2015年3月28日土曜日

連合軍の楚雄空襲


1943年1月28日、重慶にはいつも通り九七重爆(Ki-21-IIa Sally)168機と百式重爆(Ki-49-IIa Helen) 130機の空襲がありました。飛行場にAirbase hits 4、Airbase supply hits 3、Runway hits 24の被害があり、また重慶市内に残っている地上部隊による砲撃ともあわせて守備隊のdevice 11個が破壊され、161個がdisabledになりました。重慶西のヘクスの日本軍の数が13ユニットに増えているので、またしばらくここで休養をとるようです。

連合軍は楚雄(Tsuyung)に空襲を実施しました。まず、ミートキーナからH81-A3 24機(P-40B同等の戦闘機で元はフライングタイガースが使用していた)がsweepしましたが、さすがにこんなところにまでCAPを上げていたりはしませんでした。その後インドのレド、ディマプール、Silcharから双発爆撃機 25機(A-29A Hudson 3, Hudson IIIa 6, Wellington Ic 16)と四発爆撃機 43機(B-17E Fortress 13, B-17F Fortress 12, Liberator II 18)が飛行場を爆撃し、Airbase hits 17、Airbase supply hits 10、Runway hits 63の命中弾が報告されています。

出撃した爆撃機の数、とくに双発爆撃機の数はかなり少なめでした。近くの保山やミートキーナから戦爆連合の大編隊を送り出せればいいのですが、両根拠地ともサプライ在庫が必要量の2倍未満を示す黄色いエクスクラメーションマークがついているので、攻撃的な任務の飛行機を発進させることが出来ないのです。やむを得ずインドからの空襲となりましたが、インドからだとnormal rangeではなくextended rangeになってしまう機種も多く、爆撃ではなく、インド国内から保山、ミートキーナへのサプライ空輸を指示しました。

ビルマのラシオと保山を確保して以来、楚雄を奪還することは夢でした。その第一歩は楚雄の北西のヘクスに陣取った日本軍ユニットの排除からです。ここは山岳ヘクスですから守備側に3倍という大きな陸戦ボーナスがあります。これまで長いこと保山で休養していた素のAV合計1000ほどの中国軍部隊を投入しますが、これだけで突破できるとはとても思えません。爆撃を繰り返して混乱と疲労を誘えば何とかならないかという目論見ですが、そのためには楚雄の飛行場を制圧することが必要だったわけです。まあ、こんな田舎にまで多数の建設部隊を配置してはいないでしょうから、今日の空襲でしばらく使用不能でしょう。あとは昆明からのLRCAPトラップに注意しながらぼちぼちいこうかと思っています。重慶が風前の灯となってしまった今となっては、この作戦も日本側には嫌がらせ程度にしか感じてもらえないでしょうしね。

ビルマの日本軍はラングーンの二式戦(Ki-44-IIc Tojo) 42機がラムリー島のsweepにやってきました。空襲の難を逃れた輸送船はもうチッタゴンの沖に達していますから、当然CAPはいません。空振りでした。気になるのは地上の方で、ラングーン北東のヘクスの陸戦に勝利した日本軍部隊はやはり北上していて、3ユニットがPromeの南東ヘクスに到着しました。このヘクスにいる連合軍部隊は弱体ですからまた一蹴されること間違いなしで、おそらくPromeも簡単に奪還されることでしょう。蘭印やウエーク島などと比較すると、ビルマというブドウはかなり酸っぱいはずですから、日本側にはこの地域でしばらくいい思いをしてもらってもいいかなと思います。

主な戦闘はこれだけで、今日の蘭印には目立った戦闘がありませんでした。しかし連合軍はテルナテ島の上陸を狙ったFasttransport TFをバチャン島に前進させました。SIGINTと今日の偵察機の報告ではテルナテに守備隊はいないので、無血占領を予定しています。日本側に警戒させないよう、テルナテに偵察機を派遣したのは今日が初めてです。それでもめざとく反応して、フィリピン海に空母TFが出現することが一番の心配です。バチャン島からの距離は2ヘクスで、しかも海兵隊の強襲大隊を載せているのはAPDですから夜のうちに上陸は終了し、APDも無事に帰途につくことができるだろうとは思いますが、後続のサプライや飛行場部隊、建設部隊を載せた輸送船がやられてしまう可能性は否定できません。どうなることやら。今日はフィリピン海に西航するタンカーTFが目撃されていますが、テルナテ、そしてメナドを確保できればこういった動きを封じることができると思うので、作戦成功を祈りつつ次ターンのセーブファイルを待ちます。

余談ですが、偵察機によるとテルナテの飛行場(規模1)にはダメージ1が、港(規模3)にはダメージ14があるそうです。Detection levelは9/10ですから、まったくのでたらめということでもなさそうですが、このダメージの原因なのかが不思議です。テルナテには1942年4月4日に上陸がありましたが、コンバットリポートを確認してみると、この上陸にともなう事前の艦砲射撃や支援砲撃はなく、また双方ともにテルナテに対する空襲を行ったこともないようです。となるとこのダメージの報告は誤りなのか?あした奪還してみれば真相が判明するでしょう。

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