2012年12月29日土曜日

伊1潜沈没


伊号第一潜水艦は昭和17年12月からハワイ東方沖で通商破壊任務に就いていました。伊1潜の哨戒域は、12月3日のウエーク島沖海戦で損傷した艦船が通過する可能性もあるハワイ・シアトル航路上でした。連合軍は損傷した空母をこの航路で回航する予定があったのか、この海域に護衛空母を含むASW TFを送りこみました。昭和18年1月6日、伊1潜はその空母艦載機に発見され、500ポンド爆弾を命中させられてしまいました。即沈没とはならず、また火災は発生しなかったものの、Sys 61, Flt 44(23), Eng 7(3)と大きなダメージです。

母港のクエゼリンは遙かかなたであり、爆撃の衝撃と浸水のひどさに乗組員たちも生きた心地がしなかったでしょう。しかしここで艦長のMatsuo L.中佐(Naval 57, Admin 56, Aggr 73、おそらくランダム生成の艦長)はもちまえの統率力を発揮して、乗組員を励まし緊急事態に対処します。伊1潜の乗組員のexpは60/58もあり、やればできる面々だったのです。全員の努力で浸水は少しづつ減少してゆきました。しかし問題はSysダメージが60台と非常に大きく、機械関係が大きく損傷していたことです。だましだまし使っていたポンプ類の故障は進行し、昭和18年1月21日にはふたたび浸水が増え始めました。しかしこの時点でマーシャル諸島のマロエラップまで距離3ヘクス、母港のクエゼリンまでは7ヘクスの地点までやってきていました。あと2-3日もてば無事母港に帰還できます。しかしその晩、
Pumps having difficulty controlling flooding aboard SS I-1 
Pumps fail aboard SS I-1, flooding increases... 
Major flooding aboard SS I-1
と、さらにポンプの調子は悪くなり艦内の浸水は増える一方で、1月22日、ついに沈没となってしまいました。沈没地点はマロエラップとメジュロの中間のヘクスでした。ふりかえってみると、前ターンに浸水量が急に9も増えましたから、クエゼリンに向かわせず、一番近いマロエラップに行かせれば沈没しないで済んだのかもと反省しています。0と1でできている電子の水兵さんたちとはいえ、こんなかんじに沈没するのはあまりに悲しく、紹介してみました。伊1潜は史実でも昭和18年1月29日に沈没したそうで、historicalな展開になってしまいました。

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