1942年2月9日、スマトラ島東岸のTandjoengbalaiに日本軍が上陸しました。スマトラの中部・北部への上陸はこれが初めてです。ここには守備隊を配置していないので、明日には無血占領となるでしょう。2ヘクス北にはスマトラ北部の中の最重要拠点であるメダンがあり、まずはここの占領が目標でしょうが、メダンにも2ユニットしか残していないので、大きな問題なく占領できることでしょう。開戦時、スマトラ中部・北部に配置されていた部隊は北端のサバンに集結させました(スマトラは道路事情が悪いので、Tandjoengbalaiの南西のヘクスにもまだ行軍中のユニットがいます)。集結させたとはいっても大した戦力ではないのですが、マラッカ海峡からアンダマン海の哨戒飛行にはサバンが役に立つので、2月いっぱいは確保しておきたいものです。
SIGINTファイルに”Radio call sign of AV Kimikawa Maru detected at 206,148.”という報告が載せられていました。ヘクス206,148というのはどこかというと、図のミニマップの黄色い長方形の位置で分かるように、マップ南西隅に近い大海原の真っ只中で、一番近い陸地であるマルケサス諸島からも20ヘクス以上離れています。いったいここに本当に君川丸がいるのか?もしいるのなら何をしているのか?ヘクス206,148は、マップ外の拠点であるパナマのバルボアからオーストラリアのシドニーなどに向かう航路からは外れています。私は西海岸からオーストラリアのシドニーに送るコンボイが日本の空母や水上戦闘艦隊の襲撃を受けると嫌なので、途中の通過点としてマルケサス諸島・タヒチを指定し、タヒチからは真西に航海させ、シドニーに近くなったら北上する航路を指示することがほとんどです。お相手の方はそういう航路があることも念頭において、コンボイを狙いに来たのでしょうか?西海岸・シドニー間のコンボイの頻度は多くはないので、幸いこの近くを航行中のものはありません。ただ、ずっとここにいるのかどうかは不明なので、コンボイが襲われる可能性はあります。真相究明のためパールハーバーからCVサラトガとレキシントンを派遣することにしました。サラトガとレキシントンは1942年3月にアップグレードの予定があります。このアップグレードには27日間かかり、しかもこの2隻は大きいので、パールハーバーでアップグレードさせると、repairshipyardの場所ふさぎになってしまいます。そう考えて2月中に西海岸へ移動させる予定だったので、2隻にとってはちょうど良い任務です。
ニューギニア戦線では、ニューブリテン島の西にあるUmboi島が無血占領されました。その後、ラバウルから一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 42機の護衛で九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 45機がポートモレスビーの飛行場爆撃にやってきました。ポートモレスビーにはしばらくCAPを上げていなかったので、零戦がsweepすることも久しくありません。しかし今日は久しぶりにP-39D Airacobra 23機とP-40E Warhawk 25機にCAPを指示してありました。CAP trapを狙ったわけではなく、サプライを積載した貨物船をポートモレスビーに久しぶりに入港させたので、陸攻によって雷撃されるのを防ぐことが主な目的です。コンボイはしっかり日本のMedium Bomberに目撃されましたが、今日は陸攻はやって来ませんでした。それで結果的にはCAP trapになってしまったわけですが、一式戦 4機の撃墜と九七重爆14機の損失(空戦で12、Ops loss 2)が報告されています。米軍側はP-39D Airacobra 3機が空戦で撃墜されました。CAPに妨害されて、飛行場にはAirbase hits 3とRunway hits 2の命中弾があったのみでした。
コンボイは今日は接岸したのみで、サプライの揚陸はこれからです。連合軍の台所事情は苦しく、明日も同じ飛行隊にCAPを指示することになります。明日は零戦のsweep、その後に一式戦の護衛で陸攻が雷撃に来襲し、貨物船3隻とも撃沈されるなんてことにならないといいのですが。
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