP-47Dが有利だろうと思う。私は専門家ではないが、もしその通りなら私が史実の2機種について知るところと比較して、かなりもっともらしくできているといえる。ただ、F4U-4はP-47DではなくP-47Nと比較すべきだろう。この2機種の方がより拮抗していると言える。 

WitP AEでは、アメリカ海軍のある現役FA-18パイロットの助けを得て空戦モデルを作りなおした。単純化が過ぎる点もあるが、飛行機の正確なモデル化を目指した。コルセアとP-47はおおむね同時期の機種だ。コルセアは1938年の海軍の要求に則って生まれた(TBFとSB2Cも同じくこの要求により生み出された)。コルセアはまったく新しい機種だったが、P-47の方はP-35 → P-43 → P-47というふうに進化して来た。P-35はP-40の祖先であるP-36とほぼ互角の機種だったが、P-47はP-40よりもずっと高度に進化したわけだ。ともあれP-47のルーツはコルセアより1世代前になるわけだ。
戦後P-47が運用からはずされたのは、大戦に勝利をもたらした飛行機という評判のあったムスタングをアメリカ陸軍航空軍/アメリカ空軍が保有していたからだ。P-47は大戦の最後の一年を戦闘爆撃機として過ごした。P-47はもともと別の役割を果たすよう設計されていた。しかしヨーロッパの空の戦いが高高度で戦われることが判明した頃、自軍の機種をみまわしてみたアメリカは、高高度戦闘機という機種が乏しいことに気付いた。その求めに対応できたのはP-38だが、P-38は爆撃機を迎撃するはずの機種ではあったし、また生産コストが非常に高価だった。P-47はP-43を高高度戦闘機として設計しなおす計画として始まった。
P-47はドイツの戦闘機と有利に戦うことができた。トップのスコアをあげたパイロットの多くはP-47で飛んでいた。もっとも、ムスタングに機種転換していたら第56戦闘機航空団のスコアはもっと向上していた可能性はあるのだが。ムスタングとP-47には一長一短の関係があった。ムスタングは空冷エンジン機であり、しかもより軽く作られていたので壊れやすかった。また武装の点でも劣っていた。しかし運動性には優れていて、また大戦を勝利に導いたのはその行動半径だった。P-47よりずっと遠くまで行動でき、P-47が基地に戻らなければならない場所でドイツ軍機と戦うことができた。
海軍の方をみると、空母で運用する戦闘機としてはコルセアよりヘルキャットが優っていた。低速度での性能に優れ、またずっとずっと修理しやすかった。グラマンはコルセアと同じくらいの性能になるスーパーヘルキャットを予定していたが、F8Fがすでに開発途上にあったので、計画を中止した。自社の戦闘機2機種が競合することを望まなかったんだ。
コルセアはP-47のような高高度性能をもちあわせていなかった、コルセアの行動した環境では高高度性能が必要とされなかった。海軍がヘルキャットを運用開始する前に海兵隊がコルセアを入手し、しかも海兵隊には有能なPRの担当者がいて、ソロモンでのコルセアの偉業が報道機関に提供された。そのおかげで当時コルセアは良い評価を得た。コルセアは太平洋戦線に初めて登場したアメリカの新世代戦闘機であり、当時の日本機よりも明らかに優っていた。しかもその頃、アメリカはパイロットの質の点で日本を凌駕し始めていた。アメリカが卒業したての新米パイロットに戦訓を教え込み始める一方で、日本のパイロットの質は急な坂を転げ落ちるように低下して行った。アメリカはじめ連合諸国は空戦の実相に日本よりも速く適応することができたので、どんな機種を飛ばしても有利に戦うことができた。
カミカゼが脅威となった時、性能の差がわずかだったにも関わらずコルセアの名声がさらに際立つことになった。コルセアはオキナワの女神とみなされた。沖縄戦の間、海兵隊はコルセアの飛行隊を陸上から作戦させることができたが、その時点で海軍は空母で少数のコルセアを運用していただけで、空母の戦闘機の多くはヘルキャットだった。沖縄戦でコルセアはピケット役の駆逐艦を守るため常時警戒状態にあった。カミカゼが出現すると救援要請に応えるのは主にコルセアだった。空母は動き回っていたので、常にCAPをピケット役の駆逐艦に差し向けられる位置にいたわけではなかった。また空母には陸上から運用されるコルセアよりも困難な任務があった。海兵隊自身がカミカゼを怖れる必要はほとんどなかったが、海軍は常に空母への打撃を心配しなければならなかった(実際に突入されてもいた)。そのため海軍のCAPは空母と沖縄で揚陸中の艦船の上空に集中し、第一線の守りを務めた海兵隊の勝ち得た栄誉はそれだけ大きくなった。
実際のところ、空母はコルセアとヘルキャット両方を運用した。コルセアの飛行隊はVFBと呼ばれたが、管理上の都合によってつけられた名称だ。ヘルキャットの方が性能的には少し劣っていたが、飛行できる状態に維持しやすい機種であり、時間が経つにつれ飛行できる機体はヘルキャットの方が多くなっていった。コルセアの方は5%ほど性能が上だったが手がかかり、飛行できる機体の数は常にヘルキャットを下回っていた。
スレ主さんの質問に対する的確な答えにはなっていないかもしれない。しかしP-47もコルセアもある特定の目的に向け設計され、もともとの目的以外にも効果的に使用された機種だ。現場ではともに頼りになる戦闘機で、厳しい時期に奮闘し、敵に多くの打撃を与えた。両者を比較することは難しい。

この両機種に関しては、私が思っていた以上にPRが関与していたことに驚く。例えば、サンダーボルトは空飛ぶ戦車のようで、レイザーバックと呼ばれるコックピットも「魅力的」にはみえない。スピルバーグは太陽の帝国とプライベートライアンの2本の映画でP-51を低高度戦闘機・対戦車攻撃機として登場させた。液冷のP-51は空冷のサンダーボルトほどうたれ強くはなかったのにね。地上でのコルセアは不格好だが、今日の夕方みたRobert ConradのBlack Sheep飛行隊というTV番組にはコルセアが登場していて、その程度には見栄えがする機種ではあるようだ。

コルセア(訳注:おそらく「このゲームの」だと思う)は非常に優れた機種だ。空母艦載機ならCAPとして使い、攻撃隊の護衛にはつけたくない。もちろん異論もあるだろうが。制空権を握りさえすれば、戦闘爆撃機としてもつかってみたい。

これまで飛行機の歴史に関する本、雑誌、模型、飛ばせる模型、飛行機のゲーム(ミニチュアゲーム、ボードゲーム、PCゲーム)、フライトシムにたくさんのお金を使ってきたが、「P-47DとくらべてF4U-4はどう?」という質問は、落ち着いて考えてみると簡潔な答えが難しい。
個人的な事情を少し書かせてもらう。私の父は第二次大戦と朝鮮戦争の間、海兵隊のVMF 321飛行隊のF4Uの整備をしていた(訳注:このフォーラムには親族の大戦経験の話をしてくれる人が多いと感じます。正義の戦いに勝った側だから語りやすいんでしょうね)。私の好きだった大学の先生は1944~45年のフランスでP-47にのって対地支援任務に就いていた。彼は撃墜されてしまったが、生還してその経験を語ってくれたわけだ。私のサンダーボルトびいきは1960年のクリスマスにMartin Caidin著Black Thursdayを贈られた時に始まった。サンダーボルトがもう少し長い距離B-17の護衛につけていたら… 
ヨーロッパ戦域でのP-47に関して少し脱線するのを許してほしい。サンダーボルトに比較してムスタングが優れているという一般的な見解は検討が必要だと思う。こういった見方は両機種を飛ばしたことのある復員兵たちに由来している。ムスタングの方が運動性が優れていて、航続距離が長く、上昇と水平飛行の速度が速かった。しかしながら、サンダーボルトがムスタングに優っていた点もある。
  1. 降下速度:サンダーボルトは第二次大戦の戦闘機の中で最も大きく最も重かった。サンダーボルトを上回る降下率を示した機種について聞いたことがない。そんなわけで、サンダーボルトは陸軍の音速と圧縮率の試験飛行の機種に選ばれた。悪いことに、パイロットの中には降下後、墜落してしまう前に機体を再び操縦できるようにならなかった人もいた。
  2. ロールレート:サンダーボルトのロールレートを誤断した敵のパイロットは、機敏に旋回するサンダーボルトに驚くことがあった。パイロットの対G能力がロールの最大の制限要素だった。
  3. 生残性:無骨な機体と空冷エンジンのサンダーボルトはムスタングよりもずっとうたれ強かった。ムスタングのラジエータは機体底面にむき出しになっていた。Fw-190に攻撃され相手の弾丸切れでようやく逃げることができ生き残ったRobert JohnsonのP-47は、サンダーボルトの頑丈さを示す証拠だ。
  4. 武装と兵装の多さ:0.50インチ機関銃8挺対6挺、また機体の大きさを考えるとかなりの重さまでの武器を搭載できた。

最後に行動半径に関して指摘したい。対戦終了時までには、P-47D(そしてP-38)もベルリンまで爆撃機を護衛して行くことができるようになった。つまり、作戦行動半径に関する問題はほとんど消失したことになる。
スレ主さんの質問にもどると… 海軍の戦闘機全般について言えることだが、コルセアは空母への着艦に耐えることができるよう設計されていた。また機体は多くの被弾に耐えることができた(たしか、日本の多くの戦闘機には20mm機関砲が装備されていた)。バブル型キャノピーのサンダーボルトの方が視界が全周性により良好だった。しかしレイザーバックのサンダーボルトはコルセアと比較すると後方の視界に難があった。両機種とも尾輪式で機首が長いから、混雑した狭い誘導路のタキシングで前方確認のためにジグザグに進むことができない場合には、地上要員が主翼上に腰掛けてパイロットを助けてやることが必要だった。スピットファイア、メッサーシュミット、零戦のようなturn and burnタイプの戦闘機とは違って、両方ともboom and zoomタイプの戦闘機に分類される。太平洋戦域でコルセアはサンダーボルトよりも日本の戦闘機と格闘戦をする機会が多かっただろうと思う。しかしboom and zoom戦術の方が好まれ、またboom and zoom戦術を選ぶよう勧められていたように記憶している。対地支援任務についてはサンダーボルトの方が優れていたと思う。ドイツの対空砲の能力は日本の展開していたものに比較してはるかに優れていたと言っても過言ではないと思う。ドイツの20mmや40mm連装砲の威力は致死的で、もしサンダーボルトがあれほど頑丈でなければ、アメリカ陸軍航空軍の被害はもっと多くなっていただろう。
コルセアが第二次大戦時のサンダーボルトと同じような状況に遭遇したのは、朝鮮戦争の対地支援任務に就いた時だった。コルセアが対地支援任務にあてられたのは、海軍予備部隊が招集されたことと、第二次大戦後の軍備削減により対地支援任務にあてることのできる空母艦載機が他になかったことによるのだと思う。しかも当時の空軍の正規および予備部隊にはサンダーボルトが1機もなく(もしかすると州軍の中には在庫を持っていたところがあったかもしれないが、それも疑わしい)、1950年までに招集された(すべてではないとしても)ほとんどの空軍部隊はムスタングを飛ばしていた。対空火器に対する生残性について考えてみると、ドイツ国防軍の展開した量と能力に匹敵する自動車化対空砲を北朝鮮や中共軍が運用していたとは思えない。だから、ヨーロッパでアメリカ陸軍航空軍が対処しなければならなかったような量の自動車化対空砲にコルセアが直面したとも思わない。もっとも、海軍のパイロットがひどい目に遭うような局面がなかったと言うつもりはなく、その点に関しては教えを請いたい… 朝鮮戦争でコルセアが地上支援に使われたもう一つの理由は、アメリカ海空軍の艦載ジェット機も陸上基地のジェット機も余分の兵装をたくさんは搭載することができず、また対空砲火に曝される危険を冒さず、それでいて地上目標を効果的に攻撃できるほどにまで速度を落とすことができなかったことだ。コルセアのエンジンは数気筒が被弾しても油(訳注:原文は”oil”ですが燃料でしょうか潤滑油でしょうか、それとも両方かな。ピストンエンジンに詳しい人教えて下さい)が続く限りは飛び続けることができた。この点はサンダーボルトも同じだ。しかし弾丸が1発でもジェット機のタービンに命中すれば、ジェットエンジンは自然にかつ急速に壊れて行ってしまう。またジェット機は滑空がうまくできなかった。コルセアとサンダーボルトもそれほど滑空がうまくできたわけではないが、この2機種はエンジンの出力が失われた際、ジェット機のセイバーよりもずっと遠くまで滑空することができた。地上たった数百フィートの上空(訳注:対地支援任務だとこのくらいの高度ということなのでしょう)で被弾したら、滑空性能の違いはあまり意味を持たなかったかもしれないが… 
このテーマに関してはまだまだ書きたいことはあるが、だいぶ長くなったので疑問点を二つ提出してこのレスをしめようと思う。
  1. コルセアが太平洋やヨーロッパで使われなかったことが不思議だ。レンジャーは艦隊型空母としては小さすぎ、商船改装の護衛空母は古いワイルドキャットやMartin(訳注:イギリスバージョンのワイルドキャットであるマートレットのことかな)、ハリケーン、ソードフィッシュをコンボイ護衛につかい、護衛空母の滑走路はコルセアを飛ばせるほど長くはなかった。しかし私がこれまでに読んだものの中には、コルセアの使われなかった理由を明解に解説してくれているものはない。みなさんのご意見を伺いたい。
  2. 私はオンラインのフライトシムをプレイしたことがない。オンラインのフライトシムで枢軸国機または連合軍機を相手にコルセアを飛ばした経験のある人の感想をきいてみたい。
  3. 私は素のWItPもWitP AEもプレイ経験がなく、コルセアとサンダーボルトはどんな風にモデル化されているのか知らない。みなさんのご感想は…? 


コルセアが大西洋やヨーロッパで使われなかった理由のひとつは、アメリカ陸軍が海兵隊をヨーロッパから締め出していたことだ。陸軍は第一次大戦での海兵隊をめぐる物語を憶えていて、それを繰り返したくはなかった。結局、海兵隊は太平洋にまわされ、同じことを繰り返すことになったわけだが、とにかくヨーロッパには大使館の警護の部隊以外の海兵隊はいなかったんだ。対戦終了間際までコルセアのほとんどは海兵隊に割り当てられていた。例外としては、最初の艦載コルセア部隊となるはずだったVF-17がある。ともあれ、大西洋の護衛空母には一流の戦闘機は不要だった。ドイツ機と出会うことがあったとしても、長距離を飛べる哨戒機で戦闘機ではなかったから。海兵隊は生産されたコルセアのほとんどを太平洋の部隊向けに受領した。それに加えて、ブルースター社がコルセアのライセンス生産に絶望的に失敗したことがある。ブルースター製のコルセアは信頼性がなく、前線の部隊に送れるものではなかった。イギリス海軍航空隊も少数のコルセアを運用し、ノルウェー沖でドイツ機と戦闘した機もあった。ヨーロッパでのコルセアの戦歴はその程度だ。
フライトシムに関しては、私もリアルタイムゲーム用の反射神経を持ち合わせていない。プレイしてみようとしたこともあるが筋肉痛を来すだけで、私がその種のゲームをしない理由はそれだ。

WtiP AEでのサンダーボルトは傑出した戦闘機だ。ほとんどの戦闘機よりも火力、高高度性能に優れている。コルセアも連合軍最高の戦闘機のひとつだ。
WitP AEの中ではサンダーボルトの方が良い戦闘機だと感じる人が多いだろうと思う。サンダーボルトの方が速く、火力に優れ、整備性も良い(Service Rating=1、それに対してService Ratingが1のコルセアが出現するのはかなり後になってからだ)。しかしコルセアがそれほど見劣りするとも感じないし、どちらの機種も日本機相手ならうまくやれる。

スレのテーマからはずれてしまうかもしれませんが「 アメリカ陸軍が海兵隊をヨーロッパから締め出していたことだ。陸軍は第一次大戦での海兵隊をめぐる物語を憶えていて、それを繰り返したくはなかった。結局、海兵隊は太平洋にまわされ、同じことを繰り返すことになったわけだが、とにかくヨーロッパには大使館の警護の部隊以外の海兵隊はいなかったんだ」というのは初耳だ。どんな物語があったの?海兵隊はうまくやりすぎたのか、それともなにかもっと別のこと?海兵隊がヨーロッパの戦いに登場しなかったことはなんとなく知っていたが、詳しく説明してもらえるかな。

第一次大戦のフランスで、アメリカ第2師団の海兵旅団に報道機関の注目が集中した件について言っているのだと思う。海兵隊もたしかによく戦ったが、第二次大戦の時と同じようにプレスリリースに際しては部隊の特定ができないようにという報道規制があった。しかし報道機関が「海兵隊」について語ることは自由で、実際に頻繁に報道された(報道機関の言い分ではいい記事になった)のだが、アメリカ第2師団の他の旅団(陸軍所属)やアメリカ海外派遣軍全体を悔しがらせることにもなった。そんなわけで、後年トルーマン大統領も「海兵隊なんて、スターリンのプロパガンダ装置つきの海軍のポリ公だ」なんて言ったんだ。

この件に関してはなにかのついでに読んだことがあるだけだが、それによると海兵隊は記者を従軍させた最初の軍種で、しかも海兵隊は記者たちが兵士の活躍に関する記事を書いてくれるよう奨励した。派遣された兵士の数を勘案すると、第一次大戦時の海兵隊は陸軍よりずっと多く報道機関にあつかわれたが、陸軍のお歴々はそんな扱いを納得できなかった。第二次大戦では、まずドイツを叩くという政策のもとで、陸軍の上層部がヨーロッパでの戦いの大部分をお膳立てし海兵隊をこの戦域から締め出したわけだ。
しかし太平洋も陸軍の上層部が考えていたよりずっと活発な戦場となった。太平洋で戦った陸軍の兵士の数は海兵隊よりも多かったが、太平洋の戦いの兵士として一般の人が想い浮かばれるのはどっちだと思う?

ゲーム中での連合軍の戦闘機の数は常に不足しているから、どちらの機種も好きだ。またこのゲームでは初期のP-51に対してサンダーボルトの火力がいっそう強調されて表現されている。サンダーボルトとコルセアを比較するには対戦相手を考慮することも必要で、かなり違った敵と対戦している。余談だが、空戦を描いた映画で最高なのは、ヨーロッパでのP-47の活躍を描いたFIGHTER SQUADRONだと思う。

お二人とも素晴らしい解説をありがとう。私の6年生の時の担任の国語(訳注:原文は”English”)の先生は太平洋で戦い、その友人はコルセアを飛ばしていた。先生が言うにはその友人はコルセアがとても気に入っていたそうだ。

これまでにP-47とF4Uを直接比較したものを読んだ記憶がない。両機種はお二人の言う通りの飛行機だった。エアショウで出会ったP-51で飛んだことのあるパイロットの話を聞くと、P-47は1944~45年のアメリカの戦闘機の中で最も優れた高高度性能をもち、P-51よりも優れていたそうだ。中高度と低高度ではP-47よりF4Uの方がちょっぴり良好な性能を示したかもしれないとも思うが、アメリカの繰り出した最高の戦闘機はP-47だったと思う。第8空軍がP-47をP-51で置き換えたのは、1944年前半の時点での両機種の行動半径が理由だった。P-47CとDの航続距離はイングランドからドイツまで飛ぶには不十分だった。この点でP-51に匹敵するものはなかった。後期型P-47MとNはドイツまで飛べる航続距離を有していたが、第8空軍にはすでにP-51があったので需要されなかった。
以前のレスでも書いたように、F4Uと競合していたのはF6Fだった。F6Fは海軍の要望を充たしていたので、急いでF4Uに機種転換しようという機運はなかった(記憶に間違いがなければ、太平洋戦域でキルレシオが最も優れ、また稼動機の比率の高かった戦闘機はF6Fだった)。F4Uが朝鮮戦争で使われたのは、開戦時に海兵航空団がF9F pantherへの機種転換を済ませていなかったことが主な理由で、そのため朝鮮戦争のあいだかなり長くにわたって旧式のF4Uで戦い続けなければならなかった。同じような理由で、空軍の一部の部隊もP-51で開戦を迎えた。しかし空軍にはP-51をすぐにF80とF84で置き換える予算的裏付けがあった(もちろん地上支援任務の機体のことだ。制空任務はただちにF86セイバーがあてられた)。
ということで、F4UとP47を比較することが本当に可能なのかどうか私には自信がない。海兵隊の部隊のスコアと、P47を飛ばした第5空軍の統計を比較すればいいのかな?

朝鮮戦争で海兵隊と海軍の地上攻撃の主柱だった尊敬すべきスカイレーダーを忘れてはいけない。コルセアがP-47よりも長生きできたのは、コルセアが多目的に使えて、サンダーボルトのできなかった任務にも就けたからだろうと思う。
このゲーム内ではP-47の方が優れていると思う。P-47D2はF4U-1よりも毎時20マイル速く、登場は6ヶ月遅いだけだ。しかもより頑丈なうえ最高高度や整備性も優れていて、武装はF4U-1Aさえも凌駕している。P-47D2より一年近く遅れて登場するF4U-1Dは前の型よりも少し速度が遅くなっている。もっとも整備性は改善(SR=1)されるのだが。P-47D2に匹敵する速度をもつのはF4U-4だが、F4U-4の登場する1945年6月にP-47系列は毎時460マイルも出るNバージョンに進化している。このゲーム的には比較にならないと思う。
フライトシムに関していう(訳注:私はフライトシムをプレイしたことがないので以下の訳でいいのか自信なし)と、私は長年IL2 Sturmovickというゲームのfull-switchでrealisticな鯖で飛んだ経験がある。コルセアは太平洋戦域の鯖(私は数ヶ月にわたってZeke Vs Wildcat鯖を飛んだ)に限定されているし、P-47は主にヨーロッパ戦域の鯖だから、この2機種を比較することは難しい。私はコルセアで硫黄島マップの地上支援任務を何度もこなした。この機種はとても速くて直線飛行さえしていれば零戦(A6M5)にも紫電改(N1K2)にも追いつかれることはない...しかしたった数秒でもターンしようとすると、20mm機関砲を4挺もつあのやっかいな紫電改に真後ろにつかれてしまう... 太平洋戦域を飛んで楽しい機種ではないね。P-47でヨーロッパを飛ぶ方がずっといい。高高度を高速で飛べばFw190 AだろうがFw190 Dだろうが簡単にかわすことができる.. 

フライトシムでの体験。P-47は火力、逃げる際の最大降下速度、(ほとんどの高度での)最高速度といったもののおかげで対戦闘機戦闘に有利だ。日本機を相手に格闘戦をするとなるとそんなに有利ではないものの、予想通り、多対多の戦闘では優っている。四式戦と雷電は速いので最も厄介な相手だ。ドイツ機との空戦では、ほとんどのBf 109はP-47よりも遅く、高速でのロールレートの点で操縦性に難があり、また高速では操舵に大きな力が必要でもあり、P-47に追従することが困難だ(Bf 109も格闘戦でなら勝てる)。P-47に搭乗していて優秀なパイロットの飛ばすFw 190と出会ったら、Fw 190は避けて別の相手と戦いたくなるだろう。ミスは許されない相手だから、P-47でも数的優勢と高度の優位を必要とする。P-47特有の超高速での降下を除くと、P-47がどんな機動をしても、Fw 190はP-47をしっかり追いかけることができる。史実ではほとんどの場合、数的優勢、有利な位置取り、有意な高度、訓練と経験の差がみられた。しかし、同じ条件でFw 190、とくにFw190D-9に勝つには、また単に最高速度が9kmしか速くないという状態を避けるには、P-51、テンペスト、La-7といったような、Fw 190とどんな高度での格闘戦も多対多の戦いもできる機種が必要となるだろう。

P-47はターボ式過給器を装備していて、高度3万くらいで最高速度をだせる。F4Uは二段機械式過給器で最高速度は高度2万くらいで出る。エンジンは同一だが、吸気の様子が違っているんだ。そしてロールレートは速度や高度ごとに異なる。降下率も同じように変化するし、また降下率は飛行機がクリーンな状態か通常の装備を搭載しているかによっても異なる。
コルセアとサンダーボルトのどちらが優れているかを尋ねるのは、フォード250ピックアップとジープグランドチェロキーのどっちが良いか尋ねるようなもんだ。ばかばかしい。ここではこっちの方が良いし、そこではあっちの方が良いけど、どっちが優れている?武器っていうのはそういうもので、使いみちによるんだ。
コルセアはF6Fより優れた飛行機だったが、空母の艦上ではひどいものだった。そんなわけで海兵隊にまわされた。イギリス軍は空母でもつかいこなしたが、彼らはコルセアに適した着艦方法を採用していた。アメリカ海軍もそれを学び、ついにはコルセアを空母で運用するようになったわけだ。

P-47MもP-47Nほどの長い行動半径をもちあわせてはいなかった。しかしそれでも良い飛行機だった。P-47Mはごく少数だけが製造され、第56戦闘機団だけが装備した。P-47Nの行動半径はP-51に迫るほどだった。
VF-17は海軍初のF4Uの部隊で空母バンカーヒルに搭載される予定だった。コルセアには低速域での厄介な失速特性があったので、VF-17は片方の主翼の前縁に失速防止用の金属片を装着した。F4Uは他のどの海軍機に比較しても着陸が難しく、タイヤがパンクしやすかった。作戦を進めようとしている時に着陸する機体のタイヤがパンクしちゃうと予定が狂ってしまう。
朝鮮戦争で海軍はF4Uを地上攻撃任務にあてていた。たしかそのうちスカイレーダーに機種転換されたんだとは思うが、初期にはスカイレーダーを装備している飛行隊がわずかしかなかった。初期のジェット機は扱いが難しく、信頼性に乏しかった。コルセアのような枯れた機種のおかげで、来る日も来る日も飛行機を飛ばし続けることが可能になった。私の母のいとこは空母オリスカニーでパンサーのパイロットだった。彼の居室は艦尾に近く、午前5時を過ぎると眠っていられる環境ではなくなったそうだ。午前5時というのはコルセアが作戦行動を始める時間なんだ。ジェット機がカタパルトから発進するのとは違って、コルセアは甲板後部から滑走して離陸した。ジェット機が仕事に取り組まなければならないのは、太陽が水平線からかなり上まで昇ってからだった。

これまでに触れられていない細かいことだが、P-51の初期の価格は5万8000ドルでその後5万ドルにまで低下した。P-47は生産されていた間ずっと11万5000ドルだった。維持費が高かった(ターボスーパーチャージャー)ことともあわせて、これもP-51がP-47よりも好まれた理由の一つだった。

これは的確な指摘だ。戦争ではコストの削減と生産の合理化に成功した側が勝利する。その他の理由より、このコストの比較の方が真相をよりよく説明してくれていると思う。P-38Lは優れた戦闘機だったが、驚くほど高価だった。ムスタングを製造できるのにP-38Lの方を生産しなければならない理由なんてなかったんだろう。

太平洋でP-38を飛ばしていた第5空軍のパイロットのスコアはそれほど良くはなかった。P-38LはP-51よりも行動半径が長く、問題の生じた時にも余裕があった。海上を長距離飛行する際には、双発であることがパイロットの安心材料となった。ツインムスタングもP-38の行動半径とP-51の空戦能力とを併せ持った機種として計画された。完成が遅すぎ、また技術は別の方向に発展して行ってしまったが、朝鮮戦争では優秀な夜戦として戦えた。1943年のP-40の生産がP-51に置き換わっていたら、アメリカはずっとラクな戦いができたろうに。

すべてその通りだ... 私の父は朝鮮戦争で第5連隊戦闘団のライフルマンだった。父は、海兵隊のコルセアが低空で接近し爆弾やナパーム弾を前線の向こう側に投下する様子を話してくれた。深く記憶に残ったのだそうだ。しかし、(朝鮮戦争の地上任務にP-47が参加しなかったのに対し)F4Uがつかわれたことに関して私がいいたいのは、空軍には戦闘爆撃機としての任務に近代的なジェット機を導入するための資金とリソースが早い時期からあったということだ。F4UがP-47よりも地上攻撃機として優れていたからというわけではない。空軍には新しい機材を導入する資金があり、海兵隊や海軍にはそれが欠けていた。注目すべきなのは、海軍もA4スカイホークを使い始めると決してF4Uに戻ろうとはしなかったことだ(旧式化していたA-1スカイレーダーでも限定的な任務ならベトナム戦争でもつかわれたのに)。海軍がF9Fパンサー、F7Uカットラス、FJ2/3フューリーを1951年までに充分な数揃えていたら、F4Uコルセアはかなり急速にお払い箱になっていたことだろう。

P-51とF4Uは戦後も使い続けられ、各軍種が所有する最高のピストンエンジン戦闘機として多数が保存されてもいた。その他の機種はほとんどがスクラップにされ、残された機体は例外的だった。P-47は優秀な地上攻撃機だったが、空軍は戦後になっても使い続けたいとは思っておらず多くを退役させた。B-29は、B-36が採用された後、中型爆撃機に機種を分類しなおされた。 attack bomber(対地攻撃爆撃機)という分類は廃止されてしまった。大戦終了時、新品のA-26がたくさんあったがみんな保管機にされた。おそらく外国に売りつけるつもりだったのだろう。
F-51(1947年に名称が変更された)、F4U、A-26は保管機かまたは二線級の部隊(州兵など)の使用機であり、また一部のF4Uは空母で運用されていて、それらが朝鮮戦争でつかわれることになった。部隊の数が大幅に削減されたので、その時点で運用されていたF-47は特別な任務に就いているものだけのごく少数だった。保管機も1個飛行隊を装備させるだけの数はなかった。P-47は朝鮮戦争での対地攻撃任務にF-51よりも適していたかもしれないが「もうこんな戦争はたくさん」という気分で後先考えずにスクラップされてしまっていて後の祭りだった。

P-47がP/F-51よりも優秀な地上攻撃機だったという点は同感だ。大戦終了直後、アメリカ陸軍航空軍は必要でないものはすべて排除しようとしていた。P-38やP-47はしっかりした整備を要し、航空軍の要求からはずれた。これがこの2機種の残存機体が片手で数えられるくらいしかない理由だ。現存するP-38のうちの1機はグリーンランドの氷冠の下から発見されレストアされたものだ。
あなたの手がとんでもない奇形でもなければ、P-38とP-47は片手で数えられるよりも少し多くが現存している。 Warbird Registry をみると飛行可能なP-47は14機、P-38は7機を数えることができる。世界中の博物館には静態保存された機体がもっとたくさんあるだろう。しかし飛行可能なP-51が数百機あることもたしかで、他方、飛行可能なF4Uもあるにはあるがそんなに多くはない。大戦を戦い抜いたP-47の多くは戦後ラテンアメリカの空軍に売却され、コルセアを手にしたがるファンが現れる頃まで永らく維持された。
以前、Chapman戦闘機博物館(ここのコレクションは今シアトルの飛行博物館が所有している)の学芸員と話したことがある。彼はアメリカ陸軍航空軍のパイロットだったが、訓練の終了した時期が遅く、戦闘を経験しなかった。そのかわり、彼の最初の、かつ唯一の任務は工場で製造されたばかりの多数のP-40をアリゾナ州Kingmanにあるスクラップヤードに飛ばすことだったそうだ。
私の父は、戦争の終了したとき余剰となった飛行機を購入したいと思ったと話していた。P-47なら1機が車1台より安く買えた。ただ、父には駐機させておく土地がなかったのだそうだ(一時、父は友人たちと共同である映画スターの所有していたロールスロイスを手に入れたことがあるが保管しておくことができなくなり手放すことになった。今その車はネバダ州のコレクターのものになっている)。ウォーバードの将来を予見できた数少ない人の一人にEdward Maloneyがいて、彼は映画産業用に多数の飛行機を保存しておいた。一時は、唯一の個人所有のMe-262を彼が所有していた。

私の近くの空港に十年以上前から展示されているコルセアも南アメリカ帰りで、雨曝しでカモメの糞にまみれてしまい、いま化粧直しの作業を受けている。

「望みの武器で戦うのではなく、手持ちのもので戦う」ということだ。

面白い議論をありがとう。私のこれから言うことは皆さんにとっては当たり前のことかもしれないが、P-47はMe-109やFw-109、それにMe-262と対戦するのにも最高の戦闘機だったと思う。P-51もいい戦闘機だが、私はF-47を選びたい。F4Uは日本機よりも優れていた。幸運かなにかのおかげだ。
私が第二次大戦時のアメリカのパイロットだったら、他のどの機種でもなくサンダーボルトに搭乗することができたら、生き残れる確率が高いことで幸せに感じただろう。
私にはRobert Johnson(彼に関するエピソードはこのスレの前に方にある)のいとこにあたる友達がいて、本当はいとこだがだいぶ年が離れているのでボブおじさんと呼んでいたそうだ。彼が小さかった頃、ボブおじさんの膝でいろいろと経験談をきかせてもらったそうで、もしそのRobert Johnsonに好みの機種を選ばせたら、彼もP-47を選んだに違いない。P-47は当時の最高の機種だったから。
私(訳注:これは主に日本側だけでプレイしている人のレス)はこのゲームのコルセアが嫌いだし、サンダーボルトにはひどくおびえてしまう。的確な比較なんてできる?

コルセアについて1点。この機種は1953年になっても製造されていた(純粋な対地攻撃機であるA-1Uバージョン)。

P-47はR2800-8エンジンにターボスーパーチャージャーを装着していて、高高度で本領を発揮する。最高速度は全開高度の3万で。F4Uは2段機械式過吸器装備で中高度で本領を発揮する。最高速度は全開高度の2万で。飛行機の性能は「曲線」状になっている。その「曲線」をみればいろいろと発見があるだろう。こういったことが、WitP AEの飛行機性能アルゴリズムの基礎になっている。

第二次大戦後、アメリカ空軍はすべてジェット機という軍隊を目指した。しかし予備部隊にまでまわすほどのジェット機はなかった。F-51は第二次大戦期の中で最高性能、最新、整備も用意な機種と判断された。しかもまだ生産が続けられて(P/F-51H)いた。パーツは生産終了した機種のものよりも生産中の機種のものの方が安く入手できる。レパブリック社とロッキード社はジェット戦闘機の生産にシフトしていて、ノースアメリカン社はF-86の不具合を修正するのに専念していた(まだ量産は始まっていない)。ということで1948年の時点のアメリカ空軍は経済的に意味のある選択をしたわけだ。
その40年後、アメリカ海軍も同様な選択を迫られている。維持費で破産させられそうだが(多くの点で)より有力な戦闘機(F-14)を維持し続けるか、それとももっと安価で済む多目的戦闘機(いろいろなバージョンのF-18)にするか。それにしてもフル生産なら安価だが、小規模な生産でも安価なのだろうか?いずれにせよ議会はどちらかを選択するように忠告して来ている。必ずしも最善を手にすることができるとは限らない。手に入るもので済まさなければならないこともある。

朝鮮戦争での選択は機種が問題ではなかった。緊急命令で海兵隊予備部隊が呼び出された。彼らは地上攻撃任務を熟知していた。彼らが装備していたのはコルセアだった。そんなわけでコルセアが使われたわけだ。

素のWitPのスレでは際限なく零戦対F4Fワイルドキャットについて議論されていた。ある時、Lundstrom著のThe First Teamを読んだ私は、AFB(連合軍側のファン)たちが正当だと信じている順位表を破り捨て、1942年の段階では日本側の空戦ドクトリンの方が連合軍側のフィンガーフォー・ドクトリンよりも優れていて、緒戦期の連合軍戦闘機に対する零戦の成功に大きく寄与していたと提起した。連合軍側の4機単位という選択(イギリスのV字型3機編隊)に対し、日本側は6機で1単位を選択していた。そこから、私はどんな銃撃戦でも数の多い方が有利(無線機の装備の有無を無視すれば)だし、少なくとも数が多いと言うことで不利になることはないと考えたんだ。朝鮮戦争での空戦に関する本を読み、ソ連が第二次大戦のベテランを参戦させた1951-1952年の時期にこの問題が再浮上し、ソ連機がF-86セイバーに対し大きな成功をおさめたことを知った。ソ連戦闘機の成功はアメリカの4機編隊に対し6機編隊だったことが少なからず関与している。1942年前半にアメリカ海軍のパイロットだった2人のJimmyJimmy Thatch(自分のフィンガーフォーにサッチウィーブを勧めた)とJimmy Flatley(珊瑚海海戦後に6機単位を提唱した)が戦術の変更を提案した。アメリカ側はサッチウィーブとドイツ空軍のフィンガーフォー戦術(Finger Four Schwarm tactics)を採用した。Flatleyは3機編隊のペアを提案したが、これはソ連が朝鮮戦争で採用していたHonchoと呼ばれるものと同じだった。Flatleyが1942年に提案していた6機編隊の有効性が朝鮮戦争で証明された皮肉な巡り合わせ... http://acepilots.com/russian/rus_aces.html 

一般論としてはあなたの多数の優位という結論に同意する。しかしあなたのレスは、2つのテーマを混ぜてしまっているように感じる。一つは数的優勢でもうひとつは戦術的な編隊構成。1個のフィンガーフォーが、2個のVic(V字型3機編隊)や1個の典型的なHoncho編隊よりも不利なことは不思議でもなんでもない。4対6の戦闘なんだから。2個のフィンガーフォーなら、2個のVic(V字型3機編隊)や1個の典型的なHoncho編隊に対して数的に優位に立てる。これは無限に拡大することができるが、本質的には利用可能なリソースの問題に還元されてしまう。議論の基礎にあるべきなのは効率という問題で、その場合には双方が利用可能な銃の数という観点からすると2機編隊がV字型3機編隊よりも有利だと証明するようなことを考えなければならない。空戦の他の要素を無視すれば、3機は2機よりも常に有利だ。しかし双方の機数が同じ(例えば6機とか12機とか)なら、2機が戦術構成の最小単位となっているような編隊が有利になる。双方の機数が同じだとすると、ソ連の6機編隊は2機単位3個が戦術的に支援しあうので、2個のV字型3機編隊よりも優れている。しかしあなたの考えの延長でフィンガーフォーと6機編隊との比較すると、Honcho編隊1個に対する最善策は6機編隊で立ち向かうことではなく、フィンガーフォー2個ということになってしまう。しかしフィンガーフォー2個はHoncho編隊2個に対しては数的に劣勢になってしまう。こんな比較はあまり意味があるようには思えない。Honcho戦術とフィンガーフォーを比較する唯一の方法は、Honcho2編隊とフィンガーフォー3編隊を比較することで、12機対12機という状況になる。(空中で完全な編隊を組むのに何機が空母から離陸しなければならないかといったような要素は無視するにしても)機数のほかに、空戦の結果に影響を及ぼす他の戦術的変数がたくさんあるので、有意な結論に到達することは難しい。個人的には2機単位を2倍2倍と拡大してゆく編制が効率、単純性、安全性、柔軟性という点で最善だと思う。

Vicは3機編隊だ。フィンガーフォーは2つのペア(4機)の編隊だ。ソ連やFlatleyの提唱したのはいわばフィンガーシックス、ペアが3つ。フィンガーフォーが選択されたのは、こちらの方が積極的な編制だからだ。

2014年10月20日月曜日

東シナ海で中型タンカーを撃沈

1942年11月19日、温州沖の東シナ海でSS Tritonが日本のタンカー船団を発見しました。TK第3小倉丸に放った2本の魚雷のうちの1本が命中し、しかも今日は運良く爆発してくれました。この船団は本土に向けて航行していたようで、fuel cargo burningと表示されました。沈没艦船リストには名前が載せられていませんが、沈没音を聴取したので撃沈間違いなしだと思います。2日連続のタンカー撃沈、しかも1250トン積みの小型タンカーだった昨日のTK Azuma Maru #2とは違い、今日の第3小倉丸は7950トン積みの中型タンカーですから喜びもひとしおです。

蘭印では今日もクリスマス島に二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 41機のsweepがありました。お生憎様、今日もCAPはいません。sweepの後に飛行場空襲があるのかとも思いましたが、爆撃機は飛来しませんでした。クリスマス島に表示されている船のアイコンは魚雷艇TFで、サプライ輸送船団はココス諸島に避難してもらっています。クリスマス島のサプライ備蓄量は13万トン以上になっているので、戦闘機隊が元気になるまでしばらくコンボイの派遣を中止します。

ウエーク島周辺では、心配していた機動部隊の殴り込みもなく、平和な一日でした。多くの艦船がミッドウェイ方向に移動中ですが、ウエーク島の部隊のサプライが心配なので、あしたからまたサプライの揚陸を再開する予定です。

中国では重慶に大規模な空襲がありました。一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 42機に護衛された双発爆撃機 301機(Ki-21-Ic Sally 47, Ki-21-IIa Sally 189, Ki-49-IIa Helen 65)が飛行場と守備隊を爆撃し、飛行場にAirbase hits 3、Airbase supply hits 1、Runway hits 27の被害があり、また守備隊のdevice 1個が破壊され81個がdisabled(負傷・故障)になりました。300機以上の爆撃機による空襲はこれが初めてで、守備隊の被害は無視できません。引き続き陸戦フェーズには日本側から砲撃戦をしかけられました。死傷者は日本側のdevice 2個disabledに対して中国軍は9個がdisabledになりました。また素のAVは日本側5421:8368で、昨日と比較して日本側は1、中国軍は13減っています。空襲の影響か少しづつ守備隊が削られていっています。

2014年10月19日日曜日

ウエーク島の陸戦で朗報

1942年11月18日、夜陰に乗じてクインシー、ミネアポリス、ポートランドの重巡3隻がウエーク島の艦砲射撃を実施しました。ウエーク島守備隊の沿岸砲はまだ活動を続けていて4門が反撃してきましたが、3隻の重巡には被害はありませんでした。ポートランドのOS2U-3 Kingfisherが弾着観測を行い、守備隊のdevice 13個を破壊し、1個をdisabled(負傷・故障)にすることができました。きのうのエントリーで予告したように、今日はウエーク島で陸戦を仕掛ける予定でした。この3隻の重巡の支援砲撃だけでは不十分で陸戦に失敗なんてことにならないよう、空母の艦載機にも地上部隊攻撃を指示してありました。しかし天候のせいで飛んでくれなかったのです。リプレイを見ながら、とても心配な気持ちでいっぱいになりました。

そして思わず祈りながら見守った陸戦ですが、素のAV(白兵戦値)は連合軍321:日本軍守備隊66。日本側には防禦施設によるプラス修正と経験不足、サプライ不足によるマイナス修正がつき、連合軍には混乱によりマイナス修正がつきました。修正AVは170:38、オッズ比4:1なので奪取は出来ませんが、防禦施設を規模4から3に低下させることに成功。死傷者は日本側のdevice 31個破壊・51個disabledに対し、連合軍はdevice 43個破壊・50個disabledで拮抗していました。正直なところ、防禦施設の規模が4あることにとてもプレッシャーを感じていたので、規模1だけでも破壊することができほっとしました。そしてもうひとつの朗報は日本側守備隊のサプライ不足が判明したことです。時間さえかければ現有戦力で奪取できそうに感じます。とはいえ今日の戦闘で第二海兵師団の混乱値は14→44、また疲労値も26→41と急上昇しています。とりあえずお休みさせ、数日後に艦砲射撃の支援下で陸戦を再開することにします。
TF 410 sights Japanese Aircraft at 138,97 near Wake Island
11月5日以来、多数のアメリカ軍艦船がウエーク島周辺を遊弋していましたが、不思議とこれまで日本の哨戒機の姿を見たことがありませんでした。ところが今日は日本機の目撃報告がありました。報告したTF410はウエーク島でサプライを揚陸してミッドウェイに戻るTFですが、目撃を報告してこなかった2つの空母TFのDL(Detection Level)も10/10と6/6と表示されています。このTF410の目撃したのが四発機(大艇)か双発機(陸攻)と確認されていれば、マーシャル諸島からの哨戒機だろうと判断して済ませることが出来るのですが、機種が不明では単発の艦載機の可能性も否定は出来ません。ウエーク島の北西から西側には複数の潜水艦を配置してありますが、これらが日本機を目撃したり、またDLがついたりということはありません。もしかするとマーシャル諸島からウエーク島の南東側に回り込んで機動部隊が接近中??今日の陸戦の結果、現有戦力でも何とかなりそうプラス数日お休みという方針が確定したので、ウエーク島周辺の空母TF、水上戦闘TF、もろもろの支援艦艇、増援の1個連隊を載せた上陸船団などはミッドウェイ方向に後退させることにしました。

蘭印ではバタビアからの二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 39機がクリスマス島上空をsweepしていきました。一昨日に比較するとsweepの機数が小規模になっているのは、日本側もまだパイロットの疲労や機体の整備が完全ではないからでしょうが、クリスマス島配備の戦闘機隊の方はどれもまだ士気値が80台なので、CAPをさせず休養中です。日本側が勇をふるって、sweepだけでなく、ジャワ島の爆撃機に艦船攻撃を指示してあれば、クリスマス島でサプライ揚陸中の貨物船は楽々と食えたはずなのに。あしたもsweepだけとは限らないので、荷揚げは終了していませんが、ココス諸島に後退させることにしました。

マカッサル海峡の南側でオランダ潜SS KXVIがTK Azuma Maru #2(1120トン、VP 3)に魚雷を2本命中させ撃沈しました。先日のスラバヤ空襲以来、日本側はスラバヤにTFを派遣することがなくなりました。かわりにマカッサルには複数のTFの存在が目撃されています。マカッサルには1万人以上の守備隊や多数の戦闘機が配置されているので、サプライを輸送するTFもいることでしょう。また掃海や対潜任務のTFもいるようです。この1250トン積みの小さなタンカー Azuma Maru #2はそれらTFの活動に必要な燃料を運んできたのだと思われます。

中国では今日の重慶空襲は九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 25機による飛行場爆撃だけで、Airbase hits 4、Runway hits 18の被害でした。その後は今日も砲戦があり、日本側にdevice 4個disabled、中国軍守備隊にdevice 9個disabledの被害が報告されています。素のAVは日本側5420:中国軍8381で、きのう5197:8382と比較すると日本側が220ほど増えていて、独立混成旅団が1個加わっていました。これから続々と攻城戦に参加する部隊が増加するのでしょう。

2014年10月18日土曜日

ウエーク島でまた1隻沈没

1942年11月17日、中国では重慶に空襲がありました。一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 38機の護衛で、双発爆撃機296機(Ki-21-Ic Sally 48, Ki-21-IIa Sally 188, Ki-49-IIa Helen 60)が飛来し、飛行場にAirbase hits 7、Runway hits 15の被害、また重慶守備隊のdevice 1個が破壊され、81個がdisabled(負傷・故障)になりました。その後の陸戦フェーズでは昨日に引き続いて日本側から砲撃があり、双方ともにdevice 4個がdisabledになっています。日本側の陣容は、歩兵師団11個と戦車師団1個、それに速射砲大隊1個で、重砲を装備した部隊が到着していません。この程度の砲撃では規模6の防禦施設に立て籠もる中国軍の守備隊に大した被害を与えることが出来ないことは、お相手の方もよくご存じのはず。それなのに2日続けて砲撃を行ったのは、素のAV(白兵戦値)の変化から守備隊への爆撃の効果を知りたかったのではと推察します。今日の素のAVは日本側 5197:中国軍 8382。きのうは5197:8347でしたから、爆撃でdeviceをdisabledにされたのに中国軍のAVはかえって増えていました。disabledになったdevice 81個のうちAV算定のもとになる歩兵分隊は34個だけで、その他37個は後方要員だったということもありますが、とにかく守備隊の数が膨大なので、一日に数十のdeviceをdisbaledにしてもそれ以上に治癒・修理されてしまうということなのかもしれません。

ウエーク島ではサプライを揚陸しましたが、昨日すでに損傷していたxAKL Nicarata(1700トン、VP 3)に20cm沿岸砲の砲弾が1発命中して沈没しました。小さな貨物船ではありますが、ウエーク島攻略作戦にともなって沈没した艦船はこれで8隻、合計21730トン、VP 42になります。上陸した部隊のためサプライの揚陸は続けなければなりませんが、これがずるずると続くのも困ったもの。海兵師団の疲労度はまだ30台、このあたりの数字になると一日に5くらいしか下がらなくなっているので、これ以上は待たず、あした陸戦を再開してみようと思っています。

2014年10月15日水曜日

クリスマス島に痛いsweep

1942年11月16日、ウエーク島ではBBメリーランド、CLホノルルが艦砲射撃を実施しました。距離1万5千ヤードからの砲撃に反撃したのは20cm沿岸砲、12cm沿岸砲各1門ずつでした。そして今日の砲撃の戦果は守備隊のdevice 3個を破壊し、5個をdisabled(負傷・故障)にしたのみ。守備隊の疲労値や混乱値は上昇しているのでしょうが、戦力を削るまでには至りませんでした。第2海兵師団の状態も混乱値16、疲労値30とまだ完全には疲れがとれていないので、明後日の巡洋艦TFによる艦砲射撃後に陸戦再開とする予定です。また今日はコンボイがサプライを揚陸したのですが、30門の砲に反撃をくらいました。戦艦、巡洋艦の艦砲射撃は遠くからですが、サプライの揚陸は接岸して実施するので、小口径砲も含めて反撃されてしまうのでしょう。xAKL Nicarataに砲弾6発が命中してSys 53, Flt 20, Eng 0, Fire 52の被害が生じていますが、消火が困難そうです。

蘭印の日本軍は久しぶりに積極的に行動し、バタビアから2ヶ所にsweepしてきました。ひとつはクリスマス島で、二式戦105機(Ki-44-IIc Tojo 29, Ki-44-IIa Tojo 76)が3波に分かれて高度3万1000フィートで飛来しました。Ki-44-IIc Tojoは新型の二式戦で今回のゲームではこれが初登場だと思います。もともとは1944年3月に登場する予定の機種ですが、R&Dに励んで今月から生産が開始されていました。この新型29機が第1波、その後の第2、3波がKi-44-IIa Tojoで、連合軍側は83機(Martlet II 33、P-39D Airacobra 25、P-40E Warhawk 25)が迎撃しました。結果はご覧の通り、連合軍機の損失49機に対して二式戦は損失13機と惨敗を喫してしまいました。両サイド通じて大戦中盤の最優秀戦闘機と評判の高い二式戦にしてやられた格好です。救いは、戦いが自軍の根拠地の上空だったために損失機数の多い割にはパイロットの死傷が少なく済んだ(とはいってもWIA 14名、KIA 8名)ことくらいです。

クリスマス島に配備してあった3飛行隊はいずれも士気が60台までていかしてしまったので、しばらくCAPはおやすみとします。あした以降、爆撃機を差し向ける勇気が日本側にあるのかどうかは分かりませんが、爆撃があっても甘受するつもりです。サプライ揚陸中のコンボイが二つありますが、犠牲が出てもやむを得ません。ただ、スラバヤをsweepするために派遣してあったP-38はチモール島クーパンに避難させました。P-38は配給数の少ない貴重な戦闘機なので、地上で破壊させるわけにはいかないのです。

その後、スマトラ島西方沖のエンガノ島に零戦(A6M5b Zero) 72機のsweepがありました。エンガノというと、エンガノ岬沖海戦を思い浮かべますが、あのエンガノはEngano。こちらはEngganoとgが2つ重なります。ここはパレンバン油田まで距離6ヘクスしかなく、連合軍が飛行場を整備することができれば日本の死命を制することもできる根拠地です。しかし日本側はこれまで占領することなく放置しておいてくれました。ここにいる部隊はジャワ島の陥落前に空路撤退させてあったオランダ軍のaviation support8分隊とsupport 7分隊だけで、歩兵や建設作業を行えるdeviceはいません。守備隊が飢え死にしないよう、また飛行艇を一時的にエンガノ島に移動させ南シナ海の哨戒飛行を実施したくなった時(どうしても必要なときだけと考え、まだ実施したことはありません)のために、時々ココス諸島から飛行艇でサプライを輸送しているだけでした。でも、防禦施設の建設は行えず、港も飛行場も規模0のままです。飛行場の規模が0なのになぜsweepしようと日本側が考えたのかは謎です。今回のsweepは占領を予定してのものかなとも思われます。空挺作戦でも占領できるはずですから、早く占領しておいた方が禍根を残さずに済んでいいのではないでしょうか。

今日のクリスマス島sweepは日本側の作戦大成功で、日本側も今日のようなsweepを春、夏と間断なく実施していれば、スラバヤが空襲を受けるようなこともなかったのにと感じてしまいます。しかしこのsweep用の戦闘機を用意するためでしょう、セレベス島マカッサルとケンダリーの戦闘機の数は半減していました。

中国では今日も重慶に一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 38機に護衛された双発爆撃機297機(Ki-21-Ic Sally 48, Ki-21-IIa Sally 189, Ki-49-IIa Helen 60)の堂々たる大空襲がありました。今日は守備隊の被害が大きく、device 80個がdisabledになりました。また一部は飛行場を爆撃し、Airbase hits 4、Airbase supply hits 1、Runway hits 27の被害が出ています。

その後、11月2日と3日の砲撃以来13日ぶりに日本側が砲撃を仕掛けてきました。この砲撃戦による日本側の死傷者はdevice 1個破壊7個disabledだったのに対し、中国側はdevice 1個がdisabledになっただけでした。しかし重要なのは死傷者数ではなく、お互いの戦力を確認できたことで、素のAVは日本側5197:中国軍8347でした。11月3日には日本側4111:中国軍7697だったので、日本側は1086、中国軍は650増えています。日本側はそろそろdeliberate attackで防禦施設を削りにかかるつもりでしょうか?気になります。

2014年10月14日火曜日

スラバヤの艦船に逃げられる


1942年11月15日、先日BBノースカロライナが特殊潜行艇SSX Ha-7に苦杯を喫したアンボンにCA VincennesとSalt Lake Cityが艦砲射撃に出かけました。昨日の月はmoon light 58%と11月12日よりもだいぶ明るくなっていたので決行することにしたのです。艦砲射撃TFは前日をBabarで待機したのですが、日本の哨戒機にみつからずに済みました。おかげで今回は特殊潜行艇の歓待を受けることもなく、Airbase hits 3、Runway hits 23、Port hits 3、Port supply hits 2の命中弾を得て、無事に帰途につくことが出来ました。また砲撃によりアンボンの在地機のうち九七重爆(Ki-21-IIa Sally)、二式戦(Ki-44-IIa Tojo)、零戦(A6M2 Zero)各1機を破壊しています。

ついで、スラバヤへの空襲です。クリスマス島からP-38 62機(P-38E Lightning 30, P-38F Lightning 32)がsweepし、チモール島クーパンからB-17E Fortress 37機が飛行場を爆撃し、B-24D Liberator 18機が港を爆撃しました。スラバヤ上空には日本の戦闘機の姿はなく、Airbase hits 8、Runway hits 16、Port hits 8、Port fuel hits 2の命中弾を得るとともに、CA青葉と加古に各1発500ポンド爆弾が命中しました。また、スラバヤの在地機のうち、九九艦爆(D3A Val) 7機、百式輸送機(Ki-57-I Topsy) 3機、九七大艇輸送機型(H6K2-L Mavis) 2機、九六陸攻(G3M2 Nell) 1機を破壊することが出来ました。

偵察機、哨戒機の報告によると今日のスラバヤ港には重巡2隻しか見当たらなかったそうです。この2隻はCA青葉と加古なのでしょう。その他の艦船はどこに行ったかというと、ボルネオ島南岸のジャワ海に駆逐艦5隻を含む7隻のTFが北西に向かっているそうなので、こちらに逃げられてしまったようです。沈没艦リストには新たにCA羽黒とDD黒潮の名前が載せられていましたが、沈没した場所として報告されていたのがこのボルネオ南岸のヘクスです。こういった場合、まずは誤報と考えるべきで、やはり逃げられてしまったと考えておきます。

これとは別にマカッサルにもTFが3個停泊しています。ひとつはコンボイですが、ひとつはCS(偵察巡洋艦、水上機母艦) 5、重巡 1、軽巡 2と報告されています。スラバヤからマカッサルに行ったものもあるようです。潜水艦にスラバヤ周辺をパトロールさせ、損傷した艦船だからとどめを刺すのは簡単かなと思っていただけに残念です。

中国では今日も重慶に空襲がありました。一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 39機に護衛された双発爆撃機 289機(Ki-21-Ic Sally 48, Ki-21-IIa Sally 190, Ki-49-IIa Helen 51)という大きな空襲でした。お相手の方がこのブログに目を通すことはないものと思います(閲覧を控えていただくよう、お願いしています)が、まるで昨日のエントリーを読んだかのように飛行場を爆撃したのは旧式の九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 25機だけで、残り264機はすべて守備隊に爆弾の雨を降らせました。その結果、Airbase hits 2、Airbase supply hits 1、Runway hits 14に加えて、守備隊のdevice 56個がdisabled(負傷・故障)になりました。多数機でも守備隊の損害が比較的少なく済んだのは、防禦施設規模6のおかげでしょう。

ウエーク島では、上陸作戦の不首尾が判明してからパールハーバーでサプライの積み込みを始めたコンボイが到着し、サプライの揚陸を始めました。せっかく昨日は戦艦が艦砲射撃をしたのに、まだまだウエーク島守備隊は元気なようで、35門の砲に反撃されました。その中には守備隊の持ついちばん大きな20cm沿岸砲が含まれていませんでした。もしかすると、これまでの艦砲射撃で損傷したのかも知れません。本当に損傷で使用不能になってくれていたらどんなにうれしいことか。もっとも今日はそれに次ぐ12cm沿岸砲がAK Craterに3発も命中させ、Sys 24, Flt 18(10), Eng 0, Fire 29と大きなダメージを受けました。消火に失敗すると沈没なので心配です。もう少し打撃を与えてからでないと揚陸の継続は困難なので、とりあえずサプライの揚陸は中止。あしたはBBメリーランドに艦砲射撃をしてもらいます。

それにしても、連合軍は上陸作戦の不成功が判明してから増援を泥縄的に逐次投入し、それらがようやくウエーク島近辺に集中してきています。ということは、日本側がウエーク島守備隊の健闘をみて、同じように増援を送ることにしていたとしたら、そろそろウエーク島周辺にKBとmini KBが到着してもおかしくはない頃です。もし機動部隊に殴り込まれたら、アメリカの空母、水上戦闘艦隊、サプライ輸送船団、給油艦などなどまとめて一掃されてしまうことになりそうで来て欲しくはないのですが、そんなお願いが通じるでしょうか。毎日とても不安です。

2014年10月13日月曜日

沈没はDD夕立のみのもよう

iPhone 6を買いました。iPhone 4Sと比較すると薄くなっていて、エッジを握った感じも硬くないので、大き過ぎるとは感じますが満足してもいます。もっとも大きなディスプレイのおかげで、WitP AEのスレはかなり読みやすくなりました。ただ私的にはこの大きさが許せる限界です。6+を買う人って、よほど手が大きいんでしょうか、不思議。

さて、1942年11月14日。中国戦線は重慶への空襲のみでした。一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 27機に護衛された双発爆撃機253機(Ki-21-Ic Sally 50, Ki-21-IIa Sally 194, Ki-49-IIa Helen 29)が2波にわかれて飛行場を爆撃し、Airbase hits 72、Airbase supply hits 20、Runway hits 156の被害がありました。重慶にはサプライが毎ターン420トン(駐屯部隊に配給した残りの最低在庫量20トンに、シナリオの仕様でシステムから毎ターン恵贈される400トン)しかなく、サプライ破壊が目的なら明らかにやり過ぎです。もう飛行場への爆撃はせず守備隊への爆撃に専念しても大丈夫だと思うのですが、中国軍側の内情を知らない日本側としてはそう感じないのでしょうね。

港への空襲から1日経過したスラバヤですが、DD夕立(1715トン、VP 7)の沈没が報告されました。哨戒機、偵察機によると港には戦艦1重巡1駆逐艦1がみとめられ、またTFとして空母3重巡4が目撃されたそうです。昨日被弾した艦船はまだ消火作業中なのでしょう。シンガポールに向けて脱出をはかる船もあるかなと予想して潜水艦にパトロールさせていますが、遭遇することは出来ませんでした。スラバヤ在地の戦闘機の数は0だと言うことなので、あしたまた空襲を実施してみようと思います。

難航しているウエーク島ではBBネバダとCLフェニックスが艦砲射撃を実施しました。根拠地施設にはAirbase hits 1、Runway hits 8、Port fuel hits 4、また守備隊のdevice 8を破壊し、15をdisabled(負傷・故障)にしたそうです。11月12日のBBサウスダコタの艦砲射撃もそうですが、期待したほどの被害を与えることは出来ていません。戦艦とはいえ数隻まとまらないと多きに被害を与えることが出来ないんでしょうか。あと、守備隊の被害の少なさは防禦施設の規模が4あることも関与してますね、あきらかに。本来ならこれに引き続いて陸戦を仕掛けたいところですが、海兵師団はまだ混乱値23疲労値43もあるので、あと2日くらいは休ませる必要があります。2日後にBBメリーランドに艦砲射撃させ、それに呼応してということになるかな。

2014年10月8日水曜日

日本の艦船の改装 発売5年後のコンセンサス


日本の艦船の改装に関してはこれまでも繰り返しスレが立てられてきましたが、久しぶりにIJN Conversions--Need a Refresherというスレがたてられていました。発売後5年を経過し、プレイ経験の豊富なプレイヤーの見解を知るのも意味あることだと思うので紹介してみます。

しばらくこのゲームから離れていて、こんどDDB-C modでプレイを始めた。DDB-C modは基本的にシナリオ2にあたるmodだ。頭がだいぶ錆び付いてしまったので、古くからある話題だが、助けを借りたいと思って立ててみた。日本の艦船の改装に関して以下のようにしたいと思っているが、それでいいよとか、こっちの方がいいのではといったアドバイスをお願いしたい 。 
  • CS(水上機母艦、千歳級と日進・瑞穂)からCVL(軽空母):私は非改装党の一員だ。すぐに終わるのなら改装すべきだが、ほとんど一年がかりになってしまう。軽空母が手に入るのは1943年も後半で、新たに軽空母が手に入ったところでどんな違いがあろう?1~2隻は改装することになるのかもしれないが、やはりCSも好きだ。水上機母艦は空母の海上哨戒任務や対潜哨戒任務を肩代わりして、空母の攻撃力を増強することができる。どう思う? 
  • DD(駆逐艦)からAPD(駆逐艦改装高速輸送艦):峰風級はもちろん改装すべき、神風級は多分すべき、睦月級はすべきでない。睦月級は酸素魚雷を搭載しているので、駆逐艦のままにしておくべきだと思う。峰風級はAPDや護衛艦艇としての方が役に立つ。神風級は状況による。 
  • 母艦:もちろんAKE(弾薬輸送艦)はたくさん必要。AV(水上機母艦)もいくらかは。 AS(特設潜水母艦)は必要?多少は潜水艦の修理に役立つけれど、それほど大したことはできないと思う。またAG(雑役艦)やAGP(魚雷艇母艦)への改装にもあまりメリットを感じない。なにか見落としていることがあるかな? 
  • TK(油槽船)からAO(給油艦)へ:TKの半分くらいはAOに改装したい気がしている。搭載する液体の容積が少し減ってしまうけれど、積み込む速度が改善するので、パレンバンやミリといった施設の充実していない港では重宝すると思う。どうかな? 
  • xAKL(小貨物船)からPB(哨戒艦)への改装:Ansyu級はすべてPB(14ノット)に改装したい。Kiso級も一部はPB(11ノット)に改装するつもりだ。ACM(機雷原母艦)の数が不足しているので、Tosu級をたくさんACMに改装する。CMc(機雷敷設艇)への改装をするつもりはない(開戦時にあるもので充分)し、AMc(掃海艇)も航続距離4900のものに少し改装するだけにしたい。これでいいかな?
CS(水上機母艦のうち千歳級と日進・瑞穂)からCVL(軽空母): これはゲームの進み方によると思う。双方(特に連合軍側)とも、すでに何隻か空母を失っているかな?もしそうなら、アメリカの空母がすべて健在な場合と比較して、これらの軽空母がドックを出られる1943年8月29日より前に空母同士の決戦の起きる可能性はずっと低くなっているはずだ。最高速度の遅い方の2隻は機動部隊に随伴することはできないので、miniKB用に改装するか、改装せずに搭載水上機を索敵に使うか。
DD(駆逐艦)からAPD(駆逐艦改装高速輸送艦):私も峰風級はすべてAPDに改装する。駆逐艦への改装をする時には、その先のアップグレードの行方についてもチェックするようにしている。神風級は何隻か駆逐艦のままにしておきたいが、駆逐艦のままでいるといずれ強力な爆雷であるType 2 DCを装備(もっとも1944年4月になってからのことだが)するようになるので、コンボイの護衛任務には重要だ。睦月級もType 95-Mod 2、そしてType 2 DCを装備するようになる。でも開戦時の睦月級にはASW能力がないから、睦月級も何隻かはAPDに改装したい。よい選択ではないかもしれないけどね。
母艦:AR(工作艦)への改装も忘れちゃダメだ。AGには何隻か改装するけど、AGPには見るべき点がない。というのも日本には魚雷艇がほとんどないので、AGPはAGみたいなことしかできないから。もしこれまでにASを失っているのでもなければ、ASへの改装はしたくない。開戦時にあるASだけで充分だ。
TK(油槽船)からAO(給油艦)へ:「積み込む速度が改善する」って本当(訳注:わたしもそんな話は聞いたことがないので、スレ主さんの勘違いだと思う)?私も最高速度の違う輸送船をそれぞれ数隻ずつAOに改装するつもりだ。開戦時のAOの数は多くはないからね。速度が遅いAOでも役に立たないわけではないと思う。速度の速いAOに随伴できる護衛艦艇の数が不十分だから。あと、戦時標準船のStd-A級とStd-B級のxAK(貨物船)はすべてTKに改装する。
xAKL(小貨物船)からPB(哨戒艦)への改装:私もAnsyu級はすべて改装するつもりだ。最高速度14ノット、1000トン分の貨物用船倉、航続距離6000の性能なので、大きな貨物船の護衛にもいいし、Fast Transport TFでこのPB自身に運ばせてもいい。Tosu級とKiso級もすべてPBかACMに改装する。Type 4 mineは日本側で一番小さな機雷だから、CMcへの改装にはこだわらなくていいと思う。でも、連合軍が戦略爆撃任務で航空機雷を投下し始めることを考えると、何隻かAMcに改装しておきたい。 
ACMにはたくさん... AMcは大戦後半の航空機雷対策に... Ansyu級PBは値段のつけようがないほどに貴重だ。私のゲームではFast Transport TFとして多数の陸兵を救出してくれた。 
私はDDをAPDに改装したことがない。特にシナリオ1ではどの駆逐艦も、たとえ旧式の駆逐艦であっても貴重な存在だ。CS(水上機母艦のうち千歳級と日進・瑞穂)からCVL(軽空母)へは、改装が可能になった時点での連合軍空母の状況によると思う。それまでに大規模な空母戦に勝利しているのなら、1944年初頭まで拮抗した状態(CVEに関しては別だが)を保つために改装した方がいい。もし機動部隊の大部分を失ってしまっているようなら、改装する意味がない。CSを改装したCVLはおおむね速度を遅くしたインデペンデンス級CVLみたいなもので、戦闘機を搭載してCAPさせるべき空母だ。CSは水上戦闘機を搭載してCAPとして運用できる。高度を低くしておけば、雷撃機を上手に始末してくれる。零水偵は九七艦攻よりも遠くまで索敵できるし、紫雲(訳注:いつもながらお線香を連想してしまう名前)が使えるようになれば、びっくりするほど遠くの敵TFをみつけてくれる。空母の対決ではDL(detection level)がものをいうから、1943年に連合軍を誘い出すことができるなら、紫雲を参加させることは意味のあることだと思う。
書類上はその通りだが、電子の大洋でも通用するんだろうか?個人的な体験だが、艦載水上機は天候の影響を受けやすく、天候のせいで50~70%のターンで飛べなかった。うまくいくこともあるがうまくいかないことも多いという現実があるのに、それでもあなたはうまくやれているんだろうか?そんなわけで、私は艦載水偵だけでなく空母艦上機も海上哨戒任務にあてるようにしている。私は索敵を水上機だけに任せる気にはなれない。 
E(海防艦)に改装できるものを除いて、駆逐艦は駆逐艦のままにしておきたい。駆逐艦の需要には限りがない。日本の軍艦はみんな兵員を運べるから、APDにする必要はない。また最初のゲームでは改装できるものをみんな母艦に改装してしまったが、いま必要に感じるのは油槽船のTFに随伴させるためのAVと、AKEを何隻か。でも多すぎないように。 
私もAPDには改装しない。すでにあるAPDは駆逐艦に改装する(訳注:そんなことができたんだ!)。APDの輸送するサプライは輸送費という観点からすると非常に高価。空輸の方が安いし、同じくらいの量を運べる。また大きさに関わらず、駆逐艦の数は不十分で、水上戦闘TFにあてる護衛艦艇がいつも足りない。私は駆逐艦を酷使するのでいつも何隻かドックで修理中だ。現在のゲーム(1942年2月10日)では26隻が修理中だ。 
私はdot baseを利用してカタリナ狩りをするのが好きだ。そのためにたくさんAVに改装する。少数のAVで充分な数の水上機、 零水偵と二式水戦の活動を支えることができる。二式水戦は効果的にカタリナを撃墜することができるので、こういったチームをたくさん活動させている。また前線に近い根拠地で多数のASを運用している。パトロールする海域への移動にかかる時間を減らすことにより、潜水艦、特に呂号潜水艦を効率的に運用し、燃料を節約できる。ARもいれば、たとえ規模3しかない港でも潜水艦への魚雷の積み込みと修理ができるようになる。繰り返すが、私はかなりの数のASとARを運用するようにしている。 またARにNaval HQユニットを組み合わせ、損傷した主力艦が規模1の港で立ち往生した時の応急処置につかっている。こうすることで、1ゲームあたり4~5隻の主力艦を救うことができた。この目的で3~6隻の九州級xAK(Naval HQユニットを輸送するxAPと同行することができるほど速く航行できる)をARに改装するようにしていた。私は変わり者ではあるし、個人的な意見に過ぎないが ... 
峰風級APDは峰風級が駆逐艦のままでいるよりも早く、しかも他の護衛艦艇よりも早期にレーダーを装備する。私はこの理由でレーダーが装備される最初のアップグレードに間に合うよう峰風級をAPDに改装している。 
(素のシナリオでは違うかもしれないが、DBB-C modの)峰風級APDのレーダーは1943年3月にならないと解禁されない。秋月級駆逐艦は1943年1月にレーダーが解禁される。それでも、あなたの言うことはもっともだと思う。秋月級は長い航続距離を活かして機動部隊や主力の水上戦闘TFの護衛につくことになるから。
  • CS:私はすべてのCSを改装したいと思っていたが、時期が進むに連れて全部でなくてもいいと思うようになった。水上機は悪天候だと飛んでくれないし、零観と零水偵が搭載する爆弾は小さい。空母の艦上機は飛べる機会が多いし、九七艦攻は大きな爆弾を搭載しているし、いずれはレーダーを装備する。ということで、千歳と千代田は改装して機動部隊かmini KBに加えたい。水上機部隊を搭載したまま改装すると自動的に零戦と九七艦攻の飛行隊に機種転換される。改装は東京でのみ、しかも造船所の規模が50に拡張されていないとダメだ。他の2艦の改装は規模の充分な造船所ならどこでもOK。また搭載されている飛行隊は機種変更されないし、固有の飛行隊を入手することにもならないので、降ろしてしまってかまわない。2隻とも遅い(一隻は改装すると最高速度が2ノット速くなる)が、コンボイの護衛にはうってつけだから、九七艦攻を積むといいと思う。
  • DD:難しい選択でプレイスタイルによるだろう。何隻か改装するつもりではいたが、上記の爆雷に関するレスを見ると再検討が必要だ。
  • 母艦:Kiso級xAKLをAGに改装できることを忘れていた。AGはSC(駆潜艇)やPB(哨戒艇)やDMS(駆逐艦改装掃海艦)など駆逐艦より小さな艦艇の爆雷を補充できる。マーシャル諸島のように、港を大きく拡張したり多数のNaval supportを配置したくはないような場所では役立つ。小さな船だがASW TFの支援には充分だ。また時期が進むと他の艦種への改装も可能になる。そして他の母艦(AD、AS、AR、AKE)も役に立つから、けちけちしないでおこう。こういった艦がどこの港にいるのか、いつも探しているような状態でプレイしている。でも、改装せず高速輸送船のままの方が役立つ船もあるので注意してほしい。
  • CL:軽巡についてはあまり語ることもない。CLAA(防空巡洋艦)に改装できる軽巡が2隻あるので、かならず改装しよう。天龍と龍田の2隻。買いそうには6ヶ月かかり、AA値が384になる。
  • CA:最上級は1942年7月にCS(偵察巡洋艦)に改装できる。8ヶ月かかるし、実施するかどうかはプレイスタイルによるだろう。
  • BB:扶桑級2隻は航空戦艦に改装できる。史実では成功した改装とはいえなかったが、このゲームでどうなるかは分からない。1943年6月から始めて6ヶ月かかる。やはりプレイしているゲームの状況によるだろう。

プレイ経験の長い人が増えても、おすすめといえる改装は以前とそれほど変化ないようです。でもレスの中には勉強になったこともあります。特にFast Transport TFでサプライを輸送することが燃料経済に優しくないという指摘。 言われてみればその通りですね。ただ、Fast Transport TFにサプライ輸送や陸兵の移動を頼るのはやむにやまれぬ状況なので、実施せずに済ますというのもなかなかに難しくはありますが。

なお、このゲームの飛行機の燃料は輸送機を含めすべてサプライです。それに対して艦船の燃料はfuelです。fuelはおおむね重油を意味しているのだと思いますが、潜水艦やCS瑞穂などのディーゼル機関、PTボートのエンジンもfuelを燃やして動いています。fuelは重工業の原料としても消費され、サプライよりも希少度が高いとされるアイテムです。空輸で済むところはAPDではなく空輸を利用した方がいいのかも知れません。 まあAPDの消費するfuelなんて大した量ではありませんが。

2014年10月6日月曜日

sync bug


PBEMの経過中、sync bugを経験することがあります。sync bugとは、日本側プレイヤーの送ってくれたリプレイファイルを開いて連合軍側プレイヤーがみるリプレイの内容、そのリプレイでみることのできた戦闘などの出来事を記載したリポート類の内容と、ゲームセーブファイルを開いて表示されるマップ上にしめされている状況とが一致しないことをいいます。検証されてはいないのでしょうが、空母戦がらみでsync bugが多いといわれています。連合軍側プレイヤーがリプレイで派手な空母の戦いを見物したのに、セーブファイルを開いてでてきたマップ上には空母戦のかけらも見当たらないといった感じです。今回のプレイで1942年2月26日にあったsinc bugも日本側空母の連合軍TFに対する攻撃でした。

素のWitPではこのsync bugが少なくなかったそう(私は素のWitPは未プレイ)ですが、WItP AEでは双方のexeのバージョン違いを原因とするもの以外のsync bugはかなり減ったのだそうです。それでも、空母が相手のTFに接近するような状態で起きやすいということから、注目すべきバグではあります。そのsync bugをテーマにしたSync bug: effect on Tracker, Combat Reporter, Intel Monkeyというスレがたてられていたので紹介します。sync bugとリポートおよびツール類の関係についてとても勉強になりました。レスをつけた人の中にはDevチームの人は含まれていませんが、提供された情報が間違っていると言うレスがつけられることもなかったので、おおむね正しい情報と判断して良いものと思われます。

PBEMを始めて数ターンしかたっていないのに、sync bugに遭遇してしまった。リプレイの戦績とセーブファイルの戦績とが異なっていた。Trackerはたしかセーブファイルのデータを流用しているんだったよね?ということはsync bugがあってもTrackerの情報は信頼できるってことかな?でもCombat ReporterとIntel Monkeyはリプレイにともなって生成されるリポート類にもとづいているから、sync bugのあった日の情報は信用できないよね?sync bugが起きたのが簡単にみつかる方法ってどんなものだろ?
日本側プレイヤーに、セーブファイルと一緒に日本側のコンバットリポートを送ってもらう。そうすれば簡単に比較することができる。しょっちゅう、だいたい10ターンに一回くらいは不一致がみつかる。無駄に2時間もかけて本当は起きなかった大規模な海戦に釘付けになる経験をしたことがあるので、リプレイを見る前に両方のコンバットリポートをざっと比較することにしている。連合軍側プレイヤーが自分のコンバットリポートを日本側プレイヤーから送られたコンバットリポートで上書きしなければ、Combat ReporterとIntel Monkeyはsync bugの影響を受けることになる。 

ありがとう。日本側のコンバットリポートと連合軍側のコンバットリポートは同じもの? 

いや、コンバットリポートはリプレイにもとづいて生み出される。sync bugがおきると連合軍側のリプレイとコンバットリポートはおかしくなっている。だから連合軍側のコンバットリポートを日本側のものと比較することをお勧めしてるんだ。 

書き足りなかったみたいだ。私が知りたかったのは、sync bugのない理想的な状況にある日本側プレイヤーのコンバットリポートと連合軍側プレイヤーのコンバットリポートは同一のものなのかということ。それとも、sync bugのない状況下でも両者のコンバットリポートは、FoWの味付けが異なることにより、多少は違った情報を示しているんだろうか? 

興味深い。三つの可能性があるように思える。コンバットリポートに含まれる情報は
  1. 連合軍と日本側双方のコンバットリポートで同一
  1. FoWの影響を受けるが、FoW自体は双方にとって同じ
  1. FoWの影響下にあり、しかもそのFoWの様相が双方で異なる
私は2番めなのだろうと理解していたが、どうだろう。もしそうなら、コンバットリポートに示された数字、例えば被撃墜機数は、ゲーム内に表示される数値やVPの計算に使用される数値と一致しているんだろうか、一致していないんだろうか? 

「FoWの影響を受けるが、FoW自体は双方にとって同じ」というのが正しいように思う。ゲーム内のInformation画面の数値は、艦船沈没数と沈没艦船のVP値とを除くと同一だ。飛行機喪失数と艦船喪失に関するサブ画面は異なる。自分の側に関する数値は正しく、相手側の数値は不正確だ。コンバットリポートの飛行機喪失数はだいたいのところ控えめな値で、地上部隊の損失に関してはおおげさな値になっていることが多い。 

Intel Monkeyはsaveフォルダ内のarchiveフォルダの中にあるリポート類を使用する。それらリポート類のファイルが生成される際の名前の付けられ方を知っておこう。sync bugに出くわして、そのフォルダ内のファイルを日本側プレイヤーから送ってもらったファイルで置き換えることができる。名前を正しく付け替えることが必要だが。ただ、日本側プレイヤーから連合軍側のIntelリポートを送ってもらうわけにはいかない。日本側プレイヤーの手にする連合軍側のIntelリポートは常に空っぽだから(逆もまた真なり)。 訳注:Intel Monkeyの作者さんのレス 

あなたの教えてくれた通りにしても、オペレーショナルリポート(リプレイのもとづいて生成され、txtファイルとしてセーブされているもの)が違っているなら、オペレーショナルリポートにもとづいてCombat Reporterの示してくれる事項もまた誤りを含むことになる。 

リプレイにもとづいて生成されるSIGINTがsync bugのある状況下でも正しい(SIGINTは常に正しい?)のだとしても、ゲーム内で参照できるSIGINTとは異なっているかもしれない。もしそうなら、sync bugが生じたことによって連合軍側プレイヤーの得られるSIGINTの量が増えてしまったりなんてことがあるんだろうか? 

sync bugがSIGINTリポートに影響を及ぼすのかどうかは分からない。でも、sync bugはリプレイに影響を及ぼし、連合軍側の入手するリポート類はリプレイの間に生じた事態を反映するから、連合軍側の入手するリポート類はすべてsync bugの影響を受ける可能性があるんじゃないかな。 

飛行機が着陸時に損傷するかどうかなんてことを除くと、オペレーショナルリポートには大した違いが生じないだろう。根拠地の建設作業の99%は予想通りに進行するし、増援は予定通りに到着するし、部隊のwithdrawに関してもそうだ。 

みなさん、レスをありがとう。でも日本側のコンバットリポートと連合軍のコンバットリポートは同一だというのは確かなんだろうか?この情報が確実でないなら、PBEMの相手にコンバットリポートを送ってほしいと要求するのは躊躇される。saveフォルダをみると、日本側と連合軍側双方のオペレーショナルリポートとSGINTのtxtファイルがある。しかしコンバットリポートとコンバットイベントは一つずつしかない。ということは日本側と連合軍側のコンバットリポートは同一ということのように思えるが。 

sync bugがなければ双方のコンバットリポートは同一だ。