1943年4月15日のビルマ。メイクテーラを9機のLiberator IIを夜間爆撃し、Airbase hits 3、Airbase supply hits 1、Runway hits 12のダメージと地上で二式戦(Ki-44-IIc Tojo) 1機を撃破したところまでは上々の滑り出しでした。
夜が明けてから、マンダレーに対し、sweeperのHurricane IIc Trop 34機、護衛戦闘機 79機(H81-A3 2, P-66 Vanguard 6, Hurricane IIc Trop 12, P-40K Warhawk 34, P-39D Airacobra 25)爆撃機 134機(SB-III 6, Beaufort I 3, Blenheim I 7, Blenheim IV 8, Blenheim VD 16, Hudson IIIa 11, Beaufort VIII 6, Bolingbroke IV 13, A-24 Banshee 16, A-29 Hudson 7, B-25C Mitchell 24, B-25D1 Mitchell 14, B-26 Marauder 3)の参加する大規模な作戦が始まりました。Shweboからマンダレーに連合軍地上部隊が行軍中であり、日本側がマンダレーに空襲のあることを予想して多数のCAPを準備していることが予期され、4月11日のマンダレー空襲よりも多数のsweeperと護衛戦闘機を参加させました。また、メイクテーラへの夜間空襲で、メイクテーラの二式戦部隊の士気値の低下(機体が地上で撃破されるとパイロットも戦死することが多く、それにともなって部隊の士気値も低下する仕様です)もあることを期待しての作戦でした。
マンダレーの上空ではやはり111機という多数の戦闘機(A6M5b Zero 23, Ki-44-IIc Tojo 88)がCAPしていました。これに対して、34機のsweeperのうち爆撃機に先行した空襲第1波のハリケーンは10機のみ。第2波は爆撃機 70機で、しかも護衛を指示した79機の戦闘機のうち同行したのは5機のみでした。この時点でCAPは106機も残っていましたから、5機の戦闘機で70機の子羊たちを護衛するなど無理な話で、多数が狼の犠牲になってしまいました。8波にわたったマンダレー空襲はあとになるほど護衛が充実した感がありますが、それでもCAPが残っているうちは数機ずつ落とされ、合計で79機が撃墜(ほかに対空砲火で1機、OPs loss 5機)される大惨事となりました。それでも爆弾を投下できた爆撃機もあり、守備隊のdevice 1個を破壊し24個をdisabledにしましたが、期待していた戦果には遠く及びません。
陸戦フェーズでShweboから2万4千名、素のAV 866の連合軍部隊が渡河しました。4月11日のマンダレー空襲で確認された日本軍守備隊は戦車聯隊1個基幹の3ユニットでしたが、その後に総勢1万5千名ほどに増強されていることが報告されていました。コンバットリポートによると増強されたのは第21師団で日本軍守備隊は1万2千名余、素のAVが486となっていました。渡河により自動的にshock attackとなりますが、それでも修正AVは795:657でオッズ比1:1。防御施設の規模を6(6もあるとは)から5に低下させることができましたが、連合軍はdevice 11個破壊・231個dsiabledという大きな被害を出してしまいました。日本側の死傷者はdevice 3個破壊・45個disabledにとどまっています。あした反撃され橋頭堡から追い落とされたりということはないのでしょうが、それでも攻撃再開までにはかなりお休みさせる必要があります。空襲で爆撃機にあれほど大きな被害が出るのならば、マンダレーに直接渡河せず、時間をかけてでも迂回すべきでした。
蘭印では今日もケンダリーに6機のB-17F Fortressが夜間空襲を実施し、飛行場にAirbase hits 3、Runway hits 3のダメージを与えるとともに二式戦5機(Ki-44-IIa Tojo 3, Ki-44-IIc Tojo 2)を劇はしています。また昼になってから双発爆撃機 24機(Mitchell II 9, Beaufort VIII 9, Beaufort V 6)がディリを襲い、Airbase hits 8、Airbase supply hits 1、Runway hits 5。またボエラから双発爆撃機 36機(B-25C Mitchell 27, B-25D1 Mitchell 9)がアンボンの飛行場を爆撃し、Airbase hits 2、Airbase supply hits 2、Runway hits 7の戦果がありました。
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