2014年10月24日金曜日

重慶南で掃蕩戦

1942年11月21日、重慶とは長江をはさんで対岸の荒れ地ヘクスの中国軍部隊に対し、貴陽から一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 9機に護衛された双発爆撃機302機(Ki-21-Ic Sally 25, Ki-21-IIa Sally 191, Ki-49-IIa Helen 86)の大空襲がありました。ここにいた中国軍は、東側の1級道路の通過する森林ヘクスでの陸戦の敗残兵で、掃蕩の手間をかけさせるためにこの荒れ地ヘクスに移動させておいたもので、戦力としてはまったく問題にならない部隊でした。しかし日本側はウサギを追うのにも全力を注ぐライオンのような方で、大編隊による空襲でdevice 14個を破壊・159個をdisabledにされ、その後は追及してきていた第1戦車師団の攻撃であっさり始末されてしまいました。この敗戦自体は順当な結果で不思議でも何でもありませんが、この陸戦に勝利した日本側のLCU(第1戦車師団)に南東に移動中のアイコンがついているのが不可解です。このへクスに複数の日本軍部隊がいて、一方が攻撃、他方がreserveの指示がしてあったのなら、reserve指示の部隊に追撃=移動のアイコンがつくこともあります。しかしそれでも中国軍部隊の逃げていった西側への移動=追撃でなければ変です。しかもコンバットリポートには追撃の旨の記載はなく、また日本軍は1部隊だけだったように見えるので、なぜこんなアイコンがついたのか分かりません。FoWということでしょうか?

今日の重慶には漢口方面から九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 25機が飛来しただけでした。しかしわずか25機でも、Airbase hits 2、Airbase supply hits 1、Runway hits 32と少なからぬ被害が出ています。また中国軍部隊は周囲のヘクスに対する偵察能力が非常に低いものなのですが、珍しく今日は重慶周囲のヘクスの日本側の動きが表示されていました。西からは17部隊、北東からは3部隊が接近中だそうです。これらの到着を待って重慶の攻城戦を再開するつもりだろうと思われます。

ウエーク島では細々とサプライの揚陸作業を続けています。今日で3日間お休みをとった第2海兵師団は混乱値13、疲労値27まで回復してきました。あしたは巡洋艦TFの艦砲射撃の支援の後で、陸戦を再開したいと思っています。


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