2013年5月19日日曜日

Port Blairが爆撃を受ける


昭和17年5月28日、豊原からリソースを輸送するコンボイが宗谷海峡で SS S-42に襲撃され、xAK Teikin Maru(VP 4, 2375トン)が沈没しました。この航路に就役させている貨物船の中ではいちばん大きい方の船なので残念。今日も幸先良くないスタートです。

連合軍はビルマ中部の守りの堅い飛行場は避けて、東部のラシオと南部のToungooの昼間爆撃にやって来ました。ラシオには戦闘機 64機(Hurricane IIc Trop 16, P-38G Lightning 48)のsweepのあと、戦闘機 13機(Martlet II 8, P-40E Warhawk x 5)の護衛で爆撃機 114機(Vengeance I 50, Blenheim VD 16, Hudson IIIa 12, B-24D1 Liberator 36)が来襲。作法に則ってきちんとsweeperを派遣していますが、護衛戦闘機が13機ということはCAPがいないことをお見通しのようです。CAPがいないので、Airbase hits 13, Airbase supply hits 4, Runway hits 38と多数の命中弾がありました。ラシオ飛行場はサービス施設に60、滑走路に39と大きなダメージを受けました。

他方、Toungooには爆撃機 69機(Blenheim VD 16, B-17E Fortress 16, B-25C Mitchell 21, B-25D1 Mitchell 16)が来襲し、Airbase hits 24, Airbase supply hits 5, Runway hits 61とこちらにも多数の命中弾があり、飛行場はサービス施設に64、滑走路に93とラシオを上回る大被害です。Toungoo飛行場には、マグエやメイクテーラといったビルマ中部の飛行場をバックアップする役割、つまりビルマ中部の飛行場が使用不能になった際、Toungooに戦闘機を配置してビルマ中部の飛行場群にCAPやLRCAPの傘を差し伸べる役割があります。しかし、今日の爆撃のおかげで、10日以上は使用不能です。またToungooにはラングーンからビルマ中部・東部への鉄道が通っています。Toungooの飛行場がダメージを受けると、それだけサプライの輸送も滞る仕様だったはずです。雨季でただでさえサプライ輸送が半減しているわけですから、連合軍はそれも狙っての爆撃を実施したんだろうと思います。

5月26日、カルカッタの南西に艦種不明の1隻からなるTFが発見されました。この日の発見だけなら放っておくのですが、5月27日にも艦種不明のTFが、前日の位置から4ヘクス西にみとめられました。TFの隻数がほんとうに1隻なのかどうかは不明ですが、1隻だとするとASW TFらしくはなく、しかも1日で4ヘクスしか移動していないので、もしかすると先日雷撃して損傷させたR級戦艦のうちの1隻なのではと期待してしまいました。そこで、5月27日、二式大艇1個飛行隊をPort Blairに派遣してマドラス東方あたりを哨戒させるとともに、発見したら爆撃するように指示しておきました。

すると5月28日、それを見透かしたかのように連合軍はカルカッタの南隣のヘクスのDiamond HarbourからB-24 55機(B-24D Liberator 19, B-24D1 Liberator x 36)をPort Blair空襲に差し向けました。Por Blairにはふだん飛行隊を配備していないので、爆撃を受けることは久しぶりです。もちろんCAPもいないので、Airbase hits 23, Airbase supply hits 19, Runway hits 62と多数の命中弾がありました。飛行場サービス施設に53、滑走路に71の大きな被害が出るとともに、定数18機の851空も13機がダメージを受け、可動機は6機だけになってしまいました。滑走路がつかえなくとも二式大艇は哨戒飛行に飛べますが、サービス施設が被害を受けていると、整備状況やmoraleに悪影響があります。ともかく、前々日、前日にPort Blairに連合軍の偵察機が飛来したという報告はなく、今日の爆撃は本当に意外でした。インド東岸近くを航行するTFが哨戒機に発見されたので、きっとPort Blairに哨戒機がいるに違いないと思っての爆撃だったんでしょうか?実際にTFを発見したのはラングーンの九六陸攻と、インド西岸近くに派遣してあった潜水艦の零式小型水偵だったのに。しかも、今日は連合軍TFに行方をくらまされ、踏んだり蹴ったりです。

5月25日にオーストラリア西岸のパース近海でAM Waggaを撃沈し、爆雷による制圧で大きく損傷した呂33潜ですが、スラバヤに向けて北上中です。途中、5月26日にはSS Sharkに雷撃され、また5月27日には対潜哨戒機に爆撃されましたが、いずれもはずれてくれました。今日はパースから8ヘクスの海域で連合軍のTFを目撃したと報告してきました。目撃できたのは2隻で、うち1隻が重巡であるということです。本当に重巡が含まれているのだとしたら、この辺のパトロールが目的とは思えません。先日、地上部隊を派遣したオーストラリア西岸中部のBroomeあたりに向かうコンボイの護衛か、または蘭印の日本側の根拠地を狙っての行動か、どちらでしょう。呂33潜の損傷はSys 28, Flt 65(42), Eng 10(10)で、Engダメージは2低下しましたが、SysとFltがそれぞれ1と2増加しました。スラバヤまで帰投できるか本当に微妙なところ。連合軍の攻撃をはずさせた悪運を活かして、帰投してほしいところです。

月光(J1N1-S Irving)のR&Dが奏功し、昭和18年6月1日から生産が可能となりました。連合軍の夜間空襲には悩まされているので、はじめての夜戦として期待したいところですが、すぐに活躍できるわけではないようです。ひとつは性能面。一年以上も前の昭和17年5月に登場した陸軍の二式複戦(Ki-45 KAIa Nick)と比較すると、最高速度は低いし、防弾装備はないしでかなり見劣りがします。機種は夜戦に分類されていますが、単に夜戦だというだけで活躍できるわけではなく、レーダーのない夜戦はふつうの戦闘機と同じ働きしかできない仕様だったと思います。また、この月光をつかえる飛行隊がほとんどないんですね。現在のところ、月光を使えるのはYokosuka Ku T-2だけで、しかもこの飛行隊はpermanent restrictedで本土にしか配備できないのです。さすがにまだ本土が空襲を受ける事態には立ち至っていませんから、訓練用にしかつかえません。外地で月光をつかえる飛行隊としては122日後にやって来る321空までおあずけです。そういう意味ではがっかりな新機種でした。

ベータパッチでレーダーを装備した夜戦の夜間CAP能力が向上していますから、月光の本命はこのJ1N1-S Irvingではなく、レーダー装備のJ1N1-Sa Irvingの方です。レーダーを装備する夜戦として日本側で最も早く登場するのもJ1N1-Sa Irvingで昭和19年4月から生産開始予定です。 それよりもいくらかでも早くレーダーの恩恵にあずかろうと考えて、これまでJ1N1-S IrvingのR&Dをおこなっていたライン2本をJ1N1-Sa IrvingのR&Dにあてておきました。と、ここまで書きながら気づいたのですが、J1N1-Sa Irvingが装備するレーダーがいつから生産可能になるかです。TrackerのDeviceの項でAircraft Radarをみてみると、H-6 Radarは昭和19年6月からになっていました。つまり、レーダー付きのJ1N1-Sa Irvingは昭和19年6月から。レーダーを含め、deviceの使用開始時期に関してはR&Dで促進するなんて仕組みはありませんから、機体のR&Dだけしても意味が無いことになります。やはりがっかりな機種でした、月光は。

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