1942年1月28日、昨日の予想とは違ってウエーク島への艦砲射撃はありませんでした。リプレイを見ながら不思議に感じていましたが、昼になってから予想外のできごと、機動部隊によるウエーク島空襲がありました。 零戦(A6M2 Zero) 78機に護衛された九七艦攻(B5N2 Kate) 71機と九九艦爆(D3A1 Val) 135機の接近をレーダーは43分前に探知。大編隊とはいえ、さすがにアメリカのレーダーは優秀です。空襲警報を受けて、ウエーク島に配備されているF4F-3 Wildcatは全機11機が迎撃しました。しかし零戦の数が圧倒的に多いので、空戦で8機が撃墜されてしまいました。F4Fが頑丈なことと、自軍飛行場上空での空戦なので、パイロットの死傷はKIA 1名、WAI 3名と少なめでした。日本側は対空砲とOps lossで、零戦 1機、九七艦攻 2機、九九艦爆 2機が失われています。
爆撃により、6隻いた在泊艦のうちAVD Thornton(1315トン、VP 5)とAM Finch(840トン、VP 3)の2隻が撃沈されました。さらにxAK SuvaがSys 99, Flt 84(35), Eng 16(3), Fire 93、AVD HulbertがSys 63, Flt 41(24), Eng 7(2), Fire 45、ACM TrapperがSys 44, Flt 23(13), Eng 2(0), Fire 30、ACM AbatisがSys 55, Flt 39(17), Eng 10(0), Fire 69と甚大な被害です。Sys 99で火災 93のxAK Suvaは沈没必至ですし、その他の3隻も運が良くて1隻助かるかどうかといったところです。
こんな最前線の港に艦船をおいておくのがいけないといえばその通り。機雷原を維持するためのACM 2隻はやむを得ないとして、AVD(小型水上機母艦) を2隻も係留しておく必要はありませんでした。また貨物船とその護衛のAM Finchも昨日出港させた方が良かったのかもしれません。あとACM 2隻の在泊が判明したことから、151個以上の機雷(じっさいは277個)が敷設されていることがばれてしまったのが残念です。
また港と飛行場にもAirbase hits 8、Airbase supply hits 7、Runway hits 31、Port hits 8、Port fuel hits 4の命中弾がありました。今日も港に19、飛行場サービス施設に32、滑走路に36のダメージが残っていて、これを完全に修理するには一ヶ月ていどかかるものと思われます。ウエーク島のfortificationはすでに3まで増強し、4に向けて69%、あと2週間ほどまできていたのに、修理が優先されるルールなのでだいぶ遅れることになります。またせっかく備蓄してあったサプライが9693トンから8126トンに、燃料が3001トンから2758トンまで減らされてしまいました。
さて、機動部隊に後続する上陸船団があるでしょうか?上陸を予定するなら、ウエーク島の守備部隊に対して機動部隊がさらに空襲を実施するか、または艦砲射撃を行うかすることが必要でしょう。大きな被害にもかかわらず、ウエーク島のカタリナ飛行艇は定数12機と補用機1機、13機すべてが健在なので、後続する船団の有無を監視しようと思います。またもし上陸がなかったとしても、機動部隊がさらに東、ミッドウエー島方面に遠征する可能性も否定はできません。ミッドウエー島にはAS(潜水艦母艦)とAG(雑役艦)とAO(給油艦)がいます。ASもAOもAVDやACMよりずっと大きく高価な船なので、奇襲でない空襲で沈められるわけには行きません。待避させておくことにしました。
マレー半島ではジョホールバルで休養をとっていた日本軍部隊がシンガポールに向けての前進を開始しました。前日までは37部隊だったのが、今日は41部隊と表示されているので、フィリピンから輸送されてきた部隊の到着を待って前進を始めたのでしょう。本当に今日から前進を始めたのだとすると、到着は3日後くらいでしょうか。お手柔らかに願いたいところですが。
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