あけましておめでとうございます。旧年中はご愛読ありがとうございました。引き続き2014年もPBEMでの拙策を披露し愚痴を垂れ流しますが、たまにお立ち寄りいただき、コメントなどもいただければ幸いです。
1942年5月15日、中国では西域で陸戦がありました。蘭州やKungchangと、日本の主占領地域との間の交通線を遮断するため、西安東方で遊兵になっていた部隊を西域に移動させてありました。1個軍団だけですが、日本は重慶攻略に力を注いでいてこのあたりには戦線を維持する程度しか兵力をいないだろうし、山岳ヘクスなので頑張れるかと思ったのです。しかしそれは甘い考えで、日本側は第22師団を派遣し、一蹴されてしまいました。もと来た方ではなく、南西のヘクスに撤退してくれたので、重慶防衛に向かわせようと思います。
ビルマでは、Shweboの西側のヘクスに日本側の空襲がありました。ラングーンあたりからとタイのチェンマイの方から、零戦(A6M2 Zero) 43機に護衛された一式陸攻(G4M1 Betty) 66機、九七重爆(Ki-21-IIa Sally) 22機、九九双軽(Ki-48-Ib Lily) 24機の大編隊が4波に分かれての地上部隊爆撃で、ビルマではこれまでで最大規模の空襲でした。このヘクスにはイラワジ川渡河に向けて4つの部隊が移動中でしたが、主に被害を受けたのは最も規模の大きいオーストラリア第6師団でした。構成するdevice 3個が破壊され39個がdisabledになって、戦力がTOEの99/99から96/99に低下するとともに、混乱値が9から92に急上昇してしまいました。ここは水田の広がる平地で空襲を避ける遮蔽物もあまりない地形です。またこれまでほとんど空襲を受けてこなかったので、安全第一の戦闘モードではなく、行軍速度優先の移動モードで移動していたことも、被害を大きくした一因だと思います。
こんな風に空襲を受けながらも、第7機甲旅団は無事に渡河することができました。イラワジ川東岸に橋頭堡を築けたことはうれしい知らせではあるのですが、あしたはこの機甲旅団に向けて空襲があるだろうと思うと、喜んでばかりもいられません。マンダレーのヘクスの日本軍部隊には、この橋頭堡に向けて移動中であることを示すアイコンが表示されています。激しい空襲を受け、しかも日本軍部隊との陸戦に持ち堪えるには、この機甲旅団だけでは無理そう。では、元のヘクスにもどすかというと、それも考え込んでしまいます。今日のところは、残りの部隊も増援として引き続き渡河させることにしましたが、今後も空襲が続くことを考えると、被害を大きくするだけかも知れず、迷うところです。対空砲3部隊も同じルートで移動させてありますが、まだShweboのヘクスにいるので、イラワジ川渡河まで一週間程度はかかります。今日からビルマ周辺が雨季に入ったことともあわせて、この攻勢は無謀だったかも。
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