1942年12月2日、重慶にはいつも通りに空襲がありました。今日は戦爆連合 327機(Ki-43-Ic Oscar 30, Ki-21-Ic Sally 47, Ki-21-IIa Sally 188, Ki-49-IIa Helen 51)による飛行場と守備隊の両方への爆撃で、飛行場にAirbase hits 3、Airbase supply hits 3、Runway hits 15、守備隊のdevice 3個破壊、72個disabledの被害を受けました。陸戦の方は今日もお休みです。
蘭印ではCA VincennesとCL Concord、Birmingham、Hobartの4隻がアンボンを艦砲射撃しました。アンボンの飛行場・港湾施設にAirbase hits 9、Airbase supply hits 3、Runway hits 46
、Port hits 23、Port supply hits 2の命中弾を与えるとともに、二式戦 3機(Ki-44-IIa 1, Ki-44-IIa 2)を地上で破壊することができました。巡洋艦TFは無事にダーウィンに向かい、目論見通りの戦果を得たわけですが、日本側はそれをグンと上回る趣向を準備していたのです。
連合軍側で東部蘭印の要となる根拠地はチモール島クーパンで、ここの防御に関してはもう心配いらないだろうと考えていましたが、それは大きな間違いでした。日本軍はなんと246機もの零戦(A6M2 Zero 183, A6M5b Zero 63)をsweepに送り込んできたのでした。153機(Hurricane IIc Trop 16, Kittyhawk IA 37, P-39D Airacobra 50, P-40E Warhawk 50)の戦闘機が迎撃しましたが、連合軍は82機(被撃墜 66、Ops loss 16)を失ったのに対し、日本側の損失数は41機(被撃墜 30、Ops loss 11)とダブルスコア。マカッサルから距離12ヘクスも飛行して来たsweeperに対してこれでは完敗です。味方の根拠地の上空とはいえパイロットの死傷も少なくなく、KIA 17名、WIA 30名もの被害が報告されていました。
敗北の原因ですが、一番はやはり数が少なかったことかなと思います。零戦は5波に分かれて到着しましたが、それぞれの機数は64機、49機、6機、70機、57機で、第3波以外は大きな集団での来襲です。それに対してCAPの方は、各戦闘ともすでに滞空中だった機数は少数で、残りは少しずつスクランブルして上昇した機体が撃墜される感じでした。もともと連合軍の飛行隊より日本のものの方が規模が大きいのですが、それに加えて日本海軍の戦闘機隊は空母を利用するとたしか72機くらいにまで拡張できます。sweepする上ではこれが大きなアドバンテージですね。
さて、今日の敗北はやむを得ませんが、日本側は今日の大勝の余勢をかって、あしたもクーパンになにか仕掛けて来るの、その点が非常に気になります。sweepで戦闘機数を削られて(今日落とされた戦闘機は旧式のものばかりですし、またこのところ空戦が激しくなかったので「新型」のP-40Kの在庫が170機ほどになっています)も、飛行場や港、備蓄してあるサプライが無傷なら、東部蘭印の攻略にそれほど大きな影響はないと思っています(一部、負け惜しみもありますが)。なお、連合軍側はBabarからディリにB-25C Mitchell 14機が出かけ、Airbase hits 2、Airbase supply hits 1、Runway hits 6の戦果でした。
今日は対潜戦闘がなかったのにリプレイ中に突然、潜水艦の沈没音が聴取されたのでお相手の方は驚いたかも知れません。しかし、連合軍側には思い当たる潜水艦がありました。沈没したのはやはりそのSS Whale(1550トン、VP 10)で、アッツ島まであと距離17ヘクスの幌莚島南方の北太平洋での出来事でした。このSS Whaleは樺太南東岸でパトロール中だった11月27日、SC CHa-20に探知され、直撃ではなかったものの爆雷が2発命中し、Sys 3, Flt 33(21) Eng 7(6)のダメージを受けました。母港のダッチハーバーに戻ることにはなりましたが、この程度なら特に気になるほどでもありません。
しかし、翌日28日に一式陸攻の250kg爆弾を受けたことで事態は悪化します。この爆撃によりダメージはSys 64, Flt 49(30), Eng 11(7)と急上昇し、特にSysダメージの高くなったことが問題です。Sysダメージは搭載している兵装や機器類だけでなく、侵入した水を排水するためのポンプなどの損害をも意味します。ダメコンに優れたアメリカ海軍の潜水艦でも排水ポンプの半分以上が使用不能の状態で浸水被害が49もあるということは危険なのです。その後もアッツ島に向けさらに東に移動しましたが、3日目の今日、排水不良により沈没してしまったわけです。
一式陸攻の攻撃を受けた後の状態からして沈没は避けられなかったと思われ、沈没したこと自体は当然の出来事です。かえって爆雷と爆弾、2回も被弾しながらすぐに沈没せずに済んだこと、沈没を避けるべく奮闘してくれたSS Whaleの乗組員を讃えるべきなのだと思います。ただ、この一連のエピソードを振り返って不思議に感じることは、爆雷により損傷しての帰り道に爆撃を受けたことです。潜水艦が敵の攻撃で傷ついて母港に戻る途中にさらに敵の攻撃を受けるという事態は、これまでにほとんど経験がありません。損傷して帰還中の潜水艦は無敵モードに入っているのかなと思っていたくらいで、そういった意味では今回の沈没はかなり意外でした。
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