2010年8月23日月曜日

ビルマ防衛困難問題 その2

昨日のエントリーに続いて、ビルマ防衛困難問題を扱ったパッチ4の後のWhy is holding Burma so hard for Japan?というスレを抄読。2月のパッチ3で”51. Rationalized supply draw rules.”という変更が入った後の前回のスレでもサプライ問題は解決していないのですから、サプライ輸送に変更のないパッチ4後に大きな変化があるわけではないのですが、なにか日本側にとって役立つ妙案はないかと思って読みました。
多くのAARは、昭和17年秋までにイギリス軍がビルマに巨大な圧力をかけることができることを示していて、史実より2年も早い。日本側プレーヤーの中には、こんなのは反則だと言いながら、(R)ユニットの国境越えの問題やジャングルヘクスを通ってのサプライ輸送が容易な点を指摘している人もいる。これらはゲームの仕組みの問題ではあるが、それに加えて戦争第一年目のイギリス連邦軍の実績・能力と、AEでしばしばみられる事態との間の明白な違いを多くのプレーヤーが見逃しているのだと思う。
史実でイギリス軍は16万6千人以上と多くの装備を、香港とマラヤで失った。これは9thと11thインド師団、8thオーストラリア師団に加えて、18th師団、2個旅団(17thインド師団由来)とシンガポールの陥落直前に到着した9000名のイギリス人・インド人・オーストラリア人の補充兵からなる。これに加えて、2個師団とベテランの戦車旅団(7th armoured Bdeは徒歩でビルマを脱出し戦車と車輌の全てを失った)がビルマで戦力を失った。つまりイギリス軍は6個師団と多くの補充兵を緒戦の4ヶ月で失ったことになる。イギリス軍はここから回復するのに2年かかった。完全には回復できなかったとする意見もある。
ほとんどの連合軍プレーヤーはこんな損害を被ったりはしない。昭和17年春までには、イギリス連邦軍はprep point100となり、イギリス軍のnational maxであるexp55にむけて訓練を始める。expの増加スピードは運と指揮官のadminスキルによるが、exp20から始まる最弱のインド部隊でさえ、昭和17年秋にはexp50台に達する。昭和17年秋のビルマ戦線で日本側プレーヤーが強い圧力を感じるのも不思議ではない。
イギリス軍が訓練を終え、PPを自由に使って(R)部隊を購入することができる前に、決定的な打撃を与えることが日本の戦争早期の目標になると私は思う。
いい案だけど、具体的にどうするの?
長らく議論されてきた問題だ。WitPのゲームエンジンはビルマの状況を適切にシミュレートすることができなかった。この問題に含まれるのは、
1、後知恵 ー 連合軍プレーヤーはターン2からビルマ防衛の準備を始める。史実のイギリスは混乱していて、どこか別の場所での防御を組織しようと努力していた。
2、サプライの抽象化 ー ゲーム中ではインドからビルマまでサプライが簡単に輸送される。史実ではレド公路の完成までほとんど輸送できず、ラングーンが戦略的に重要だったのはこのためで、ラングーンはサプライ輸送のハブであり、サプライがビルマに移入される地点でもあった。なので、よく分かっているプレーヤーなら、マンダレーと北東ビルマのミートキーナに強力な防衛ラインを設置する。私の現在のAARでも、ミートキーナはアキャブとならんで主要な拠点となっている。両方の拠点には20以上のユニットが駐屯していて連合軍が攻めてくるずっと前から塹壕を掘って立てこもっている。ラングーンを保持している限り、サプライは問題にならない。
3、前線の基地のSPSがデフォルトの値では大きすぎること ー 史実では兵站システムのせいで、4発・2発爆撃機はカルカッタ周辺の基地から活動することを余儀なくされ、前線の基地にはFとFBタイプだけが駐屯していた。
4、アキャブを連合軍が保持しやすいマップになっている ー これも史実を知っている後知恵の問題でもある。日本側プレーヤーとして、早いうちからアキャブの防御を開始しない連合軍プレーヤーと対戦したことがない。大きなSPS値とあいまって、アキャブも他の基地と同様にビルマの航空優勢につながる。
5、インドの兵站機能が誇張されている ー 史実のインドは1944年までは期待されながら兵站拠点とはなり得なかった。戦争目的の優先度、社会的な不安定、お粗末な管理などがその原因だった。このゲームいはPPの制限があるだけなので、インドに配置されるAir HQや支援ユニットの数には制限がない。
6、PP無料のビルマへの増援 ー 18th師団をシンガポールに送るのをやめる。オーストラリア師団2個についても同様。
パッチ前のAEでは航空機の対地攻撃が強過ぎた。パッチ後でも連合軍の航空戦力は簡単に集中できる。
兵站とprepできる点が最大の問題だと思う。サプライ問題を修正してSPS値を適正化すれば緒戦のビルマはもっと防衛しにくくなるだろう。
たしかに、史実のシンガポールへの増援はびっくりするほど多かった。昭和17年1月14日に45th Ind Bde(17thインド師団)と53rd Bde(18th師団)。1月22日に44th Ind Bde(17thインド師団)と11thインド師団向けの補充兵7000人。1月25日にAus MG Bnと8thオーストラリア師団向けの補充兵1900人。1月29日に18th師団HQと18th師団の残りの旅団。多数のハリケーンを含んだ航空機も送っている。
史実のシンガポールへの増援の多さを考えると、シンガポールへの増援キャンセルこそイギリス連邦軍があんなに早く反撃に移れる主な理由だね。連合軍プレーヤーにとって、18th師団とインドBdeを死地と決まったシンガポールに送り込む必要はないし。その代わりにインドかセイロンに配置して訓練させておけばいい。もう一つの問題点は、インドのgarrison値があまりに低いこと。日本人の期待とは違って、インド人はおおっぴらに反乱を起こす雰囲気ではなかったけれども、不安定だったのは確かだ。また、インドでは戦争の期間中ほとんど干ばつが続いていた。インドの民衆を食べさせるのに必要な資源がこのゲームでは勘定に入っていないのではとも思われる。最後に、日本側プレーヤーのほとんどが、この戦線で連合軍に対して圧力をかけ続けることに失敗しているのだと思う。日本側プレーヤーはビルマの全拠点を占領して、そこでおしまいにしてしまう。ちょっとした国境越えの侵入でも、連合軍プレーヤーには圧力と感じられ、ユニットの一部はrest modeにしておけなくなる(訳注 そうするとexpの増加が遅くなるっていう寸法なのでしょう、ただ退路を断たれる危険を考えるとあまり前に出たくない気持ちになるのも致し方ないと思う)。史実では昭和19年までIJAはこの戦域で攻勢をとっていた。
後知恵が問題。これは両軍について言える。連合軍プレーヤーはシンガポールに増援を送ろうとしないで、それらをインド東部の防衛に使い、準備ができたら昭和17年秋にはビルマに侵入する。日本側プレーヤーは中国で暴れ回るか、それらの師団をビルマに送って引き潮に長く耐えられるようにするか、どちらかを選択できる。全ての戦域で連合軍を圧迫するのは無理。
PBEMではこんなふうにハウスルールで解決するしかないのでは。
昭和17年、植民地インド当局者は、消極的抵抗と反抗の雰囲気からインドが反乱の温床とならないように注意しなければならなかった。イギリスの指揮官たちは日本がインドのこの雰囲気を利用すること(インド国民軍の編成など)を恐れていた。インド総督Wavellは57個大隊を治安維持目的だけにつかわなければならなかった。状況は非常に切迫していたので、Slim中将はカルカッタやBarrackporeの病院に性行為感染症で入院中の患者からも予備兵力を探さなければならなかった。
ルール1、昭和17年にはインドの(R)ユニットの所属HQを変更してはならない。
ルール2、もし日本軍がインド国境を越えたら、イギリス連邦軍に使われるPPはすべてインドに増援を送るためでなければならない。
明らかに、このルールだと日本のビルマ攻略とインド国境への到達が容易になる。そうなれば、ヒンドゥー教徒によってイギリスの圧制からの解放と解釈してもらえるから日本は必然的にインド侵攻を企図するだろうと見なすものである。実際にこれは前述のインド国民軍の組織により具体化しかけた。もし日本側プレーヤーが昭和19年より前にインド国境を越える判断を下したければ、多量のPPを維持していなければならないルールにする。具体的には4000PPで、カルカッタ、ボンベイ、コロンボ、トリンコマリーのいずれかを占領するまでは4000PPを保有し続けなければならない。また、インド国境を越える、またはセイロンに上陸するIJAユニットは80以上のprep値をもたなければならない。
「 昭和17年にはインドの(R)ユニットの所属HQを変更してはならない」だけでは、問題の数ヶ月先送りにしかならないと思う。また「日本軍がインド国境を越えたら、イギリス連邦軍に使われるPPはすべてインドに増援を送るためでなければならない」というルールも、昭和17年4月以降はオーストラリアとニュージーランドはアメリカ軍によって守ることができるので、あまり有効でないと思う。また日本のインド侵攻に際してPPの保有を義務づけるルールは、大きな作戦をするには対立しがちなIJAとIJNが一致しなければならないことを意味しているのだろう。でもそれなら、同じような対立はイギリスとアメリカの戦略目標の間にもあった。たとえば、アメリカ陸軍の大部隊をインド・ビルマ戦域に投入してイギリスの植民地支配の回復・維持にあたらせるのは非常に困難だった。また、アメリカ軍部隊がバターン半島に閉じこめられている時に、アメリカのPBYを使ってシンガポールから兵員を脱出させることが困難なのもその一例だろう。
私はIJAとIJNの不一致はイギリスとアメリカのそれとは違うと思う。イギリスは中国を信用していなかったが、アメリカとの間にそれはなかった。IJAとIJNの指導者の協調にはすべての戦域で問題があった(IJAは中国を第一目標とし、ソ連を主要な脅威としていたことなど)。戦争の終わり頃、イギリスがイギリス海軍太平洋艦隊をCINPACの指揮下におくことに何の問題もなかった。アメリカ自身も戦争初期には問題を抱えていたので、イギリス・アメリカ間の利益の違いを表す下記のようなハウスルールを考えてみた。
イギリス海軍はイギリス帝国の利益を守るために活動し、太平洋にはその対象がほとんど無かったので、
ルール1、昭和17年9月までは高価値艦船(CV, CVL, BB, BC)は太平洋では活動しない。ただし、アメリカの港に補給・修理に往復するのは許す。
ルール2、昭和18年1月以降、一隻の高価値艦船が太平洋で活動できる。
ルール3、昭和20年以降は制限なし。
この問題のもとは兵站が全てだと思う。インド・ビルマ国境を越えてのサプライ輸送が史実よりもずっとずっと簡単だ。アラカン作戦が失敗した主な理由は兵站にあった。AEで連合軍が昭和18年に発動できる10個師団規模の大攻勢とは違って、 アラカン作戦は充足していない軍団によるちょっとした作戦だったのに。
私はアラカン作戦失敗の原因は不適切な計画によったのだと思う。ただ、ジャングルを越えて10個師団を作戦させることが昭和18年にもその後も不可能だというのはその通り。このゲームではインド洋に充分な数の輸送艦を集めて、大規模な上陸作戦をビルマかスマトラかジャワに対して行うことが望ましいのだと思う。

両サイドが充分な後知恵をもち、オーストラリア首相Curtinやマッカーサーなどさえ指導できる最高司令部としてのプレーヤーがいて、 他の戦域で失う心配なくこの戦域に兵力を振り向けることができるので、インドの連合軍は史実以上に強力になれる。史実よりも多くの選択枝が連合軍にあるのは、2~8個師団に加えて多数の工兵部隊をこの戦域に送り込めるから。
後知恵がこの戦域では連合軍に有利に働いている。それはちょうど、パイロット訓練や工業生産の最適化や南方資源地帯の初期配置やニューギニアや南西方面が日本に有利に働くようなもの。ポートモレスビーを攻略できない。例えば、日本側プレーヤはいないでしょ。
連合軍プレーヤーの手を縛るため、史実でシンガポールに増援された部隊はマップ上の他の拠点ではなくシンガポールで開始かシンガポールに到着するようにするのも一つのオプションだ。
そうすれば、たしかに問題の一部を解決できるね。日本側がそれらユニットを降伏させることによって得られるはずのVPも確保できるし。
いいアイデア。でも、日本側はシンガポール増援の最後の部隊が登場するまで市外で待ったりするかも知れず、それはgamy。でもそれなら、史実よりずっと早いシンガポール陥落もあきらめることになってしまう。
連合軍プレーヤーから決断の機会を持つべきでないってことか。それなら、史実で戦争捕虜になった部隊は、捕虜になった日付で消去されてしまうようにでもプログラムしたらいい。
私は日本のSWPACやSoPAC方面の遠くまで進出するから、ビルマで史実より早く破綻してしまうんだと思う。
このスレの内容は採用する気にならない。日本側プレーヤーにも史実と同様のヘマをするように強制するの?連合軍側にとってはPoWとレパルスが死の航海に出ることが決まっていることだけで充分で、さらに数個師団も同じ運命にさらすの?
そういうことではない。マラヤとビルマで連合軍プレーヤーが6個師団も失ったりはしないから、日本側プレーヤーは史実以上に強力なインドのイギリス陸軍と対峙することが必要になる。ビルマ問題に関して、多くの人はサプライ輸送関連の問題にこだわりがちで、史実でイギリス軍が緒戦の4ヶ月にしでかした誤りをプレーヤーが繰り返さない問題には目が向いてないように思う。私自身も計算してみるまで後者の深刻さに気付かなかったが。
でも、ビルマへのサプライ輸送問題はやはり重要でしょう。実際にこのゲームではラングーンに船でサプライを運ぶような面倒なことは必要ない?もしそれが必要ないようなら、ビルマ作戦でラングーンが果たしていた重要性が再現されてないことになる。
また、緒戦でプレーヤーが史実のイギリス軍と違ってヘマをしない問題にしても、日本側プレーヤーだって同じで、このゲームの緒戦では史実以上の戦果をあげている。もし占領地の拡張のテンポが史実通りだとすると、へたくそということになるのでは。
緒戦で両陣営が侵したミスをプレーヤーが強制されることなく、それでいてもっと史実と似た雰囲気を味わいたいとだれもが考えているらしい。イギリス軍の増援はシンガポールとラングーンへの配置を済ますことが必要だと私は思う。軍靴をシンガポール・ラングーンの大地に降ろした後で、連合軍プレーヤーは増援部隊を自由に動かせるようにすべき。輸送船に乗せてインド・ジャワ・オーストラリア・アメリカ東海岸など好きなところに行かせればいい。
また、シナリオに取引オプションをつけてほしい。他のスレで、PDU onは日本側に有利と呼んだことがある。もし日本側プレーヤーがPDU onを望むのなら、代わりに連合軍プレーヤーは増援の場所を選択できるようにしてほしい。日本側から言えば、PDU offを選ぶから、連合軍プレーヤーは増援を史実の場所に送りなさいということ。これがPDU onの利点を相殺するかどうか分からないが、議論のとっかかりにはなるんじゃないか。
連合軍プレーヤーに一連のイギリスの破滅的な戦略的・戦術的決断(そのほとんどはチャーチルのせいだが)を繰り返させるつもりはないが、より史実に近い味付けを好む人には、第3インドCorpsをシンガポール以外のどこかへ移動させるにはPPを消費することが必要というハウスルールをおすすめする。
ビルマとインドシナ間のサプライ輸送も(主に日本側にとって)、連合軍側がインドからビルマへサプライを輸送するのとだいたい同じようなもの?
いいえ、インドからビルマへの方がずっと難しい。
私は日本側をプレイしていて昭和17年半ばだが、ビルマで大量の敵と対峙している。ここにいるオーストラリア兵はオーストラリアに行くよう求められるべきだし、そうでなければ多量のPPペナルティが課されるべきだ。もし実際にチャーチルがしたいことをしていたら、オーストラリアは完全にヨーロッパの戦争から手を引いていただろう。
アキャブに関して言うと、ここはどちらにとってもデストラップになり得る地点だ。ヘクスサイドの表示をonにしてみると、アキャブはサプライの経由すべきヘクスサイドが2つしかなくて、とても簡単にスターリングラードを再現できる地形になっている。もしその2つのヘクスからアキャブに侵入すれば、陸路での補給は絶たれる。周囲に飛行場が複数あって両サイドとも航空機を多数使えることを考えれば、ここへの補給を海路・空路で行うのはかなりの損害を伴うことになるだろう。
イギリス高級指揮官の行動力の欠如、イギリス陸軍がインド陸軍(イギリス人部隊も含めて)に対して抱いていた不信と軽蔑、よりましな将校と兵力を中東に引き抜いたこと、イギリス海軍の艦隊現存主義、緒戦における創意の欠如などが、この戦域でのイギリス軍の攻勢が遅くなった主な原因だと思う。
実際、計画された作戦を実施するのに充分な戦力と船舶がおそらくこの戦域には存在していたのだということをAEはよく示してくれているのだと思う。
たしかにWitPで兵站を維持することは現実より簡単だが、これは両軍にとって言えることだ。また、たしかに後知恵があることは有利だが、これも両サイドに当てはまる。
私はPBEMでアメリカの師団一個とオーストラリア軍団をこの地域に増援したが、かわりにイギリスの師団2個を進入路の防衛とついでダーウィンに派遣した。なのでたしかにこの地域に史実以上に兵力を集中できたが、実際にインド・ビルマ国境の南部を越えたのは、航空戦で日本を打ち破ってからだった。
この戦域の維持は日本にとってきびしいことだとは思うが、ほとんどの日本側プレーヤーは史実で存在したほどの兵力をビルマに送っていないとも思う。ビルマの日本軍は中国戦域からの兵力増援を必要としている。
私はWitPの連合軍プレーヤーの時にミスをしてこの戦線を失ったことがある。こんどは日本側を持って相手に同じ思いをさせたいと考えた。そのための策は、早いうちに強力に攻める、数的優勢があるうちに連合軍の航空兵力を消耗させること。兵力の温存はこの戦域の日本としては誤った戦略だ。しかしいつかは連合軍の航空戦力が日本の攻勢を止める日が来る。その時期を見極めて退くことが難しい。
連合軍の陸軍は弱体なので、1~2回打ち破ればかなり長いこと戻っては来ないだろう。しかし、まず1回は破らなければならない。
 (訳注 確かに日本側はこの方針で臨むべきですね。ただ私のPBEMではもうその時期を過ぎてしまったし、これまでは誤りとされる戦力温存策をとってしまった)
これはその通り。日本はビルマ占領後、ゆっくりとしていてはいけない。もし連合軍がビルマ軍団をインドに退却させ、オーストラリア軍団の存在位置がはっきりしないようなら、日本は昭和17年にアッサムを攻略することが必要で、そうすれば戦略的な縦深がより深くなる。つまり、レドを攻略する。
もしそうしなければ、モンスーン後の昭和17年後半に北部ビルマで戦わなければならなくなる。史実の連合軍は昭和17年後半に、約4個師団を第一アラカン作戦に投入してアキャブ奪還を狙った。これに、18th Brit師団とマラヤから撤退した兵力、オーストラリア師団2個、アメリカ陸軍師団1個、無傷で撤退すれば3個師団相当のビルマ軍団、インドで装備された中国軍を加えれば史実の3倍以上の兵力になる。
もし日本側プレーヤーがオーストラリアのような他の戦域に深入りすれば、連合軍プレーヤーには日本側がこちらに注力することが難しいことが分かってします。また、日本側プレーヤーは、連合軍がアキャブを奪取して飛行場を築いたり、アッサム戦線での航空戦が、連合軍パイロットのよい経験値稼ぎの場になってしまうことは嫌だろう。しかし、アキャブやアッサムを攻略してビルマ軍団や18 Brit師団を粉砕しなければ、彼らはいつか戻ってくる。イギリス連邦軍は昭和17年には弱体だが、deviceが補充され複数の師団の戦力が向上してゆくのを平穏のうちに許せば、いつかは強力な兵力となってしまう。イギリス連邦軍が強力なことが問題なのではなく、イギリス軍に平和な休息・訓練の期間をあまりに長く日本が許すことが問題なのだと思う。これは典型的な日本側プレーヤーが、ニューカレドニアやオーストラリアやフィジーや中国などで遊び暮らし、イギリス空軍の戦闘機の航続距離が短いことをよいことに連合軍の航空戦力に近寄りたがらない傾向を示すことにあらわれている。戦略的な緩衝地帯は上述の効果を発揮する、日本軍の戦力で全ビルマを守るには、ダッカからTezpurまでを攻略しておく必要がある。
そこまで行ってもインドに余分の兵力発生のイベントは起こらない?
インド北部のデリー周辺にまで行かなければ大丈夫。
日本軍は、インド軍が悲劇的なほど弱体のうちに叩いておくことが必要。イギリスは日本のビルマ侵攻で物理的にも心理的にもダメージを受けたが、後知恵をもつ連合軍プレーヤーには心理的なダメージは考えられない。なので、弱体な陸上兵力を粉砕しておく必要がある。それには早いうちにイギリス空軍を叩いておくことが必要。そうしておけば、航空戦は続くが連合軍が陸上兵力を再建するのをみながら、年単位で国境の山脈のこちら側に安住していられる。したがって、AEでは史実以上の兵力をビルマに派遣することが日本にとって必要。こうすると他の方面での攻勢が不可能になるかも知れないが、ビルマという裏口から地上戦で退場させられてしまっては、意味がない。
私はAARにも示したとおり、昭和17年後半にビルマだけでなくインドシナまで攻略してしまった。
どちらのサイドにとってもビルマを防衛することは困難だ。昭和17年はじめに私の相手は対ビルマ国境から侵入して包囲を狙ってきたので、私は退却を余儀なくされ、ビルマ軍団のほぼすべてを鉄道でミートキーナまで退却させた。ビルマ軍団はミートキーナで築城しながら、expを向上させ補充を受けた。間もなくビルマ軍団はそれなりのexpをもち、AVも1000程度になった。
WitP AEの発売前の情報で驚いていたので、私は第一オーストラリア軍団をすべて北東インドに送った。これが1300~1400AV。かれらは沿岸の港を守り、18イギリス師団も同じようにしていた。マラヤから第3インド軍団をそっくり北東インドまで撤退させることができ、これでもう1500AV。
私の相手は中国を席捲するのに忙しく、私の中国はサプライがきれてしまった。私がビルマを攻撃したのはビルマロードを再開するためやむを得ずに行ったものだ。ビルマ軍団・第一オーストラリア軍団・第3インド軍団の合計4000AVの攻撃を阻止するためには、日本側は9~10個師団が必要だったのだろう。私は日本側が中国から兵力をビルマ・東南アジアに移動させることを期待していたが、相手はそうしなかったのでビルマだけでなくインドシナまで失うことになった。
日本は満州や本土からビルマを増援するためにPPを使うべきだ。防御は攻撃よりも良い場合もある。

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