1942年5月21日、アキャブのPBY-5A Catalinaがラングーンに停泊中だった輸送船団に対し雷撃を敢行しました。第1波のカタリナ飛行艇10機がラングーン上空に到着した時、零戦(A6M2 Zero) 47機がCAPしていました。アキャブからラングーンまでは距離8ヘクスもあるので、カタリナには護衛戦闘機が同行していません。4倍以上の数のCAPが相手では全機撃墜もありうるなと危惧したのですが、射撃されることもなくCAPを素通りして雷撃にうつれました。航行中ではなく停泊している船が目標なので雷撃が容易だったのかもしれませんが、xAK Seian MaruとxAK Senko Maru(ともに3675トン、VP 7)の2隻に魚雷が2本ずつ命中爆発して撃沈し、xAK Tamaki Maruにも魚雷1本命中で大破炎上中となりました。
第2波のカタリナ飛行艇 10機も零戦 47機のCAPに迎撃されました。やはり護衛の戦闘機が同行しなかったので、10機のうち4機はびびって帰還してしまいました。しかし残った6機は、第1波と同じくCAPを素通りすることができ雷撃を敢行。xAK Tamashima Maruには魚雷1本命中で大破炎上中、またxAK Hawaii Maruにも魚雷1本命中で火災が発生しました。カタリナは第1波・第2波とも全機が無事にアキャブに帰還してくれました。
この輸送船団には潜水艦の攻撃が実現せず、カタリナによる雷撃で3隻にダメージを与えだけでラングーンに入港されてしまいました。ラングーン港に貨物船・客船が停泊していることが分かってはいても、多数のCAPの存在が予想されたので、雷撃してほしいとは思っていませんでした。今日のターンでもカタリナに艦船攻撃の指示を与えてあったのは、マレー半島西岸を北上する日本の水上戦闘TFの方を攻撃してほしかったからです。それなのに、わざわざラングーンの方に向かうとは、ほんとに驚きました。
多数のCAPがいるのに撃墜されずに済んだ理由ですが、ひとつはCAPの高度が2万フィートと高かったこと。そして、もうひとつは監視哨によるカタリナの発見から雷撃の開始までの時間が、第1波で1分、第2波では0分しかなかったことです。今日のラングーンの天候は、雨季に入ってはいても雨ではなく、Heavy cloudでした。雲が低くたれ込めていて、6千フィートで侵入し200フィートから雷撃するカタリナの発見が遅れたのもやむを得なかったものと思われます。3年以上前の、1942年3月 レーダー配置開始というエントリーで触れたように、日本側がレーダーを利用可能になるのは1942年3月ですが、ラングーンにはまたレーダーを装備した部隊が配置されていないようです。
アンダマン海には、戦艦6隻を含む9隻からなるTFと、駆逐艦5隻のTFの存在が報告されています。5月8日にジャワ島東端のMerakを艦砲射撃した戦艦2、重巡2、軽巡2のTFが前日には戦艦 1, 巡戦 3, 重巡 1と報告されていたように、9隻の方のTFが本当に戦艦を6隻も含んでいるのか疑問なきにしもあらずです。とはいっても0隻ということもないでしょうから、近日中にアキャブあたりの艦砲射撃を狙っているのは間違いないところでしょう。
さて、中国で沅江渡河に成功した日本軍のその後ですが、8ユニットが重慶方向に進出してきました。渡河時の戦闘のリポートには戦車聯隊8個が含まれていると報告されていたので、この8ユニットは戦車聯隊なのだろうと思います。その南東のヘクスにはまだ14ユニット、22万名ほどが残っています。こちらは歩兵11個師団ですね。中国軍の偵察能力は低いので、これら歩兵師団が戦車聯隊に後続して北西に移動しているのかどうかは不明ですが、補給路を警備するためのごく一部を残して、その他は前進していることでしょう。その後は重慶に向けてさらに前進するのか、それとも戦車聯隊8ユニットの西南のヘクスにいる中国軍を制圧してから重慶に向かうのか、見守りたいと思います。
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