1942年6月9日、今日もいろいろありました。きのう珊瑚海で九六陸攻の雷撃を受けた軽巡ジャワとスマトラは今日も日本の哨戒機に目撃されてしまいました。しかし、艦船攻撃は目標までの距離が遠いほど実現しにくくなる仕様もあり、ラバウルから距離15ヘクスまで辿り着いていた両艦が雷撃されることはありませんでした。消火に成功し、被害もわずかですが低下し始めているので、最寄りのケアンズ(距離9ヘクス)までなんとか行き着けるのではと思っています。一方、ニューギニア島東部南岸のTerapoには零戦(A6M2 Zero) 15機のsweepがありました。CAPのP-39D Airacobra 16機が迎撃し、零戦 2機撃墜、P-39D 5機(被撃墜 4、ops loss 1)損失のスコアでした。零戦にsweepされてこのスコアなら、上出来な方だと思います。
蘭印東部のSaumlakiに日本の第144歩兵聯隊の一部が上陸しました。上陸船団の姿がみあたらないことと、一日に4回まで可能な上陸行動が1回しかなかったことから、Fasttransport TFで小数の兵力を輸送し、上陸させた後すぐに逃げてしまったという感じでしょうか。長居していてくれれば、Barthurst Island配置の戦闘機の護衛で、ダーウィンのB-26が攻撃できたのにと思うと残念です。日本側もそういったあたりは充分承知なのでしょう。
このSaumlakiは、1942年3月27日に上陸占領された後、日本側が兵力を転進させたようで、連合軍が西側にある無人だったBabarに密かに兵力を空輸し始めたことに伴い、5月31日に連合軍側のものとなっていました。その後、日本側は何度かSaumlakiに偵察機を送ってきました。偵察機がSaumlakiに連合軍地上部隊を目撃することはなかったでしょうし、そもそも5月31日のコンバットリポートにはSaumlakiへの連合軍の上陸行動も載せられていませんでした。ということは、直接の上陸ではなく周囲の根拠地の所在敵兵力の影響により支配者が変更となるルール(ボートで漕ぎ着けて旗を立て帰還する)が適用されたと考えるのが妥当だと思うのですが、今までのところ周辺の根拠地には偵察機は飛来していません。今日Saumlakiに上陸したということは、連合軍の存在を想定してのことなのでしょう。でも上陸してみて連合軍部隊がいないことに気付けば、早晩、Babarも偵察されることになるでしょう。Babarには蘭印軍の残党とオーストラリア軍とを細々と空輸しているだけで、今日の時点で素のAV 19。fortificaitonもまだ規模1しかありません。チモール島の制圧に寄与する絶好の位置にあるだけになんとか保持し続けたいところではありますが、小数の兵力でも上陸してくればあっけなく陥落してしまうでしょう。
蘭印でもSaumlakiよりずっと西方のジャワ島Kalidjatiから、零戦(A6M2 Zero) 42機と一式戦(Ki-43-Ia Oscar) 19機の護衛で爆装の九七艦攻(B5N2 Kate) 13機と雷装の一式陸攻(G4M1 Betty) 22機がクリスマス島に飛来しました。クリスマス島ではコルベットに護衛された客船2隻と貨物船2隻の船団がアメリカの高射砲ユニットを輸送してきたところでした。クリスマス島には80mm高射砲を装備した蘭印軍ユニットが2ついますが、今後の空襲の激化(クリスマス島への日本側の上陸があるのかどうか不明ですが、上陸しないのならマルタ島のように空から制圧する方針をとるでしょう)に対処するため増援を送ったわけです。クリスマス島上空には8機のP-40E WarhawkがCAPしていましたが、3機が撃墜されました。日本機を撃墜することはできませんでしたが、爆撃の妨害には役立ったようで、xAKL White Wing(1600トン、VP 3)に魚雷1本が命中して沈没しただけで、その他の輸送船は無事でした。沈没したxAKL White Wingは4隻の輸送船の中で最も小さなフネで、すでに揚陸が終了していたのはラッキーでした。その他の輸送船も大部分の高射砲の揚陸を終え(連合軍ユニットに含まれるsupport deviceはほとんどがmortorized support、つまりトラックです。小さな港にトラックを揚陸しなければならないのはなかなか厄介で、3隻のうちの1隻にはまだトラックが26両積まれています)ているので、明日も攻撃があってさらに沈没船が増えても、作戦自体は成功と考えています。
今日もっとも激しい戦いのあったのはビルマです。ビルマのマンダレーの日本軍地上部隊に対しては数日前からSilcharの双発爆撃機部隊に爆撃を指示してありました。悪天候のせいでちっとも飛んでくれずやきもきしていましたが、今日はようやく出撃してくれました。しかし間の悪いことに護衛の戦闘機がついてくれなかったのです。マンダレー上空には零戦(A6M2 Zero) 82機と一式戦(Ki-43-Ic Oscar) 4機がCAPしていて、Blenheim IV 22機のうち21機!!、Wellington Ic 4機のうち3機、B-26B Marauder 3機のうち2機が撃墜されてしまいました。ほぼ全滅です。もちろん護衛戦闘機をつけずに爆撃させる計画ではなく、ハリケーン2個飛行隊に護衛するよう指示してありました。しかし一昨日からSicharのサプライ在庫が需要の2倍を下回っていました。ハリケーンがマンダレーまで飛ぶには増槽が必要ですが、増槽はサプライ在庫が需要の2倍以上ある根拠地でないと装着できないルールです。やむを得ず護衛用のハリケーンの飛行隊を1ヘクスだけビルマよりのインパールに移動させました。そのインパ-ルに移動した飛行隊がなぜか飛んでくれなかったための惨劇だったわけです。日本軍地上部隊はdevice 1個がdisabledになっただけで、ほとんど実害ゼロ。日本軍は前回の陸戦後ゆっくり休養をとっていますから、次の陸戦ではマンダレー陥落の線が濃厚です。
連合軍はカルカッタのB-17E Fortress 22機が2波にわたってメイクテーラの飛行場を爆撃しました。日本側は主にマンダレー上空へのLRCAPを指示していたようで、メイクテーラで迎撃してきたのは零戦 4機と一式戦4機だけでした。大した障害とはならず爆撃することができ、メイクテーラの飛行場にはAirbase hits 7、Airbase supply hits 6、Runway hits 45の命中弾を与えることができました。このくらいでも飛行場のCAPを上げる機能を停止させるまでには至ってないかと思います。また在地機はなかったようで、地上で破壊された機体はありませんでした。
そして最後に、チッタゴンからHurricane IIb Trop 28機とP-38E Lightning 25機がメイクテーラをsweepしました。零戦 21機と一式戦 7機に対しハリケーン 8機の損失で、sweep作戦自体はいちおう成功でし。しかし、このsweepが、Silcharからの双発爆撃機のマンダレー到着よりも先にメイクテーラ上空で空戦していれば、CAPの日本戦闘機の数がかなり減って、双発爆撃機の損失もずっと少なくて済んだろうと思われます。coordinateの面で反省すべき点の多い一日でした。
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