2014年6月21日土曜日

ダーウィンを海に沈めたい!





現在進行中の連合軍側プレイでは、オーストラリア北西部のダーウィンから、蘭印東部の根拠地を攻略してゆく計画です。こういった直接に南方資源地帯を指向する攻撃は、日本側からみるとかなり嫌なものだと思います。史実の連合国側はこういった戦い方を選択しなかったわけですが、ゲームと史実の違いについて論議した Darwin, the importance of being Earnest!というスレがあります。このスレがたてられたのは2011年で、もう2年半が経過しましたが、このゲームでのダーウィンのもつ意味自体は2年半経っても変化していないと思うの紹介してみます。


みなさん、このテーマについては他のスレでもすでに議論されたことがあることは承知しているが、個人的には少しでも理解しているとはいえないレベルだ。このゲームではマップ上の位置などの理由から、ダーウィンが実際の太平洋戦争での役割よりずっと重要になっているようにみえる。太平戦争の出来事について読んでみると、数回の攻撃を除き、史実のダーウィンは後方に位置するに過ぎなかった。どう?違う? 

南方資源地帯を確保した後の日本の戦略、つまり「第二段作戦」に関する私の理解は以下のようなものだ。
1) 海軍の一部は以下の理由からオーストラリア北部への侵攻を強く望んでいた:
a) 防備は手薄で、地理的にオーストラリアの主要な人口集中地域から隔絶されていた(その結果、増援を送ることが困難だった)
b) したがって、確保するのに少数の兵力を上陸させれば済む
c) この地域を確保すれば、オーストラリア北部を策源地とする蘭印解放のための反攻作戦を阻止できる
山本連合艦隊司令長官ははっきりとこういった侵攻に反対した。こういった作戦に兵力を提供する陸軍も反対していた。それにはいくつか理由があって:
1) 陸軍のドクトリンは占領地域を守るというもので、この作戦は補給線と防衛境界線をあまりにも薄く引き延ばしてしまうものと思われた
2) 陸軍は常に中国と満州を重視していて、上層部はソ連を第一の脅威と考えていた。その結果、こういった作戦のために中国や関東軍から兵力を抽出することに気が進まなかった。
3) 連合軍の反攻が避けられずオーストラリア北部を占領するだけでは済まないと 陸軍は、考えていた。オーストラリアへの上陸はオーストラリア大陸全体の占領につながるるが、それはとても無理なことだというのが陸軍の主張だった。
海軍はオーストラリア北部の確保に6万名もあれば充分と考えていたが、陸軍は20万名以上が必要になると推算していた。陸軍はそんな大規模な上陸侵攻を実施するのに必要な船と兵員がなく、またこんな価値の少ない作戦はリスクとベネフィットが見合わないと感じていた。
結局、フィジー、サモア、ニューカレドニアを確保し南太平洋の航行を阻止してアメリカからオーストラリアを遮断する、さらに中部太平洋を通ってミッドウエイ島を占領するという決定がなされた。そしてミッドウエイ海戦が起こり、あとは歴史にある通り。実際の戦争ではこういった戦略的な決定のせいでダーウィンもオーストラリア北部も後方地域になった。しかしWitP AEはいくつもの「もしこうなっていたら」を実現させてくれ、そのうちの一つが日本のオーストラリア北部侵攻というシナリオであり、史実でも1942年2月までは真剣に検討された作戦だ。
実際、日本の唯一のオーストラリア上陸は、1944年1月19日にチモール島クーパンから小さな漁船に乗り組んだ4人の陸軍士官が偵察のためヨーク海峡地域(WitP AEでもっとも近いのはBroome)に上陸したもので、その地域に連合軍が大きな基地を建設していると報告した。これに関しては、Fletcherさんとcantona2さんが2人の"AE Historical Game Project"というPBEMで採用したハウスルール を読むと面白い。オーストラリア北部侵攻への陸軍の強硬な反対を反映させて、日本側プレイヤーはPPを3000(だったかと思う)貯めておいたうえで、prepare pointが80以上になったユニットだけを上陸させることができるというものだ。 

興味深いはなしをありがとう。そのハウスルールの件については知らなかったし、私のこれまでのPBEMではそういったルールを採用したこともなかった!史実については、戦略的な状況の然らしむるところ、ダーウィンが後方地帯となってしまったという意見に賛成だ。しかし、オーストラリア北部侵攻を邪魔するもののないゲームだから、ダーウィンが前線になるのもみてみたい。 

多くのプレイヤーがダーウィンに手を出すからという単純な理由で、このゲームのダーウィンは実際以上に重視されているように感じる。ダーウィンを占領するのが簡単だからだろう。実際、周辺の道路状況があまりに悪いので連合軍にとってのダーウィンは大陸の一部というより島みたいなもので、守りぬくことはほとんど不可能にちかい。でもダーウィン侵攻の利点ってなに?一連の艦砲射撃戦の策源地にするの?オーストラリア占領の出発点とはなり得ないと思うけど。 

ダーウィン占領の主眼は、連合軍側に利用させないことだ。日本側でプレしていると、できることならダーウィンを海に沈めたいくらいの気持ちになる。ダーウィンを放っておくと後方地域に文字通り激痛をもたらす。道路はひどいが、連合軍側は1942年いっぱいをつかって根拠地隊を順次前進させることで、地上からのサプライの補給を可能とし、基地施設を巨大なものにまで拡張できる。トレス海峡かチモール島を無力化させないと海路でのダーウィンへの補給は無理だが、それでも頭痛のたねにはなる。オーストラリア軍は砂漠の中に追い払ってしまうに限る。

連合軍にダーウィンを利用させないためには、強力な守備隊を配置する必要がある。つまり兵員と飛行機だ。そうでないと、連合軍がトレス海峡を通行可能にした途端、すぐにでも奪還されてしまう。
そうかもしれない。しかし、戦略的な攻勢の策源地となりうるダーウィンを連合軍の手に委ねたままで南方資源地帯の下腹部を効果的に防衛しようとすると、チモール島から蘭領ニューギニアの多数の根拠地に守備隊を置かなければならなくなる。地図を見れば分かると思うが、ダーウィンを強化すれば侵攻できる魅力的な候補地がたくさんある。結局のところ、より少ない費用で済むのはどちらか、あきらかだと思う。 

ダーウィンとその周囲の南方資源地帯がこのゲームで史実以上に重要なのは、兵站面が抽象化され過ぎていることに加えて、根拠地のSPS値(飛行場と港をどこまで拡張やすいかという数値)がゆるめに設定されていることによるのだと思う。マッカーサーはオーストラリア北部経由でブリスベーンにやって来た時に、北部オーストラリから南方資源地帯へ大きな攻勢をかけるとしたら避けられない悪夢のような兵站状況を自分の目で確認した。これがSWPac戦域の攻勢がニューギニア経由になった理由だ。人口が少なく工業が未発達なことに加え、オーストラリア北部と南部との鉄道の軌間が異なる。WitP AEでのこの地域の状況は、最近(これは2011年のスレ)のマップの手直しでダーウィンへの陸路を使ってのサプライ補給がより困難にされたことで、より史実にふさわしいものへと改善された。しかしこの点も、大きなコンボイでサプライを送り込むことができれば相殺されてしまう。あとは南方資源地帯の数カ所、SPS値がゆるめですぐに飛行場と港の規模を拡張できそうなところに上陸すればいい。私やTreespiderさんのように、ダーウィンとその周辺の根拠地のSPS値を大幅に減少させることで、兵站面と地理的な問題点をはっきりさせようとする人もいる。史実のオーストラリア政府は、日本が攻めて来てやむを得ない状況になれば、オーストラリア北部を明け渡すつもりだった。オーストラリアの経済的・人口学的な中心は南部にある。いわゆるブリスベーン防衛線(訳注:Wikipediaの項 など参照)は集団ヒステリーの結果かもしれないが、限られた兵力を最重要な地域に集中させるという現実的な計画でもあった。オーストラリアは広大なので、ダーウィン失陥が士気の低下を来し、南方資源地帯のより一層の安全につながったとしても、西太平洋戦域に大きな影響はなく、反攻に要する攻撃力の構築が多少遅くなるだけだろう。 

みなさんの指摘は的確だ。あと一つ付け加えるとすれば、マップ上のある地点が重要になるのは、プレイヤーの一方または双方がそこを重要な地点だとみなすからだと思う。こういった現象は史実にもみられ、このゲームでもみられる。良い例はガダルカナル島だろう。開戦前にはどちらの側の用兵計画立案者もどこにガダルカナル島があるか知らなかったに違いない。それなのに太平洋の戦いで6ヶ月間(平行するブナの戦いもあわせて)、ここが焦点となった。ガダルカナル島が重要になったのは、双方がここで戦おうと決めたからだ。WitP AEの特長はプレイヤーが史実の司令官たちの選ばなかった進路も選択できることだ。双方がその気になれば、ダーウィンは太平洋戦争で重要な根拠地になったかもしれない。
ルンガのような未開発地点のSPS値をランダム化し、しかも偵察してはじめてそのSPS値が判明するというような仕組みにする、もう一つのWitPを作ってみたいという夢を長いこともっていたが、ゲームエンジンを完全に書き換えなければならないようで、また史実とかけ離れたマップになるといくつか問題も生じるようなので、断念した。非常に興味をそそるアイデアなんだけどね。SPSが史実の値に固定されていると残念ながらあと知恵が作用してしまう。ソロモン・ニューギニア戦線はその一例で、ほとんどのAARでポートモレスビーはターン2からずっと重要な拠点であり続けるが、史実でそうなったのは日本がラバウルを占領してオーストラリを脅かすような動きを見せてからのことだ。 

マッカーサーがソロモン侵攻に傾いたのは、フィリピンに一歩でも近づけると考えたからだと思う... それにしても、イギリス軍がリビア砂漠の補給線をどうやって維持していたか、このフォーラムのメンバーは忘れているのかな。もしオーストラリア北部で対峙しようと考えたら、辛うじて維持するのがやっとという感じになったと思う。マッカーサーは状況の如何に関わらずフィリピンに戻ろうと決心していた... しかし日本の陸軍はダーウィンだけでなくオーストラリア北部全体を確保することが必要だと考えた... つまり、開けた砂漠地形でエアカバーなしで四発爆撃機の攻撃に曝されてしまうということだ。これが実現していれば、高度5000フィートからの四発爆撃機の攻撃が開けた地形にいる地上部隊にどんな効果をもつかという実例を提示してくれたのに... 日本は実際にはミッドウエイに向かい、そしてあとは史実の示す通り... 私はシナリオ1の連合軍側プレイで、日本の2個師団を殲滅し、ダーウィンを攻撃することの愚かしさを示した。しかも日本の陸海軍がダーウィンに手こずっている間に、ビルマを電撃的に奪還した。シナリオ2だとハウスルールが必要になるかもしれないが、日本側がダーウィンで争いたいというのなら、ぜひお誘いしたいものだ。 

あなたのレスにほとんど同感だが「私はシナリオ1の連合軍側プレイで、日本の2個師団を殲滅し、ダーウィンを攻撃することの愚かしさを示した」という点だけは気になる。シナリオ1であなたが証明したのは、対空火器なしでダーウィンを攻略し、しかも撤退時期を決めずにさらに南に占領地を拡げることは愚かだという点だ。でもそういう愚かさがあったとしても、連合軍にダーウィンを数ヶ月利用させないことはできる。その数ヶ月は連合軍がダーウィンを大きな攻勢の発起点として施設を拡張していたかもしれない期間なわけだ。日本側プレイヤーの戦術の一つに、時間を買うというものがある。日本側は連合軍を枢要な地域から遠くに遠ざけておくほど良い。上手な連合軍側プレイヤーと対戦した際に日本側プレイヤーの直面する問題は、限られた手段をつかって別の方法で攻められることだ。上手な連合軍側プレイヤーは前進するための作戦を次々に考え出し、最も有望で最も破壊的で最もこっそりと進めることのできる作戦を選択するか、またはいっぺんに複数の作戦を繰り出す。ダーウィンもその手段のうちの重要なひとつだ。ダーウィンを利用するかどうかは状況とプレイヤーの好みによるが、日本側にしてみれば、ダーウィンからの攻勢は「ここから攻勢を始めようと思えば始められるだろうし、攻撃されれば防御しなければならないような厄介な」策で、本当に本当に嫌な作戦だ。潰滅することになろうとも、可能な限り長く2個師団に守備させておいた方がましだ。連合軍側から見ればダーウィンは日本軍に消耗戦を強いることのできる肉挽き機の候補だが、それは上手な連合軍プレイヤーを相手にする日本側プレイヤーが直面しなければならない困難の一例に過ぎない。連合軍がどんな作戦を選択するかに関わらず、連合軍プレイヤーよりも、経験を積んだ日本側プレイヤーの方が、ダーウィンをより重視していることに気付くだろう。もちろんダーウィン占領の代替案がないわけではなく、チモール海をはさんで空から制圧し続けることもできる。何事にも代案というものがあるものだ。 

「シナリオ1の連合軍側プレイで、日本の2個師団を殲滅し、ダーウィンを攻撃することの愚かしさが示された」あの戦いであった3つのことを紹介する。
1. 日本の上陸侵攻の前から、Alice SpringsとTennant Creekの施設を拡張しサプライを貯蔵しておいた。
2. 日本の上陸侵攻のずっと前からオーストラリア軍1個軍団を準備してあった。
3. 充分な数のインド軍に国境を越えさせるためPPを支払い、日本側が上陸侵攻を始めた時にビルマで電撃戦を始めた。間接的な対策をとったわけだ。
開けた地形の兵員に対する四発爆撃機に関するハウスルールはなかったので、虐殺が始まった。ハウスルールがあったら、もっと手こずったことと思う。あなたのいう「時間を買う」という考えには賛成できない。1944年までのプレイ経験では同じように思っていたが、1944年4月になって連合軍の前進が始まれば、日本側がどんなに巧妙に戦ってきたとしても関係ない。
あなたがAlice SpringsとTennant Creekを拡張しておいたのはうまいやり方だったと思う。私とあなたとで、状況の把握の仕方が根本的に違っているとは思わない。あなたの論点に着目すると、状況によってはチモール島から蘭領ニューギニアを守るのに、ダーウィン地区に立て篭るよりずっと多くの兵力を要する。またビルマであなたのとったような作戦が成功する可能性は、日本のチモール海・オーストラリア北部の作戦の状況に関わらず、存在しただろう。この二つの方面の作戦が同時期に発生したことで、日本の敗退がより早まったということなんだと思う。「時間を買う」という言い方をあなたがどう感じようと、日本のプレイヤーのとる行動はすべて、日本の降伏の時期に影響させることを目的としたものだ。これこそが、日本側の戦略の背後にあって動かしている力(autovictoryの達成を狙うプレイはその例外だが、技倆の伯仲したプレイヤー同士だと、シナリオ1では不可能だし、シナリオ2でも達成できそうにない)だ。 

マッカーサーは何があろうとフィリピンに戻るつもりだった。しかし彼が選んだのはソロモンではなく、ソロモン戦はミッドウエイの後、即座に攻勢に出る方法を探していたキングによる選択だった。マッカーサーの計画は東、南東オーストラリア(兵站を支援するリソースの最も集中していた地域だが、それでも1942年のうちは細々としたもの)を策源地とし、ニューギニアからラバウルに迫るというものだった。その結果、ポートモレスビー、その後にブナとラエが焦点となっていった。オーストラリア北部もいずれは南方資源地帯への攻勢を支援できるまでに施設の建設を進めることができたかもしれない。しかしそれには長い時間とかなりの努力が必要となり、また攻勢発起点が遠くなることで船舶による輸送に史実以上の負担がかかる。またコンボイへの横合いからの奇襲を防ぐためニューギニアと珊瑚海の安全確保は史実と同様に必要だ。ソロモン諸島東部を占領する日本の計画は米豪遮断の手段だった。この場をさらに混乱させて申し訳ないが、WitP AEのマップが素のWitipより大きくなったことで、米豪をつなぐパイプラインの長さに驚いた。 

WitP AEで米豪パイプラインの長さについては、マップを見て私も同じ感想を持った。しかしその「連合軍パイプライン」を南西にずらす余地もまた大きくなった。オーストラリア東岸を占領せずに日本側が期待できることといえば、せいぜい米豪間の航行にかかる期間をより長くさせることくらいだ。 

このスレの立てられた意図を台無しにしたくはないが、少し述べたい。数年前、戦史叢書に示されている日本側の意図にもとづいて、これに関する議論があったのを憶い出してほしい。オーストラリア侵攻は悪夢だ。兵力は不十分(少なくとも12個師団は必要)だし、もっと重要なことに船舶が足りない。オーストラリアを急襲するには(少なくとも)150万トンが必要だと作戦立案者は言っている。帝国の船腹保有量は300万トンしかなく、厳しい。陸軍はこの作戦が破滅につながる道だと考えていた。「中国での苦い経験に鑑み、侵攻がやがてはオーストラリア全域に拡大してしまう可能性が大きい」(Ugaki)(訳注:海軍の宇垣纏かな?IJAの人の発言と書かれているが時期的に一成じゃないですよね)。田中新一少将によると「陸軍がオーストラリア侵攻に必要な兵力に補給できたとしても、補給に要する船腹が戦争を遂行する基礎を破壊してしまうだろう」。陸軍参謀本部にいる男たちはそんなに愚かだったわけではない。東海岸一帯の占領が必要となり、それは無理だということを分かっていたんだ。つまり、体全体を挽肉にされハンバーガーにされたくはないなら、大切なところを木材破砕機につっこんじゃいけない。ダーウィンは侵攻するにも、侵攻の発起点とされるにも最適な場所だとはいえない。チモール島とアンボンに対峙しているから、後方の重要地点なのはたしかだが、それだけのことだ。 

このスレでオーストラリア侵攻どうしたら効果的に米豪間のパイプラインを遮断・妨害するかという質問を目にした。良い質問だと思う。modチームの一員として活動しこのテーマに関する作戦の問題を数年前に感じて、小さなマップを舞台としたシナリオとして使えるんじゃないかと気付いた。日米両軍の力が拮抗しているちょうどその時期で、日本側プレイヤーにも勝利のチャンス与えることができる。大本営のシナリオ集から巻・章・文もそのままに引き出したFS作戦。さまざまな障害があるだろう。史実でも日本側はその数々を認識していた。日本側も愚かではなかった。われわれ連合国が完全には協調していなかったのと同じように。陸軍と海軍は物資をめぐって対立していたが、用語をめぐっても争った。しかし日本語では言葉には言外の意味がある。陸軍は防衛戦の強化を主張し、海軍は拡張を主張した。戦史叢書にはこの作戦だけに関しても70ページにも及ぶ会議録が残されているが、妥協で終わった。うーん。これらの情報をDaBabesのチームのシナリオに活かす。すばらしい成功作ができ、SWPac戦域のその後の作戦の問題点を示してくれた。これに関する詳細はScen Designサブフォーラムにある。興味があったらみてくれ。感想を聞きたい。なお、マップはこんな感じだ。

ジョン・カーティンオーストラリア首相、1941年12月27日付け
That reddish veil which o'er the face  
Of night-hag East is drawn ...  
Flames new disaster for the race?  
Or can it be the dawn? 
Bernard O'Dowdはこんな詩をかいているが、1942年になれば私たちにもその答えが分かるだろう。しかし、自分自身で答えを作り出せるのではないだろうか。私たちにはそれができるし、そうしたい。1942年はオーストラリア人の生活にとって著しい変化の年となるだろう。オーストラリア政府の政策は二つの事実にもとづいている。ひとつは、日本との戦争が枢軸国との戦いの一局面ではなく、新たな戦争なのだということ。もうひとつは、オーストラリアが戦時体制をとらなければならないということだ。この二つの事実から、二つの行動が導き出される。ひとつは太平洋での戦争の方向にそってイギリス、アメリカ、ロシア、蘭印、中国との関係を築く外交交渉。もう一つはオーストラリア人の生活の仕方を変化させる、というか実際には戦時体制が速やかに効率的に確立するまで続けられる革命のようなものだ。私たちはリアリズムに徹して日本に対するロシアからの援助を期待すべき理由があるという見方をとることにする、もちろん軍事政策を決定するのはソ連自身だが。また私たちは枢軸三か国に対して確固たる民主主義の防壁を築くことにし、太平洋が世界大戦の副次的な戦域としてあつかわれなければならないという言明を断固として拒否する。そうだからといって、他の地域が太平洋戦域よりも重要ではないことを意味するわけではない。しかしオーストラリアは民主主義国がその力を日本に向けるよう決定することを要求する。
したがって、オーストラリア政府は太平洋をアメリカとオーストラリアの戦争計画の主戦場としてみなす。私は、イギリスとの伝統的な関係に関わらず、オーストラリアがアメリカの援助をあてにしていることを躊躇せず明らかにしたい。我々はイギリスの直面している問題を理解している。イギリスへの侵攻の脅威が続き、戦力を分散させることが危険であることも分かってはいるが、イギリスを持ち堪えさせながらオーストラリアが前進することも可能だ。まとめるとオーストラリアの対外政策は、ロシアの援助を得ること、またイギリス、中国、オランダ軍とならんでアメリカと協力しながら太平洋の戦略を決定することを主眼に、展開される。
オーストラリア国内の政策はここ数週間で大きく変化した。これらに加え、1942年になる前に実施される政策はさらに劇的で、いくつかの理由から実施が急がされてもいる。まず、イギリス連邦政府は開戦からの2年の間、オーストラリア国民にオーストラリアの地位がどう変化したのかをきちんと理解させることができなかった。日本の参戦でオーストラリア周辺海域に直接の脅威が及んだにも関わらず、栄養失調で狂信的で近視の日本人なんかアメリカがなんとかしてくれるという見方が一般的だった。オーストラリア国民に対してはこれ以上の要求がなされないという宣言(訳注:日本の参戦後もオーストラリアへの要求を続けたチャーチルに対するオーストラリア国民の不満を収めるために出された宣言のことか)と、その後に続いた諸決定は心理学的な効果を狙ったものだった。こういった宣言・決定は鎮静効果を持った。さらに、怠惰なところのあるオーストラリア国民に自ら自国を防衛し、最大限奮闘することが必要だという意識を覚醒させるものだった。心理学的な実験は大いに成功し、多くのオーストラリア人が過去2年間よりも戦争についてよく理解した状態で1942年を迎えることができる。
これらの決定はその他の理由からも急がれた。すべては戦時体制に移行することの必要性に関連していて、いまのところ順調な成り行きで、特に生産と資源の節約についてはうまくいっている。こういった試みはオーストラリア人を愛国心や義務感に目覚めさせるために実施されたわけではない。そういった愛国心や義務感はつねに存在していたが、指導や指令に呼応することが国民に求められたことがなく、望まれる才能や汲まれぬ資質が埋もれていただけなのだ。われわれの1942年にむけての任務は過酷だ。オーストラリが直面することになる状況は、われわれが1914年から1918年の間に実際に経験した危険をも、また1914年から1918年の間に想定された危険をも凌駕している。
1942年という年は究極の試練になりそうだ。侵攻に対する抵抗からアメニティーのさらなる不足まで。国を戦時体制に移行させるには、オーストラリア人一人一人が私生活でも仕事でも生活全部を戦時体制に移行させなければならないことを理解することが必要だ。市民の生活も、戦う兵士たちが甘受すべき生活に遜色ないくらい厳しいものとなる。私は、オーストラリア人すべてにオーストラリアが前線にあることを理解するよう求める。オーストラリア政府の政策はその線に沿ったものとなる。我々は、我が国と7百万の国民を、敵の攻撃が加えられている国・国民として扱わなければならない。オーストラリア人が常に警戒しなければならない。予告なしの攻撃や上陸の可能性に対する警戒、また資金を浪費しないよう、正当化できない行動をとらないよう、議論や怠惰や関係ないおしゃべりにより全体の福祉のための政府の決定を台無しにしないような警戒が必要だ。
すべてのオーストラリア人の運命は一蓮托生だ。すべてのオーストラリア人が一体とならなければならない。我々は有能な指導者に率いられた信じられないほど勇敢で強力な敵に対している。我々はそれに応じて敵を警戒しなければならないし、そうすることになるだろう。
「 イギリスへの侵攻の脅威が続き、戦力を分散させることが危険であることも分かってはいるが、イギリスを持ち堪えさせながらオーストラリアが前進することも可能だ」という部分は、一国の指導者が緊張感をもって自国に言及した唯一の発言だと記憶している。また「有能な指導者に率いられた信じられないほど勇敢で強力な敵」という部分は唾棄すべき敵についての非常に例外的な論評だ。以下の物語を読んで、議論の種にしてくれ。
私は大学で第二次大戦史に関する初歩的な講義をとったが、同じコースの受講者たちを啓発しながらA評価を得られるものと期待していた。たしかにその通りになったが、1~2回レポートを提出しなければならなかった。どんなものを書いたのか良く憶えていないが、ぼんやりしながらドーリットル空襲についてやっつけ仕事をしたんだったと思う。私は10代の頃から史上最も大規模かつ最も詳細なといわれるような第二次大戦ゲームの数々をプレイしてきたわけで、そういった経歴を持っている私はその講義を受けた学生たちの中で浮いていたんだ。
上品なイギリス人である教授にさえ、そのテーマにこめられた私の意図が通じなかったようだ。先生はいい人で優しかったが、軍事史が専門ではなかった。私は、第二次大戦に関する甘ちゃんな講義に出席するだけで大学の単位を得られることだけで満足だったが、講義を傾聴しはしなかった。この先生はすぐに脱線して30年代から40年代にかけてイギリスの外交官としてアメリカで活動した彼のお父さんをについて見聞した自分の子供時代について語りたがる傾向があったから、なおさらだ。わたしはビールかなにかを飲みながらドーリットル空襲について10枚ほどのレポートをまとめた。優秀な成績を期待していたし、それだけの価値があると思っていた。しかし驚いたことに、そのレポートは余白に赤ペンでたくさんのコメントをつけて返却された。なぜ?表紙にはAという評価があったし、私はもう学ぶことの何もないような講義をとっていたのに。毎週40時間も仕事をしながら、フルタイムの学生をやるのに疲れきってしまっていた頃で、卒業は目前だった。
1週か2週後、教授は私に、レポートに付されたコメントについてなにか考えたかどうかと尋ねた。私はびっくりした。「ええ、しっかり考えています...」というような返答をしたが、私がコメントを読んでもいなかったことに彼は気づいてしまった。彼は笑って「このレポートを読んでみたまえ。私が30年前に書いたものだ」と言った。私は彼に感謝し、次の講義と仕事をさぼった。私の頭の中は、レポートを読む課題を与えられたってことでいっぱいだった。
本当のところ、教授のレポートを読みはしなかった。しかし学期の終わりになって、教授はそのレポートを返却してほしいとほのめかした。私は返却するために教室に行く途中、パラパラッとめくってみた。ふーん、彼はCをとっていて、彼の先生は何の感想ももたなかったようだ。教授は私にC評価のレポートを読ませたかったわけか。流し読みで分かった限りでは、30ページも費やして1941年12月までの外交の駆け引きを細々と記したものだった。教授はワシントン駐在外交官の息子だったから、こういったレポートを提出したことも理解できる。12月10日から12月20日の間に米豪間でやり取りされた電報の量が甚大だったことが述べられていた。オーストラリアが恐怖の渦中にあることをジョン・カーティン首相とオーストラリア政府がルーズベルトに理解させたのはこの時期だったと、教授は主張していた。オーストラリア最良の戦闘部隊は国外にあり、オーストラリアの海岸を守れるほどの部隊は残っていなかった。他方、日本はマレー半島を席巻し、中国での残虐行為の廉で非難されてもいた、オーストラリア人は、無防備なまま日本人の来襲を待つだけだった。C評価のレポートに戻るが、1941年12月にジョン・カーティン首相はルーズベルトにオーストラリアが独力で立ち向かう羽目に陥らないことの確認を求めたと、教授は主張していた。アメリカが即座に船と兵隊を派遣してくれなければ、オーストラリア人が文字通り強姦されてしまうような事態の発生する前に、ヴィシー政権に依頼して降伏の交渉をすることになるというのだ。なんだって?! いかれた主張のように感じた。オーストラリアが2~3ヶ月頑張ってくれたら、何かしら日本の前進を止める手だてをとることをルーズベルトが約束したと教授は述べていた。助けはやって来るし、日本人を忙しくさせておくつもりだと。カーティン首相の反応はと言うと、昨日までの行動で示されるようにオーストラリアはすでに頑張っているというものだった。
教授の考えにも一理ある。そもそもドーリットル空襲は1941年12月21日からルーズベルト自身が執拗に主張し始めたことに由来する。本来、ドーリットル空襲は軍事的にみてリスクに見合わない。アメリカ人の士気を高揚させるためだったという教科書的な説明は筋が通らない。真珠湾奇襲後、つまりドーリットル奇襲が検討が開始された頃、アメリカ国民の士気はかつてないほど高揚していた。ルーズベルトは3期目の大統領だったから、より一層の支持を必要としていたというわけでもないだろう。しかしルーズベルトはドーリットル空襲の計画にはまっていたんだ。
珊瑚海海戦はどうだろう?これもどちらかといえばリスクの高い作戦だが、何が目的だったのか?ソロモン海とニューギニアでの日本の行動を制約するため?なぜ?それにミッドウエイも。大した価値のない太平洋の岩礁に、米海軍の攻撃力すべてを賭けるって?私たち(訳注:「私たちWitP AEプレイヤーは」という含みだと思う)はリスクについて知り尽くしている。雷雨になっただけで反対の結果になっていたかもしれない。リスクについてはアメリカ政府も充分に承知していたはずだ。ミッドウエイで空母を失ったとして、それは連合軍にとって悪い報せ?それとも?
私たちはルーズベルトやニミッツであるかのようにWitP AEをプレイするわけではない。でもだからといって、プレイからオーストラリア部隊を閉め出すハウスルールを考え出すことができないわけではない。今になって1941年12月27日のジョン・カーティン豪首相の発言を考慮すると、実は教授のレポートはズバリ的を射ていたんじゃないかと思う。深く考えれば考えるほど、そう思えてくる。すると1942年前半のアメリカ海軍の積極性の意味も分かる。おそらくルーズベルトはニミッツと海軍に出撃して戦うように命じたのだろう。どんな結果になろうとおそれる必要はない。たとえ沈没しても、1943~44年になれば新造艦で置き換えることができるのだから。ルーズベルトが必要としていたのは、勝利をもってか、または敗北をもってしても時間を稼ぐことだった。私たちはWitP AEをプレイの経験から、戦闘による損傷と航空機の損失は作戦計画を遅らせるだけだということを知っている。緒戦期、戦闘の結果がどうなろうと日本に対応を余儀なくさせるようアメリカが動くから、オーストラリアも連合国の利益のために踏ん張ってくれるよう、ルーズベルトはオーストラリアに打電したんじゃないだろうか?
ところで、こう考えてみると史実でダーウィンをめぐっての動きがなされなかった理由がよく分かる。日本人にダーウィン侵攻の動機を与えたくはなかったわけだ。連合軍側プレイヤーは、こんなハウスルールを試してはどうだろう。
ジョン・カーティンのハウスルール:連合軍が開戦後6ヶ月以内に日本の主力艦を撃沈するか、または出撃して日本海軍の作戦を妨害するかしない限り、日本がオーストラリアに上陸した途端にオーストラリアは降伏する。オーストラリア部隊以外はオーストラリアに配置できず、すべてのオーストラリア部隊はプレイからはずれる。 

的確な意見だ。チェスのプレイで考えると、駒を交換しても私の方は20手後にその駒を再び入手することができるのなら、なるべく早く駒を交換したくなる。ニミッツが働いていたのはそんな世界。なるべく早く交戦して、日本海軍からなるべく早く侵略の道具を取りあげるということだったわけだ .. アメリカは自国の無尽蔵の工業力を活用することができるので、日本が何かを仕掛けるなんてことがあるとは思っていなかった。日本はアメリカを、弱くて国内のことにしか関心がないし、まだ大恐慌からの回復過程にあるに過ぎず、1908年のロシアと同じだと考えていた。なんたる誤算!!日本は虎を目覚めさせてしまっただけでなく、虎に小便をひっかけてしまったんだ。私の論点はシナリオ2を対象としている。日本は弱そうに見えるし、どうせ対処は可能でもあるから、アメリカは襲いかかったりはしなかった。でももし日本がシナリオ2のような戦力を築いたら、議会は公共事業促進局法案を否決し、モンタナ級戦艦やエセックス級空母の緊急建造案を通過させただろう。  
興味深い。ジョン・カーティン豪首相はチャーチルを思わせるような人物だとばかり思っていたが、実際は...... 

面白い考えだが、私は反対だ。ルーズベルトは大した政治家だった。日本本土への攻撃によりアメリカの政治家の多くを戦争計画に加担させ、軍事的な観点からなら心配しなくてもいいはずのことまで軍に配慮させるよう仕向けた。チャーチルはヒトラーに対して同じようなことをした。チャーチルがベルリン夜間空襲を仕掛けるまでは、ドイツ空軍は英空軍を殲滅する寸前だった。軍事的には無意味だったが、ヒトラーはドイツ空軍の攻撃の主な目標を工場・飛行場から市街に変更させた。これにより英空軍は再編成する機会を得ることができた。ドーリットル空襲も同じようにカゴを揺すぶってみた作戦だったわけだ。でもキングとニミッツにルーズベルトからはっぱを掛けられる必要があったとは思えない。暗号解読により、海軍は珊瑚海海戦が2対2になることを知っていた。ミッドウエイも同様に4対4で、ミッドウエイ島を長距離索敵の可能な空母の一つと数えれば、アメリカ海軍にとって対等以上だった。"Combined Fleet Decoded"という本もそう述べている。空母を主に守ってくれるのはヒットエンドランを実施する能力だ。居場所が明らかになってしまえば、空母というのは脆弱なものだ。ラバウル空襲が中止されたのは、日本の哨戒機がアメリカの空母機動部隊を発見したからだった。それでも護衛戦闘機のつかない陸攻に攻撃されたがね。ミッドウエイでの日本の最大の失敗は、発見された時に引き返さなかったことだ。オーストラリアの戦線離脱を招く脅威があったとすれば、政治的に派手なできごとだったろう。カーティン豪首相が怖れていたのは確かだが、日本はオーストラリアに占領軍を送ることなしに平和条約を調印したりはしなかっただろう。だとすれば、降伏しても意味がない。それに、オーストラリアの工場が稼働するのに必要な石油はどこから来るのか?オーストラリア兵をアメリカの司令官の指揮下に置かない決断は、真の脅威につながる。アメリカが積極的に動かなかったらというハウスルールだそうだが、連合軍プレイヤーはかなりやりにくくなるだろう。ルーズベルトが緒戦期の損失を気にかけていなかったというのも誤りだ。私たちWitP AEプレイヤーとは違い、彼は有権者を気にかけなければならなかった。船が1隻沈むと、選挙民はうろたえた。1942年は議会選挙の年で、ルーズベルトが彼の計画を進めるつもりなら、共和党の議会支配につながるような敗北は甘受できなかった。クリントンやオバマの中間選挙とそれら選挙の影響をみてみるといい。またロシアからの援助のところも賛成できない。そして、ダーウィンに関する私の理解は、放っておかれていたというものだ。重要な存在にならなければ再度攻撃されることはないだろうという見解から。ダーウィンへの道路の建設も同様の観点からだろう。日本に利用させることになるのに道路を改良したのはなぜか?第二次大戦期のダーウィンをwebでチェックすると、なぜダーウィンの守備が強化されなかったに関する陰謀を示唆するサイトがたくさんみつかる。
賛成できない点も多いが、考える材料をたくさん提供してもらったと思う。「どんな結果になろうとおそれる必要はない。たとえ沈没しても、1943~44年になれば新造艦で置き換えることができるのだから」という理由でルーズベルトが怖れていなかったとは思わない。これとは反対の意味を持つ証拠をいくつも見出すことができるし、一つ前のレスの中で示された所見の多くに私も賛成だ。ミッドウエイだって、フレッチャーとスプルーアンスの受けた命令は、日本海軍とハワイなど日本の望んだ目標との間に残された唯一の武器は彼らの空母なんだから慎重にというものだった。しかし「私たちはルーズベルトやニミッツであるかのようにWitP AEをプレイするわけではない。でもだからといって、プレイからオーストラリア部隊を閉め出すハウスルールがないわけではない」という点に関しては賛成だ。ほとんどのウォーゲームは第二次大戦(や他の20世紀の戦争)の終了した真の原因、つまり国民の士気をシミュレートすることに失敗している。たしかにこの面をモデル化するのはとても難しいが、それに成功していないせいで私たちは史実とはかけ離れたやり方で戦う羽目に陥っている。もちろん、私にはMatrixが日本、オーストラリア、インド、イギリス、アメリカ、オランダ、フランスの士気の変化をたどる方法をどうやって見出すのか見当もつかないのではあるが。 

The Dictator(訳注:ググってみるとコメディ映画だそうです)でSasha Baron Cohen(訳注:俳優さん)が演じているように、プレイヤーに各軍の戦闘指揮所での役割とそれぞれの国の指導者の役割を兼ねさせることはおかしいと永いこと感じてきた。トリガーによって発動するルールを設け、そのルールにプレイヤーを激励する(プレイヤーの行動が粗暴だったらたしなめる)政府の重要人物の役割を演じさせるというのも、プレイをより現実的なものにする一歩になるだろう。私はTOAW(訳注:The Operational Art of Warというゲーム、私も未プレイ)をプレイしたことはないが、TOAWにはプレイヤーがシナリオに定められた任務を達成したか未達成だったかによって、他国の部隊が介入してくるなどのイベントをもたらす単純でいて洗練された政治システムがあるそうだ。次世代のゲームには、サプライが29種類、6000種類もの艦船を維持・改装・乾ドック入りさせることができる、個々のパイロットや兵士を二等兵から上級曹長にまで昇進させることが出来るといったようなマイクロマネージメントではなく、上記のような政治システムという考えに集中して欲しいものだ。私がこれまでの読んだ本によると、カーティン豪首相とルーズベルトの間にあなたの教授が書いたような関係があったことは真実だ。調べれば調べるほど、ルーズベルトは老獪な政治家だったことが分かる。老獪なというのは、自らの立場を守りつつコトを進める時には、人を惑わせるよう不明瞭に発言することに長けているという意味だが。彼の目指していたゴールは正しかったと私も思う。彼のやり方には灰色の部分があったが、私たちの多くが望むのと違って世の中というのはそういうものだ(有名なオーストラリアのバンドでボーカルをしていた行動派、現在は学校教育・幼児・青年問題担当大臣をしているPeter Garrettなら同意してくれるだろう。政党に加入して以来、彼はしばしば裏切り者と呼ばれているからね)。ルーズベルトは、連合各国が戦い続けるよう仕向けるため、空約束することが少なからずあった。例えば、そうするつもり(当時はその能力も)もなかったのにフィリピン首相に「すぐにも」援助することを約束した。マッカーサーにも同じようなことを言い、それが二人の不仲の原因になったということだ。またカーティン豪首相も抜け目ない政治家で、ルーズベルトの発言を聞いてそのやり口を察知したと言うことのように思える。チャーチルならその行動だけでなく、演説の名手でもあったからうまくやっただろうが。カーティン豪首相がルーズベルトに「行動はことばより雄弁」「口先だけではわが国を救えない」という意味で「すぐにも」と要請したことが、その後のルーズベルトの行動に繋がったのだろう。また、キングやマッカーサーのような人たちなら、なるべく早く戦うように求められても何の問題も感じなかっただろう。本当の問題は、作戦の優先順位、各国の計画に留意し利害を調整する交渉ごとの方にあった。難題だ。ルーズベルトもその他の政治家も名人だったから、こういった事態に対処するすべを心得ていた。政治家になるために幕の裏側でどんなことが行われるものなのか身につけてゆく過程では汚れ物の対処も必要だったろうに、こういった有能な政治家がいてくれて幸いだった。




0 件のコメント: