2013年7月16日火曜日

マニラ失陥


1941年12月22日、ポートモレスビーにサプライを輸送し、オーストラリア北東部のタウンズビルに戻るTFが呂34潜に襲撃され、xAK Yochow(VP 5, 2750トン)が沈没しました。この呂34潜は、 xAK Yochowと遭遇する前に同じヘクスでxAKL Darvelを雷撃してはずし、xAKL Kindur(1050トン)には雷撃しないことを選択していました。一晩のうちに3回も襲撃の機会があり、3隻のうちでいちばん大きな貨物船を撃沈できたのは、潜水艦の神様が微笑んでくれたからなんでしょう。ポートモレスビーには鋭意サプライ輸送中で、Amphibious TFのアイコンが多数みられます。Amphibious TFよりCargo TFの方が船倉への積み荷の積載効率はいいのですが、ポートモレスビーのような規模の小さい港では荷下ろしに時間がかかります。なので、こういうところではAmphibious TFを常用するようにしています。

昼になって、ルソン島のクラークフィールドに零戦(A6M2 Zero) 38機のsweepがあり、米比軍の戦闘機 48機(P-26A 2, P-35A 4, P-40B Warhawk 6, P-40E Warhawk 36)が迎撃しました。スコアは米比軍の損失21機(P-26A 2, P-35A 2 P-40B Warhawk 1, P-40E Warhawk 16)に対して零戦は10機でした。2対1なら満足しなければならないところでしょうが、20日のsweepと合計すると48機も失ったことになり、息切れ気味です。そろそろ飛行場爆撃が始まる頃合いかもしれません。

陸戦フェーズではマニラが陥落しました。もともとクラークフィールドに籠城するつもりで、マニラを守る意志はなかったので、マニラには3rd/12th PA Inf Battalionと71st PA Infantry DivisionとCavite USN Base Forceの3部隊が残っていただけでした。日本側の一個旅団・2個聯隊の攻撃であっさり陥落し、3部隊ともdestroyedです。

さて、ここで問題なのはマニラの東隣のヘクスに米比軍地上部隊5個(アジア艦隊HQと歩兵部隊4つ)が取り残されてしまったことです。これら5部隊を合計すると、歩兵3469名、後方要員5086名、AV 322とかなりの兵力を擁しています。これら5つの部隊は開戦時マニラにいました。主戦場はクラークフィールドだと決めてあったのでクラークフィールドに移動させることにしたのですが、その際、クラークフィールドへの移動ではなく、バターンへの移動を指示したのでした。マニラからバターンのヘクスに移動するには、北西のクラークフィールドを経由するので、どっちの指示でも一緒だろうと思ったのでした。

しかし実際に動かしてみると、図のように、これら5部隊ともマニラから北西のクラークフィールド経由ではなく、マニラから東隣のヘクス80, 77に移動してしまったのです。どうしてこういうことになるんでしょう?移動ルーチンのバグでしょうか?緒戦期は忙しいのでルソン島の状況を注意深く観察していたわけではなかったので、この異変に気付いたのはこれらの部隊がヘクス80, 77に到着した2日後です。あわててクラークフィールドへの移動を命じましたが、先にマニラ失陥となってしまったわけです。

クラークフィールドでは今日も日本側からBombardment attackがあり、連合軍側の歩兵1個分隊がdisabledになりました。被害はそれだけでしたが、両軍の今日の戦力が判明し、日本側の素のAV 2024:連合軍 1118でした。ヘクス80, 77に取り残された5部隊は一個師団弱、素のAV 322ですから、これの有無はクラークフィールド攻防に大きな影響を与えることでしょう。ふつうは暖かくなるまで粘れることが多いと思いますが、このままだと梅の花の咲く前に陥落しそうです。

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