2014年2月15日土曜日

東部蘭印アルー諸島Doboに日本軍上陸

1942年6月26日、アラフラ海に浮かぶアルー諸島のDoboに日本軍が上陸しました。きのう哨戒機の報告したTFは上陸船団だったわけです。今日の哨戒機は、Doboに接岸したTFをxAK(客船)、TK(タンカー)各1隻を含む3隻と報告していますが、護衛の艦艇が少なすぎるように感じますし、実態はどうなんでしょうかね。

さて、このTFに対して、ダーウィンの北隣Bathurst IslandからB-26 Marauder 4機が攻撃に向かいました。高度1000フィートという低高度からxAK Hiteru Maruを爆撃しましたが、一発も命中しませんでした。この飛行隊のパイロットのLowNav(低空艦船攻撃)スキルは全員60台まで鍛えてあったのですが、extended range(遠距離)で爆弾搭載量が定数の半分になり、低高度での攻撃の指示なのでさらに爆弾搭載量が半分になり、500ポンド爆弾を1発ずつしか搭載しなかったので命中しなかったのはやむを得ないところかもしれません。

爆弾1発しか搭載しないのなら、4機なんていわずもっと多数機で爆撃すれば良かったのではという御意見もあると思います。おっしゃるとおりです。連合軍側としても、前日の時点で発見していたのですから、上陸作戦を予期していなかったわけではなく、複数の飛行隊(指示可能な双発爆撃機の飛行隊がダーウィンにあと3つありました)に攻撃を指示しようかとも考えました。しかし、まさか空母の支援なしでこんなところにまでやって来るとも思えず、戦闘機の護衛がつかない状態(距離的に戦闘機は同行できない)で機動部隊の零戦に迎撃されることを考えると積極的に航空攻撃を行うことがためらわれてしまいました。定数13機の1個飛行隊にNavS 20%で攻撃を指示しておいたところ4機しか飛んでくれなかったというわけです。

こういう事態に対処するため、Bathurst Islandには重巡Pensacola、軽巡Dereuter、Danae、ceres、St.Louisの米英蘭合同のTFが待機しています。ただ、Doboで水上戦闘を行って、Dobo付近のヘクスで昼を迎えると、アンボンなどからの陸攻の攻撃で悲惨な事態を招くことは必定ですから出撃は見合わせておきました。今日は日本の重巡を含むTFが発見されたので、さらに出撃しにくくなりました。

Doboに上陸した日本軍は兵員600、砲6門と報告されています。Doboには守備隊がいないので、あしたには無血占領となります。放っておくと、同じく守備隊のいない隣のTaberfaneも日本側のものになってしまいますから急遽守備兵を空輸することとしました。日本側がアルー諸島に根拠地隊なども派遣して航空機を運用するようになると、アラフラ海の航行が困難になります。でも日本側が本気でそうするのなら阻止することも難しいというのが1942年6月の連合軍の実情です。日本側がアルー諸島に夢中になってくれれば、連合軍のBabarの防備強化に気づかずにいてくれることくらいは期待できるかも知れません。

オーストラリア北東のPortland RoadsからニューギニアのブナにB-25C Mitchell 17機とB-26 Marauder 11機が飛行場爆撃に向かいました。到着して驚いたことには、81機もの零戦(A6M2 Zero)に迎撃されてしまったのです。Portland Roadsから同行できる護衛戦闘機はなく、多数の零戦のなすがままとなった双発爆撃機は、B-25C 17機中16機、B-26 11機中8機が撃墜されてしまいました。生き残った4機はけなげにも爆撃任務を実行し、ブナの日本軍地上部隊のdevice 1個をdisabledにし、滑走路にも2発の爆弾を命中させました。

護衛戦闘機のつかない爆撃行ですから、連合軍も何の対策もとっていなかったわけではありません。日本側はラエのCAPに注力していて、ブナなんかにはCAPはいないだろうと思ってはいましたが、念のためにTerapo配置のP-39D Airacobraの飛行隊1個にブナへのsweepを指示してあったのです。連合軍の計画では距離の近いTerapoからのsweepが先行し、その後に爆撃機が到着するはずだったのですが、なんの手違いか逆になってしまったわけです。

P-39D 25機がブナ上空に到着した時には、零戦の数は29機に減っていました。爆撃機の時よりも数が大きく減っているのは、ブナ所在機がCAPしているのではなく、ラエ(とその北のLong Islandも?)からのLRCAPだったからでしょう。爆撃機との空戦で燃料や銃弾を使い果たした機はラエまで戻らなければならず、数が減ったわけです。減ったとはいえ29機はP-39Dの25機よりも多数。sweepがCAPより有利という関係はあっても、P-39Dでは零戦に勝ち目がないのはこれまで数々の空戦で経験してきていますから、また大敗だろうとおもってリプレイをみていたところ、かなり多数の零戦が撃墜されていました。リプレイ終了後にTrackerをみてみると、零戦33機(被撃墜 28、Ops loss 5)に対してP39Dは3機(被撃墜 2、Ops loss 1)の損失と報告されていました。連合軍側の記録を見ると、P-39Dの飛行隊に19機、またB-25Cの飛行隊に1機の撃墜が記録されていました。Trackerの被撃墜28機は空戦中の20機(19+1)以外に、帰投中に墜落した機もカウントしているんでしょう。

それにしても、P-39Dがこんなにできる子だったとは驚きました。LRCAPだったり、爆撃機との空戦語の戦闘だったりと、零戦側にかなり疲労がたまっていたことが勝因なんでしょうね。連合軍の計画通り、sweeperが先行し爆撃機が後から到着していたら、P-39Dも双発爆撃機もおいしく料理されていたのかなと思います。B-25CやB-26のパイロットの貴い犠牲で零戦を多数撃墜することのできた日でした。

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