1942年8月14日、昨日に引き続きマグエの空襲を行いました。昨日よりはCAPの数も減っていて、さらに大きな戦果が得られるのではと期待してリプレイを見ていたのですが、とんでもない。迎撃する零戦(A6M2 Zero)の数こそ68機と昨日より13機ほど少なくなっていましたが、41機もの二式戦(Ki-44-IIa Tojo)が加わっていたのです。これに対して、連合軍はハリケーン 44機(Hurricane I Trop 16, Hurricane IIb Trop 28)のsweepと、P-40E Warhawk 48機とP-43A-1 Lancer 3機の護衛で、双発爆撃機 52機(Blenheim IV 15, Wellington Ic 18, B-25C Mitchell 3, B-25C Mitchell 6, B-26 Marauder 10)とB-17E Fortress 37機の陣容で臨みましたが、99機も失うという大敗を喫しました。日本側が失ったのはたった26機。損失機数の差もさることながら、連合軍側の損失機には四発機が13機、双発機が35機も含まれているので本当に惨敗です。Airbase hits 26、Airbase supply hits 4、Runway hits 52の命中弾があり、マグエの飛行場をしばし運用不能にすることができたとは思います。しかし、連合軍空軍はこの状況を利用して空襲を続ける状況にはありません。
惨敗の原因ですが、まずはCAPの数が多かったこと。今日が二式戦のCBI戦域でのデビュー戦になったわけですが、このゲームでの大戦前半のベストファイターの評判通りの活躍でした。また連合軍機はチッタゴン、Silchar、レドと3カ所の飛行場から出撃したので、昨日ほどcoordinateがうまくゆかず、sweep2波→護衛のつかない爆撃機→護衛のついた爆撃機2波→sweep1波とばらばらになってしまい、CAPの餌食となったわけです。また飛行場への命中弾を増やそうと今日は6千フィートからの爆撃を指示してあったので、対空砲火による被害もかなり出ました。
まあ、1942年夏にビルマの中部の日本側が固く守っている根拠地に空襲を行うこと自体が無理だったのでしょう。ふつう、この時期は日本側がインドの根拠地に空襲を行っている時期ですから。ということで、最たる原因はやはり指揮官である私の采配にあると思います。このゲームを振り返ってみても、無理に動いて大きな被害を被った戦いが何度もあり、一兵卒としてどうなのかは分かりませんが、どんな下っ端であっても指揮権をもつ地位の軍人には絶対に向かないタイプだなと我ながら感じます。
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