2013年3月21日木曜日

昭和18年3月の成績


まずはIntteligence画面。ソ連の参戦を防ぐには満州に駐屯する部隊のAVの合計が8000を超えていなければなりません。これをみるとすでに8114で、もう限界近くまで減少しています。歩兵聯隊のAVは120超ですから、今後、中国戦線や南方の危機に対して満州からまとまった部隊を転出させる余裕はありません。本土からか、中国での戦線を整理して抽出するかしないとだめですね。

3月に沈没と報告された艦船のリストですが、連合軍はたったの9隻。オーストラリア西岸のPort HedlandでCL AdelaideとxAP Duntroonが撃沈することができていなければ、ほんとうに寂しいリストになるところでした。連合軍潜水艦の名前も5隻ありますが、SS PollackとSS Pickerrelは沈没事由が爆雷や航空爆弾ではなくScuttledになっているので、本当に沈んでいるのではないかと思います。

日本側の沈没艦船をみると、クーパン艦砲射撃にともなって沈められたDD天津風とE八重山以外は、ほとんどが潜水艦によるものです。数は2月と同じく14隻で、米軍魚雷のdud rateに変更の加わる1943年9月まではこの程度の被害が続くのでしょう。今月は大きな艦船の潜水艦による沈没はありませんでした。

飛行機の損失数はこんな感じです。日本側 702機、連合軍側 536機とかなり差があるのはいつも通りですが、日本側の損失機には、3月29日にインパール空襲で失った91機、クーパン艦砲射撃で失った30機が含まれています。これを除けば、3月はかなり拮抗していた月だったかなと思います。また、連合軍の四発爆撃機の名前がこのリストに載ることは滅多にありませんが、3月はB-24DとB-17Eの2機種も載っていることもうれしいことです。

パイロットの死傷者数、特にKIAは226名と1月・2月と比較してかなり多くなっています。これもやはり3月29日のインパール空襲の失敗の影響です。

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