1942年7月13日、東部ニューギニア南岸のTerapoに零戦(A6M2 Zero) 148機と一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 34機のsweepがありました。P-39D Airacobra 75機が迎撃しましたが、もともと性能が劣る機体ですし、数的に劣勢なこともあり、出撃した75機のうち43機が失われる大敗を喫してしまいました。この結果を見て感じることですが、惨敗自体はやむを得ないことだと思います。たしかに敗北は敗北ですが、このsweepがTerapoにアメリカ第24歩兵師団の上陸する前に実施されなくて良かったというのが実感です。もし今から4日前かそれ以前にこういったsweepがあれば、大切な歩兵師団の載せられたコンボイをTerapoにそのまま送るべきかどうか、 連合軍の指揮官としてもかなり迷うことになっただろうと思います。しかし、Base Forceや高射砲部隊なども含め、東部ニューギニア攻略に必要そうな部隊はすでにすべて上陸が済んでいます。本日のTerapoのサプライ在庫は4万6千トンほどなので、今後もサプライを輸送するコンボイは派遣しなければなりませんが、地上部隊を輸送するコンボイに比較すると、サプライを輸送する貨物船が撃沈されたとしても受けるショックはずっと小さくて済みます。
日本側は海軍航空隊の実力を見せつけるためか、チッタゴンにも零戦 78機がsweepを実施しました。こちらではP-40E Warhawk 25機が迎撃しましたが、うち18機を失う敗北を喫しました。2カ所のsweepで連合軍側が合計65機もの戦闘機を失ったのに対し、零戦の損失機数はわずか17機。ほぼ1:4と呆れるしかないほどの悪いスコアでした。自軍の根拠地上空だったので、Terapoとチッタゴンの合計でパイロットの戦死が15名、負傷が20名、行方不明0名と、死者・行方不明がそれほどでもなかったことが唯一の救いでした。
またビルマではラシオに日本軍16ユニットが到着しました。ラシオのfortificationは規模4ありますが、弱小部隊ばかりで合計のAVが百数十しかないので、数回の戦闘で陥落することになるでしょう。そのかわり、ラシオに部隊を集中したためか、Shwebo、マンダレーの日本軍守備隊はかなり手薄になっています。ラシオの部隊を少しでも後退させることができないかと考え、Katha西のジャングルに陣取っていた連合軍部隊がShweboに向けて南下を始めました。
0 件のコメント:
コメントを投稿