1943年4月11日、バシー海峡でSS AmberjackがAO知床を雷撃しました。珍しくも2本の魚雷が命中爆発してくれましたが、fuel cargo burningの表示や沈没音は聴取されませんでした。空荷のタンカーだったようです。
蘭印ではマカッサルへの再度の空襲を計画していましたが、飛んでくれませんでした。あらためて明日実施するよう指示したのですが、sweep用の戦闘機をビマとWaingapoeに移動させてあるのを日本の偵察機に発見されています。CAPトラップを仕掛けられなかればいいのですが。
実現しなかったマカッサル空襲のかわりに、アンボン飛行場の制圧を目指して、アンボンを叩いてみました。P-40K Warhawk 34機とKittyhawk 6機がsweepとLRCAPで支援しましたが、日本のCAPはいませんでした。B-25C Mitchell 36機とB-25D1 Mitchell 12機が爆弾を投下し、Airbase hits 11、Airbase supply hits 3、Runway hits 52のダメージを与えたので、しばらくは使用不能になったと思います。また昨日ボエラの連合軍軽巡を空襲した九七艦攻と零戦のほとんどは後方に移動させてあったようですが、修理中で残されていた九七艦攻 4機と零戦 2機を地上で撃破することができました。
蘭印ではほかにクーパンとダーウィンからMitchell II 9機、Beaufort V 6機、Beaufort VIII 9機がディリの飛行場を爆撃して、Airbase hits 2、Runway hits 6のダメージを与えています。ここディリにもしつこく輸送機が飛来し、サプライを運びこんでいるようです。アンボンのように突然機能復活となっても困るので叩くことにしたいと思います。
ビルマではPromeからのHurricane IIc Trop 14機がTaung Gyiをsweepしました。このsweepは予定にはなく、お休みの指示を出し忘れ、きのうの指示のまま飛んでしまったものです。Taung Gyiの上空では16機の二式戦(Ki-44-IIc Tojo)がCAPしていて、ハリケーンは7機(被撃墜 2、Ops loss 2)を失うことになってしまいました。二式戦は今日ほかでも空戦をしているので、この戦闘による二式戦の損失数ははっきりしませんが、ハリケーンの大敗だったことは確かです。でも、このあとのマンダレーへの空襲を迎撃する二式戦の数を減らすという点では、ハリケーンの犠牲も無駄にはなりませんでした。
そのマンダレーには、Shweboとアキャブから戦闘機 77機(H81-A3 24, P-43A-1 Lancer 8, P-66 Vanguard 6, Hurricane IIb Trop 12, Hurricane IIc Trop 13, P-39D Airacobra 14)がsweepとLRCAPと護衛で支援する中、双発爆撃機 104機(SB-III 6, Blenheim I 6, Blenheim IV 10, Blenheim VD 12, Beaufort VIII 6, Bolingbroke IV 7, A-24 Banshee 16, A-29 Hudson 6, B-25C Mitchell 15, B-25D1 Mitchell 9, B-26 Marauder 11)と四発爆撃機 37機(Liberator II 23, B-17E Fortress 4, B-17F Fortress 10)が日本軍守備隊と飛行場を爆撃しました。マンダレーでも二式戦(Ki-44-IIc Tojo) 12機に迎撃されましたが、ハリケーンのおかげで数が少なくなっていたので大きな損害を被ることはなく、爆撃により日本軍守備隊のdevice 1個破壊と26個disabled、それに飛行場にAirbase hits 10、Airbase supply hits 2、Runway hits 16のダメージを与えることができました。大した戦果ではないといわれればその通りなのですが、今日も空襲のいちばんの目的は日本軍守備隊の構成を知ることでした。マンダレーに駐屯しているのが3つのユニットであることは以前から分かっていたのですが、今日の空襲でそれが戦車第2聯隊、第45道路建設部隊と第45野戦高射砲大隊であることが判明しました。きのうからShweboの地上部隊にマンダレーへの渡河を指示してあるのですが、これなら大丈夫。4日後には渡河を強行する予定です。日本側が大きな部隊を増援させないといいのですが。
そして今日は日本側がチェンマイからShweboに九七重爆(Ki-21-Ic Sally) 24機を送って来ました。しかも戦闘機の護衛なしで。二式戦のsweepによりCAPの戦闘機が狩られまくるのを防ぐため、連合軍はあまりCAPを上げなくなっていますが、それを見込んで戦闘機の護衛をつけなかったのでしょうか。それとも本当は、Shwebo上空にもLRCAPの戦闘機による支援があったはずなのに、Taung Gyiとマンダレーの空戦でその戦闘機がいなくなってしまい、丸腰での空襲となってしまったものか。どちらなのでしょう。いずれにせよ脆弱な日本の爆撃機が護衛なしで15機のCAP(H81-A3 4, P-43A-1 Lancer 2, P-66 Vanguard 2, Hurricane IIb Trop 3, Hurricane IIc Trop 4) と対するのは無理で、13機が撃墜され爆撃による被害はありませんでした。
雲南では保山に向け退却中の連合軍部隊が二式戦(Ki-44-IIa Tojo) 16機に護衛された九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 25機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 29機に襲われ、device 4個がdisabledになる被害が出ています。その隣の日本軍地上部隊には移動のアイコンが表示されていませんが、きっと西進しているんでしょうね。西に移動すると渡河することになるので、退却中の連合軍部隊がある程度の戦力を残しているようなら、この川をはさんで対峙するのが良策なのですが、ほとんどどの部隊にも健全な歩兵分隊deviceがなく、川があったくらいではとても勝負になりません。なので全軍をあげて保山に退却です、もっとも保山も1-2戦で奪取されるのは間違いないでしょう。それくらいぼろぼろなのです。
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