2014年10月22日水曜日

F4UコルセアとP-47サンダーボルト

 連合軍側をもつと、1941年から1942年にかけて空の戦いはずっと押され気味で経過します。はじめは零戦、そして1942年になると二式戦。それに生産機数、つまり部隊に配備される機数を自分の好きなように決めることのできる日本側と違い、連合軍側の生産機数は固定されています。したがってPBEMでは連合軍側が数的にも劣勢な状態になることが通例です。そんな状況下で一筋の光明は第三世代戦闘機の登場で、第一陣のF4U-1コルセアは1943年1月から配備され始めます。こういった第三世代連合軍戦闘機の特長なんていった点にはまったくうとい私ですが、ちょうどフォーラムに Corsair vs, Jugというスレがありました。F4UコルセアとP-47サンダーボルトを対比してそれぞれの特長が分かりやすく語られています。とても勉強になったので紹介してみます。

このゲームと史実の世界、両方でF4U-4 CorsairとP-47D Thunderboltの比較をしてみてはどうだろう?2つの機種はともに18気筒のエンジンであるプラット・アンド・ホイットニー R-2800(ダブルワスプ)を装備していて、よく比較される。行動半径はほぼ等しく、ともに無骨な作りで損傷しても生き残りやすかったが、コルセアだけが朝鮮戦争まで使われた。WitP AEにはこういったことが反映されているんだろうか、それともこのゲームにそんなところまで求めるのは無理かな?
私はSymonさんの改訂した飛行機の性能データベース(訳注:New Airplane Data Filesというスレにあるものだと思います)をつかっている。ゲームの中では、P-47Dの方が少しだけ速く、少しだけ行動半径が大きい。上昇率はF4U-4の方が優れていて、上から2つ目までの高度帯を除くと運動性も優れている。2機種の機体は同じくらい頑丈だ。P-47Dは0.5インチ機関銃を8挺装備していて、F4U-4の6挺より有利だ。空戦ルーチンがどんな風に動作しているのか知らずに判定することは難しいが、低高度ではF4U-4が、2万フィートより高空ではP-47Dが有利だろうと思う。私は専門家ではないが、もしその通りなら私が史実の2機種について知るところと比較して、かなりもっともらしくできているといえる。ただ、F4U-4はP-47DではなくP-47Nと比較すべきだろう。この2機種の方がより拮抗していると言える。 

WitP AEでは、アメリカ海軍のある現役FA-18パイロットの助けを得て空戦モデルを作りなおした。単純化が過ぎる点もあるが、飛行機の正確なモデル化を目指した。コルセアとP-47はおおむね同時期の機種だ。コルセアは1938年の海軍の要求に則って生まれた(TBFとSB2Cも同じくこの要求により生み出された)。コルセアはまったく新しい機種だったが、P-47の方はP-35 → P-43 → P-47というふうに進化して来た。P-35はP-40の祖先であるP-36とほぼ互角の機種だったが、P-47はP-40よりもずっと高度に進化したわけだ。ともあれP-47のルーツはコルセアより1世代前になるわけだ。
戦後P-47が運用からはずされたのは、大戦に勝利をもたらした飛行機という評判のあったムスタングをアメリカ陸軍航空軍/アメリカ空軍が保有していたからだ。P-47は大戦の最後の一年を戦闘爆撃機として過ごした。P-47はもともと別の役割を果たすよう設計されていた。しかしヨーロッパの空の戦いが高高度で戦われることが判明した頃、自軍の機種をみまわしてみたアメリカは、高高度戦闘機という機種が乏しいことに気付いた。その求めに対応できたのはP-38だが、P-38は爆撃機を迎撃するはずの機種ではあったし、また生産コストが非常に高価だった。P-47はP-43を高高度戦闘機として設計しなおす計画として始まった。
P-47はドイツの戦闘機と有利に戦うことができた。トップのスコアをあげたパイロットの多くはP-47で飛んでいた。もっとも、ムスタングに機種転換していたら第56戦闘機航空団のスコアはもっと向上していた可能性はあるのだが。ムスタングとP-47には一長一短の関係があった。ムスタングは空冷エンジン機であり、しかもより軽く作られていたので壊れやすかった。また武装の点でも劣っていた。しかし運動性には優れていて、また大戦を勝利に導いたのはその行動半径だった。P-47よりずっと遠くまで行動でき、P-47が基地に戻らなければならない場所でドイツ軍機と戦うことができた。
海軍の方をみると、空母で運用する戦闘機としてはコルセアよりヘルキャットが優っていた。低速度での性能に優れ、またずっとずっと修理しやすかった。グラマンはコルセアと同じくらいの性能になるスーパーヘルキャットを予定していたが、F8Fがすでに開発途上にあったので、計画を中止した。自社の戦闘機2機種が競合することを望まなかったんだ。
コルセアはP-47のような高高度性能をもちあわせていなかった、コルセアの行動した環境では高高度性能が必要とされなかった。海軍がヘルキャットを運用開始する前に海兵隊がコルセアを入手し、しかも海兵隊には有能なPRの担当者がいて、ソロモンでのコルセアの偉業が報道機関に提供された。そのおかげで当時コルセアは良い評価を得た。コルセアは太平洋戦線に初めて登場したアメリカの新世代戦闘機であり、当時の日本機よりも明らかに優っていた。しかもその頃、アメリカはパイロットの質の点で日本を凌駕し始めていた。アメリカが卒業したての新米パイロットに戦訓を教え込み始める一方で、日本のパイロットの質は急な坂を転げ落ちるように低下して行った。アメリカはじめ連合諸国は空戦の実相に日本よりも速く適応することができたので、どんな機種を飛ばしても有利に戦うことができた。
カミカゼが脅威となった時、性能の差がわずかだったにも関わらずコルセアの名声がさらに際立つことになった。コルセアはオキナワの女神とみなされた。沖縄戦の間、海兵隊はコルセアの飛行隊を陸上から作戦させることができたが、その時点で海軍は空母で少数のコルセアを運用していただけで、空母の戦闘機の多くはヘルキャットだった。沖縄戦でコルセアはピケット役の駆逐艦を守るため常時警戒状態にあった。カミカゼが出現すると救援要請に応えるのは主にコルセアだった。空母は動き回っていたので、常にCAPをピケット役の駆逐艦に差し向けられる位置にいたわけではなかった。また空母には陸上から運用されるコルセアよりも困難な任務があった。海兵隊自身がカミカゼを怖れる必要はほとんどなかったが、海軍は常に空母への打撃を心配しなければならなかった(実際に突入されてもいた)。そのため海軍のCAPは空母と沖縄で揚陸中の艦船の上空に集中し、第一線の守りを務めた海兵隊の勝ち得た栄誉はそれだけ大きくなった。
実際のところ、空母はコルセアとヘルキャット両方を運用した。コルセアの飛行隊はVFBと呼ばれたが、管理上の都合によってつけられた名称だ。ヘルキャットの方が性能的には少し劣っていたが、飛行できる状態に維持しやすい機種であり、時間が経つにつれ飛行できる機体はヘルキャットの方が多くなっていった。コルセアの方は5%ほど性能が上だったが手がかかり、飛行できる機体の数は常にヘルキャットを下回っていた。
スレ主さんの質問に対する的確な答えにはなっていないかもしれない。しかしP-47もコルセアもある特定の目的に向け設計され、もともとの目的以外にも効果的に使用された機種だ。現場ではともに頼りになる戦闘機で、厳しい時期に奮闘し、敵に多くの打撃を与えた。両者を比較することは難しい。

この両機種に関しては、私が思っていた以上にPRが関与していたことに驚く。例えば、サンダーボルトは空飛ぶ戦車のようで、レイザーバックと呼ばれるコックピットも「魅力的」にはみえない。スピルバーグは太陽の帝国とプライベートライアンの2本の映画でP-51を低高度戦闘機・対戦車攻撃機として登場させた。液冷のP-51は空冷のサンダーボルトほどうたれ強くはなかったのにね。地上でのコルセアは不格好だが、今日の夕方みたRobert ConradのBlack Sheep飛行隊というTV番組にはコルセアが登場していて、その程度には見栄えがする機種ではあるようだ。

コルセア(訳注:おそらく「このゲームの」だと思う)は非常に優れた機種だ。空母艦載機ならCAPとして使い、攻撃隊の護衛にはつけたくない。もちろん異論もあるだろうが。制空権を握りさえすれば、戦闘爆撃機としてもつかってみたい。

これまで飛行機の歴史に関する本、雑誌、模型、飛ばせる模型、飛行機のゲーム(ミニチュアゲーム、ボードゲーム、PCゲーム)、フライトシムにたくさんのお金を使ってきたが、「P-47DとくらべてF4U-4はどう?」という質問は、落ち着いて考えてみると簡潔な答えが難しい。
個人的な事情を少し書かせてもらう。私の父は第二次大戦と朝鮮戦争の間、海兵隊のVMF 321飛行隊のF4Uの整備をしていた(訳注:このフォーラムには親族の大戦経験の話をしてくれる人が多いと感じます。正義の戦いに勝った側だから語りやすいんでしょうね)。私の好きだった大学の先生は1944~45年のフランスでP-47にのって対地支援任務に就いていた。彼は撃墜されてしまったが、生還してその経験を語ってくれたわけだ。私のサンダーボルトびいきは1960年のクリスマスにMartin Caidin著Black Thursdayを贈られた時に始まった。サンダーボルトがもう少し長い距離B-17の護衛につけていたら… 
ヨーロッパ戦域でのP-47に関して少し脱線するのを許してほしい。サンダーボルトに比較してムスタングが優れているという一般的な見解は検討が必要だと思う。こういった見方は両機種を飛ばしたことのある復員兵たちに由来している。ムスタングの方が運動性が優れていて、航続距離が長く、上昇と水平飛行の速度が速かった。しかしながら、サンダーボルトがムスタングに優っていた点もある。
  1. 降下速度:サンダーボルトは第二次大戦の戦闘機の中で最も大きく最も重かった。サンダーボルトを上回る降下率を示した機種について聞いたことがない。そんなわけで、サンダーボルトは陸軍の音速と圧縮率の試験飛行の機種に選ばれた。悪いことに、パイロットの中には降下後、墜落してしまう前に機体を再び操縦できるようにならなかった人もいた。
  2. ロールレート:サンダーボルトのロールレートを誤断した敵のパイロットは、機敏に旋回するサンダーボルトに驚くことがあった。パイロットの対G能力がロールの最大の制限要素だった。
  3. 生残性:無骨な機体と空冷エンジンのサンダーボルトはムスタングよりもずっとうたれ強かった。ムスタングのラジエータは機体底面にむき出しになっていた。Fw-190に攻撃され相手の弾丸切れでようやく逃げることができ生き残ったRobert JohnsonのP-47は、サンダーボルトの頑丈さを示す証拠だ。
  4. 武装と兵装の多さ:0.50インチ機関銃8挺対6挺、また機体の大きさを考えるとかなりの重さまでの武器を搭載できた。

最後に行動半径に関して指摘したい。対戦終了時までには、P-47D(そしてP-38)もベルリンまで爆撃機を護衛して行くことができるようになった。つまり、作戦行動半径に関する問題はほとんど消失したことになる。
スレ主さんの質問にもどると… 海軍の戦闘機全般について言えることだが、コルセアは空母への着艦に耐えることができるよう設計されていた。また機体は多くの被弾に耐えることができた(たしか、日本の多くの戦闘機には20mm機関砲が装備されていた)。バブル型キャノピーのサンダーボルトの方が視界が全周性により良好だった。しかしレイザーバックのサンダーボルトはコルセアと比較すると後方の視界に難があった。両機種とも尾輪式で機首が長いから、混雑した狭い誘導路のタキシングで前方確認のためにジグザグに進むことができない場合には、地上要員が主翼上に腰掛けてパイロットを助けてやることが必要だった。スピットファイア、メッサーシュミット、零戦のようなturn and burnタイプの戦闘機とは違って、両方ともboom and zoomタイプの戦闘機に分類される。太平洋戦域でコルセアはサンダーボルトよりも日本の戦闘機と格闘戦をする機会が多かっただろうと思う。しかしboom and zoom戦術の方が好まれ、またboom and zoom戦術を選ぶよう勧められていたように記憶している。対地支援任務についてはサンダーボルトの方が優れていたと思う。ドイツの対空砲の能力は日本の展開していたものに比較してはるかに優れていたと言っても過言ではないと思う。ドイツの20mmや40mm連装砲の威力は致死的で、もしサンダーボルトがあれほど頑丈でなければ、アメリカ陸軍航空軍の被害はもっと多くなっていただろう。
コルセアが第二次大戦時のサンダーボルトと同じような状況に遭遇したのは、朝鮮戦争の対地支援任務に就いた時だった。コルセアが対地支援任務にあてられたのは、海軍予備部隊が招集されたことと、第二次大戦後の軍備削減により対地支援任務にあてることのできる空母艦載機が他になかったことによるのだと思う。しかも当時の空軍の正規および予備部隊にはサンダーボルトが1機もなく(もしかすると州軍の中には在庫を持っていたところがあったかもしれないが、それも疑わしい)、1950年までに招集された(すべてではないとしても)ほとんどの空軍部隊はムスタングを飛ばしていた。対空火器に対する生残性について考えてみると、ドイツ国防軍の展開した量と能力に匹敵する自動車化対空砲を北朝鮮や中共軍が運用していたとは思えない。だから、ヨーロッパでアメリカ陸軍航空軍が対処しなければならなかったような量の自動車化対空砲にコルセアが直面したとも思わない。もっとも、海軍のパイロットがひどい目に遭うような局面がなかったと言うつもりはなく、その点に関しては教えを請いたい… 朝鮮戦争でコルセアが地上支援に使われたもう一つの理由は、アメリカ海空軍の艦載ジェット機も陸上基地のジェット機も余分の兵装をたくさんは搭載することができず、また対空砲火に曝される危険を冒さず、それでいて地上目標を効果的に攻撃できるほどにまで速度を落とすことができなかったことだ。コルセアのエンジンは数気筒が被弾しても油(訳注:原文は”oil”ですが燃料でしょうか潤滑油でしょうか、それとも両方かな。ピストンエンジンに詳しい人教えて下さい)が続く限りは飛び続けることができた。この点はサンダーボルトも同じだ。しかし弾丸が1発でもジェット機のタービンに命中すれば、ジェットエンジンは自然にかつ急速に壊れて行ってしまう。またジェット機は滑空がうまくできなかった。コルセアとサンダーボルトもそれほど滑空がうまくできたわけではないが、この2機種はエンジンの出力が失われた際、ジェット機のセイバーよりもずっと遠くまで滑空することができた。地上たった数百フィートの上空(訳注:対地支援任務だとこのくらいの高度ということなのでしょう)で被弾したら、滑空性能の違いはあまり意味を持たなかったかもしれないが… 
このテーマに関してはまだまだ書きたいことはあるが、だいぶ長くなったので疑問点を二つ提出してこのレスをしめようと思う。
  1. コルセアが太平洋やヨーロッパで使われなかったことが不思議だ。レンジャーは艦隊型空母としては小さすぎ、商船改装の護衛空母は古いワイルドキャットやMartin(訳注:イギリスバージョンのワイルドキャットであるマートレットのことかな)、ハリケーン、ソードフィッシュをコンボイ護衛につかい、護衛空母の滑走路はコルセアを飛ばせるほど長くはなかった。しかし私がこれまでに読んだものの中には、コルセアの使われなかった理由を明解に解説してくれているものはない。みなさんのご意見を伺いたい。
  2. 私はオンラインのフライトシムをプレイしたことがない。オンラインのフライトシムで枢軸国機または連合軍機を相手にコルセアを飛ばした経験のある人の感想をきいてみたい。
  3. 私は素のWItPもWitP AEもプレイ経験がなく、コルセアとサンダーボルトはどんな風にモデル化されているのか知らない。みなさんのご感想は…? 


コルセアが大西洋やヨーロッパで使われなかった理由のひとつは、アメリカ陸軍が海兵隊をヨーロッパから締め出していたことだ。陸軍は第一次大戦での海兵隊をめぐる物語を憶えていて、それを繰り返したくはなかった。結局、海兵隊は太平洋にまわされ、同じことを繰り返すことになったわけだが、とにかくヨーロッパには大使館の警護の部隊以外の海兵隊はいなかったんだ。対戦終了間際までコルセアのほとんどは海兵隊に割り当てられていた。例外としては、最初の艦載コルセア部隊となるはずだったVF-17がある。ともあれ、大西洋の護衛空母には一流の戦闘機は不要だった。ドイツ機と出会うことがあったとしても、長距離を飛べる哨戒機で戦闘機ではなかったから。海兵隊は生産されたコルセアのほとんどを太平洋の部隊向けに受領した。それに加えて、ブルースター社がコルセアのライセンス生産に絶望的に失敗したことがある。ブルースター製のコルセアは信頼性がなく、前線の部隊に送れるものではなかった。イギリス海軍航空隊も少数のコルセアを運用し、ノルウェー沖でドイツ機と戦闘した機もあった。ヨーロッパでのコルセアの戦歴はその程度だ。
フライトシムに関しては、私もリアルタイムゲーム用の反射神経を持ち合わせていない。プレイしてみようとしたこともあるが筋肉痛を来すだけで、私がその種のゲームをしない理由はそれだ。

WtiP AEでのサンダーボルトは傑出した戦闘機だ。ほとんどの戦闘機よりも火力、高高度性能に優れている。コルセアも連合軍最高の戦闘機のひとつだ。
WitP AEの中ではサンダーボルトの方が良い戦闘機だと感じる人が多いだろうと思う。サンダーボルトの方が速く、火力に優れ、整備性も良い(Service Rating=1、それに対してService Ratingが1のコルセアが出現するのはかなり後になってからだ)。しかしコルセアがそれほど見劣りするとも感じないし、どちらの機種も日本機相手ならうまくやれる。

スレのテーマからはずれてしまうかもしれませんが「 アメリカ陸軍が海兵隊をヨーロッパから締め出していたことだ。陸軍は第一次大戦での海兵隊をめぐる物語を憶えていて、それを繰り返したくはなかった。結局、海兵隊は太平洋にまわされ、同じことを繰り返すことになったわけだが、とにかくヨーロッパには大使館の警護の部隊以外の海兵隊はいなかったんだ」というのは初耳だ。どんな物語があったの?海兵隊はうまくやりすぎたのか、それともなにかもっと別のこと?海兵隊がヨーロッパの戦いに登場しなかったことはなんとなく知っていたが、詳しく説明してもらえるかな。

第一次大戦のフランスで、アメリカ第2師団の海兵旅団に報道機関の注目が集中した件について言っているのだと思う。海兵隊もたしかによく戦ったが、第二次大戦の時と同じようにプレスリリースに際しては部隊の特定ができないようにという報道規制があった。しかし報道機関が「海兵隊」について語ることは自由で、実際に頻繁に報道された(報道機関の言い分ではいい記事になった)のだが、アメリカ第2師団の他の旅団(陸軍所属)やアメリカ海外派遣軍全体を悔しがらせることにもなった。そんなわけで、後年トルーマン大統領も「海兵隊なんて、スターリンのプロパガンダ装置つきの海軍のポリ公だ」なんて言ったんだ。

この件に関してはなにかのついでに読んだことがあるだけだが、それによると海兵隊は記者を従軍させた最初の軍種で、しかも海兵隊は記者たちが兵士の活躍に関する記事を書いてくれるよう奨励した。派遣された兵士の数を勘案すると、第一次大戦時の海兵隊は陸軍よりずっと多く報道機関にあつかわれたが、陸軍のお歴々はそんな扱いを納得できなかった。第二次大戦では、まずドイツを叩くという政策のもとで、陸軍の上層部がヨーロッパでの戦いの大部分をお膳立てし海兵隊をこの戦域から締め出したわけだ。
しかし太平洋も陸軍の上層部が考えていたよりずっと活発な戦場となった。太平洋で戦った陸軍の兵士の数は海兵隊よりも多かったが、太平洋の戦いの兵士として一般の人が想い浮かばれるのはどっちだと思う?

ゲーム中での連合軍の戦闘機の数は常に不足しているから、どちらの機種も好きだ。またこのゲームでは初期のP-51に対してサンダーボルトの火力がいっそう強調されて表現されている。サンダーボルトとコルセアを比較するには対戦相手を考慮することも必要で、かなり違った敵と対戦している。余談だが、空戦を描いた映画で最高なのは、ヨーロッパでのP-47の活躍を描いたFIGHTER SQUADRONだと思う。

お二人とも素晴らしい解説をありがとう。私の6年生の時の担任の国語(訳注:原文は”English”)の先生は太平洋で戦い、その友人はコルセアを飛ばしていた。先生が言うにはその友人はコルセアがとても気に入っていたそうだ。

これまでにP-47とF4Uを直接比較したものを読んだ記憶がない。両機種はお二人の言う通りの飛行機だった。エアショウで出会ったP-51で飛んだことのあるパイロットの話を聞くと、P-47は1944~45年のアメリカの戦闘機の中で最も優れた高高度性能をもち、P-51よりも優れていたそうだ。中高度と低高度ではP-47よりF4Uの方がちょっぴり良好な性能を示したかもしれないとも思うが、アメリカの繰り出した最高の戦闘機はP-47だったと思う。第8空軍がP-47をP-51で置き換えたのは、1944年前半の時点での両機種の行動半径が理由だった。P-47CとDの航続距離はイングランドからドイツまで飛ぶには不十分だった。この点でP-51に匹敵するものはなかった。後期型P-47MとNはドイツまで飛べる航続距離を有していたが、第8空軍にはすでにP-51があったので需要されなかった。
以前のレスでも書いたように、F4Uと競合していたのはF6Fだった。F6Fは海軍の要望を充たしていたので、急いでF4Uに機種転換しようという機運はなかった(記憶に間違いがなければ、太平洋戦域でキルレシオが最も優れ、また稼動機の比率の高かった戦闘機はF6Fだった)。F4Uが朝鮮戦争で使われたのは、開戦時に海兵航空団がF9F pantherへの機種転換を済ませていなかったことが主な理由で、そのため朝鮮戦争のあいだかなり長くにわたって旧式のF4Uで戦い続けなければならなかった。同じような理由で、空軍の一部の部隊もP-51で開戦を迎えた。しかし空軍にはP-51をすぐにF80とF84で置き換える予算的裏付けがあった(もちろん地上支援任務の機体のことだ。制空任務はただちにF86セイバーがあてられた)。
ということで、F4UとP47を比較することが本当に可能なのかどうか私には自信がない。海兵隊の部隊のスコアと、P47を飛ばした第5空軍の統計を比較すればいいのかな?

朝鮮戦争で海兵隊と海軍の地上攻撃の主柱だった尊敬すべきスカイレーダーを忘れてはいけない。コルセアがP-47よりも長生きできたのは、コルセアが多目的に使えて、サンダーボルトのできなかった任務にも就けたからだろうと思う。
このゲーム内ではP-47の方が優れていると思う。P-47D2はF4U-1よりも毎時20マイル速く、登場は6ヶ月遅いだけだ。しかもより頑丈なうえ最高高度や整備性も優れていて、武装はF4U-1Aさえも凌駕している。P-47D2より一年近く遅れて登場するF4U-1Dは前の型よりも少し速度が遅くなっている。もっとも整備性は改善(SR=1)されるのだが。P-47D2に匹敵する速度をもつのはF4U-4だが、F4U-4の登場する1945年6月にP-47系列は毎時460マイルも出るNバージョンに進化している。このゲーム的には比較にならないと思う。
フライトシムに関していう(訳注:私はフライトシムをプレイしたことがないので以下の訳でいいのか自信なし)と、私は長年IL2 Sturmovickというゲームのfull-switchでrealisticな鯖で飛んだ経験がある。コルセアは太平洋戦域の鯖(私は数ヶ月にわたってZeke Vs Wildcat鯖を飛んだ)に限定されているし、P-47は主にヨーロッパ戦域の鯖だから、この2機種を比較することは難しい。私はコルセアで硫黄島マップの地上支援任務を何度もこなした。この機種はとても速くて直線飛行さえしていれば零戦(A6M5)にも紫電改(N1K2)にも追いつかれることはない...しかしたった数秒でもターンしようとすると、20mm機関砲を4挺もつあのやっかいな紫電改に真後ろにつかれてしまう... 太平洋戦域を飛んで楽しい機種ではないね。P-47でヨーロッパを飛ぶ方がずっといい。高高度を高速で飛べばFw190 AだろうがFw190 Dだろうが簡単にかわすことができる.. 

フライトシムでの体験。P-47は火力、逃げる際の最大降下速度、(ほとんどの高度での)最高速度といったもののおかげで対戦闘機戦闘に有利だ。日本機を相手に格闘戦をするとなるとそんなに有利ではないものの、予想通り、多対多の戦闘では優っている。四式戦と雷電は速いので最も厄介な相手だ。ドイツ機との空戦では、ほとんどのBf 109はP-47よりも遅く、高速でのロールレートの点で操縦性に難があり、また高速では操舵に大きな力が必要でもあり、P-47に追従することが困難だ(Bf 109も格闘戦でなら勝てる)。P-47に搭乗していて優秀なパイロットの飛ばすFw 190と出会ったら、Fw 190は避けて別の相手と戦いたくなるだろう。ミスは許されない相手だから、P-47でも数的優勢と高度の優位を必要とする。P-47特有の超高速での降下を除くと、P-47がどんな機動をしても、Fw 190はP-47をしっかり追いかけることができる。史実ではほとんどの場合、数的優勢、有利な位置取り、有意な高度、訓練と経験の差がみられた。しかし、同じ条件でFw 190、とくにFw190D-9に勝つには、また単に最高速度が9kmしか速くないという状態を避けるには、P-51、テンペスト、La-7といったような、Fw 190とどんな高度での格闘戦も多対多の戦いもできる機種が必要となるだろう。

P-47はターボ式過給器を装備していて、高度3万くらいで最高速度をだせる。F4Uは二段機械式過給器で最高速度は高度2万くらいで出る。エンジンは同一だが、吸気の様子が違っているんだ。そしてロールレートは速度や高度ごとに異なる。降下率も同じように変化するし、また降下率は飛行機がクリーンな状態か通常の装備を搭載しているかによっても異なる。
コルセアとサンダーボルトのどちらが優れているかを尋ねるのは、フォード250ピックアップとジープグランドチェロキーのどっちが良いか尋ねるようなもんだ。ばかばかしい。ここではこっちの方が良いし、そこではあっちの方が良いけど、どっちが優れている?武器っていうのはそういうもので、使いみちによるんだ。
コルセアはF6Fより優れた飛行機だったが、空母の艦上ではひどいものだった。そんなわけで海兵隊にまわされた。イギリス軍は空母でもつかいこなしたが、彼らはコルセアに適した着艦方法を採用していた。アメリカ海軍もそれを学び、ついにはコルセアを空母で運用するようになったわけだ。

P-47MもP-47Nほどの長い行動半径をもちあわせてはいなかった。しかしそれでも良い飛行機だった。P-47Mはごく少数だけが製造され、第56戦闘機団だけが装備した。P-47Nの行動半径はP-51に迫るほどだった。
VF-17は海軍初のF4Uの部隊で空母バンカーヒルに搭載される予定だった。コルセアには低速域での厄介な失速特性があったので、VF-17は片方の主翼の前縁に失速防止用の金属片を装着した。F4Uは他のどの海軍機に比較しても着陸が難しく、タイヤがパンクしやすかった。作戦を進めようとしている時に着陸する機体のタイヤがパンクしちゃうと予定が狂ってしまう。
朝鮮戦争で海軍はF4Uを地上攻撃任務にあてていた。たしかそのうちスカイレーダーに機種転換されたんだとは思うが、初期にはスカイレーダーを装備している飛行隊がわずかしかなかった。初期のジェット機は扱いが難しく、信頼性に乏しかった。コルセアのような枯れた機種のおかげで、来る日も来る日も飛行機を飛ばし続けることが可能になった。私の母のいとこは空母オリスカニーでパンサーのパイロットだった。彼の居室は艦尾に近く、午前5時を過ぎると眠っていられる環境ではなくなったそうだ。午前5時というのはコルセアが作戦行動を始める時間なんだ。ジェット機がカタパルトから発進するのとは違って、コルセアは甲板後部から滑走して離陸した。ジェット機が仕事に取り組まなければならないのは、太陽が水平線からかなり上まで昇ってからだった。

これまでに触れられていない細かいことだが、P-51の初期の価格は5万8000ドルでその後5万ドルにまで低下した。P-47は生産されていた間ずっと11万5000ドルだった。維持費が高かった(ターボスーパーチャージャー)ことともあわせて、これもP-51がP-47よりも好まれた理由の一つだった。

これは的確な指摘だ。戦争ではコストの削減と生産の合理化に成功した側が勝利する。その他の理由より、このコストの比較の方が真相をよりよく説明してくれていると思う。P-38Lは優れた戦闘機だったが、驚くほど高価だった。ムスタングを製造できるのにP-38Lの方を生産しなければならない理由なんてなかったんだろう。

太平洋でP-38を飛ばしていた第5空軍のパイロットのスコアはそれほど良くはなかった。P-38LはP-51よりも行動半径が長く、問題の生じた時にも余裕があった。海上を長距離飛行する際には、双発であることがパイロットの安心材料となった。ツインムスタングもP-38の行動半径とP-51の空戦能力とを併せ持った機種として計画された。完成が遅すぎ、また技術は別の方向に発展して行ってしまったが、朝鮮戦争では優秀な夜戦として戦えた。1943年のP-40の生産がP-51に置き換わっていたら、アメリカはずっとラクな戦いができたろうに。

すべてその通りだ... 私の父は朝鮮戦争で第5連隊戦闘団のライフルマンだった。父は、海兵隊のコルセアが低空で接近し爆弾やナパーム弾を前線の向こう側に投下する様子を話してくれた。深く記憶に残ったのだそうだ。しかし、(朝鮮戦争の地上任務にP-47が参加しなかったのに対し)F4Uがつかわれたことに関して私がいいたいのは、空軍には戦闘爆撃機としての任務に近代的なジェット機を導入するための資金とリソースが早い時期からあったということだ。F4UがP-47よりも地上攻撃機として優れていたからというわけではない。空軍には新しい機材を導入する資金があり、海兵隊や海軍にはそれが欠けていた。注目すべきなのは、海軍もA4スカイホークを使い始めると決してF4Uに戻ろうとはしなかったことだ(旧式化していたA-1スカイレーダーでも限定的な任務ならベトナム戦争でもつかわれたのに)。海軍がF9Fパンサー、F7Uカットラス、FJ2/3フューリーを1951年までに充分な数揃えていたら、F4Uコルセアはかなり急速にお払い箱になっていたことだろう。

P-51とF4Uは戦後も使い続けられ、各軍種が所有する最高のピストンエンジン戦闘機として多数が保存されてもいた。その他の機種はほとんどがスクラップにされ、残された機体は例外的だった。P-47は優秀な地上攻撃機だったが、空軍は戦後になっても使い続けたいとは思っておらず多くを退役させた。B-29は、B-36が採用された後、中型爆撃機に機種を分類しなおされた。 attack bomber(対地攻撃爆撃機)という分類は廃止されてしまった。大戦終了時、新品のA-26がたくさんあったがみんな保管機にされた。おそらく外国に売りつけるつもりだったのだろう。
F-51(1947年に名称が変更された)、F4U、A-26は保管機かまたは二線級の部隊(州兵など)の使用機であり、また一部のF4Uは空母で運用されていて、それらが朝鮮戦争でつかわれることになった。部隊の数が大幅に削減されたので、その時点で運用されていたF-47は特別な任務に就いているものだけのごく少数だった。保管機も1個飛行隊を装備させるだけの数はなかった。P-47は朝鮮戦争での対地攻撃任務にF-51よりも適していたかもしれないが「もうこんな戦争はたくさん」という気分で後先考えずにスクラップされてしまっていて後の祭りだった。

P-47がP/F-51よりも優秀な地上攻撃機だったという点は同感だ。大戦終了直後、アメリカ陸軍航空軍は必要でないものはすべて排除しようとしていた。P-38やP-47はしっかりした整備を要し、航空軍の要求からはずれた。これがこの2機種の残存機体が片手で数えられるくらいしかない理由だ。現存するP-38のうちの1機はグリーンランドの氷冠の下から発見されレストアされたものだ。
あなたの手がとんでもない奇形でもなければ、P-38とP-47は片手で数えられるよりも少し多くが現存している。 Warbird Registry をみると飛行可能なP-47は14機、P-38は7機を数えることができる。世界中の博物館には静態保存された機体がもっとたくさんあるだろう。しかし飛行可能なP-51が数百機あることもたしかで、他方、飛行可能なF4Uもあるにはあるがそんなに多くはない。大戦を戦い抜いたP-47の多くは戦後ラテンアメリカの空軍に売却され、コルセアを手にしたがるファンが現れる頃まで永らく維持された。
以前、Chapman戦闘機博物館(ここのコレクションは今シアトルの飛行博物館が所有している)の学芸員と話したことがある。彼はアメリカ陸軍航空軍のパイロットだったが、訓練の終了した時期が遅く、戦闘を経験しなかった。そのかわり、彼の最初の、かつ唯一の任務は工場で製造されたばかりの多数のP-40をアリゾナ州Kingmanにあるスクラップヤードに飛ばすことだったそうだ。
私の父は、戦争の終了したとき余剰となった飛行機を購入したいと思ったと話していた。P-47なら1機が車1台より安く買えた。ただ、父には駐機させておく土地がなかったのだそうだ(一時、父は友人たちと共同である映画スターの所有していたロールスロイスを手に入れたことがあるが保管しておくことができなくなり手放すことになった。今その車はネバダ州のコレクターのものになっている)。ウォーバードの将来を予見できた数少ない人の一人にEdward Maloneyがいて、彼は映画産業用に多数の飛行機を保存しておいた。一時は、唯一の個人所有のMe-262を彼が所有していた。

私の近くの空港に十年以上前から展示されているコルセアも南アメリカ帰りで、雨曝しでカモメの糞にまみれてしまい、いま化粧直しの作業を受けている。

「望みの武器で戦うのではなく、手持ちのもので戦う」ということだ。

面白い議論をありがとう。私のこれから言うことは皆さんにとっては当たり前のことかもしれないが、P-47はMe-109やFw-109、それにMe-262と対戦するのにも最高の戦闘機だったと思う。P-51もいい戦闘機だが、私はF-47を選びたい。F4Uは日本機よりも優れていた。幸運かなにかのおかげだ。
私が第二次大戦時のアメリカのパイロットだったら、他のどの機種でもなくサンダーボルトに搭乗することができたら、生き残れる確率が高いことで幸せに感じただろう。
私にはRobert Johnson(彼に関するエピソードはこのスレの前に方にある)のいとこにあたる友達がいて、本当はいとこだがだいぶ年が離れているのでボブおじさんと呼んでいたそうだ。彼が小さかった頃、ボブおじさんの膝でいろいろと経験談をきかせてもらったそうで、もしそのRobert Johnsonに好みの機種を選ばせたら、彼もP-47を選んだに違いない。P-47は当時の最高の機種だったから。
私(訳注:これは主に日本側だけでプレイしている人のレス)はこのゲームのコルセアが嫌いだし、サンダーボルトにはひどくおびえてしまう。的確な比較なんてできる?

コルセアについて1点。この機種は1953年になっても製造されていた(純粋な対地攻撃機であるA-1Uバージョン)。

P-47はR2800-8エンジンにターボスーパーチャージャーを装着していて、高高度で本領を発揮する。最高速度は全開高度の3万で。F4Uは2段機械式過吸器装備で中高度で本領を発揮する。最高速度は全開高度の2万で。飛行機の性能は「曲線」状になっている。その「曲線」をみればいろいろと発見があるだろう。こういったことが、WitP AEの飛行機性能アルゴリズムの基礎になっている。

第二次大戦後、アメリカ空軍はすべてジェット機という軍隊を目指した。しかし予備部隊にまでまわすほどのジェット機はなかった。F-51は第二次大戦期の中で最高性能、最新、整備も用意な機種と判断された。しかもまだ生産が続けられて(P/F-51H)いた。パーツは生産終了した機種のものよりも生産中の機種のものの方が安く入手できる。レパブリック社とロッキード社はジェット戦闘機の生産にシフトしていて、ノースアメリカン社はF-86の不具合を修正するのに専念していた(まだ量産は始まっていない)。ということで1948年の時点のアメリカ空軍は経済的に意味のある選択をしたわけだ。
その40年後、アメリカ海軍も同様な選択を迫られている。維持費で破産させられそうだが(多くの点で)より有力な戦闘機(F-14)を維持し続けるか、それとももっと安価で済む多目的戦闘機(いろいろなバージョンのF-18)にするか。それにしてもフル生産なら安価だが、小規模な生産でも安価なのだろうか?いずれにせよ議会はどちらかを選択するように忠告して来ている。必ずしも最善を手にすることができるとは限らない。手に入るもので済まさなければならないこともある。

朝鮮戦争での選択は機種が問題ではなかった。緊急命令で海兵隊予備部隊が呼び出された。彼らは地上攻撃任務を熟知していた。彼らが装備していたのはコルセアだった。そんなわけでコルセアが使われたわけだ。

素のWitPのスレでは際限なく零戦対F4Fワイルドキャットについて議論されていた。ある時、Lundstrom著のThe First Teamを読んだ私は、AFB(連合軍側のファン)たちが正当だと信じている順位表を破り捨て、1942年の段階では日本側の空戦ドクトリンの方が連合軍側のフィンガーフォー・ドクトリンよりも優れていて、緒戦期の連合軍戦闘機に対する零戦の成功に大きく寄与していたと提起した。連合軍側の4機単位という選択(イギリスのV字型3機編隊)に対し、日本側は6機で1単位を選択していた。そこから、私はどんな銃撃戦でも数の多い方が有利(無線機の装備の有無を無視すれば)だし、少なくとも数が多いと言うことで不利になることはないと考えたんだ。朝鮮戦争での空戦に関する本を読み、ソ連が第二次大戦のベテランを参戦させた1951-1952年の時期にこの問題が再浮上し、ソ連機がF-86セイバーに対し大きな成功をおさめたことを知った。ソ連戦闘機の成功はアメリカの4機編隊に対し6機編隊だったことが少なからず関与している。1942年前半にアメリカ海軍のパイロットだった2人のJimmyJimmy Thatch(自分のフィンガーフォーにサッチウィーブを勧めた)とJimmy Flatley(珊瑚海海戦後に6機単位を提唱した)が戦術の変更を提案した。アメリカ側はサッチウィーブとドイツ空軍のフィンガーフォー戦術(Finger Four Schwarm tactics)を採用した。Flatleyは3機編隊のペアを提案したが、これはソ連が朝鮮戦争で採用していたHonchoと呼ばれるものと同じだった。Flatleyが1942年に提案していた6機編隊の有効性が朝鮮戦争で証明された皮肉な巡り合わせ... http://acepilots.com/russian/rus_aces.html 

一般論としてはあなたの多数の優位という結論に同意する。しかしあなたのレスは、2つのテーマを混ぜてしまっているように感じる。一つは数的優勢でもうひとつは戦術的な編隊構成。1個のフィンガーフォーが、2個のVic(V字型3機編隊)や1個の典型的なHoncho編隊よりも不利なことは不思議でもなんでもない。4対6の戦闘なんだから。2個のフィンガーフォーなら、2個のVic(V字型3機編隊)や1個の典型的なHoncho編隊に対して数的に優位に立てる。これは無限に拡大することができるが、本質的には利用可能なリソースの問題に還元されてしまう。議論の基礎にあるべきなのは効率という問題で、その場合には双方が利用可能な銃の数という観点からすると2機編隊がV字型3機編隊よりも有利だと証明するようなことを考えなければならない。空戦の他の要素を無視すれば、3機は2機よりも常に有利だ。しかし双方の機数が同じ(例えば6機とか12機とか)なら、2機が戦術構成の最小単位となっているような編隊が有利になる。双方の機数が同じだとすると、ソ連の6機編隊は2機単位3個が戦術的に支援しあうので、2個のV字型3機編隊よりも優れている。しかしあなたの考えの延長でフィンガーフォーと6機編隊との比較すると、Honcho編隊1個に対する最善策は6機編隊で立ち向かうことではなく、フィンガーフォー2個ということになってしまう。しかしフィンガーフォー2個はHoncho編隊2個に対しては数的に劣勢になってしまう。こんな比較はあまり意味があるようには思えない。Honcho戦術とフィンガーフォーを比較する唯一の方法は、Honcho2編隊とフィンガーフォー3編隊を比較することで、12機対12機という状況になる。(空中で完全な編隊を組むのに何機が空母から離陸しなければならないかといったような要素は無視するにしても)機数のほかに、空戦の結果に影響を及ぼす他の戦術的変数がたくさんあるので、有意な結論に到達することは難しい。個人的には2機単位を2倍2倍と拡大してゆく編制が効率、単純性、安全性、柔軟性という点で最善だと思う。

Vicは3機編隊だ。フィンガーフォーは2つのペア(4機)の編隊だ。ソ連やFlatleyの提唱したのはいわばフィンガーシックス、ペアが3つ。フィンガーフォーが選択されたのは、こちらの方が積極的な編制だからだ。

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